Kさんの秘めた夢
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
2026/1/15 公開
記事:後藤 修 (ライティング・ゼミ、2026年1月開講、通信、4ヶ月コース)
2024年10月30日火曜日。
僕は職場でパソコンのキーボードを叩いていた。
メールを打ち終わり、ざっと目を通す。
カチッと送信ボタンをし終わった手は、少し汗ばんでいた。
僕は知らせたのだ。
かつての上司だったKさんに、退職することを伝えるために。
2014年10月。
銀行の関連会社から銀行へ戻ってきて1年経った頃のことだった。
金融業という‘本業’へ復帰してA支店で働いていた僕ではあったが、
仕事振りは2・3年目の正社員程度だったアラフォーのおっさんだった。
そんな境遇の時に、Kさんと出会ったのである。
20人のスタッフが参加した歓迎会。開かれた居酒屋の座敷部屋で、僕がラグビー選手のような体格であるKさんに会釈しながら、コップにビールを注いだ時、
「しばらくは慣れずにいろいろのことを聞くと思うけど、よろしくね」
と声を掛けられた。
その声は優しいながらも、困難な仕事を乗り越えてきた逞しさが宿っていた。
(いろいろなことを教えてくれそうだな)
肩身を狭くしている身として、僕は少し世界が開けてくるような予感がした。
着任してから、KさんはA支店の次長としてその実力を発揮し続けた。
例えば、窓口に来たお客さんが火のように怒っているならば、お客さんのもとに
駆け寄り、またたくまになだめて、納得させたり。
また、お客さんが電話で問い合わせで迫り、無茶難題を突き付けてくる時も華麗に対処した。
右往左往しているスタッフに代わり、駄々をこねる子供のようなお客さんをあやして、‘聞き分けのいい子供’にお客さんをまとめてしまう。
僕がお客さんとの対応まごついていた時も必ず、助け舟をだしてくれた。
その時は決まって、Kさんの傍に近づいて、アドバイスを請うた。
「君、お客さんは〇〇と考えているから、〇〇と答えればいいからな」
Kさんに尋ねれば、必ずお客さんが頷く‘模範解答’を示してくれたのだ。
(本当に助かるなあ……)
僕はいつも大船に乗った気分でいた。
そんな頼れるスーパーマンのようなKさん。
ところが、ある日のことだった。
その時、僕は仕事が溜まっていて、会社の営業室で残業していた。
同じように、書類を山積みに机にのせて仕事をしていたKさんが僕に近づいてきた。
そして、デスクに肘をついて、頭を抱えて書類に目を通す僕にこう言った。
「君。今度、焼き肉を食べにいかないか?」
すでに心を開き合い、なんでも話し合える間柄になっていた僕とKさん。
「いいですね。行きましょう!」
立て込んでいた仕事で気が滅入っていた僕は頬を緩めた。
しかし、Kさんの次の一言が僕の顔は引きつった。
「君が奢ってくれ」
「……え?!」
僕はたまげた。
部下が上司に奢るなんて聞いたことがない。
- どんな理由があって奢るのか……。
時が止まったように、僕は黙ってしまった。
すると、Kさんは言葉を継いだ。
「たくさん仕事をやっていると、どこかで気分転換したくなるじゃないか。だから、君の奢りで焼き肉を食べにいこうぜ。約束だぞ」
Kさんの声は高揚感に包まれているようにさえ思えた。
そんなこと急に言われてもな……。
僕の心は戸惑う気持ちが走り回っていた。
一方、Kさんを見ると、餌をせがむ子犬のような表情をしていた。
どうしようか……。
少し‘迷い顔’をして、腕を組んで目をつぶった。
考えてみれば、奢る理由は確かにある。
仕事について、数えきれないほど相談をして、Kさんはピンチを救ってくれた。
僕の無配慮で起こした苦情を1カ月ほどかけて、Kさんは収束させることに骨を折ってくれた。
考えているうちに、「奢ることへの戸惑い」よりも「奢ることが自然だという納得感」が心の中で上回り始めていた。
じゃいいか……。
心で「納得感」が勝利した瞬間だった。
「いいですよ。いつか行きましょう!!」
僕の声に濁りはなくなっていた。
それから、1カ月後。
僕とKさんは焼肉屋へ行き、焼き肉を堪能し尽くした。
その一幕のこと。
僕とKさんがそれぞれ箸で肉をつかんで焼いている時
「君は仕事に自信をもてていないようだけど、それにとらわれすぎるなよ
君には実力があるから、コツコツ頑張っていけばいいからな」
Kさんはどこにいても、僕を助けようとする「応援者」だった。
食べ終わった後、僕はレジで支払いを済ませた。
Kさんに歩み寄った時、
「夢が叶ったよ! 部下から奢られるなんて、最高だ‼」
Kさんは子供のように笑っていた。
この会社で働く日も残り1日になった2024年10月30日火曜日の昼下がり。
事務所に戻って、パソコンを立ち上げると、Kさんから返信が目に飛び込んだ。
そこには、支店長になられたKさんからの威厳と力強さに満ちる言葉が並んでいた。
「物書きになるんだってな! 夢をかなえられるように頑張れよ!!」
(もちろんです)
僕は心でそう呟いた。
Kさんから最後のエールをもらった僕。
必ず、僕の夢を達成して、それをKさんに知らせよう。
その時は茶目っ気にこう伝えよう。
「Kさんの奢りで焼き肉屋で祝勝会ですよ!!」と。
≪終わり≫
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