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お金はあるけど価値がないー通貨安の国で、男は電卓を出す


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

 

 

記事: 木藤奈音(ライティング・ゼミ25年11月開講コース)

 

この記事はフィクションです。

 瀬戸内が銀行に到着したのは朝9時だった。すでに数十人ほどの行列ができていた。今日は何人が預金を下ろせるだろうか。

(しまった、出遅れた)

自分の順番は昼過ぎか。瀬戸内は舌打ちしてあたりを見渡した。タイミングよいことに、行列の真横を小間物屋のおばさんが自転車で通り抜けた。やった! 彼女を呼び止める。

「今日中に1万ドル下ろしたいんだけど、なんとかならないかな。手数料はいつも通りで」

「米ドルで1万ドルですか。そういえば、瀬戸内さんの会社はドル建ての銀行口座がありましたね。ちょっと待ってください」

「ありがたい! 助かります」

 彼女はスマホを取り出し通話アプリを立ち上げた。誰かとがなりあっているようだが、瀬戸内には内容を理解できなかった。

 おばさんは話しながら銀行の裏側に消えた。これで大丈夫だ。彼女はこの町の知る人ぞ知る人だ。瀬戸内はほっとして息を抜き、行列から離れた。皆無表情で一心にスマホを見つめている。遠くから行列を眺めていると、自分を呼ぶ声が聞こえた。

「瀬戸内さん、終わりました。中身を確認してください」

 おばさんが膨らんだ封筒とメモを差し出した。瀬戸内は、行列に背中を向け封筒を改めた。100ドル札10枚の束が10……あるはずが、8束しかない。あと、小額紙幣が数枚。カッとなり、思わず声を荒げた。

「2千ドルも足りない。ネコババしたでしょ、どういうことだよ」

「私、何もしていません。悪いことはしていません。お金が減っているのは、銀行が2度両替したせいです」

「両替ってどういうことだよ。米ドルで売上が入金され、それを米ドルで引き出すだけだから、両替する意味がないじゃないか。どうして勝手に両替するんだよ」

「このメモを見てください。この国は、外国のお金がないから、1か月以上銀行口座にお金があると、自動的にこの国のお金に両替します。これは政府の命令」

瀬戸内はメモを目でなめまわした。

……そうすると、こういうこと? 先月の売上金は、一度米ドルからギルに両替されて、引き出す時にギルから米ドルにまた両替されたということか。レートが悪いからお金が減ってるのか」

「はい。この国のお金、どんどん弱くなっています」

 おばさんーミンさんーは悲しそうな顔で言った。彼女は銀行の上層部に顔が利く。このM国で外国人向け預金ブローカーを副業としている。卓越した語学力を活かせるのがアングラなブローカーというのが、この国の行き詰まりを感じさせる。

「くそっ。勝手に人の金をとっていきやがって」

「銀行、悪くありません。銀行は政府の命令を聞かなければなりません。政府はとても怖い。守らないと、銀行が大変なことになります」

 瀬戸内は封筒から金を出し、ミンさんにさしだした。

「わかった。とにかくありがとう。8千ドルくらいだから、手数料は3パーセントだけど260ドル支払うよ。またお願いします」

 ミンさんの表情がぱっとやわらぎ、自転車に乗り去った。

(この国の金融は最悪だな……

 瀬戸内はセンターシティに向かった。この国で最も安全な資産を求めて、目当ての酒屋で車を停めた。ここは駐在員御用達だ。

 「セトチャン、待ってました。いいものがあります」店主ははげあがった頭をかき、瀬戸内を歓迎した。

店奥にいざなった先には、日本が誇るプレミアムウイスキー『山垣』が2本鎮座していた。しかも20年ものである。帰国して日本で売るといくらになるだろう。瀬戸内はごくりと唾をのんだ。こんな国で苦労しているからこそ、小遣い稼ぎのチャンスはうれしい。

「いくら?」親父がみせた電卓を、がちゃがちゃといじって返す。何往復かして、交渉が成立した。

「商社の人、いつもいい酒もらえるね。これは日本で売ると大儲けよ。セトチャン、大金持ちだね」親父は化粧箱を2つわたしながら、ヤニで黄色くなった歯をにかっと見せた。

 翌日、瀬戸内は羽田空港に降り立った。帰国の荷物はリュックと酒瓶入りのキャリーバッグ。もう何度も通ったイミグレへの道をひたすら歩く。スマホを取り出そうとするが、ポケットにひっかかり取り出せない。入国後税関を抜け、到着ロビーに入ると、異変が広がっていた。

「両替はできません! ノーエクスチェンジ!」スタッフが拡声器まで持ち出し、わめいている。日本人客がスタッフを何重にも取り囲んでいる。

「いつまでATMとめてんだよ。早くドルに換えないと、貯金がどんどん減っていくんだよ!」時折怒号が聞こえ、フロアは騒然としていた。

 目の前に空港から出たはずの旅行客がひしめき合っていた。あらゆる国の観光客が不安そうにスマホをいじっている。何組かは床に座り込んでいた。

 あたりを見渡し、外貨両替所をとらえた。想像通り閉鎖していた。手書きで「閉鎖中 CLOSED」とだけ書かれている。レートを確認しようとしたが、モニタには、電源が入っていないようだ。

瀬戸内はスマホのニュースサイトを呼び出した。【速報】と頭についたヘッドラインが並ぶ。

『円安が急速に進行、一時1ドルX00円台に。史上最安値』

『政府、超法規的措置として時限的両替制限を指示』

 状況が見えてきた。今の日本はM国と同じだ。帰国便に乗っている間に、『お金が弱い国』になってしまったのだ。ドル円は正月のレートの数倍、これは日本円の価値が数分の1になるということだ。外国人観光客は狂喜乱舞だ。今頃ブランド品や電化製品を買い集めているだろう。同じフロアに量販店があったはずだが、と目線を向けた。半分シャッターが下り、間口が狭くなっていた。シャッターには『当面支払いは米ドル、ユーロ、中国元のみとさせていただきます。CASH ONLY』と貼り紙があった。外国人客が列をなしている。

(やばい)

 瀬戸内は心臓がとびはねるのを感じた。今やキャリーケースのウィスキーは金塊である。このタイミングで日本にいることを神に感謝した。

 『山垣』は外国人にも人気が高い。外貨で買い取ってもらえるだろう。円建てでも先日調べた価格の何倍にもなるだろう。空港で足止めされている場合ではない。立ち尽くす人の壁をかきわけ出口へ進んだ。改札口から鉄道会社のアナウンスが流れる。

『えー、現在鉄道は点検により一時運休しています。再開までしばらくお待ちください』

瀬戸内はこぶしを握る。点検というのはおそらく嘘だ。海外から燃料を輸入するこの国では、通貨安が進むと分単位で利益が吹っ飛ぶ。事態が収拾するまで時間を稼いでいるのだろうと考えた。

1階でタクシーがつかまるだろうか。この酒も、換金できなければ資産ではなくただの酒だ。

「スミマセン。電車がうごく時間は、いわれてましたか」

 ふいに話しかけてきた長身の男性がいた。30代の東アジア人。リラックスウェアをまとっているが、時計やスニーカーは高級ブランドのそれだった。一瞬見えたスマホの画面から中国語が読めた。

 瀬戸内のアンテナがたった。隣の男性に向き合いながら、電卓アプリをたちあげる。

「しばらく再開はないようです。ところで、ヴィンテージのジャパニーズ・ウィスキーに興味がありませんか。私はブローカーで、ちょうどいいのが入ったのです」

 そう言って、スマホの電卓を差し出した。

≪終わり≫

 

 

 

 

 

 

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