ポケットの中のチョコレート
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:堤 理恵(ライティング・ゼミ、2026年1月開講・渋谷/通信・4ヶ月コース)
子どもだったころ、祖父と散歩するのが大好きだった。
いつもひとりで散歩に出かける祖父が、
「いっしょに行くか?」
と、さそってくれるのがうれしかった。大家族で育ったので、「選ばれた」気持ちになれたのだ。
若々しく、おしゃれな祖父と歩いていると
「親子みたいでいいねえ」
と、出会う人々が声をかけてくれた。祖父はわたしの自慢だったし、祖父もわたしを自慢に思ってくれている、と思えた。
普段、友だちとは行ってはいけない海の方へと歩く。海といっても砂浜はなく、殺伐とした防波堤が続いている。
わたしの生まれ育った神戸の街は、港町のイメージが強い。クルーズ船が就航するメリケンパーク、大型客船が出入りする神戸ポートターミナル、あるいは須磨シーワールドやその前に広がるビーチ。けれども、小型の漁船が出入りする漁港も多く、たくさんの小型船が係留している。
このまま海に沈んで落ちてしまっても、きっと誰も気づかない。人が少なくて、晴れていてもなんだかどんよりしているアルファルトが広がっている。潮の香りに、石油のような、人のような匂いがして、人工的な空気が漂っている。
どうしてこの場所に向かっているのか、わたしは聞かない。祖父はお酒を飲むと饒舌になったし、町内会長や民生委員などの仕事をいきいきと楽しそうにしていたが、決して言葉数の多い人ではなかった。けれど、そのぶん、いろいろ考えているのだろうとわたしは想像していた。ひとりで歩きながら。あるいは、街の音や人の声をたくさん聴いているのだろうと。
「チョコレートがある」
と祖父がポケットから音符の模様のついたチョコレートをふたつ差し出した。
「お母さんには内緒やで」
と、ちょっといたずらな笑みで。わたしは共犯だと思えて迷わずひとつ、口に入れた。
母は虫歯になるといってチョコレートをあまり与えてくれなかった。祖父はチョコレートが好きで、時々ポケットにはいっているのをわたしは知っていた。
「おじいちゃんはチョコレートがすきだね。わたしもおいしいから本当は好き」
そういうと、祖父はうれしそうに笑った。
「チョコレートを食べたら、色々なことを想像できるよ」
「想像?」
「うん、想像したり、考えたり。魔法の力がうまれる」
わたしは砂糖のあまさだけではない、その独特の(今ならカカオといえる)味が口の中で溶けていくのをもったいないと思いながら、想像した。
この場所はどうしてこんなにうらさびしいのか。
祖父といると、どうしてこんなに誇らしい気持ちになるのか。どんな場所にいたとしても、強い気持ちをもてるのか。
「おじいちゃんは何を想像するの?」
「うーん。たいしたことじゃないよ。町内会でこんなイベントしようかなあとか、仕事がこうなったらいいなあとか、ちょこっとしたこと」
ちょこっとしたこと。
真面目な祖父が変なだじゃれをいうのがおかしかったから、あの時間のきれはしを今もよく覚えている。
お酒を飲むと、祖父はよく戦争の話をした。みんな「またか」という顔をしながら聞いているのかいないのか、中途半端な態度だったけれど、わたしはその話に耳をそらすことができなかった。
戦争に勝つことを信じて、十四歳で志願兵になったこと。自分が思っていたよりも運動神経が悪くて荷物運びをたくさんするはめになったこと。明日、知覧から飛ぶという日に終戦を迎えたこと。
そんなエピソードの中にあったチョコレートの思い出。
「後にも先にもこんなにおいしいものはないと思ったよ」
慰問袋の中にはいっていたチョコレートに感動し、そのおいしさがその後の軍隊での生活を支えてくれたのだという。けれど、知覧から飛ぶ前にはもうそんなものは一生食べられないと知っていた。
祖父は、なぜあのとき「チョコレートを食べると、想像できる」と言ったのだろうと、今になって思う。戦争の話をする祖父は、決して英雄ではなかった。ただ、もし自分があの日飛んでいたら、もし隣にいた友だちが生きて帰ってきていたら、と、何度も想像していたのだろうか。
想像することは、ときに人を弱くする。見なくていいはずの痛みまで、胸の中に連れてきてしまうからだ。それでも祖父は、想像することをやめなかった。やめなかったからこそ、人の声に耳を澄まし、町内会の小さな行事を考え、誰かの日常を少しだけ明るくしようとしたのだろうか。
ポケットから出てきたチョコレートは、祖父なりの小さな魔法だったのかも知れない。甘さで現実を忘れるためではなく、現実を生き抜くための力。想像できる人は、きっと人の痛みがわかる。だから簡単には強くなれないし、鈍感にもなれない。でも、その分だけ、やさしくなれる。
わたしが今も、誰かの言葉に立ち止まったり、風景の裏側を考えてしまったりするのは、あの日のチョコレートが、静かに溶けながら教えてくれた魔法のせいなのだと思っている。誰かを想い、やさしくなりたいと願うのも、わたしのポケットにあるチョコレートの魔法の力だと思っている。
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