週間READING LIFE vol.341

私が「諦める」ことを「最強のスキル」に選んだ理由《週刊READING LIFE Vol.341「今年必須のビジネススキル」》

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

2026/01/29 公開

記事:回復呪文は使えない(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

「諦めるな」

「最後まで、決して、」

「諦めるな」

「この挑戦を戦い抜いたものにしか」

「見えない景色がある」

年末年始、日本列島は「駅伝」の熱狂に包まれる。 全国高校駅伝、富士山女子駅伝、ニューイヤー駅伝、箱根駅伝、都道府県対抗駅伝。

選手たちは、母校や会社、郷土の名誉をかけて(実業団の選手はボーナスもかけて)戦っている。 極限まで肉体を苛め抜き、タスキをつなぐその姿。彼ら、彼女らの「最後まで諦めない」熱戦に、私たちは無条件に感動し、涙する。

翻って、テレビの前の私たちはどうだろうか。 諦めず、最後まで戦い抜くことができているだろうか? 暖かい部屋で、みかんを食べながら駅伝を見て、「いいもん見たなあ」と感動して終わっていないだろうか?

ふと、冷めた自分が顔を出す。 「自分も、何かを相手に戦い抜いてみよう」 そう思っても、三日坊主で終わるのが関の山だ。

だが、私の心の奥底には、駅伝の実況中継よりも厳しい「声」が、こびりついて離れない。

それは、私の祖母の呪縛だ。

 

私は典型的なおばあちゃん子だった。 4歳の頃、弟が生まれるタイミングで、しばらく母の実家で祖母に育てられたことがある。

昭和一ケタ生まれの気丈な祖母は、私に「男の子としての振舞い」を徹底的に叩き込んだ。

「男の子は、決して諦めたらいけない」

「一度『こう』と決めたら、石にかじりついてもやり抜きなさい」

「男の子は、苦しくても辛抱して、我慢しなさい」

おぼろげながら、そんな言葉をシャワーのように浴びせられた記憶がある。 祖母が子供だった頃、日本の学制は「国民学校」だった。彼女の周りにいた男の子たちは、国のために戦う「良い兵隊さん」になるための教育を受けていたのだろう。 祖母もまた、その時代の空気を吸い、男とはそうあるべきだと信じていたのだ。

祖母には娘が二人いた。その一人が私の母だ。 そして、祖母にとって初めての「男の子の孫」が私だった。彼女が国民学校時代に見聞きした「理想の男子教育」を実践する、格好のターゲットになったわけだ。

その英才教育の甲斐あって、私は見事なまでの「負けず嫌い」に育った。 たまに人間関係をおかしくする程度に、「敗北」を許せない人間に仕上がってしまったのだ。

学生時代、私は無謀にも箱根駅伝を目指した。 先に言っておくが、私には才能がなかった。 最近、興味本位で運動能力に関する遺伝子検査を受けたのだが、結果は散々だった。「長距離走に向いていない」どころか、「運動全般に向いていない」という判定が出たのだ。遺伝子レベルで否定されるとは、このことだ。

だが、当時の私はそんな科学的根拠など知る由もない。 「負けたくない」 その一心だけで、才能の壁を根性でねじ伏せ、箱根こそ走れなかったものの、県内トップレベルの走力を手に入れた。

社会に出ても、その「呪縛」は私を支えた。 与えられた仕事はすべて「負けたくない」と引き受けた。嫌な顔一つせず、残業も休日出勤も厭わなかった。それが美徳だと信じていたからだ。 上司にとって、これほど便利な部下はいなかっただろう。無批判に、無限に仕事を引き受けてくれるのだから。

しかし、根性で物理的な限界を超えることはできない。 そんな日々が続いた数年前、ついに私の体は限界を超えてしまった。

ある日から、ちょっとしたことで怒りの感情が制御できなくなってしまった。そんなことがしばらく続き、「人を殴ってしまう前に」としばらく休み、そして退職した。休んでいる間、「怒る対象がいなければ仕事ができるぞ?」と気づき、そして設立した会社が今の会社だ。

 

時は流れて現在。 私は財務コンサルタントとして独立し、自分の会社を切り盛りしている。 はずだった。

「そんなことってある?」 人生には「まさか」という坂があるというが、私の前に現れたのは断崖絶壁だった。 ある日突然、妻の実家のお寺を継がなければならなくなったのだ。

急に主(あるじ)を失ったお寺の後継者問題は、江戸時代以来のしきたりと、近隣の寺院の住職による独断と偏見で決定された。 私に拒否権はなかった。

かくして、お金と言う名の煩悩を扱う財務コンサルタントと、煩悩を断ち切るのが仕事である僧侶という、相互に矛盾した二足のわらじを履く生活が始まった。

しかし、住職になるには資格が必要であるため、当面は収入無しで管理だけ任されるという状況となった。それでも、祖母の教え通りにやるつもりだった。 「石にかじりついてもやり抜く」 お寺の再建も、コンサルタントの仕事も、全部自分で完璧にやってやる。そう息巻いていた。

しかし、お寺という場所は、令和の常識が通じない「魔境」だった。

寺内の片づけ、明治時代から続く帳簿の発掘と解読。 賽銭箱から出てきた10,000枚を超える1円玉の山。銀行に持っていけば手数料で赤字になり、ATMに入れれば機械が詰まって、もう少しで出入り禁止になるところだった。

とにかく、廃棄物の処理が大変だ。寺院で出たごみは家庭ごみではないため、市では収集してくれない。お寺は開店休業状態でも、お墓詣りの檀家さんはやってくる。そして、大量の花殻を置いていく。それを週末ごとに半日かけて焼却炉で燃やす日々。しかし、815日のお盆の最終日。本堂の前にうずたかく積まれたお供え物を見た。

「これを、みんな『誰がどうする』と思ってるんだろう……

そして、心が折れた。そう。ポッキリと。

「負けたくない」 その信念だけで乗り切れる量ではなかった。 どんなに不利な状況でも、自分さえ潰れなければなんとかなる。そう思っていたが、今回は「自分が潰れてもどうにもならない」レベルだったのだ。

何もかも自分でやり通すことが「美徳」だという信念が、音を立てて崩れ去っていった。

そこで、私はふと、本業である「財務コンサルタント」の顔に戻って、電卓を叩いてみた。

突然ですが、ここで問題です。 あなたは自分の「分給」を知っていますか?

時給1,500円の人なら、分給は25円。 「たった25円?」と思うなかれ。10分ボサッとしていたら、250円。コンビニのコーヒーをドブに捨てたことになる。

時給5,000円のエグゼクティブなら、分給は約83円。 10分間で、833円が消える。スタバで優雅に過ごせる値段だ。

分給とは、「自分が1分動かなければ、どれだけ経済的損失が出るか」を可視化する残酷な指標だ。 そして、これを知るとある事実に気づいてゾッとするはずだ。

「自分でやればタダ? とんでもない!」

あなたが「節約のため」といって自分で作業をしている間、あなたの「本来生み出せる価値」が機会損失を起こしているのだ。

会社員なら、ダラダラ残業しているその時間で、スキルアップして将来の年収を上げたほうがいい。 主婦の方なら、その完璧な家事をする時間で、自分がやりたいどんなことができるだろう。それを無償で提供し続けていることの凄さと、損失に気づいてほしい。 経営者ならなおさらだ。あなたが現場で作業をしている間に、会社の未来を決める経営判断が遅れている。その損失は計り知れない。

「自分でやる」は、実は一番高いコストなのだ。

世間では「賃上げだ! デフレ脱却だ!」と騒いでいる。 確かに額面は増えたかもしれない。しかし、スーパーでキャベツの値段を見てほしい。ガソリン代を見てほしい。 「実質賃金」は、私たちの生活実感として、ちっとも楽になっていない。

財務コンサルタントとして断言する。 不確定な「売上増(昇給)」をあてにするより、確実な「コストカット」をする方が、手元資金は確実に残る。これは鉄則だ。

しかし、私が提案したいのは、電気をこまめに消すような「節約」ではない。 それは「ケチる」ことではなく、「自分の時間を安売りしない」という「業務の損切り」だ。 自分じゃなくてもできることは、徹底的に「諦める」。これこそが、今年必須のスキルなのだ。

私は、お寺でこの「損切り」を断行した。

私のお寺は、これまで檀家さんの「奉仕活動」に支えられてきた。 休日に檀家さんが集まり、草むしりや掃除をする。「お寺を守るのは檀家の務め」。美しい伝統だ。駅伝のタスキリレーと同じくらい美しい。

しかし、私はそれを「諦めた」。

業者を入れたのだ。「えっ、お金払うの?」と檀家さんには驚かれたし、長老たちからは渋い顔もされた。 だが、私は譲らなかった。

なぜか? 現代人の「情報処理量」は、平安時代の一生分だと言われている。 ただでさえ忙しい現代人の、貴重な休日を「草むしり」で奪っていいのか? 檀家さんの「分給」と、業者への委託費を天秤にかけたとき、答えは明白だった。

その「見えないコスト」を計算した時、私は「伝統」を損切りし、プロに任せる決断をした。 結果はどうだったか。 境内はプロの仕事でかつてないほど美しくなり、檀家さんは重労働から解放され、笑顔でお参りだけをして帰っていくようになった。

Win-Winじゃないか。

そう。私は「頑張ること」を諦めたのだ。

天国のおばあちゃんは、今の私を見てなんと言うだろう。 「軟弱になったねぇ」「男なら歯を食いしばれ」と、呆れているかもしれない。

おばあちゃん、ごめんね。 でも、これは裏切りじゃないんだ。

ここで、ある言葉を紹介したい。 仏教には「諦(たい・あきら)」という言葉がある。 一般的に「諦める」というとネガティブな意味で使われるが、仏教では違う。「真理」や「明らかにする」という意味だ。 「四諦(したい)」といって、仏教で一番大切な四つの真理を表す言葉にも使われている。

物事の道理や現状を冷静に観察し、明らかにする。 自分にできることと、できないことを明確にする。 そして、できないことへの執着を手放す。 これが、仏教における本来の「諦める」だ。

私がやったことは、これじゃないかなぁ、と思っている。 財務コンサルタントとして現状を分析し(明らかにし)、自分や檀家さんのリソースでは無理だと判断し(諦め)、プロに任せた。

これは逃げではない。最適解への到達だ。

「どうでもいいこと(雑務・見栄)」を即座に諦めるのは、本当に大切な「お寺の未来」や「家族との時間」について、最後まで歯を食いしばって守り抜くためだ。

「選択と集中」。 これこそが、おばあちゃんの教えを現代語訳した、真のビジネススキルなのかもしれない。

今年、私は大いに諦めようと思う。 そうすることでしか、守れない景色があるのだから。

終わり≫

【ライターズプロフィール】

回復呪文は使えない(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

「そんなことってある?」という展開で、ある日突然妻の実家のお寺を継がなければならなくなった僧侶見習い。髪はまだある。本業は財務コンサルタントと金融投資業。煩悩の象徴、お金を扱う本業と、煩悩を断つ使命を帯びた僧侶の両立に悩む。

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2026-01-29 | Posted in 週間READING LIFE vol.341

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