母のキャロットケーキ、再現大作戦
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
2026/2/5 公開
記事:村井ゆきこ(ライティング・ゼミ 11月開講コース)
ある日、スーパーで野菜を買って帰宅した私は、冷蔵庫を開けて、自分のうっかり加減に呆然とした。
野菜室にはすでに立派な人参が3本、出番を待っている。
それなのに、手もとの買い物袋にはさらに大きな3本の人参。
人参はすぐ腐るものではないけれど、毎日大量に使うわけでもない。それらは冷蔵庫の中でかなりの存在感を放っていた。
そんな私の様子を横目で見ていたのが、受験勉強の合間にキッチンへふらりと現れた、料理好きの次男である。
「ねえ、結構前に食べたあのキャロットケーキ、美味しかったよね。人参がたくさんあるなら、ケーキにしてみるのはどう? 僕も一緒に作る」
次男が言う「あのキャロットケーキ」とは、近所にあるケーキ屋さんのものだ。家族全員が一口食べて唸るほど絶品だった。
「でも、あのお店の味を再現するのは無理だな」
思わず私が身構えると、次男は
「いや、そこまで求めてない」
と笑った。
「ただ、人参が入ったケーキって美味しいよねってこと。何かできない?」
そうだった、私はついつい「やるなら徹底的に」とこだわりすぎてしまう。外食先で美味しいものに出会えば、夫と二人で
「隠し味は何だろう」
「この食感を出すための工夫はありそうだね」
などと分析し、再現を試みることもある。
しかし、次男の言葉をきっかけに、ふと別の記憶が脳裏をよぎった。それはお店の味ではなく、もっと遠い、私の原風景にある香りだ。
「そういえば、子どもの時によくトミーの手作りケーキを食べてたんだよね」
トミーとは、私の母のあだ名で、次男にとってはおばあちゃんの話だ。
私は母が作るお菓子が大好きで、いつも喜んで食べていたが、時に母の「探究心」に付き合わされることもあった。
「こっちとこっち、どっちの味が好き?」
「これ、前回と焼く時間を変えてみたんだけど、どう?」
母は、一度ハマるととことん突き詰める凝り性だ。
当時、最も長く続いたのはシフォンケーキ・ブームだった。プレーンに始まり、抹茶、紅茶……。バリエーションが無限にあるせいで、母の情熱はなかなか冷めなかった。
学校から帰宅すると、キッチンには焼き型を逆さまにして冷やされているシフォンケーキが鎮座している。それがある頃の我が家の日常だった。頻繁に焼き続け、ある時魔法が解けたかのようにパタっとブームが終わる。それが母のお決まりのパターンだった。
「そういえば、シフォンケーキの他にも、パウンドケーキやキャロットケーキもあった気がする……」
焼き上がりの匂いだけが鮮明に蘇ってきた。でもそのキャロットケーキは、よく見るナッツやレーズンがぎっしり入り、濃厚なクリームチーズのフロスティングがたっぷり塗られたタイプとは、どこか違う。もっと素朴で、けれど独特の華やかさがある香りだった。
私は本来、ものすごく食いしん坊で、気になったら試さずにはいられない。母から受け継いだ「再現したい欲求」がムクムクと湧いてきた。
「昔、キャロットケーキ作ってたよね? シンプルなやつ。レシピ残ってる?」
たまらず母にLINEを送ったが、返ってきたのは
「いやー、もう覚えてないわ」
という、あっさりした返信だった。
そうだった。母はマメで研究熱心だけれど、そのプロセスを記録に残すようなタイプではないのを忘れていた。
手がかりは消えた。けれど、私はどうしてもあの「母の味」が食べたくなった。
私はキッチンで目を閉じた。あの頃の記憶が、じわっと蘇ってくる。
「18センチ型だったろうか」
なんとなく手で丸を作って、当時のケーキを思い出す。香りがすごくよかった。
香ばしい感じ。思わずニヤける。
「……これが、思い出し旨しってやつか」
以前ラジオで聞いた、安住紳一郎さんの言葉が、ここでぴたりと重なった。
「人参とシナモンだけじゃない。なんだろうか……」
目を瞑りながら、何もないキッチンで鼻をクンクンさせていると、ふと閃いた。
「……紅茶かも」
そうだ、あの香りは茶葉だ。母が好きなアールグレイの茶葉だったのではないか。確証はないけれど、一度そう思うと、もうそれ以外には考えられなくなった。
残っていた人参をすりおろすと、ちょうど150グラム。小さなパウンドケーキを焼くには、ちょうどいい量だ。私は複数のレシピを掛け合わせ、今の自分なりに「母の味」を再構築していく。
「人参1本って書いてあるレシピは不親切だね。グラムで言ってくれないと」
横で次男が冷静に突っ込む。
「たしかに。じゃあ人参150グラムね。薄力粉、卵。キビ糖とオリーブオイルね。あと、ベーキングパウダー。シナモンは多め……。アールグレイのティーバッグを破って、茶葉をそのまま入れちゃおう」
かつて子ども向け料理教室に通っていた次男は、助っ人として驚くほど手際が良い。二人で流れ作業のように計量し、混ぜ、型に流し込む。
「少し細めの型だから、焼き時間は10分短くして様子を見よう」
オーブンから漂ってきたのは、まさにあの「オトナの香り」だった。焼き上がったケーキのあら熱が取れるのさえ待ちきれず、私たちはナイフを入れた。
「美味しい……! 一晩寝かせたらもっとしっとりして美味しくなるね」
次男とテンションが上がる。
翌日、しっとりと落ち着いたケーキに、目分量で作ったフロスティングを添えた。カフェラテを淹れ、改めて母に「答え合わせ」の連絡をしてみた。
「ねえ、あのケーキ、紅茶が入ってたよね?」
母からすぐに返信が来た。
「紅茶の葉っぱを入れたケーキと、すりおろした人参のケーキ。それは全くの別物です」
……私が一生懸命に記憶を呼び起こしたあの時間は、全くあてにならなかった。
どうやら私は、母が作ってくれた二種類の好物を、長い年月の間に脳内で勝手に統合してしまったらしい。
とはいえ、記憶違いから生まれたこのケーキは、我が家の新しい定番になりそうだ。
完璧な再現を目指していたはずが、いつの間にか、三代分のエッセンスが混ざり合った「今の私」にしか作れない味に辿り着いた。
お菓子のバリエーションが、また一つ。
記憶のいたずらを面白がれるくらいの余裕が、案外いちばんの贅沢なのかもしれない。
≪おわり≫
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