週刊READING LIFE Vol.343

静かに止まり、戻らなくなった 《週刊READING LIFE Vol.343「あのとき、私は大人になった」》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

2026/02/12公開

記事:藤原 宏輝(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

 

「ありがとう、今日も楽しかったね。次は大晦日に、またね」

と言って寒空の下、彼は地下鉄の階段を駆け降りて行った。

 

あの日は、特別な出来事があったわけではない。

 

年末の気忙しい1日。

仕事を終えて、彼とミュージカルを観に行って食事をした。

この日もいつも通りだった。

 

まさか、この日が最後になるなんて……。

 

クリスマスは、お誕生日のお祝いを兼ねて、初めて旅行に連れて行ってくれた。

5年間の付き合いの中で、これまで一度も旅行という形で誕生日をお祝いしてもらった事はなかった。

「クリスマスなんて、子供が喜ぶものだ」

といつも怪訝そうにしていたのに、今回は違った。

それまで毎年、私はクリスマスディナーを予約し、プレゼントを準備した。

もちろん、支払いは全て私。

彼からのクリスマスプレゼントは、一度もなかった。

そして年末年始は毎年、一緒に過ごした。

 

大晦日。

実家の母が体調を崩したので、私は初めて彼と一緒に過ごさない。

という選択をし、慌てて実家に戻った。

 

 

元日の朝。

それまで毎年のように、彼の家のベランダから2人で見ていた‘初日の出’の写真が届いた。

私は朝から、母を救急病院に連れていき、慌ただしく1日が過ぎていき、彼からのLINEに返信できたのは、夕方だった。

 

そして、彼からの連絡が途絶えた。

彼から連絡がない事すら、私は年明け早々仕事だったので、気づかなかった。

そういえば、年が明けると同時に一緒に過ごしていても届いていたはずの、

「今年もよろしく」という、何気ない一言もなかった。

 

それから数日が過ぎた。

相変わらず、彼からのLINEは一切こなかったが、既読にはなっていた。

 

彼は何かに対して1人で怒り、私は理由に全く心当たりがないまま、こうして連絡が途切れることも、急に距離が遠くなることも、5年の間に何度もあった。

 

 

さらに2週間ほど過ぎた頃。

とうとう、LINEは未読になり始めた。

 

通知が来ていないと分かっているのに、私はスマートフォンを開く回数が増えた。

無意識に画面を確認してしまう。

「また何か怒らせた? まあ、いつもの事だから」

と思い私は朝も昼も夜も、これまで通りにLINEを送った。

それが、朝起きた直後だったり、仕事の合間だったり、

夜、電気を消した後だったり……。

 

忙しい人だということも、

1人になりたい時間が、必要な人だということも、

私はそんな彼を、理解しているつもりだった。

 

でももしかしたら、5年もの間。

彼の事を理解している“ふり”をすることで、

関係を保ってきたのかもしれない。

 

「今は、そういう時期なんだと思う」

そう言って、自分を納得させる言葉を、

私はいくつも持っていた。

 

気持ちを伝えても、返事はない。

問いかけても、沈黙が続く。

電話もスルー、着信拒否はされていなかったが出ない。

それでも私は、毎日を普段通りに過ごしていた。

 

仕事の打ち合わせに行き、スタッフと話し、

目の前の案件をこなす。

スタッフもお友達も、誰もが私の中で起きていることには

全く気づかない。

 

 

1ヶ月が過ぎようとしていた。

陽が落ちて夜になると、急に冷え込み雪がちらつき始めた。

そんなしんしんと冷えた1日の終わりにようやく、

自分の感情が顔を出す。

「今日こそは、連絡が来るかもしれない」

そんな期待を、自分で自分に許してしまう。

 

連絡を待っている私がいることを、彼はきっと分かっている。

それが私の中では、最後の支えのようになっていた。

 

無視されているのに、どこかで

「信じている自分」を

手放したくなかった。

彼を信じたい、というより、信じている私でいれば、

これまでの5年間が、無駄にならない気がしたのだ。

 

去年も一昨年も、毎年この時期になると、

なぜか? こうして連絡が途絶える。

「また、1月病かな」

と思った。

なぜか1月は毎年、私を無視し続ける。

寒さのせい?

忙しさのせい?

気持ちが沈みやすい季節のせい?

「今は何かに怒ってるみたいだけど、会ったらきっと元に戻るから」

時間が経てば、戻る。

2月になれば、出会った記念日とともに、また笑える。

 

私は、いつもこうして無視続け数日後には、

彼の家に突然! 会いに行った。

居留守を使われた事もあった。

会いに来たよ! と、アピールするかのように、私は彼がいない時間を見計らって、わざと彼の家に行って、手紙やお土産を玄関に置いてきたりしてた。

 

「会って顔を見たら、お互いまた笑える」

 

そうやって、

自分の違和感に蓋をすることにも、

ずいぶん私は、慣れていた。

 

これまでは、突然会いに行き、玄関のチャイムを鳴らす。

「おー、元気か?」

と全く何事もなかったかのように、出てくる彼。

 

一気に、日常が戻る。

「お昼、何食べる?」

それまでの全てが、何事もなかったかのように……。

 

 

けれど今回の私は、なにか少し違った。

自分で自分の事が、だんだん嫌になってきた。

 

「来年は、沖縄に行こう」とか、

「温泉は、来月はどこに行く?」

と楽しく、年末に話していたのに、

まるで、あの日の会話が夢か? 幻か? 嘘みたいだ。

 

 

初日の出の写真の日から、今まで。

色々と考えていたら、だんだん虚しくなってきた。

胸は苦しいのに、頭の中は驚くほど静かだった。

 

今思えば、これまでミュージカルやライブ、歌舞伎や映画に誘っても

「そんなの興味ない、友達か誰かと行けば」

といつも、冷たくあしらわれていた。

でも最後のあの日は、一緒にミュージカルに行ってくれた。

クリスマスの温泉旅行も……。

それは、彼が最後に私にくれたプレゼントだったのかもしれない。

 

でも私の感情は暴れないし、涙も出ない。

その代わり、自分を俯瞰で見ているような、なんとも言えない不思議な感覚があった。

 

「私は、何を待っているんだろう」

 

答えはすぐに出なかった。

でも、その問いを自分に向けたこと自体が、これまでとは違っていた。

 

私は気づいた。

「ずっと、彼を待つ役割」

を自分に与えてきたのだと。

 

一緒にいる時に、自分から何かを話しかけると

「うるさい」

と言われた。

そう言われるのがツラくて、その言葉がイヤで、

自分から話しかけたり、行動する事に何度もトライするたびに、何度も何度もイヤな思いをした。

そして、とうとう私は黙った。

 

いつも、彼がどうするかを待ち、彼の都合を察し、彼の言葉が出てくるまで、

自分の気持ちを、いつも後回しにする。

 

「私だから、彼を分かってあげられる。

私じゃなきゃ、彼はダメなんだ」

 

そんな思い込み。

それが本物の愛だと思っていたし、大人の関係だとも思っていた。

「彼の事を分かってあげられる私」

でいることが、成熟だと信じていた。

 

でもそれは、自分の人生をただ、一時停止にしていただけだった。

 

信じることと、放置されることは違う。

理解することと、我慢することも違う。

 

窓の外には、雪が少し積もり始めていた。

 

私は彼に、何かを要求したわけではない。

責める言葉を送ったわけでもない。

別れを告げたわけでもない。

 

ただ、スマートフォンを伏せたまま、心の中で静かに思った。

 

その瞬間だった、真冬の柔らかい太陽の光が窓から差し込んだ。

「あ、今日はきっと、暖かいんだ」

思わず言葉が溢れた。

そして、気付いた!

うっすら積もった雪の上に、その境界線が、

静かにそのとき、驚くほどはっきりと見えた。

 

 

私は初めて、私に対して

「本当は、どうしたいの?」

と問いかけた。

すると、沸々とこれまでに味わった事のない、

何とも言えない、純粋で素直な気持ちになった。

 

「もう、振り回されない」

 

スーッと、その言葉が降りてきた。

その瞬間、胸の奥にずっとあった。

重たいものが、音もなくほどけた。

 

「彼がいなくても平気。手放した方が、私らしくいられる」

 

それが、静かに訪れた答えだった。

もう、戻らない。

寂しさは、確かに少しだけ残っていた。

5年間という時間が、簡単に消えるはずもない。

思い出の曲を聴けば、ふと思い出す。

でもそれは、今までは、そうだった

今は、思い出の曲を聴いても、心から自分が楽しめる。

 

不思議とスッキリしていて、後悔は全くなかった。

 

私は初めて、

「誰かを信じたい自分」よりも、

「自分を大切にする私」を

選んだのだと思う。

 

もちろん、彼の事は好きだった。

決して、嫌いになったわけではない。

 

大人になった。というのは、

強くなることでも、冷たくなることでもない。

誰かを切り捨てることでもない。

 

自分の心に、これ以上の無理をさせない。

ただ、それだけ

なのかもしれない。

 

雪の朝。

あのとき、私は大人になった。

静かで、誰にも気づかれない場所で。

 

でも確かに、

「もう、戻らない自分になった」

と、私は知っている。

 

それは、大人になった瞬間。

 

そして、その後の私。

「もう、振り回されない」心の内側から出た言葉。

それは、何かを失った瞬間ではなく、

何かを取り戻した瞬間! だったと思う。

 

大人になった直後、

世界が劇的に変わったわけではない。

朝は変わらずやってきて、仕事の予定も、日常の会話も、昨日と同じように続いていた。

 

ただ、私の行動だけが、少しずつ変わり始めた。

 

まず、相手に期待して待たなくなった。

スマートフォンを握りしめて、

返事の来ない画面を、何度も確かめることをやめた。

通知音に心を支配される時間が減り、

自分の呼吸に戻る回数が増えた。

 

時間の使い方も変わった。

「空いている時間」ではなく、

「使いたい時間」を先に決めるようになった。

これまでのように、彼の都合に合わせて残しておく余白ではなく、

自分のために確保する時間。

 

そのおかげで仕事では、さらに決断が早くなった。

迷いが消えたわけではない。

ただ、

「誰かにどう思われるか?」

という基準が、判断軸から外れただけだった。

 

必要なことは引き受け、

不要なことは断る。

その線引きを、説明や言い訳で曖昧にしなくなった。

 

人との関係も変わった。

無理に分かり合おうとしなくなった。

相手の沈黙を、自分の努力不足だと解釈する癖を手放した。

 

分かり合えないことが、あってもいい。

距離ができることが、失敗ではない。

そう思えるようになったとき、

人との関係はむしろ、穏やかになった。

 

何より変わったのは、自分に対する態度だった。

 

疲れているときに無理をしない、違和感を覚えたら、

「気のせいよね」

で片づけない。

どんな小さな声でも、自分の内側から聞こえてくるものを、

ちゃんと拾い上げる。

 

あの時、大人になったからといって、

強くなったわけでも、賢くなったわけでもない。

 

ただ、自分の人生の責任を、自分に引き戻しただけだ。

 

あのときの私は、もう誰かに選ばれるのを待っていなかった。

代わりに、「どう、生きるか?」

を自分でしっかりと、選び始めていた。

 

大人になるとは、

覚悟を決めることではないし、正しさを証明することでもない。

‘今日の自分を、明日の自分に預けられるようになること’。

 

あの日から、私は静かに変わり続けている。

派手ではないけれど、確実に、前とは違う方向へ。

 

大人になった瞬間は、

あの一度きり、あの一瞬の出来事だった。

大人になった今でも、多少の痛みは伴った。

 

しかし、彼のおかげで、自分の選択が自分で出来た事で、

私は。大きく一歩踏み出した。

 

数ヶ月後。

彼から「なにしてる」とLINEが届いた。

気づけば、窓の外には暖かい春風が吹き始めていた。

今年の桜は、少し遅いらしい……。

私は「元気です」

ひと言だけ返信した。

 

 

そして4月、新しい年度が始まる。

あの日から、私の大人であり続ける行動は、今日も静かに積み重なっている。

 

「気づかせてくれて、ありがとう。

本当の私を取り戻させてくれて、ありがとう」

と最後に彼に、心から感謝を伝えたい。

 

 

 

 

 

 

❒ライタープロフィール

藤原宏輝(ふじわら こうき)『READING LIFE 編集部 ライターズ俱楽部』

愛知県名古屋市在住、岐阜県出身。ブライダル・プロデュース業に26年。

2200組以上の花婿花嫁さんの人生のスタートに関わりました。

伝統と革新の融合をテーマに、人生儀礼の本質を探究しながら、現代社会における「けっこんのかたち」を綴り続ける。

思い立ったら、世界中どこまでも行く。

知らない事は、どんどん知ってみたい。 と、好奇心旺盛で即行動をする。何があっても、切り替えが早く、土壇場に強い。

ブライダル業務の経験を中心に、過去の経験を活かして、次の世代に何を繋げていけるのか? 何を残せるのか? を、いつも追い続けています。

 

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2026-02-12 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.343

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