役立たず上等
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:仁(2026年1月開講ライティング・ゼミ)
「役立たず」と言われて良い気分になる人はいない。それは紛れもない悪口だからだ。
けれど、この言葉はどこか期間限定のように思える。生まれたばかりの赤ん坊をそう呼ぶ人はいないし、人生の幕を閉じようと静かに横たわる人に向かって、その言葉を投げることもないはずだ。
なぜ、人生の始まりと終わりにおいて、この言葉は力を失うのだろう。ふと思い立ち、AIに問いかけてみた。
AIによれば、「役立たず」の正体はこうだ。
- 機能の欠如(本来の能力がない)
- 期待外れ(成果を出せない)
- 邪魔な存在(かえって迷惑をかける)
どれも耳が痛いほど辛辣な言葉が並ぶ。
続けて「なぜ赤ちゃんや病人にはこの言葉を使わないのか?」と聞くと、AIはこう答えた。「人間には『何かができる』という機能的な価値とは別に、ただそこに在るだけで守られるべき『尊厳』があると考えられているからです」
思わず唸った。実に的を射た答えだ。
だが、同時に切ない疑問も込み上げる。人生の最初と最後だけは「存在そのもの」が尊ばれるのに、それ以外の長い年月は、何かができないと価値を認めてもらえないのだろうか。
ただ存在しているだけでは許されないのだとしたら、私たちの人生は、あまりに息苦しく、厳しすぎる。
かつてイチローは、「常に自分を律し、厳しい道を選ぶことのできる人間になりなさい」と説いたという。彼は誰もが敬うヒーローだが、誰もがイチローになれるわけではない。
私も、できることなら人から尊敬はされたい。けれど本音を言えば、できるだけ簡単な道を選びたいし、いつだってダラダラしていたいのが性分なのだ。
ふと思う。なぜ人は、誰かの役に立たなければいけないのだろうか。「人間は一人では生きられない。だから助け合う必要がある」――それが社会の理屈だ。
確かにその通りだろう。お互いに役割を分担したほうが楽に生きられる。その積み重ねの果てに、今の便利な社会がある。毎日歩く道も、誰かが整えてくれたおかげで、ぼーっと考えごとをしながら歩いても躓かずに済む。
今こうして文字を打っているパソコンも、誰かの手で作られたものだ。自給自足ではない私たちは、誰かが育て、パッケージに詰め、運んでくれた食料を、スーパーで手軽に手に入れることができる。原始時代の人々から見れば、魔法のような世界に私たちは生きている。
けれど、「人生100年時代」といわれる現代において、何十年も誰かの役に立ち続けなければならないというのは、あまりに過酷ではないだろうか。そもそも、そんなに長く貢献し続けることなんて、果たして可能なのだろうか。
「自分はいつまでも役に立てる」と信じて疑わない姿は、見方を変えれば、周囲にとって少し厄介な老後への入り口かもしれない。
たとえば、政界の大御所と呼ばれる高齢者が「まだまだ皆様のお役に立ちたい」と権力を振るう姿を見ると、つい毒づきたくもなる。「早く引退することこそが、世のためではないか」と。
いっそのこと、潔く「役立たず」になろうではないか。50歳を過ぎた今、下手に誰かの役に立とうと力めば、それこそ「老害」と疎まれかねない。いや、実際に老害化してしまうリスクのほうが高いだろう。
それならば、「役立たず上等」と開き直るほうがずっと清々しい。
「役に立たなければ」と強迫観念に駆られているうちは、他者がいなければ自分の人生が成り立たない。誰かに認められることで存在価値を確認する生き方は、「自分ファースト」ではなく、どこまでも「他人ファースト」だ。そう考えると、「役立たず」でいることは、自分自身の手に人生を取り戻すことではないだろうか。
他人ファーストの世界では、誰かの反応が自分の価値を左右する。役に立つかどうかという「査定」に怯えなければならない。
対して自分ファーストの世界では、誰かの反応は必要ない。自分で自分の価値を判断できるから、わざわざ他人に存在証明を求めなくていいのだ。
そうか。「役立たず」でいるということは、誰にも反応を求めないということなのだ。もし、誰の目も気にせずいられたら、どんなに気が楽だろう。
何十年も社会の荒波に揉まれてきた身には、これは「言うは易く行うは難し」だ。社会で生きる以上、役に立つのが当たり前という価値観が染み付いているし、私たちは他人の反応を伺うことに慣れすぎている。
結局のところ、私たちは自分で自分を評価するための「物差し」を持っていないのだ。だから、他人の役に立つことで、その欠落を埋めようとしてしまう。
「役立たず」でいる勇気とは、他人の物差しを捨て、自分だけの物差しを持ち直すことだ。
そのためには、まず自分自身を深く知る必要がある。不思議なことに、子供の頃から「相手を理解しなさい」とは教わっても、「自分を理解しなさい」とは教わらなかった。だから私たちは、自分を理解する努力を疎かにしてきたのかもしれない。
他人の反応から自由になれるなら、今からでも自分を理解する努力を始めよう。私は何が好きなのか、何をしたいのか、どこへ行きたいのか、何を一番の喜びだと思っているのか。逆に何をしたくないのか、何を恐れているのか、等々。
誰かの基準ではなく自分の基準に従って生きていく。自分を理解し、自分だけの物差しを持つことでそうできるなら、それは十分すぎるほどのモチベーションになる。
人生の後半戦。「役立たずで平気だもん」と、さらりと笑える人でありたい。そんな未来の自分を想像すると、なんだか少し、ワクワクしてくるのだ。
≪終わり≫
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