お下がりという名の循環「恩送り」
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:川瀬健二(2026年1月開講・渋谷/通信・4ヶ月コース)
兄の服を着るのは、ごく当たり前のことだった。
年子の次男として育った僕は、物心ついた頃から「新品」という存在をあまり知らなかった。タンスの二段目の引き出しを開ければ、そこにはいつも、少しだけ大きなシャツやズボンが、母の手によって丁寧に畳まれていた。
袖を通すと、指先が半分ほど隠れてしまう。ズボンの裾は二回ほど折り返さなければならない。けれど、そこには不思議な安心感があった。何度も洗われた綿のシャツは、最初から自分の肌に馴染んでいた。新品特有の糊(のり)の硬さや、ツンとした化学的な匂いはない。代わりに、ほんのりと実家の粉石けんの残り香がした。
膝のあたりには、兄が公園で転んだ時についたであろう、薄い泥染みが残っている。肘の裏には、兄の身体の動きに合わせて刻まれた、細かなシワの記憶がある。僕はその服を着て、兄が遊んだ時間の「続き」を、そっと歩き始める。それは単なる節約ではなく、僕にとって最も自然な、世界との触れ合い方だった。当時の僕にとって、服は「買うもの」である前に「受け継ぐもの」だった。兄の体温が残る生地に包まれることは、自分がこの家族という物語の一部であることを、言葉以前の感覚で理解する作業だったのかもしれない。
いつからだろうか。「新しいもの=正義」という価値観が、僕らの呼吸を支配し始めたのは。今の街を歩けば、服は溢れ、一週間ごとに「トレンド」が更新されていく。驚くほど安い価格で手に入る最新の服。僕らがそれを買う理由は、必要だからではなく、単に「安いから」「今っぽいから」という理由にすり替わっている。
しかし、その「新しさ」はあまりにも脆い。現代の安価な服の多くは、数年で生地がへたり、ストレッチ素材は弾力を失う。特に化繊のポリウレタンは、製造された瞬間から「加水分解」という老化が始まり、三〜五年で物理的に崩壊する。時間とともに「育つ」ことがないのだ。
素材だけではない。構造そのものに「次」がない。今の服には、サイズを直すための「縫い代」がほとんど残されていない。接着で処理された箇所は、一度剥がれれば修復不能だ。つまり、「直して着る」「誰かに引き継ぐ」という設計思想そのものが、最初から欠落している。使い捨てを前提とした設計は、モノに対する愛おしさや敬意をも削り取っていく。
最近では、サブスクリプションやシェアリングサービスも普及した。合理的で効率的だが、それらはあくまで「機能の共有」に過ぎない。便利なシステムではあるが、そこに「愛着」が宿る隙間はない。
「お下がり」は、決定的に違う。そこには兄が着ていたという「文脈」があり、母が洗濯してくれたという「温度」がある。まっさらな新品には決して真似できない、生活の体温が染み込んでいる。
ビジネスの文脈で言えば、これは「ナラティブ(物語)」という付加価値だ。単なる中古品は、安さでしか評価されない。しかし、「誰が、どんな時間を過ごしたのか」という物語が宿った瞬間、それは価格競争という荒野から離脱し、代替不可能な価値を持つ。
なぜ今、あえて他人が使ったものを引き継ぐのか。
それは、僕たちが「買った瞬間がピークで、あとは価値が減少していく体験」に、静かな虚無を感じ始めているからかもしれない。箱を開ける高揚感の後に訪れる、終わりのない消費のサイクル。手に入れた瞬間に古くなっていくモノたちに囲まれて、僕たちの心まで磨り減っていないだろうか。対して、お下がりはゼロからではなく「続き」から始まる。それは効率ではなく、命の密度の話だ。
本来、循環はエシカルでも社会貢献でもなく、ただの日常だった。血縁を超えたコミュニティが薄れ、隣人の顔すら知らない現代では、モノの行き先が失われ、捨てられる服たちは「受け取る誰か」を見つけられないまま廃棄されていく。この「循環の断絶」こそが、現代特有の孤独の正体なのかもしれない。
僕は今、現代の技術とコミュニティを使って、あの「普通」を再構築したいと考えている。
化繊の便利さを否定するつもりはない。僕だって、機能を優先したい時は化繊を選ぶ。新品は機能で勝つ。だが、時間の蓄積では決して勝てない。かつての服にあった、数十年着ることを前提とした過剰なまでの品質。修理を前提とした余白。そこには、「いつか自分ではない誰かに渡す」という、未来への敬意があった。
お下がりとは、過去を背負うことではない。未来へ渡す覚悟を持つことだ。兄の服を着たあの日、僕は無意識に、大きな循環の中に守られていた。もし、あの「当たり前の循環」を社会全体で取り戻すことができるなら、それは現代の虚無に対する、最も手触りのある解決策になるはずだ。
サステナブルな社会の最終到達点は、もしかすると「頑張らないこと」なのかもしれない。エシカルであるために無理をするのではなく、誰かが大切にしたものを、当たり前のように引き受け、また誰かへ繋いでいく。そんな肩肘張らない「普通」が巡る世界。
新品を消費することに疲れたなら、一度、誰かの時間を引き受けてみてほしい。そこには、効率では測れない豊かさが、静かに、けれど確かに息づいている。その豊かさを信じることが、これからのビジネスを、そして僕たちの生き方を、少しずつ変えていくのだと信じている。
≪終わり≫
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