週刊READING LIFE Vol.345

スポーツ して置けば佳かった三選《週刊READING LIFE Vol.345「フリー」 》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

2026/02/26 公開

記事:山田THX将治(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

 

 

 

イタリアのミラノ・コルチナで、熱戦が繰り広げられている。

冬季オリンピックだ。

 

元々、スキーやスケートと謂ったウインタースポーツとは無縁な私だが、オリンピックとも為ると、時間を忘れて競技に観入って仕舞う。

そう。

私は、遣ったことが無い競技でも、一流選手が真剣勝負をしていると目が離せなく為る性格なのだ。つくづく、

 

『これ程迄、スポーツが好きなのか』

 

と、我ながら呆れて仕舞うのだ。

 

そんな訳で今回は、スポーツ界で一般には知られて居ないが、私が印象に残った“○○して置けば佳かった”ことを、三つ選んでみた。

 

 

  • 踏んで置けば佳かったのに

昨年6月に亡くなった“ミスタープロ野球”長嶋茂雄氏。

平成・令和の若者には、昭和の人間が何故にそこ迄惜しんで居るのだろうと感じるのではと思う。

確かに、記録的に目立った日本記録・世界記録は残していないが、長嶋選手こそが、史上初の〈走・攻・守〉の三拍子揃った好選手だった。

その証拠に、足が速かったので、現役生活17年で190もの盗塁を決めて居るのだ。

 

現代のプロ野球なら、走塁も得意な好打者の象徴として“トリプル・スリー”達成者が挙げられる。“トリプル・スリー”とは、打率3割・30本塁打・30盗塁を達成することだ。

これがどれ程難しいかと謂うと、90周年を超えたNPB(日本プロ野球)史上、未だ10名(山田哲人選手・ヤクルト現役・が、3回達成)しか達成出来ていない記録なのだ。

 

そんな“トリプル・スリー”を、新人で達成したのが長嶋茂雄氏なのだ。

但し!

“トリプル・スリー”の前に、〈幻の〉又は〈実質〉の接頭語が必要なのだが。

 

事の顛末はこうだ。

プロ野球デビューイヤーだった、1958(昭和33)年9月19日の後楽園球場。長嶋茂雄選手は、当時の新人新記録と為る28本目の本塁打を放った。

長嶋選手は、腕を回しながらベースを一周するパフォーマンスで、新記録達成の喜びを表現した。

ところがだ。

次打者がバッターボックスに入ると相手ピッチャーは、本塁打後でランナーがいる筈も無いのに、本塁ではなく一塁に向かってボールを投げた。

受け取った一塁手が、一塁ベースを踏むと、一塁の塁審が“アウト”をコールした。

アウトは、打者に向けてのものではなく、前打者だった長嶋選手に向けてのものだった。

 

そう。

長嶋茂雄選手は、新人新記録の喜びの余り、一塁ベースを踏み忘れて居たのだ。

抗議をしたが認められず、長嶋選手の28号本塁打は、記録上はピッチャーゴロとして残されることと為ったのだ。

 

長嶋茂雄選手は翌日、あっさりと本塁打を撃ち直し、新人の本塁打記録を正式に更新した。

然し乍ら、この本塁打は、この年長嶋選手が放った最後の本塁打の1本前だったのだ。

結局この年、長嶋茂雄選手は29本塁打92打点の二冠を獲得する。因みに打率は二位だったので、もう少し打率を稼げれば、空前絶後の新人に依る三冠王に輝く処だったのだ。

全く、惜しい限りだ。

 

しかし、もっと惜しい事が有ったのだ。

その年、長嶋選手は37盗塁して居たのだ。

つまり9月19日、確りと一塁ベースを踏んで居さえすれば(確認すれば)、多分、未来永劫に出逢わない“ルーキーに依るトリプル・スリー”と謂う記録を残した訳だ。

 

尤も、こうしてベースの踏み忘れを語り継げるのは、長嶋茂雄氏が、‘記録’ではなく‘記憶’に残る選手だったからだろう。

 

 

  • 上がって置けば佳かった

『史上最強の柔道選手は?』

 

と、謂う問いに対し、

 

『山下泰裕!』

 

と、答える方は多い事だろう。

 

少し、不思議だ。

何故なら、山下選手はオリンピックに於いて、ロサンゼルス大会の無差別級(現在は廃止)での金メダルしか獲得して居ないからだ。

その一方で、外国人選手に対して生涯無敗だったことや、選手生活の後半で203連勝と負け無しだったことで、我々の印象を高めて居るのかも知れない。

 

柔道競技に於いて、複数の金メダルを獲得した選手は数多く出現している。

しかし何故、史上最強と謂われる山下選手は、金メダルを1個しか獲得出来なかったのか。

答えは簡単だ。

日本選手団が、1980年に開催されたオリンピック・モスクワ大会を、政治的要因でボイコットしたからだ。

何しろ当時、山下泰裕選手と謂えば、世界中が認めた最強の柔道選手だった。

一部では、

 

「太陽が西から登ることが有っても、山下がモスクワで敗れることは無い」

 

と、実しやかに言われて居たのだ。

それ程迄に、山下選手の実力は抜きん出て居たのだ。

 

現代でも映像が残って居るが、山下選手は、モスクワ・オリンピックのボイコットにたいし涙ながらに抗議した。

 

泣いてばかりは居られない。

山下泰裕選手は、1980年8月2日、モスクワの柔道競技会場に出向いていた。

これは、スポンサーの招待やテレビ局の派遣ではなく、全くの自主的行動だった。

 

一般客と一緒の入り口から、山下選手は会場入りしたそうだ。

観客席の最前列に陣取ると、途端に中継カメラが目敏くレンズを向けて来た。それ程迄、柔道に於ける山下選手は世界中で有名だったのだ。

中には、畳を指差し、

 

『何故君は、あそこで戦わないのか?』

 

と、謂った表情で山下選手に話し掛ける者迄出始めていた。

この風景は日本にも中継され(ボイコットしてもテレビ中継は有った)、私も確かに観た。

 

当の山下泰裕選手は、最前列の手摺から身を乗り出し、入場して来る無差別級のライバル選手に向かって、

 

「お前等、俺がここで観て居るからな! 無様な試合をしたら許さんぞ!!」

 

と、声を掛けた。

 

これは後年、山下泰裕氏がテレビのインタビューで語っていたことだ。

アナウンサーから、

 

「(ボイコットのせいで)悔いが残りましたね」

 

と、問われた山下氏は、

 

「いや。初めて柔道会場の観客席に着いた時、広いなぁと感じ、思わず天井を見て仕舞ったのですよ」

 

続けて、

 

「柔道選手が天井を見るのは、投げられて敗れた時だけなのです」

 

更に、

 

「何で、試合に出て居ないのに、敗れた選手がすることをして仕舞ったのだろうと、今では後悔して居ます」

 

と、続けた上に、

 

「それより、表彰式後、何で畳に上がって置けば佳かったと思って居ます」

「そうすれば、ほんの少しだけでも、モスクワ・オリンピックに参加した気分に為れますから」

 

と、語っていた。

 

私は、真に最強な選手は、一風違った思考をするものだと感心した。

 

 

  • 言って置けば佳かった

昔から、

 

『一流の人間は、一流のジョーク使いである』

 

と、謂われて居る。

特に、ジョーク好きの英国に於いては。

 

伊達公子と謂うプロ・テニスプレイヤーを御存知の事だろう。

英国発祥のテニスで、日本人最高のツアー7勝を挙げ、1995年には同ランキング4位迄登り詰めた。

因みに、当時のトップ・ランクは、ドイツの至宝シュテフィ・グラフ選手だった。

伊達選手は、グラフ選手とも数多く戦ったが苦手意識が有り、生涯では遂に一度しか勝利出来なかった(1996年フェドカップ一回戦)。

 

苦手意識が強いと、どうしても普段通りの実力が出せないものだ。

同じ様に、思考も廻らなく為るものだ。

 

 

1996年7月4日。

テニスの殿堂ウインブルドン(ロンドン・英国)のセンターコートでは、全英オープン女子準決勝が行われていた。

対戦して居たのは、シュテフィ・グラフ選手と伊達公子選手。ランキング1位と4位なので、順当と謂えば順当な対戦だった。

 

グラフ選手は力強いショットで、伊達選手の前進を阻んでいた。

伊達選手も、相手の隙を見付けては、得意のライジング・ショットで対抗した。

一進一退と為った準決勝は、遂に日没サスペンドと為り、翌日に持ち越された。

 

明けて7月5日。

両選手は勿論、審判や観客にも疲労の色が見て取れた。

時差の有る日本でテレビ観戦をしていた私も、疲れ切っていた。

 

そんな時、疲労の中サーブを打とうとグラフ選手が集中して居ると、突然観客席から男性が、

 

「Stefi,Will you marry me!(シュテフィ、俺と結婚してくれ!)」

 

と、叫んだ。

場内は、緊張が一瞬解れ、笑い声が起こった。

普段なら、

 

『静粛に』

 

と、マイクで注意する審判も、笑顔の儘間が空いた。

すると、グラフ選手は体勢を解き、

 

「How much money do you have?(貴方、御金は幾ら持って居るの?)」

 

と、返答した。

後日のニュースでは、

 

「貴方、御金持ちなの?」

 

と、意訳された字幕が付いて居たと、私は記憶している。

場内の笑い声が、一段と大きく為った。

 

後年、伊達公子さんは、この時の事を回想し、

 

「あの緊張の場面で、ジョークにジョークを、それもネイティブでは無いのに返すことが出来たグラフ選手に、私は既に気圧されていた」

 

と、語っていた。

そして、

 

「もしあの時、グラフ選手と同等に冷静だったら、私も一言付け加えていた」

 

それは、

 

「私じゃ、ダメ?」

 

だったそうだ。

その上、

 

「もし、そう言えていたら、あの時勝てたかもしれない」

 

と、思えて為らないとも語っていた。

 

『私じゃ、ダメ?』

言って置けば佳かったと、伊達公子さんは暫くの間、後悔したらしい。

 

本当は、

 

『英国のジョーク通り、グラフ選手に追い付くには、一流の選手なら一流のジョークを残さねば』

 

と、謂った処なのだろう。

 

 

そう考えると、メダリストのインタビューが楽しみに為って来た。

 

 

 

 

 

 

 

〈著者プロフィール〉

山田THX将治(天狼院・新ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター)

1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役

幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数17,000余

映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を45年に亘り務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る

これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿

ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている

本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」

映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり

Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載

続けて、1970年の大阪万国博覧会の想い出を綴る『2025〈関西万博〉に伝えたい1970〈大阪万博〉』を連載

加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する

更に、“天狼院・解放区”制度の下、『天狼院・落語部』の発展形である『書店落語』席亭を務めている

天狼院メディアグランプリ38th~41stSeason四連覇達成 46stSeason Champion

 

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2026-02-26 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.345

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