週間READING LIFE vol.3

「大人になってしまった自分」に、寂しさを覚えた時に読む本《週刊READING LIFE vol.3「とにかくこの本を読んでくれ」》


 

記事:弾 歩夢 (ライターズ倶楽部)

 

「大人になったね」

そう言い合うことが増えた。
例えば、数人の友達とカフェで話している時。
住宅ローンの話題、子育てのこと、育休について、残業について、現実的な話題が続いた後に、誰かがそっとつぶやく。

大人になってしまったね、と。

その瞬間、ふと寂しさが襲ってくる。

知らぬ間に大人になってしまって、昔は確かに持っていた大事な感覚を失ってしまった。

例えば、どうしようもなく心を惹きつけられる人に出会ってしまった時の、どうにも抑えられない胸のときめき。
ハートがスキップしているかのような幸福感。
イベントの前の、明日が楽しみで堪らない高揚感。

失ったのは、そんなプラスの感情だけではない。

試合に負けたことがひたすら悔しくて眠れなかったあの夜の胸を刺すような自己嫌悪感。
気を失いたくなるくらい強烈な劣等感。
世界から色が消えたかのような絶望感。

そんな感情さえも、今では懐かしい。

記憶に刻み込まれている、こんな「鮮やかな感情」は、多分きっと、人生初心者だったからこそ味わえたものなのだろう。

もう大人な私達は、いつか恋のときめきが消えていくことを知っている。
何かを悔しがり続ける体力はもう残っていない。
切り替えなくては、前へ進めない。こだわりを持ちすぎていると、社会では生きにくい。
何もかもに白黒をつけるのは難しいことも、そもそもこの世に「絶対」なんてほとんどないことも、もう分かっている。

心を圧倒的に支配されてしまうような恋しい気持ちも、悔しさも切なさも、期待感も、高揚感も、全部、体に毒だと思う。
だって、自分を自分で支配できなくなるくらい圧倒的で、極端な強度の感情は、自分を自分でなくしてしまうから。

だから、もうあんな純度の高すぎる強い感情を抱かなくなったというのは、喜ばしいことだ。
しっかり自分で自分をコントロールして、理性的に生きているということになるはずだ。
文字通り、大人になったのだ。
だからこそ、あの感覚を失ったのだ。

それでも、やっぱり私は、時々、あの強烈な感覚を、極端で危険な感情を取り戻したくなる。

そんな時、手に取る本がある。
『夜の蝉』(北村薫1996 創元推理文庫)だ。
主人公の「私」は20歳の女子大生である。彼女が生活する中で出会う日常のちょっとした謎を、落語家の円紫さんが鮮やかに解き明かしていく短編集だ。
ミステリーとしての面白さも、この本の素晴らしいところだけれど、主人公「私」の心情描写が巧みで、深く、とっても魅力的だ。

繊細な「私」の物語の世界に浸る。
いつの間にか、本に引き込まれて、自分が「私」と同化していく。
「私」は、誰にも気付かれないところで、ちょっと遠慮したり、誰かの些細な一言に自信を失ったり、くだらないことで、ちょっと得意になってみたり、恥ずかしくなったり、分かった気になって暴走したりする。

昔、確かに感じたことのある懐かしい気持ちの数々を、「私」と共にもう一度味わう。
心が、くすぐったくなったり、胸が熱くなったりする。
一緒に落ち込んで、情けなくなったり、ちょっと満足したり、嫉妬したりする。
それは、まるで心をストレッチしているような感覚だ。
ガチガチに「大人」として固まっていた感受性が柔らかくほどけていく。
心がほぐれる。

ああ、私の中で、あの気持ちも、感情も死んでいなかったんだなとちょっと嬉しくなる。

そして気が付く。
私は、あの感情を失ったんじゃなくて、それをただ調整するようになっただけだったのだ、と。
昔は、感情を自分の中で垂れ流しの出しっ放しにしていた。
でも、今は、その感情の部分に、調節のタブがあって、そのタブを理性で回すようになったのだ。
風の強度を、弱、中、強と選べる扇風機みたいに。
若い時は、調整のタブがあることを知らなかったから、ずっと「強」の強い風で、感情を浴びていた。
でも、今は、そのままだと「強」になりそうな感情を、理性で「弱」まで弱められるようになった。

大人になったって、恋をすると、ドキドキする。
悔しいことだっていっぱいある。
自己嫌悪だってする。

でも、その感情が「強」で溢れ出して、強く吹き付ける前に、いつも自分で突っ込みを入れる。

いや、この人を好きになって、相手に好きになってもらえなかったらどうするんだ?
好きになりすぎる前に、セーブするんだ、離れよう。落ち着こう。
気のせい、気のせい。

ここで悔しがっても、得るものはないぞ。きついだけだ。
忘れろ、忘れろ。

こんな些細なことで、自分のことが嫌になっても、自分からは逃げられないんだよ。
だから自分を責めてもどうしようもないよ。
辞めとけ、辞めとけ。

弱い風なら、心は揺れない。私は私を保っていられる。
大人なんだから、いつまでも強い風にフラフラ揺らされていては、格好悪い。
だから、そうやって心が揺れる前に、反射的に感情の強度を「弱」にするようになっていた。

いや、本当は感情に流されて自分を失うのが、カッコ悪いからじゃなくて、単に傷付きたくないから感情を「弱」にしてきた。

強い感情は強烈に、自分を突き刺す。
それは、痛い。
傷付くことが多くなる。
誰かにときめく。ときめきは、恍惚感を与えるだけではない。もう何にも手につかなくなる。こんなに好きなのに、受け入れられなかったら、ダメージは甚大だ。
何かに打ち込み上手くいかなかった時の悔しさは、尋常ではない。頭が割れそうにズキズキする。心が割れるような痛みが襲う。
だから、単純に自分を痛いことから、守るために、感情を弱めている。
単に怖がりなだけだ。

でも、人は自分の感情に向き合うことで、成長するものだ。

主人公の「私」も傷付きながらも、真っ直ぐ自分の気持ちに向き合うからこそ、発見をし、気付きを得る。
そうやって、様々な事を学び、少しずつ成長していく。

たぶん私が、これほどまでに、「強」の感情を、恋しく思うのは、本当はもっとまだまだ成長したいし、学びたいと思っているからだ。
傷だらけになろうとも、痛くても、生き続ける限り、私は進歩したい。
人間的に成熟したい。「私」みたいに。

この本は、自分に向き合う勇気をくれる。
大人になったなんて言い訳するのは辞めよう。
感情を「強」にして、思い切り人生を味わおう。
そして、傷付きながら、前進していこう。

 

❏ライタープロフィール
弾 歩夢 (Dan Ayumu)
1988年長崎市生まれ。会社員。
2017年8月より天狼院のライティングゼミを受講し、ライターを目指す。趣味は国際交流、サッカー。
REALING LIFE 公認ライター。

 

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2018-10-22 | Posted in 週間READING LIFE vol.3

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