株式会社ドッペルゲンガー

第2話 「ミキとミラ」《小説連載「株式会社ドッペルゲンガー」》


Web READING LIFEにて、新作小説の連載がスタートいたします!
 
近未来の日本で、最新科学技術で作り出した自分そっくりのアンドロイドを使用する人たちの群像劇。
 
編集長も太鼓判の作品です。ライター・吉田けいが創り出す、ダークな世界観をお楽しみください。

第1話はこちら!

株式会社ドッペルゲンガー:第1話《小説連載「株式会社ドッペルゲンガー」》

記事:吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
「──こちらがご用意させていただきましたドッペルゲンガーとなります。仔細ご確認をお願いいたします」
 
都心から少し離れた賃貸マンション。アポイントの時間通りにやってきた営業の男性は、後ろにサングラスをした女性を伴って、私の家に入ってきた。一人暮らしには十分すぎる広さのリビングに通し、時候の挨拶をすると、早速と言わんばかりに営業マンが後ろの女性を私の前に押し出した。女性は少し緊張した面持ちで、ゆっくりとサングラスを外す。
 
「初めまして、かな?」
 
少しぎこちない笑顔。
ほっそりと華奢な体つき、地味な服。髪の色は暗めの茶色で、肩より下まで伸ばしたセミロング。皆が可愛いと言ってくれる顔、ぱっちり二重の大きな瞳。
どこからどう見ても、それは、私だった。
 
「注文の通りですね、ありがとうございます」
「それは良かった、本日から一か月間は──」
 
営業マンは、微調整がどうの、保証期間がどうの、と、契約書を読めばわかることをこまごまと説明していたが、私は聞いていなかった。目の前のもう一人の私を、穴が開くほど見つめてしまう。それは向こうも同じだったようで、私のことを頭からつま先まで、じっと観察していた。ふと目が合うと、思わず私は視線を逸らした。
 
もう一人の私が、にこりと笑う。
 
「これからよろしくね、美希」
「……よろしく」
 
営業マンの説明はまだ続いていたが、私達は微笑み合った。
私と、もう一人の私の生活が、始まった。
 
私の名前は草場美希。都内某社で営業事務をしている契約社員だ。
 
「美希ちゃん、新規獲れたから、入力お願い」
「ミキちゃん、来週の定例会の会議室ってとれてたっけ」
「草場さん、次の来客の資料、急に追加になったから、これ急いで五部コピーしてくれる? ごめん!」
 
営業事務の仕事は、営業さんが心地よく働けるようにサポートすること。忙しい皆さんが次々頼みごとをしてくるのをサクサクこなしていくことが大切だ。
 
「はーい、お任せくださーい」
 
この支店では、営業事務は私を入れてもう一人、派遣の女の子だけ。営業さんはたくさんいるけど、ほとんど男性で、女性が三人いるけど、いつも忙しそう。私も派遣の子もいつも何か頼まれて、昼食も交代で行くようにするくらい忙しい。忙しいけど、営業さんが頑張ってくれているんだ、できるだけ笑顔で仕事を引き受ける、私はそう決めていた。
 
「ミキちゃんいつもありがとう、よろしくね!」
 
汗だくで帰ってきたばかりの営業さんから書類の束を受け取ると、営業さんは安心したように笑った。とんでもない、仕事ですから、と私は微笑み返す。朝から定時まで、ずっとニコニコ、ニコニコ。帰るころには頬が筋肉痛になるんじゃないかなっていつも思う。
 
「お疲れさまでした、お先に失礼させていただきます」
 
やっと定時の時間、残業する営業さんを横目に、私はいそいそと退社する。仕事をきっちりやっているから、いつも気持ちよく笑っているから、帰りもみんな気持ちよく送り出してくれる。駅のショッピングモールでちょっと寄り道して、電車に乗って、少し歩けば私の家。鍵を開けて玄関で靴を脱いでいると、お帰り、とリビングの方から声がした。
 
「今日もお疲れさま、わたし」
「ただいま、アタシ!」
 
家に帰ったのも私、リビングから顔を出したのも私。
そう、この家には私が二人いる! マンションを買いたくて貯金していたけど、マンションじゃなくてドッペルゲンガーを買うことにした。アンドロイドに人工皮膚をかぶせて、元の人間の人格をAIに移植する、全く新しいアンドロイド、それがドッペルゲンガー。メモリーシェアで、ドッペルゲンガーと本人の記憶をシェアしながら生活できるという。値段は正直マンションより高かったけど、それだけの価値があると思った。それから、一人暮らしのような、二人暮らしのような、不思議で楽しい生活が始まった。普段、今日みたいに私が仕事に行くときは、もう一人の私が家で家事をして待っていてくれる。家に着くころには掃除が終わって、私好みの夕ご飯が出来上がっていて、もう最高なのだ。
 
「よし、じゃあごはん前にシェアしちゃおうか」
「了解、ミラ!」
 
もう一人の私のことは、私が美希だから、ミラだとかアタシだとか呼んでいた。美希の鏡だからミラ。向こうはそのまま美希と呼んでいる。ミラはヘッドギアを持ってきて、一人が頭にそれを付け、もう一人は背中の端子にプラグを差した。VR眼鏡みたいに、目のところのスクリーンに映像が映し出されて記憶を共有することができる。
 
ミラは今日、ベランダの家庭菜園の手入れをしていた。それから掃除と買い物。通勤に使えそうなオフィスカジュアルで可愛いスカートを見つけて、買ってきたようだ。夕方、夕食と作り置きを作った頃に私が帰ってきたみたいだ。ミラには、私の今日一日の仕事の様子が見えているのだろう。ヘッドギアを取り、プラグを抜いて、お互い顔を見合わせてクスクスと笑った。
 
「今日は一段と割り込み仕事が多かったみたいだね、お疲れさま」
「まあ決算前ほどじゃないよね、でも疲れた~。ナスの収穫楽しみだな~」
「さ、夕飯食べよう!」
「うん!」
 
ミラが作った食事は、食卓に一人と半人前分くらい用意されていた。ミラは本来ドッペルゲンガーだから食事はしなくていいのだけど、オプションで食事機能があったので追加したのだ。食事機能がついていると、ドッペルゲンガーが食べたものの味や触感、香りを後からメモリーシェアで体験できる。食べたものは、ドッペルゲンガーが自分で生ごみとしてお腹から取り出して捨てるので、持ち主のメンテナンスは不要。我が家では菜園の堆肥に加工して、エコにも配慮。女子に大食いは大敵だけど、美味しいものはいろいろ食べたくなっちゃう、この機能は欠かせなかった。
 
食事が終わったら、次はファッションショーらしい。
 
「シェアで見たでしょ、今日買ったスカート着てみて! この前のカットソーと合わせたら可愛いと思う」
「も~自分で着ればいいのに~」
「自分で着るより、着てる人を見た方が可愛いんだもん~」
 
買ってきたスカートを着て、カットソーを着て、小物を合わせて。あの店の新作が可愛かった、ネットで見た化粧水はやっぱり評判らしい。あれやこれやとファッション談義をしていると、夜はあっという間に更けていく。ミラは親友のような、姉妹のような不思議な存在だけど、好きなものや嫌いなもの、ウケるもの、いろいろなツボが同じだから、話していても話題は尽きない、いつまでも話していられる。家に帰ると、いつも二人でずっと話し込んだり遊んだりしているので、あっという間に時間が過ぎて行ってしまうのだ。
 
「あ、いけない、もう充電ないや」
 
もうすぐ日付が変わる頃、ミラが残念そうにそう言い出すと、その日はお開きだ。ドッペルゲンガーの充電時間は、人間の睡眠と同じくらい、だいたい六時間。充電切れに合わせて眠るのがいつしか二人のお決まりになっていた。
 
おそろいのパジャマを着て、布団に入る私たち。
 
「おやすみ、ミラ」
「おやすみ、美希」
 
私達、うまくやっている。そう思いながら微笑み合い、今日も眠りについた。

 
 
 

ミラがいると本当にいいこと尽くしだ。生活の雑用に追われず仕事に専念できるのはとても気が楽だ。もしかすると実家から通うよりも楽かもしれない。実家にいると、お母さんはすぐ結婚しなさい、貯金しなさいとうるさく言ってきてあまり気持ちが休まらない。ミラは私だから、もちろんそんなことは言ってこない。一緒にドラマを見てあの俳優がカッコいいねとうっとりしたり、合コンの結果を見て、誰くんで行こうか、あいつはあり得ない、友達とあの人がいい雰囲気らしい、と話をしたりするのも楽しい。何より、私は彼氏云々より、マンションを買って一人でも生きていけるようになりたかった。そういう気持ち、お母さんは古い時代の人だから分かってくれないんだ。
 
「ねえ、シェア見たでしょ……」
「うん。PC出して、すぐ済ませちゃおう」
 
繁忙期に仕事が忙しくてたまらなかった時も、私一人きりなら、泣くのをこらえて残業するか、持ち帰って徹夜で作業するしかなかった。でも今は、家に持ち帰って、ミラと手分けすればすぐに終わる。最悪の場合でも、私が寝ている間にミラが徹夜でやって、次の日に私が出勤、ミラは昼間は充電で寝る、でもいいんだ。その逆でミラが出勤したっていい。どんなやり方であれ、睡眠が確保できるだけでも、ずいぶん効率が違うんだな。ミラが来る前は眠い頭で必死にやって、入力ミスをして良く怒られていたっけ。今思えば非効率的なやり方をしてたなあ。
 
今日も、私とミラで手分けして仕事を終えた。来週の会議で使うための資料作りと、新規のお客様のデータ入力。どちらも、これ急ぎ! これも! というのを優先して対応していたら間に合わなかった案件だ。ごはんを食べて、仕事をしていると、またあっという間に充電時間になってしまった。
 
「ふー、今日は仕事で終わっちゃったね」
「ま、こんな日もあるでしょ。ミラはさすが仕事が正確だねー」
「ふふふ、土台はAIだからね!」
 
そんな冗談を言い合って、私達はまた笑い合った。
 
時々、仕事を代わってもらうこともある。そんな時は、終日在宅リモートワークで済ませるようにしている。ドッペルゲンガーを出勤させる人もいるけど、長い目で見ると、職場に顔を出すのは一人の方がいいね、と二人で決めた。仕事を代わってもらった日は、映画館に行ったり、人気のカフェに行ったり、本屋や雑貨屋をゆっくりめぐる。土日にでかけるのとは一味違う、ちょっと贅沢な時間だ。でも今日は、仕事が平日休みの子と一緒に、もうすぐ出産予定日で産休中の子とお茶をする約束をしていた。ランチより少し遅めの時間に集合して、昼食ともアフタヌーンティーとも言えるような時間を三人でゆっくり過ごす。
 
「それにしても美希、仕事わざわざ休んで予定合わせてくれてありがとう、ごめんね」
「え? 休んでないよ、私」
 
産休中の子、璃奈が申し訳なさそうに言ってきたので、私は悪戯っぽく笑い返す。
 
「え、だって土日休みだよね?」
「私も美希休みとったんだと思ってた」
 
平日休みの紗愛が、璃奈と顔を見合わせてうんうんと頷く。その様子がおかしくって、私は二人をおいでおいでと手招きした。顔を寄せてきた二人に、耳を寄せて、こそこそ。
 
「──えっ!? ドッペルゲンガー!?」
「ホントに!?」
「うん、ホント」
 
二人はぽかんとして、それから次々と質問してきた。株式会社ドッペルゲンガーは、今テレビやSNSでCMをたくさん出していて、みんな一度は目にしたことがあると思う。記憶をシェアできるもう一人の自分。CMでは安心安全、最新の技術、って言ってるけど、自分をもう一人作るなんて得体が知れない、ちょっと怖い、と思う人も多いのだ。だから私は今までドッペルゲンガーを買ったことをあまり人に話していなかった。二人も同じように、興味はあるけど……と思っていたようだ。
 
メモリーシェアってどういう感じなのか。値段はどれくらいなのか。そっくりって、本当にそっくりなの? 他人が別人だって気が付かないくらい? 一つ一つ説明していくと、納得したり、びっくりしたり、次の質問が追加されたり。璃奈の赤ちゃんの話をするはずだったけど、もう完全にドッペルゲンガーの話でもちきりになってしまった。
 
「はあー……お高いけど、お高いだけのことはあるんだねえ、すごい便利。もし私にもドッペルゲンガーがいたら、産休中もそっちに働いてもらうとかもできたのかあ」
「そういう使い方もあるかもしれないよね。AIよりもドッペルゲンガーの方が人間味があっていい気がする、私」
「人間味があるのは一緒にいてそう思う、双子のお姉ちゃんみたいだなって」
 
璃奈と紗愛、購入の価格には及び腰だったけど、レンタルとかリースのプランもあるみたいだよ、と言うと、ものすごく目を輝かせていた。
 
「さては草場美希、アンタは株式会社ドッペルゲンガーの回し者だな~」
「ち、違うよう~」
「そうか草場美希、もうお前がドッペルゲンガーなんだろう~」
「だ、だから」
「あれ、ミキちゃん?」
 
私達がじゃれあっていると、不意に後ろから男の人の声がした。ぱっと振り向くと、スーツ姿の男の人が立っていて、こちらを覗き込んでいる。私を見ると、やっぱりミキちゃんだ、とにっこり笑った。
 
「──に、西村さん!」
 
西村さんは、会社の営業のエース。ここ何年もずっと営業成績がトップで、次の昇進間違いなし、幹部コースに乗るんじゃないかと言われている人。その上背が高くて、きりっとした面差しのイケメン。数少ない女子社員はみんな彼のファンで、私ももちろんその一人。西村さんから雑用を頼まれると、嬉しくて他のことは後回しにしてすぐ仕上げちゃうくらい。
 
「ミキちゃん、今日、リモートじゃなかったっけ」
「あっあの、さ、サボってるわけでは……!」
 
慌てて言い訳をする私、ふーん? と笑顔のまま首を傾げる西村さん。璃奈と紗愛にはいつも西村さんカッコいい、と話していたから、何かピンと来たようだ。二人で顔を見合わせて、ニヤニヤしながら私の肩をつかんで、無理矢理立たせた。
 
「こんにちはぁ、美希の学生時代の友人の紗愛ですー、平日休みでーす」
「産休中の璃奈でーす」
「西村さん、この子仕事サボってお茶してるんですよー、叱ってくださーい」
「ほんと駄目な子ですみませーん」
「だから、サボってないんです……ちょっと二人とも……!」
 
押し出されるのに抵抗して座ろうとすると、また押し出される。ちょっと、西村さんの前でこんな恥ずかしいことしないでよ! もみくちゃにされて泣きそうになっていると、西村さんはアハハと爽やかな笑い声をあげた。
 
「サボってるなんて思ってないよ。実はちょっと聞こえたんだ、ドッペルゲンガーって、あのよくCMしてるやつだよね」
「はい、そうなんです、だから今リモートは、そっちがしてて、あの」
「ふうん、つまり、ミキちゃんがドッペルゲンガー持ってるってこと?」
「は、はい」
「すごいな、本当にそっくりなの? ミキちゃんのドッペルゲンガーなら見てみたいな」
 
無邪気に笑う西村さん。
心臓がドキッとして、息をするのを忘れてしまう。
 
「俺これから事務所に戻るところだからさ。今度詳しく聞かせてね」
「は、はい……」
 
お疲れさま、と手を振りながら、西村さんはお店の外に去っていった。
 
「……あー! イケメン! 西村さんってあんなイケメンだったんだね!」
「芸能人みたいだったね! 見惚れたわー!」
 
紗愛と璃奈も、西村さんの姿が見えなくなってから大騒ぎし始めた。息をするのを忘れていたのは私だけではなかったようだ。カッコいい、びっくりした、爽やか、とひとしきり西村さんを褒めちぎった後、まだぼんやりしている私をがくがくと揺さぶる。
 
「美希! 大チャンスだよ!」
「社内のアイドルと大接近!」
「う、うん……」
 
私は上の空で返事をした。

 
 
 

西村さんがどこまで本気で言ったのか分からなかったけど、あれ以来会社で声をかけられることが増えた。私でなくても済む要件も、わざわざ私に回してくる。そのうちランチに誘われるようになり、終業後にごはんに誘われるようになり、仕事以外の話をすることも増えた。ドッペルゲンガーに興味があるって言ってたけど、その割にはあまりその話をしない。もうこれデートなんじゃないかな? もしかして私達お付き合いしてるの? 浮かれた気持ちで家に帰り、急いでミラとメモリーシェアして、その日の反省会をする。
 
「あー西村さん、ほんっとカッコいい! これ期待しちゃっていいよね!?」
「いいと思う、間違いないと思う!」
 
カフェオレを飲みながら私もミラもジタバタ。タイミングよく携帯にメッセージの着信音がして、二人で飛びついた。
 
「今日は、楽し、かった、ね、ところで、次のお休み、一緒に……」
「ぎゃー! 週末デート!」
「やばいー!」
 
親友とお泊り会してるみたいだ、楽しい! そしてデートの記憶はメモリーシェアで共有できるから、細かいニュアンスやちょっとした仕草も伝えられる。そうしたら、次のデートの作戦とコーディネートを考える。恋バナの相手にドッペルゲンガーは最高だと思う。ひとしきり盛り上がった後、ミラが妙に真剣な顔をして、美希、と呼びかけてきた。
 
「それで、西村さんは私に会わせるの?」
「いつかは会わせないといけないよね……きっと大丈夫だと思う」
「そうかなあ」
「西村さんいい人だもん、ドッペルゲンガーがいるからって引いたりする人じゃないよ!」
「うん……」
 
ミラはいつになく弱気だ。実は、西村さんの前にいい雰囲気になった人がいたけれど、ドッペルゲンガーのことを話すと、気味が悪い、と言ってそれきり連絡が取れなくなってしまったことがあった。そのことを気にしているんだろう。
 
「たぶん大丈夫だって! 西村さんドッペルゲンガーに興味津々だもん!」
 
ちょっと怖いなって思う気持ちは分かる、私はミラで、ミラも美希だから。だからこそ、私は明るい声でミラを励ました。そんな私を見て、ミラは眩しそうな笑顔を浮かべた。
  
「そうだね、そうだといいね」
「絶対そうだって!」
 
きっと大丈夫。私はそんな確信を持ちながら、西村さんとデートを重ねた。フェスに行ったり、西村さんのお友達とバーベキューをしたり。会社帰りには雰囲気の良いお店を予約してくれて、二人で美味しいものをたくさん食べた。いつも一件目はご馳走してくれるので、二件目でご馳走し返すのが私たちのやり方になった。
 
そんないつものデート、金曜の夜の二件目。いつも行くダイニングバーで、ハイボールを飲みながら、西村さんは上機嫌に呟いた。
 
「俺、実はさ、ずっとミキちゃんのこといいなって思ってたんだよね」
「え、ほんとですか?」
「ホントホント。可愛い子がいるなあって。ミキちゃん部内で大人気じゃん」
 
嬉しい。頬が赤くなるのを感じる。
 
「一緒にいて楽しいし、話も合うし」
「わ、私も楽しいです!」
 
必死に頷いて見せると、だよね、と西村さんは目を細める。
 
「ホントにミキちゃんのドッペルゲンガーがいるなら、俺は可愛い子と二人も付き合えることになるのかなあ」
「そ、そ、そうですね!」
「ミキちゃんも、ミキちゃんのドッペルゲンガーも、俺の彼女になってくれる?」
 
ぎゅっと握られる手。
わー、わー、わー!
 
「は……ひゃい!」
 
変な返事になってしまったけど、しっかり答えられた!
嬉しい、あの西村さんとお付き合いできるなんて! 西村さんもニコニコしてるけど、落ち着いた照明でもはっきり分かるくらい顔が赤くなっている。
 
「嬉しいな、ミキちゃんが今日から俺の彼女かあ」
「わ、わ、私も!」
「じゃあさ、もう一人のミキちゃんにも会わせてくれる? 俺の二人目の彼女」
「もちろんです!」
 
西村さんは、私をそっと引き寄せると、耳元に口を寄せて小さく囁いた。
 
「……今から、ミキちゃん家に行ってもいいかな?」
 
心臓が止まるかと思った。
有頂天でOKの返事をして、ミラに急いでメッセージを送る。駄目なはずがない、ミラは私なんだから。西村さんと手をつないで店を出て、電車を乗り継いで、私の家まで歩く。夜になると冷える季節、お互い何も言わないけれど、ずっとドキドキしている。つないだ手がすごく熱くなっていて、私の手が熱いのか、西村さんの手が熱いのか、よく分からなかった。マンションのエントランスをくぐって、エレベーターに乗って、廊下を進んで。いつもと何も変わらない玄関ドアの前で、二人で立ち止まる。
 
「……ここが、私のうちです」
「へえ」
 
西村さんが嬉しそうに笑う。その吐息が白く曇って、ああ、寒いんだなあとぼんやり思う。
 
「今、開けますね」
 
私は鞄から家の鍵を取り出して、ゆっくりと開けた。

 

 

 

 

 

 

俺、西村弘樹は、見た目はいいし仕事もできるし、自分で言うのもなんだがなかなかいい男だと思う。社内のマドンナと言われるミキちゃんを口説いて、今日OKの返事をもらえて舞い上がっていた。そのまま彼女の部屋に行きたいというとこれもOK。恋のはじまりのふわふわした気分で、電車に乗って彼女の家を訪れた。
 
「今、開けますね」
 
ミキちゃんが玄関を開けて、どうぞ、と家の中に招いてくれた。片づいていて清潔で、ところどころに可愛い小物が置いてある部屋。想像通りの部屋だな。ミキちゃん、可愛い。そんなことを思いながら視線を動かすと、部屋の隅に視線が釘付けになった。
 
誰だ、こいつ。
 
ボサボサの髪、吹き出物だらけの顔、相撲取りかと思うような体型。パステルカラーの部屋着を着ていて、それが巨体を包んで風船のようにパンパンに膨らんでいる。髪と服から、女のように見えるけれど、ミキちゃんの友達? 親戚?
 
ミキちゃんが、俺の横を離れて、その風船女の横に立った。
風船女が俺をじっと見つめる。
 
「はじめまして、草場美希です」
「違う違う、私が草場美希! こっちはドッペルゲンガーのミラ!」
 
ミキちゃんが笑いながら風船女の腕に絡みついた。二人とも、身長は同じ、話す声も同じ。でも顔も体型も似ても似つかない、全然違う。
 
「は……?」
 
俺の手から、どさりと仕事鞄が落ちた。あ、落ちましたよ、とミキちゃんが言うが、俺はその場から動けなかった。
風船女が、くく、と笑い声をあげた。
 
「混乱されてますよね。私が生身の人間で、可愛い方がドッペルゲンガーなの」
「ちょっと、ミラ、変な冗談やめて!」
 
ミキちゃんが風船女の顔を覗き込むようにして怒ったが、風船女はまた笑っただけだった。風船女がミキちゃんの手を取って、手のひらを強く握る、いや、捻ったのか? そうすると、ミキちゃんの動きがピタリと止まり、マネキンのように動かなくなった。
 
「ねー、やだ、ミラ! 動かしてよ!」
「動きだけ一時停止しました。これで信じて頂けますか?」
「は……え……?」
 
ミキちゃんは声だけ出せるようで、やめて、動かして、と騒いでいる。その手のひらからは青白い人工的な光が出ていて、何か文字が書かれているように見える。
 
「この子は、私が痩せてた頃をモデルにしたドッペルゲンガーです。外に出るのはこの子の役目、私は家でのんびり過ごす。仕事とかオシャレとか友達付き合いとか、全部この子にやらせてメモリーシェアすれば、なーんにも苦労しないで楽しめるの。何回もメモリーシェアしてるうちに、どっちも私って思えるようになってから、すごく楽しいの。どっちがどっちか、お互い分からなくなるくらい」
 
くくくく、と風船女は体を震わせて笑った。
 
「ドッペルゲンガーだから、肌も体型も、何にもしないで維持できるの、最高よ。ダイエットして我慢なんてやってられないわ。世の中ブスに厳しく、美人に優しいものね」
「な……な、に……」
「ミラ! 私が美希なんだから、変なこと言わないで! 外にいるのは綺麗な美希の役目! 美希がそんなブスなわけないでしょ!」
「でもねえ、彼氏ができるとねえ……あの機能もつけてあるけどねえ」
 
どす。
風船女──生身の草場美希が、俺に向かって一歩踏み出した。
 
「もちろん、私としたっていいんだけど……」
「あ、……お、俺……」
「大丈夫、貴方の隣に立つのは、今までと変わらずドッペルゲンガーの方だから。美人で絶対に太らない、一番綺麗だった頃の私。親友だって気が付かないもの」
 
どす。
草場美希が、もう一歩俺に近づいてくる。マネキン状態のミキちゃんが、西村さん、私が美希だから! とずっと叫び続けている。
 
「ねえ、西村さん……?」
 
草場美希はニタリと笑った。目元にミキちゃんの面影はあるけれど、似ても似つかない、押し潰されたカエルのような顔。
 
「西村さん! 逃がさないから!」
 
ミキちゃんが、動けない身体のまま、視線だけをこちらに向けて、そう叫んだ。その瞬間、草場美希が雄叫びのような声をあげて、俺に向かって突進してきた──

 
 
 

ある日、ある会社のオフィスにて。
 
「おはようございます、西村さん!」
「……ミキちゃん、おはよう」
「この前大丈夫でしたか? うちに着いてからすぐ寝ちゃって。意外とお酒飲みすぎてたんですか?」
「……そう、だったっけ」
「はい、朝になって帰るときもフラフラされてて、心配してたんですー」
「そう、か……」
「それで……」
 
男に話しかけた女は、華奢な身体をもじもじさせて、上目遣いに男を見上げた。
 
「あの、……忘れてないですよね?」
「……何を?」
「西村さんが、その、私のこと……」
「……ああ、うん。バーで」
「よかった!」
 
女はぱあっと嬉しそうに笑った。
 
「これから、よろしくお願いします!」
「……ミキちゃん、あのさ」
「はい?」
「あの時、ミキちゃんの家に、……誰かいた?」
 
女の動きが、一瞬、ぴたりと止まる。
ゆっくりと首を傾げて、にっこりと、飛び切り可愛く笑って見せた。
 
「やだなあ、美希以外誰もいるわけないじゃないですかー」
「そう、だよな……」
「そうですよー」
 
首を傾げる男の腕に、女が自分の腕を絡ませる。
 
「これからも、美希のこと、よろしくお願いします!」
 
可愛らしい女の顔が、一瞬だけ、押し潰されたカエルのような笑みになった。

 
 

❏ライタープロフィール
吉田けい(READING LIFE公認ライター)
1982年生まれ、神奈川県在住。早稲田大学第一文学部卒、会社員を経て早稲田大学商学部商学研究科卒。在宅ワークと育児の傍ら、天狼院READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。趣味は歌と占いと庭いじり、ものづくり。得意なことはExcel。苦手なことは片付け。

この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

http://tenro-in.com/zemi/70172

 


2019-04-08 | Posted in 株式会社ドッペルゲンガー

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