週刊READING LIFE vol.44

コーヒードリップは暮らしのレンガ。《 週刊READING LIFE Vol.44「くらしの定番」》


記事:田澤 正(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「毎日オレがコーヒー淹れるよ」
 
朝、5:50。コーヒーを淹れる。豆を粗挽く。ペーパーをドリッパーに毛布みたいに掛け、湯通しする。粉をレシピより少し多めにザクザク入れる。92度のお湯。一度粉を膨らませる様に掛け、蒸らす。その後ウサギのマークが小さく入った薄いブルーのケトルの先から、勢いよく、優しくお湯を注ぐ。くるくる回す様に粉にアタックさせる。リズムが出来て来る。
時間と量、温度を操り、美味しいコーヒーに変える錬金術。
清々しい。ポコポコ言っているコーヒーを見ながら思う。「これが暮らし」だと。
 
クマのデザインされたマグカップ2つに出来たコーヒーを均等に注ぐ。テーブルに持っていくと、丁度超熟が焼き上がっている。奥さんと2人で「いただきます」と同時にコーヒーを啜る。トーストにはピーナッツクリームをたっぷりと塗る。バターナイフで3回塗りピーナッツの波が出来る。程良く溶けてきたところでパンを頬張り、加糖タイプのヨーグルトを一緒に口に放り込む。咀嚼が終わる前に、スッキリ目のコーヒーで流し込むのが快感になる。そして1日が始まる。
 
元々は、土日のみだった。コーヒーをドリップするのは。朝について言えば平日は、週末の10倍時間が経つのが速いから。時間泥棒が多発するのだ。そのためコーヒーはインスタントをパッと2杯マグカップに入れた。パンも黒糖ロールにマーガリンが入っているものを、レンジで10秒チンした。
パン食い競争みたいに口に咥えたまま、シャツに袖を通すイメージ。
キッカケは月曜日。やはり週の始めはテンションが上がらない。朝を少しだけスペシャルにすれば、違うかもと考えた。少しだけ早起きしドリップを始めた。実際、あえてコーヒーをドリップするだけで、黒糖ロールを超熟にするだけで少し気持ちが変わる。ブルーマンデーがハッピーマンデーに変わった。
「毎朝、ドリップすると少し楽しくなるね」
 
毎日ドリップコーヒーを淹れる様になると、気付く。
同じレシピで淹れても毎日同じ味にならない。
美味しいコーヒーを淹れるのには、やはり修行、積み重ねが必要だと。
 
そもそも、コーヒーの味は素材60パーセント、焙煎30%、抽出10%と言われている。ほとんどは、手元に豆が届いた時点で味は決まっている。
仕方ない。それでも最後にバリスタが抽出しなければコーヒーは完成しない。そして残り1割を少しでも美味しく出来る様努力するのがコーヒードリップなのだ。
少しでも美味しく出来ないか、毎日淹れる。積み上げる。そして段々、コーヒーを淹れる事が馴染んできた。
 
ある朝コーヒーを淹れながらふと、気付く。こうした小さな毎日の行為の積み重ね。暮らしの定番が、自分の生活を形作っている事を。ひいては人生を作っている事に。
毎朝の行為。「我が家という社会」で与えられた初めての役割。コーヒー係。この定番が、生活を、人生を、そして自分という存在の一部を形作っている。
 
そうした暮らしの定番をほとんど持っていなかった学生時代。朝決まった時間に起きる、当たり前の食事をして、皿を洗う。ゴミを捨てる。日々を積み上げる。こうした当たり前の事がまるで出来ない。そのくせ、夢想ばかりしていた。
例えばギターを弾ける様になるのに、何故練習が必要なのか。練習しなくても弾けるかもしれない。そんなことばかり考え、実際の練習はしなかった。そんなモラトリアム人間。透明人間の様に存在が薄い。
 
そんな自分にとって「彼女」の存在は圧倒的だった。奥さん。
 
毎日、掃除をして決まった時間に食事を作り摂る。洗濯をして丁寧にアイロンがけてしまう。約束を守る。何気ない事で笑い、怒り、嘆き、許す。お気に入りのテレビ番組があって、楽しそうに笑う。お気に入りの銘柄のお菓子をスーパーでこっそりカゴに入れ照れくさそうに好きという。
当たり前のことを当たり前にきちんと丁寧に出来る。
 
まともな生活、暮らしが理解出来ない自分。
そんな自分に彼女が言った。
 
「よかったらコーヒー淹れる係になってよ、あなたのコーヒー美味しいから」
 
オオカミに育てられた自分にサリバン先生が
現れた。一つ一つの行為の積み重ねの大切さを根気よく教えてくれた。それが暮らしだと。
 
彼女は、部屋をいつもキレイにして、シンプルだけど心地よい暮らしを作ってくれた。
暮らしって、こうやって作るのか。
 
夢想は夢想のまま。ただの透明。毎日の「行為の積み重ね」があって、はじめてカタチになる。
 
鋼の錬金術師のアルフォンス 。あのヨロイがなければ、魂は定着せず彼としての存在は成り立たない。
 
コーヒーを淹れる事でやっと自分の暮らしを形作るレンガを積み始めた。
ただの空っぽに一つレンガを積む習慣が付くと、暮らしを積み上げるコトの楽しさがわかってきた。
 
安倍晴明は、どんなものにも名前が付いて初めて、そのものは存在すると言ったそう。
 
単純に、誰かに自分をプレゼンテーションしやすくなった。夢想のままでは変人だが、暮らしになれば共感を得られた。自分の暮らしに一つ名前が付いた「コーヒーを淹れる自分」と。
 
「ウォーター」と言ったヘレンケラーと同じ位の変革といってもいい。
 
元々の自分は変えられない。見えなくても聞こえなくても仕方ない。でも。
毎日の積み重ねが、自分を作る事はわかった。
皿洗い、掃除の手伝い、お風呂掃除。暮らしを作る「行為」が出来る様になった。
 
暮らしの定番、それは人生そのもの。
暮らしを作るレンガをコツコツ積み上げる。
暮らしの定番をたくさん持っている事で自分の生活を作る。
 
次は何を積み上げようか。
 
他の皆さんの暮らしの定番はなんだろうか。
人それぞれのレンガ。それを垣間見れると楽しい。
 
暮らしの定番をもっと増やし、人生を豊かにしたい。
と思う。
 
そして、これからも毎日、毎日コーヒーを淹れる。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
田澤 正(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

神奈川県横浜市出身。
横浜にこの人ありと言われた鳶職の頭が祖父。
大学教授の父と高校教師の母の間に次男として生まれる。

某製薬会社勤務。

音楽、コーヒー、雑貨、本。何気ない日常の景色を変えてくれるカルチャーに生かされて来た。
そんな瞬間を切り取りたいと天狼院ライティングゼミ参加。現在ライターズ倶楽部所属。

趣味はコーヒードリップ、カメラ、ギター演奏。
フィルムカメラは育緒氏に師事。

 
 
 
 
http://tenro-in.com/zemi/86808

 


2019-08-05 | Posted in 週刊READING LIFE vol.44

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