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恋する軍艦《週刊READING LIFE Vol.77「船と海」》


記事:黒崎良英(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 
 
長崎県に「端島(はしま)」という島がある。
 
かなり有名な島なのだが、この名前ではあまり知られておらず、通称の方がよく知られている。
 
その名も「軍艦島」という。
 
炭鉱として大いに賑わい、日本初の鉄筋コンクリート造の高層住宅もあった、当時最先端の島である。
だが炭鉱が閉山されるとともに島民は島を離れ、今では無人島となっている。
 
海に浮かぶ姿が軍艦に似ているからだと言われるが、そのモデルとなったのが、「土佐」という戦艦である。正確には戦艦になる予定だった船だ。
「土佐」は戦艦「加賀」の同型艦で、大正9年に起工された。しかし、大正10年の軍縮条約を受けて、これらを航空母艦へと改造することが提案される。
「加賀」は予定通り航空母艦へと造り替えられたが、「土佐」は建造を断念。結局、実艦標的として、つまり本物の船の的(まと)として演習や実験に使われ、処分されることになった。
 
その顛末を思えば悲しいが、その姿が現在の名に残っていると思うと、少しホッとする。そして、島の姿が実際の「土佐」と重なっていると思うだけで、なんだか救われた気分になる。
 
そう、逸話はともかく、海に浮かぶ軍艦の姿は実に良い。軍艦ゆえに無骨さは拭えないが、そこがまた、大海の優しさを強調させているようで、麗しくも優しい光景を思い浮かべることができる。
 
「富士には月見草がよく似合う」
 
とは太宰治の小説『富嶽百景』の一説であるが、海に似合うのは“軍艦”である。
「護衛艦」でも「遊覧船」でもない。ましてや「豪華客船」でもない。
 
そう、「海には軍艦がよく似合う」のだ。
 
と、そんな世迷言を言う私は内陸県である山梨で生まれ育った。
 
国土を海に囲まれた日本にあって、その恩恵も脅威もあまり受けない、少数派の県である。ちなみに47都道府県中、海に面していないのは8つの県だけだ。
 
そして海を愛し、海に行くことになるとかなりはしゃいでしまうのは、山びと「あるある」である。かなりテンションが上がる。
どのくらい上がるかというと、前日の準備段階で浮き輪を膨らましてキャッキャとはしゃぐぐらいテンションが上がる。え? 自分も山びとだけどそこまではしゃがない? ソウデスカ……
 
と、とにかく、所詮この世は無い物ねだり。山に囲まれて育った身としては、海は大いなる憧れの存在なのである。
 
海は良い。
特に水平線が良い。
自然に形成される直線、しかも長大な長さの直線は、山野渓谷では決してお目にかかれない造形である。
 
また、色も良い。
意外にも近くで見ると青というより紺碧色をしている。さらに間近で見ると、今度は翡翠のような色になる。
そこへ風が波を運び、透明に近い白色を添える。
もちろん、場所によって色も違うのだろうが、それもまた良い。
何せ山で「水」といえば川か湖である。
海と同じような色は、これもまた場所によってはあるのだろうが、ほとんどが「水の色」である。決して「水色」ではなく、水道管を流れる水そのものの色である。やはり海の色とは違う。
そもそも大きさが違う。規模が違う。雄大さが違うのだ。
当たり前のこととはいえ、それは私を魅了する重大要素である。
 
そこに船が浮かんでいるのである。
 
ボートも良い。クルーズ船も良い。昔のテレビ番組の冒頭よろしく、沈む夕日をバックに漂うヨットも良い。
 
船と海の情景は、実に良いものだ。
交通手段という関係を通り越し、もはやお互いの関係は、絵画と額縁のように必要不可欠な存在となっている。
大海原に白波が立ち、そこを一隻の船が征く。
その光景を遥か上空から眺めれば、どんな巨船も小さく、海は果てしなく大きい。
 
船は大きい方が良い。海の広大さがさらに際立つ。
外観は無骨な方が良い。海の優しさがさらに際立つ。
 
そこで軍艦である。
「え?」じゃない。軍艦が良いのである。最適解と言っても良い。
 
もちろん海に浮かぶ船は全て美しく、その多様さは見ていて飽きない。それぞれに魅力がある。
 
だが、他の船、特に近代の船はキレイすぎるきらいがある。
それは海に抱擁される船ではなく、自らの意思で海路を切り開く、鮮麗された船である、と思う。さながら海を華麗に歩む麗人である。
一方軍艦は、種類にもよるが、おてんばなお嬢さんだ。まだ未熟な駆動で、精一杯大海を走り回る天真爛漫な子。昔の写真などから、純粋さを見てしまう。
もちろん、双方ともあくまで私個人のイメージではあるが。
 
イメージを女性に重ねたが、これは「戦艦×美少女」もののゲームの影響からではない。
いや、確かにその影響が多少なりともあることはある。いわゆる軍艦の擬人化である。有名な「艦これ」というゲームがその地平を切り開いたが、他にも軍艦を美少女へと擬人化するコンテンツは、意外とたくさんある。
 
だがそれだけではない。そもそもが、船は女性なのである。
なぜなら、船は英語で“She(彼女)”と表現するからだ。もっとも、文法上の慣例らしく、明確な理由は分かっていないらしい。
確かにスリムな先端や長い船体のデザインは、女性らしいといえばらしいのかもしれないが……まあ、昔からのことなので大した理由でもないのだろう。
 
そう、船は美少女である。いや、乙女と言った方がふさわしいかもしれない。大海原を進む、おてんばな乙女である。
私はそんな彼女たちが大好きだ。
 
一口に軍艦と言っても大きさも種類も様々。だから一番おてんばなのは、小型の駆逐艦あたりだろう。
独り立ちをして、遠くの海を見たいと好奇心に踊るのは巡洋艦だろうか。
中心にいる巨大な戦艦は、優しげな母か姉か。
 
そういえば、元海軍将校の作家、阿川弘之は、その著書『戦艦長門の生涯』の中で、
 
「『長門』が連合艦隊の象徴なら、『間宮』は連合艦隊のアイドルであった」
 
と記している。昔からそういった比喩的視点はあったようだ。
 
ちなみにこの「間宮」という船、海上にいる兵士に食糧を届ける他、艦内にはクリーニング店や理髪店もあり、厚生施設の役割を担う船であった。
名物は艦内で作られる「間宮羊羹」で、これを手に入れるべく、各艦躍起になって間宮に向かって行ったらしい。
兵士たちの活力となったあたり、まさに「アイドル」たりうる存在であったようだ。
 
軍艦に抱くイメージは人それぞれだが、動かし難い共通認識がある。
それは、彼女たちが戦争のために造られたことである。
本当は、彼女たちは海をゆったりと進む様が似合っているのだろう。
だが、戦争が、彼女たちが作られた目的が、それを許さなかった。
 
砲火を放ち、砲火を浴び、船を沈め、船に沈められ、数百隻もの彼女たちは、みなことごとく散っていった。
乗っていた人々も、青春真っ盛りの年齢が多かったらしい。
もしかしたら、それがゆえに、船は「彼女」であるのかもしれない……
 
造られた時代、目的、それゆえの外観と動き。それは不器用ながらも時代の直中を進む姿である。
過酷な中にあって、それでも明日を夢見る乙女たちである。
 
だからこそ、全身を海に委ねる。全身で寄りかかる。
海は制するものではなく、優しく抱かれるものだと、ともにあるものだと、皮肉なことに戦争で使われた彼女たちが教えてくれる。
 
だから軍艦が良い。大海原に全身で寄りかかる軍艦だから良い。
 
当時の船で現存する船はない。だが、防波堤となってその姿の一端を留めているものもいる。また日露戦争で活躍した戦艦「三笠」は記念艦としてほぼ当時の姿で存在する。軍艦島にその姿を重ね、また名前は受け継がれていく。
 
彼女たちが本来の目的としては不要となりつつも、当時の姿のまま、ゆったりと、だが気ままに海を走る。そんな虫のいい光景を、私は思い描く。
朝霧の中を、晴天の下を、あるいは沈む夕日を浴びながら、波の上を進みゆく。
そんな勝手な妄想を、海と船に恋した山びとはしてしまう。遠く山の向こう。見えない姿を、かつてあったかもしれない景色を想像する。
 
ああ、やはり、
 
「海には鈍色の乙女たちがよく似合う」
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
黒崎良英(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨の高校に勤務している。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。デジタルとアナログの融合を図るデジタル好きなアナログ人間。趣味は広く浅くで多岐にわたる。

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2020-04-27 | Posted in 記事, 週刊READING LIFE vol.77

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