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中途半端にして逃げる気? と言われて《週刊READING LIFE Vol.78「運」は自分で掴め》


記事:杉下真絹子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
ううう、ハワイに行きたい。
ハワイ島に行って、シャンカリのリトリートに出たい。
でも、有給休暇全部使ってしまった。
となると、残る選択肢は、もう仕事辞めるしかない……。
 
そんなことが頭をよぎりました。
 
ぐるぐると考え始めた私、バリ島とハワイ島を拠点に活動していたオーストラリア人のシャンカリ(Shankari)と呼ばれる女性に会った直後でした。彼女は、ジュエリーデザイナーでありヒーラーであるという何ともミステリアスな存在で、今までに会ったことのないタイプでした。
 
「来月ハワイで1週間リトリートするんだけど、あなたこそ参加すべきだわ」
 
自分がデザインした指輪、ネックレス、ブレスレットのジュエリーをジャラジャラと身に着け、エスニックな布を身にまとった彼女がまっすぐ私の目を見て、一言そう言ったことで、私はすっかり彼女のマジックにかかりその気になってしまったのです。
 
その頃、上司とうまくやれず、仕事にやりがいを失いつつもあったし、この先どうしようか悩んでいた時だったので、なぜかシャンカリに会えば道が開き運転が開くと思ったのです。
 
その勢いで、上司のSさんに話す決心をしたのです。
 
当時、私は岡山に本部を持つ国際協力・保健医療分野のNGOで働いていたのですが、ちょうど10ヶ月間ほど赴任していたザンビアでの仕事を終え、帰国後しばらく本部勤務になったのです。
 
それまで、ミャンマーやザンビアなどの現地事務所で勤務していた私は、日本の本部で各国のプロジェクト全体を統轄する立場にあるS上司とは、主にメールや電話を使った遠隔でやりとりをしていて、たまにS上司が出張で現地入りして助言をするという感じでした。
 
それが私の本部勤務と同時に、毎日S上司と顔を合わせて仕事をするようになると、彼のやり方に疲弊し始めたのです。S上司はやんわり高圧的な言い方で女子っぽくじわじわと私を追い込めるアプローチが上手で(れっきとした中年男性でしたが)、私はその戦術にまんまと飲まれ徐々に仕事の価値のみならず「自分の価値」を見出すことができなくなっていたのです。
 
だから、わたしなんて所詮この組織で役に立っていない、という感覚が大きくなっていきました。給料もそもそも日本の弱小NGOだし他の企業に比べたら、額は比較にならないほど小さかったこともあって、その分「やりがい」や「仕事の意味」に対する比重は大きかったのかもしれません。
 
そのタイミングで全く環境の違うハワイでのリトリートの話が私のところに舞い込んできたこともあり「私の救世主シャンカリ」に期待する私がいました。

 

 

 

「で、ハワイで何するの? なに研修?」
 
(うーん、内容まではさすがに話したくないし、そもそもこの人に知ってもらいたくもない)
 
「まぁ、そうですね。なんというか、自分を磨くスキルアップと言いますか。あ、ただ仕事に直結しないかもしれませんが、セルフマネージメントの面で考えると役に立つと思います。いずれにせよ、もう有給休暇もないし、ご迷惑おかけすると思うので、このタイミングでここを辞めるのも選択の一つとして考えていまして」
 
「ふぅん……。
そんなに行きたいの。
だったら、無給休暇で行ってきたら? 特別措置だけど」
 
とあっさり。
 
そもそもこんな理由で無給休暇が取れることは全く考えていなかったため、なんとなく肩透かしをくらいつつも、私はとにかくハワイに行ってシャンカリのリトリートに参加したい一心だったので、頭を下げてS上司に特別措置をお願いすることにしたのです。
 
今考えると、当時の私、まだまだ仕事に対してなんて甘い考えを持っていたのかと、恐ろしいくらい恥ずかしくなります。それでも、この勢いがあったからこその「晴れてハワイ」に行けることになったのも事実だし。
 
ハワイは初めてではなく、実は学生時代に交換留学生として1年間ハワイ大学に留学していたこともあって、私にとっては当時第二のふるさとでもありました。
 
その上、何やらアーティストでヒーラーのシャンカリがついていれば、私はきっと何かに導かれ今の悶々としている状況を打破できると、藁をもつかむ思いでの参加でした。
 
そして私、晴れて海風にヤシの木がそよぐ、アロハのハワイに到着。
 
ハワイでのリトリートは想像以上にパワフルでした。
 
パワーストーンやシルバー素材を使ったシャンカリ・ジュエリーは、多くの女性たちを魅了し、自分の使命で生きる一歩を踏み出す勇気を与えるほどのパワーがあるようで、シャンカリを慕って全米からたくさんのヒーラーたちが参加していました。
 
当時そんな知識も経験も全くなかった私にとってはリトリート期間中、いきなり瞑想やらイメージワークやらと初体験の毎日に、とてもインスパイアされまた圧倒もされました。
 
……とは言えども、やはりハワイから日本に帰国すると、あっという間に現実の生活に翻弄され始めたのです。
 
言い換えれば、あまりに向こうの世界とこちらの現実世界のギャップが大きすぎて、ハワイでのシャンカリの教えが上手く現実に落とし込めなかったと言いますか……。

 

 

 

その後、何ヶ月か経ったある日、私は再びS上司と会議室にいました。
 
持ってきたノートの間に『退職願』と書いた封筒を隠し挟みながら、私はポツリポツリと本題を話し始めたのです。
 
「今日、これを出しに来ました」
と、私はノートから封筒に入ったあの手紙をS上司にゆっくり差し出しました。
 
「なに、これ」
と『退職願』の文字を舐めるようにして見ていたS上司は、次に私を直視しこう言ったのです。
 
「木下氏(私の旧制)、今の仕事全部中途半端にして逃げる気?」
 
「!?!?……!?」
 
実はちょうどその頃、帰国後本部での最初の仕事として、私はザンビアからクリニカルオフィサーと呼ばれる準医師たちが日本に来て技術研修に参加する際の研修コーディネーターとして、様々な医療機関や保健行政と連携して研修プログラムを企画・準備をしていたところでした。

 

 

 

私、考えること3分間。
 
ザンビアのスラム地域の診療所で働く(今度来日予定の)クリニカルオフィサーたちの顔が蘇ってきたのです。
 
ハッ。
そして、私はその時自分の与えられた責務にようやく気づいたのです。

 

 

 

「……すみません。取り下げます」
 
と言いながら、私は目の前にあるその『願』を右手でゆっくり私のほうにスライドさせ、静かに持ってきたノートに挟み、パタンとノートを閉じました。
 
私、ここでようやく目が覚めたようです。
 
「今準備しているザンビア人受け入れの研修企画の仕事、中途半端にせず最後までやり遂げます」
 
あの時、私が辞めると多くの関係者に迷惑をかけてしまう事実のほかに、中途半端に仕事をしている、生半可に取り組む人間だと思われたくない気持ちがありましたし、ここでこの上司を見返してやらねば、一生後悔するという思いが出てきました。
 
と書いたものの、実はそれよりも私自身が「中途半端で生きる自分」を認めたくない、そもそも認められないという気持ちが一番大きかったのかもしれません。
 
退職願を取り下げてからは、目の色変えて研修準備に取り組み始めました。
 
同時に、いくら嫌いであっても上司のスタイルは変えられない、唯一変えられるのは、私自身の考え方だということも分かってきましたし、またここで嫌いな上司を避け克服せずにいると、またきっと将来同じような上司なり同僚が現れるだろうということも薄々悟り始めていたのです。
 
そう、ハワイに行ってシャンカリに会って人生見直せば何かが開ける! とあれだけ思っていたのに、皮肉にもS上司の一言
 
「中途半端にして逃げる気?」
 
がトリガーとなり、私を目覚めさせたのです。
 
その意気込みの甲斐もあって、1か月近く続いた本邦研修は成功裏に終わりました。ザンビアの研修生たちにとってとても実りのある学びになっただけでなく、私自身も彼らと共通の目的を持って何かに取り組んだりいろんな話や知恵を共有するのが好きなんだということを改めて実感しました。
 
研修も終わり、「退職願い取り下げ事件」から数か月が経ったころ、S上司から再びザンビア長期派遣の打診を受け、私は2度目のザンビア赴任を決めました。以前住んでいた首都ルサカの貧困スラム地域で、今度はコミュニティの結核・HIV/AIDS感染症対策プロジェクトのマネージャーとして2年間従事することになりました。
 
あの時、退職取り下げは本邦研修が終わるまでのはずでしたが、私のほうからはその話を再び持ち出すこともなく、私は再びザンビアに向け飛び立ちました。
 
その後、プロジェクトは順調に進み、最後はザンビアの保健省にその活動が認められ、気が付けば大手欧米NGOに負けないくらいの存在感を持つまでに成長しました。
 
この勢いでまだまだ拡大したい! と思いつつも、もともと2年間という時間枠でベストを尽くすと決めていたこともあって、次に日本から来るマネージャーに新たな展開をお願いし私は帰国しました。
 
そう、S上司から
「中途半端にして逃げる気?」と言われてから、ほぼ3年近くの月日が経っていました。
 
その時点で、所属していたNGOで次に取り組みたい面白い新規事業がないこともあって、私はそのNGOを離れ、今度は新たにコンサルタント会社に所属し、国際協力の仕事に携わっていくことが決まっていました。
 
今度は晴れて『退職届』が受理されたのです。
 
だから、帰国後報告書を作成し、報告会で発表して、その日いよいよ最後の挨拶をする時がきました。
 
結局なんだかんだと7年間そこでお世話になったのですが、ずっと一緒に働いていた同僚が集まり、そしてS上司が現れました。
 
S上司は何か書いてある紙を大切に取り出し、
 
「感謝状、あなたは……」
 
と読み始めたのです。
 
それは、これまで誰にも出したことのないという感謝状を、目の前の私に差し出す瞬間でした。
 
感謝状が読み上げられている間、色んな事が走馬灯のようによみがえってきました。
 
差別や偏見を受けながらも結核治癒目指して頑張る患者に対して、様々な形でサポートを提供する同じ貧困地域の(プロジェクトで育成した)住民ボランティアたちの姿。
 
まさしく、今や世界中コロナ感染拡大の影響から、間違った情報や固定観念で多くの人が偏見・差別さらには被害を受け始めている状況と重なる部分があります。
 
そんな中にあって、現状打破し良くしていこうという住民ボランティアたちの熱意と人間力に、私自身いつも心を打たれ勇気をもらっていたなぁと。
だからこの感謝状も本来彼らに贈られるものを私が代理で受け取ろうと。
 
貧困層であっても、レスペクトできる生き方や力強く生きていく知恵を持っている彼らは、私にとってまさしくポテンシャルが詰まったダイアモンドの原石のような存在でした。
 
それこそ、シャンカリがパワーストーンジュエリーを通して多くの女性に生きる勇気を与えていたように、彼らこそが私のパワーストーンだったことに気が付いたのです。
 
それ以上に、あれだけ嫌だったS上司の一言で、私の何かが動き始めたのも事実です。
 
「中途半端に逃げる気?」で逃げても良かったところ、私は逃げたくなかったし、生半可な人間に思われたくなかったから、逃げない選択を私自身とったという事実。
 
その選択をしたからこそ、のちに私の探していた「人生のパワーストーン」にも出会えたような気がするのです。

□ライターズプロフィール
杉下真絹子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

大阪生まれ、2児の母。
90年台後半より、アジア・アフリカ諸国で、地域保健/国際保健分野の専門家として国際協力事業に従事。娘は2歳までケニアで育つ。
その後方向転換を果たし、子連れで屋久島に移住。
【森林の中でウェルビーングする】をキーコンセプトに、活動を展開予定。
 
関西大学卒、米国ピッツバーグ大学院(社会経済開発)、米国ジョンズホプキンス大学院(公衆衛生)修士号取得。

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2020-05-04 | Posted in 記事, 週刊READING LIFE vol.78

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