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わたしたちが掴み取った強運《週刊READING LIFE Vol.78「運」は自分で掴め》


記事:井村ゆうこ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
強運の持ち主である、ひとりの男の話をしよう。
彼には生まれたときから使命が課せられていた。この世のどこかで待っている運命の女性を見つけ出し、結ばれなければならないという使命が。運命の女性を狙っているのは、彼ひとりだけではなかった。彼の周りには何億ものライバルが、虎視眈々とスタートの合図を待っていた。
 
「バン!!」
運命の女性へと向かうレースの始まりは、突然やってきた。真っ暗な闇の中を男たちがわれ先にと進んでいく。目的地までの道のりは険しい。途中で力尽きた男たちが次々と脱落していく。屈強な体と強靭な精神の持ち主だけが、前へ前へと歩を進めることができる。やがて、運命の女性が待つ部屋の前に彼らはたどり着いた。ここからが戦いの本番だ。ライバルをなぎ倒し、いちばん先に部屋のドアを開けた男だけに、運命の女性を抱きしめる権利が与えられる。長旅で疲れ切った体にムチ打って戦いを繰り広げる男たち。やがて、強運の持ち主であるひとりの男だけが残った。やっと会える。やっと愛しの女に会うことができる。男は手を伸ばしてドアを開けた。
「いない!」
部屋の中は空っぽだった。どこを探しても運命の女性の姿はない。ここまで必死に生きのびてきたというのに。しかし、ここで諦めたら終わりだ。自分の後ろに倒れていった何億もの男たちの魂の叫びが、彼を部屋の中に留まらせる。
「早く、早く姿を見せてくれ、運命のひとよ。この命の火が消える、その前に」
男は自分の命が数日で力尽きることを知っていた。祈るような気持ちで男は待つ。
 
どのくらい時間が経っただろうか。真っ暗な部屋に突然眩しいひかりが差し込んだ。ドアを開けて女が入ってくる。男は女に駆け寄り、その体をぎゅっと抱きしめた。自分の全身がのみ込まれてしまうほど、ぎゅっと。
運命の女性と結ばれるという使命を果たした男は、こころから思った。
俺には運がある。俺は自分の手で強運を掴み取ったのだ。
 
強運の持ち主である、この男の名は「精子」、運命の女性の名は「卵子」だ。
射精された何億もの精子は、たったひとつの卵子と出会うために、子宮口から子宮頸管、卵管へと進んでいく。小さな精子にとって、受精のための移動は途方もなく長い。しかも子宮内は精子が生存しにくい環境であり、卵子までたどり着く道のりは、試練につぐ試練におそわれる、大冒険のようなものだ。
しかも、女性の排卵は月に1回しかなく、卵子の寿命は24時間と短い。数億のライバルを蹴散らして、卵子までたどり着き、受精にまで至る精子とは、なんと強い運の持ち主であろうか。
 
私たち人間はひとり残らず、精子と卵子の結合から生まれてきた。ものすごい確率の幸運を手に入れてこの世に誕生してきたのだ。いわば、生まれながらの強運ホルダーだ。しかし、私たちがそのことを意識することは、普段ほとんどないと言っていいだろう。
仕事やプライベートで思うようにいかないことがつづくと、自分が強運ホルダーであることをすっかり忘れて、つい口にしてしまったりする。
どうして、私ばっかりついていないんだろう。
どうして、私には運がないんだろう。
かつての私にも、毎日のように自分の不運を呪っていた時期があった。転勤族の夫と結婚して、自分の仕事を辞めざるを得なくなり、自分の生き方に迷い出したときのことだ。
 
夫の異動に合わせて引っ越すたびに転職する自分の生き方に疑問を持ち始めた私は、自己啓発系のセミナーに答えを求めた。「自分らしく生きよう」「後悔しない人生を送ろう」「本当にやりたいことだけをしよう」などといった文言にひかれて、セミナー会場に足を運んだ。
最初は、身を乗り出すようにメモをとりながら、講師の話に耳を傾けた。今まで生きてきた中でうれしかったことを100個書いてみましょうと言われれば、記憶をひも解いてなんとか100個並べてみた。自分のいい所を5つ、できるだけ多くの家族や友人に聞いてきてくださいと指示されれば、相手の状況などお構いなしに電話とメールをしまくった。だけど、最初のセミナーで、自分の生きる指針を得ることはできなかった。
きっと選んだ講座が、自分に合っていなかっただけなんだと考えた私は、セミナーを次から次へとはしごする日々を始めた。休日のほとんどを「自分探し」にあてる私を、夫は黙って見ていた。
 
自己啓発系セミナーに通い始めて半年が過ぎようとしていたある土曜日のことだ。普段なら昼近くまで寝ている夫が珍しく早く起き出してきた。出かける準備をしている私の横に立つ。
「なあ、お前さあ、俺と結婚したこと後悔しているなら、正直にそう言えよ。お前をしばる気ないから、俺は」
早鐘を打つ自分の心臓の音が聞こえる気がした。喉の奥にキーンという痛みが走る。
私は、自分が身勝手だったとこに、ようやく思い至った。自分が甘えていただけだったことに、ようやく気がついた。夫と同じ会社で働いていた私は、夫の仕事に転勤がつきものであることはわかっていた。夫に帯同して全国を転々とする運命にあることは、結婚前からよくわかっていたことだった。それなのに、それまで築いてきたキャリアを活かせる職場に恵まれない自分を、悲劇のヒロインよろしく嘆いていた。無言のうちに、夫を責めていた。結婚を決めたのは私自身だ。夫に泣いて頼まれたわけではない。
「ごめん」
私は夫とめぐり合えたという幸運を思い出し、手にした運命を受け入れ、「自分探し」の旅をやめた。

 

 

 

結婚生活を仕切り直しした私たち夫婦は、子どもを持つことを望んだ。しかし、なかなか赤ちゃんはやってきてくれなかった。私の年齢が35歳になろうとしたとき、私たちは不妊治療専門の病院へ駈け込んだ。
初診の際、見せられたビデオに登場したのが、冒頭で紹介した「強運の持ち主であるひとりの男」だったのだ。
人間が生まれてくるということが、いかに奇跡的なことなのか、このときはじめて実感した。この世に生を受けた自分が、いかに強くて幸せな「運」の持ち主だったのかを思い知らされた。
同時に、強く思った。子どもの持つ「運」を信じたい、信じようと。
 
治療は長い道のりだった。
妊娠しやすい体をつくるために、できることはなんでもやった。薬や注射の副作用にも耐えた。職場に嘘を言って、予定の組めない診察に通い続けた。保険のきかない高額な治療費を捻出するため、10円、1円に至る細かい節約を実践した。
だけど最後は、子どもが自分で「運」をつかんで生まれてきてくれることを、信じるしかなかった。最後の最後、親にできるのはいつだって、子ども自身の力を信じることだけだと、親になる前に私は学んだ。
 
治療をはじめてから2年後、娘が生まれた。
「運」を自分の手で掴んで、娘は生れてきてくれた。
 
もし今、かつての私のように、自分には運がないと嘆いている人が目の前にいたら、私が伝えたられるのはふたつだけだ。
強運を自分で掴み取って生まれてきたことを思い出そう。
生れたときから自分が、強運の持ち主であることを信じよう。
 
シャボン玉が風に乗って、上へ上へと運ばれていく。
洗濯物を干す手を止めて横に目をやる。6歳になった娘が大きく息を吐いてシャボン玉を飛ばしている。自分が作ったシャボン玉をつかもうと手を伸ばしている。私も手を伸ばし、小さなシャボン玉をつかんでみた。握りしめたこぶしを開くと、微かな水滴のあとはすぐに乾いて消えた。
「シャボン玉、つかまえられないね」
娘が残念そうに言う。
「消えてなくなっちゃっても、一度は掴んだって感じたでしょ?」
「う~ん、よくわかんない」
私はもう一度シャボン玉を掴んで、手を広げてみせる。
「ママは信じているよ、この手で掴んだって」
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
井村ゆう子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

転勤族の夫と共に、全国を渡り歩くこと、13年目。現在2回目の大阪生活満喫中。
育児と両立できる仕事を模索する中で、天狼院書店のライティングゼミを受講。
「書くこと」で人生を変えたいと、ライターズ俱楽部に挑戦中。
天狼院メディアグランプリ30th season総合優勝。
趣味は、未練たっぷりの短歌を詠むことと、甘さたっぷりのお菓子を作ること。

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2020-05-04 | Posted in 記事, 週刊READING LIFE vol.78

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