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もしも10年後、この世にいなかったかもしれないなら《週刊READING LIFE Vol.78「運」は自分で掴め》


記事:和辻眞子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「……うわっ、これ、なんだ?」
 
画面に映し出されたエコーを見ながら、医師は言った。
 
「これ、ちょっと、この黒いの、なんか嫌な感じするなあ」
 
そう言いながらエコーのスクリーンショットを撮った医師は、プリントアウトした写真を見せてくれた。
 
……えー、なんなのー?
何か、変なこと言われちゃったよ。
 
たった1回の定期検診だったはずなのに、深刻なの?

 

 

 

そこからさかのぼって、半年前。
派遣社員として、久しぶりに仕事をすることになった。
 
子どもたちの手が徐々に離れ、社会復帰を目指していた私は、不安定な雇用形態で雇われたくなくて、正社員を目指して就活した。しかし新卒で少し働いて家庭に入り、主婦になってブランク有りの、何の取り柄もない中年女性を正社員で雇おうなんておめでたい職場は、宝くじに当たるくらいの確率でしかなかった。
 
社会から離れていた間に、若い人・新しいものが大好きな日本社会の正規雇用市場に私の居場所はなくなっていた。社会復帰してから約10年、採用されるのはパート・アルバイト・契約社員という先の見えない仕事ばかりだった。
 
真面目に働いても、契約満了などですぐおしまいになるので、正直働く意欲を失くしつつあった。でも収入は欲しいから、扶養内で適当に働いちゃってもいいかな。年齢も年齢だし、仕事なんてあるかわかんないけど。そう考えて派遣会社に登録した。しかし予想とは違って、登録してすぐに仕事を提示された。
 
「コールセンターのお仕事がありますが、どうでしょうか」
 
「コールセンターですか……」
 
電話口で私は黙ってしまった。コールセンターには、いいイメージがなかったからだ。
 
「コールセンターと言えば、クレーマーが多いと聞きますが」
 
「セールスのように、一方的に企業が営業の電話を片っ端からかけるようなコールセンターもありますが、今回の職場はお客様からかかってくる受電が中心です。お相手からのお願いを受けますので、ひどいクレーマーは割合からしたら低めです」
 
なるほど。派遣会社の営業の話を聞きながら、私は考えた。
この職場、家からそんなに遠くないし、時給もそんなに悪くない。
好きな時間に働けるなら、ちょっと働いてみる? 嫌なら辞めればいいし。
 
「わかりました。それではやってみます」
 
そんな訳で、働くことになった。
派遣先のコールセンターの研修はしっかりとしていた。基本的な挨拶、トーク、質問事項等が全部マニュアルになっていた。それを覚えてひたすらリピートする。そして商品知識として頭に入れないといけないことも山ほどあった。これを一瞬のうちに、電話口のお客様にはどれが必要かを判断して話さないといけない。
 
研修室から、コールセンターの、何十台も並んだ電話ブースを横目で覗くと、全員死ぬほど忙しそうだった。
 
マジで、これ、来週からやるの……?
 
私は不安になった。たった1週間しかない研修はまたたく間に終わり、オペレーターとしての勤務が始まった。
 
最初はしどろもどろだったが、「受け答えに慣れていない新人はベテランに電話を繋ぐ」ことが徹底されていたため、間違えずに繋げばあとは問題なかった。ただかかってくる電話の数が半端ない。昼休みが終わってブースに戻った瞬間からコールが鳴り止まない。電話を切って会話の内容を記録している間にも電話は鳴った。そうすると、
 
「メモ書いてないで電話取って!」
 
と社員の指示が飛んでくる。
 
そんな事言われても、たった今話し終わったお客さんの話を書かないと忘れてしまう。会話と同時にPC操作もしているが、新人なのでメモに残さないといけない。千手観音じゃないんだけど! いつもそう思いながら仕事をした。
 
最初の1ヶ月が過ぎ、だんだん耳からの会話とPC入力がスムーズに繋がるようになってきた。ミスをしないで注文を取ることができるようにもなってきた。
 
「お仕事はどうですか? 慣れました?」
 
終業時に毎日通話記録を提出する主任さんは、いい人だった。女性で主任になるまで大変だったでしょうに、周りにこんなに優しくできる人はなかなかいない。
 
「はい、何とか電話には慣れてきました」
「受電の本数もこなせる様になってきましたね。引き続きよろしくお願いします」
 
入ったのがちょうど6月で、蒸し暑いのに流れる汗を拭く余裕もなく、途中トイレ休憩も行けないくらいの忙しさだったけど、私はこの職場がだんだん好きになっていた。新人にも無理なく業務に入ってもらう様に組み立てたコールセンターの研修体制がよかった。自分の希望の勤務時間で働けたし、何となく自分に合っているし、続けられるかも。そう思い始めていた。

 

 

 

そして、それは入職して2ヶ月目の昼休みのことだった。
スマホに見慣れない番号からの留守電が入っていた。
 
「こちらは株式会社◯◯です。先日はご応募ありがとうございました。よろしければ面接をさせていただきたいのですが、ご予定はいかがでしょうか」
 
え、今更?
 
それは、コールセンターの仕事を進めていた頃に同時に履歴書を送っていた求人先からの連絡だった。全く音沙汰がないのですっかり忘れていた案件だ。急いで電話を折り返した。
 
「先ほどは留守電ありがとうございました。面接をしたいとお伺いしましたが……?」
 
「もしよければ、来週の木曜日などいかがでしょうか」
 
急だなあ。どうしよう?
私は一瞬迷った。確かこの仕事は正規職だったよね?
 
今のオペレーターの仕事に慣れてきたし、家からも近かったから続けるつもりでいたけど、それはあくまで派遣社員としての就業だ。何かあったら契約更新してもらえないかもしれない。正規職に就けるチャンスなんて滅多にないから、面接に行ってから考えればいいか。
 
「わかりました。ではそのお日にちにお伺いします」
 
とりあえず私は承諾した。

 

 

 

採用面接の日となった。
威厳のありそうな理事たちが面接官だった。
 
「少しご遠方の様ですが、通勤は大丈夫ですか?」
 
家からここまでは片道1時間45分もかかる。もし採用されたら往復の通勤は倍だ。通えるだろうか? 一瞬考えたが、
 
「はい、過去にも片道1時間半の職場もありましたし、何とかなると思います」
 
と答えておいた。
 
「ここでどんなことをしてみたいと思いましたか? 私たちの印象についてお話しください」
 
「歴史もありますし、十分継承できる団体だと思います。施設も立派なので、顧客を増やしてさらに生かして行ければいいのではないでしょうか」
 
そんな回答から、話が弾んでいた。理事の将来の構想の話も納得できた。その場は和やかに終わり、数日後に電話が来た。
 
「先日は面接にお越しいただき、ありがとうございました。検討の結果、採用とさせていただきます」
 
「ありがとうございます。お受けさせていただきます。よろしくお願いします」
 
とても嬉しかった。長年探していた念願の正規の職だ。断る理由がない。
 
そう思う反面、今のコールセンターは辞めないといけないのかという気持ちもあった。オペレーターの仕事は顧客とのやりとりが完璧にできればよく、そのビジネスライクさが自分は好きだったからだ。ベテランに頼らずに電話をこなせる様になって来たので残念だったが、私は退職を申し出た。
 
「短い間でしたがお世話になりありがとうございました。せっかく採用していただいたのに、ここで辞めることになって本当に申し訳ありません」
 
「次のところはもう決まってるの?」
 
「はい、正規職で採用されました」
 
「短期間でよくやってくださって残念ですけど、ご活躍をお祈りします」
 
いつも優しい言葉をかけてくれた主任さんや、指導してくれた社員さんたちに挨拶をすると、たった5ヶ月しかいなかった職場なのにとても去りがたくなった。自分に合う職場なんてそうそう巡り合わないのに、辞めるのは残念だけど仕方がない。後ろ髪をかなり引かれながらも私はコールセンターを去った。

 

 

 

11月になり、新しい仕事が始まった。
新しい仕事は、一言で言うと、コールセンターとは正反対だった。
 
何をするにも何人ものの許可が1つ1つ必要で、顧客に高齢者層が多いせいか、古い概念が未だにまかり通っていた。仕事さえしていればよかったコールセンターとは違い、仕事以外の人間関係を上手くこなすことが重要視された。マナーにもうるさく、完全なる年功序列制も窮屈だった。
 
職場って、入ってみなければわからない。
そう思いながらも長い通勤時間をかけて懸命に通ったが、「言葉遣いがなっていない」などと少しのことでも注意された。それまで働いていた環境とは大きく異なる古めかしい体制に慣れないことがとてもストレスになっていた。
 
「社風が合わないかもしれないから、早いうちに辞めてコールセンターに戻ろうかな。あの職場いつも人が足りないから、多分歓迎されるよね」
 
辞めようか、続けるか。そんなことばかり考え、日々迷いながら職場に通っていた。しかしきっぱり辞める決心もつかぬまま、年末になった。

 

 

 

検診に行かないといけないな、ずっと思いながらも、平日は休めないので行けていなかった。それを思い出した時はもう、年末年始の休診に入っている医者がほとんどだったが、たまたま開いている医院が1件だけあったので、そこで検診を受けることにした。いつもとは違う医者だけど、検診だからまあいいか。私は気軽な気持ちで検診に臨んだ。
 
医師はエコーの画面を見るなり、険しい顔になった。
 
「ここに、小さいけど黒い影がある。一度精密検査を受けた方がいい。大学病院を紹介します。基本平日の診察だから、休みは調整してください」
 
精密検査なんて想定外だったし、いつ休めばいいの?
私は素早く頭の中で考えないといけなかった。11月に今の仕事に就いたばかりだから、有給はまだない。でも有給よりも自分の身体の方が大事だ。そこに迷いはなかった。
 
こうして私は大学病院に通うことになった。診察と精密検査を経て出た結論は、手術か、投薬治療かの二択だった。
 
「投薬でも治療はできますが、期間が読めませんし、すっきりとは根治できないかもしれません。手術だったら病巣は全て取り切れます」
 
それなら思い切って手術した方がいい。私はすぐに答えを出し、手術日を決めた。
 
病状について説明し、手術が必要と申し出た時、上司はとても驚いた。
 
「採用時の健康診断で体調不良を申告していなかったの?」
 
とまで言われ、あまりいい気分はしなかった。
 
「今まで定期的に検診を受けてきて毎年異常なしと言われていました。今回暮れだったのでかかりつけ医が閉まっていて、いつもとは違う医者にかかったら異常が見つかったんです。職場を長く空けて申し訳ないのですが、1週間入院して手術します」
 
「わかりました。私も手術の経験があるので、お気持ちよくわかります。まずは身体を第一に、きちんと治して、戻ってきていただいて、お仕事ができるように頑張ってください」
 
なんとか職場の理解を得て、入院の日を迎えた。

 

 

 

暮れの押し迫っていた時期に初診だったのに、大学病院での検査はなかなか予約が取れず、手術は5月になっていた。
手術は腹腔鏡手術だった。この方が開腹手術よりも身体にかかる負担が少なく、早く日常生活に復帰できる。どちらがいいかと問われ、私は迷わず腹腔鏡を選択した。
 
麻酔医が私の顔を覗き込んだ。
 
「それでは、10数えて下さいね。1、2、3、……」
 
10まで数え終わらないうちに、私は深く麻酔の海に沈んでいった。
 
手術は3時間ほどかかった。
麻酔薬を切ると同時に、手術室で私は目を覚ました。意識ははっきりしていて身体の痛みは全くなかった。
 
手術の翌日には立って歩行ができるようになり、術後の経過もよく退院した。そして予定通り入院の翌週にはきちんと職場に復帰できた。そこからの定期検診も状態はよかった。
 
「今後は半年ごとの経過観察でいいと思います。お休みを調整して大学病院まで通うのは大変ですが、大丈夫ですか?」
 
私はうなずいた。半年ごとの通院ということは、この病気に関しては事実上の無罪放免と同じだ。思い切って手術して本当に正解だった。
 
「もしも暮れに検診を受けていなかったら、10年後くらいには危なかったかもしれませんね」
 
ぽつりと漏らした主治医の言葉に、私はハッとした。
 
そうか。
もし気がつかなかったら、10年くらいしたらこの世にはいなかったかもしれないのか。
 
もし面接の電話を断って、あのままコールセンターで勤務していたら、いつもの医者に行っていた。
もし転職しても辛いことが多いからってさっさと辞めていたら、多分それもいつもの医者に行っていたよね。
そしてかかりつけ医は病気を見落として、いつものように「異常なしです」と言っただろう。
転職して、あの日しか検診に行ける日がなくて、別の医者に行ったから、病気が見つかって治すことができたんだ。
 
何という偶然なのだろう。
運がいい、とでも言えばいいのか。わずか半年間の色々な判断が、先々の運命を分けた気がする。
偶然という言葉は好きじゃないし、運なんて信じてもいない。それでも沢山のことが合わさった結果、私は命を永らえることができたのかもしれない。
 
辛い時に、辛いからと言って投げ出すことはとても簡単だ。でももしそこを我慢することで運命が変わることがあったとしたら、どうするだろう。せっかく就いた正規の仕事を早々に投げ出すことは、何だか悔しいのでしたくなかった。それが結果プラスだったのだ。
 
つくづく、恐ろしいと思った。人間なんて、「もし……だったら?」の繰り返しだ。
運なんて、どうやって引き寄せていいのかもわからない。逆に知らずのうちに逃しているかもしれないのに。助かるか助からないかなんて、紙一重なのに。
 
先のことは、誰にもわからない。
薄氷の上を歩きながら、手探りで、見えない「運」を掴むしかない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
和辻眞子(わつじ まこ)(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

天狼院ライターズ倶楽部所属。
東京生まれ東京育ち。3度の飯より映画が好き。
フルタイム勤務、団体職員兼主婦業のかたわら、劇場鑑賞した映画は15年間で2500本。
パン作り歴17年、講師資格を持つ。2020年3月より天狼院ライターズ倶楽部に参加。
好きなことは、街歩き、お花見、お昼寝、80年代洋楽鑑賞、大都市、自由、寛容。

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2020-05-04 | Posted in 記事, 週刊READING LIFE vol.78

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