キッチンで響き渡る重低音に包まれたなら≪週刊READING LIFE Vol.334「それでも、あなたは笑ってた」≫
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
2025/12/4公開
記事:パナ子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
それでも、あなたは笑ってた。
さっきあんなことが目の前で起きたばかりだというのに。
こちらをほっとさせるような、全てを包み込むような、どことなく知性や品性を感じさせる微笑みで。
それで、私、思ったの。
私自身の性格が難アリだったとして、子育てはもしかしたら成功したんじゃないかって。
……いや、違う。
きっと、これは、反面教師ってやつね。そうに違いないわ。
9才の息子と私が、賃貸のせまいキッチンでぎゅうぎゅうになりながら二人で何かを料理する。我が家ではよくある光景だ。
息子は3才になる頃から私がキッチンに立つとキター!! とばかりに飛んできて、ぼくにも何かやらせろとうるさかった。お手伝いとは名ばかりで、息子に何か手伝ってもらうことは料理の完成というゴールに向かって遠回りすることを意味していた。できることなら阻止したい。自分でちゃちゃっとやってしまった方が100倍早いのだ。しかし、あまりに吠えるので音を上げた私は、子ども用包丁を買い与え、本格的に料理を仕込むことにした。
あれから6年。
息子はもう一人で料理を完成させることができるまでに成長した。土曜日の朝、私がいつまでもぬくぬくのお布団でゴロゴロしていると「朝ごはんできたよ~」と息子が呼びに来る。夢のような目覚まし時計だ。テーブルには何枚も焼いたパンケーキとサラダ、目玉焼きとウインナーなんかが並んでいる。最高だ。怪獣のように吠えていた息子に、料理を仕込んだ甲斐があった。
ここまでくれば、息子と一緒にキッチンに立つことは、もはやお楽しみと言っても過言ではない。
この日も、二人でキッチンに立ち、作業をしていた。
私が洗い物をして、彼が何かを作る。味見をしながら一緒に合同作品を仕上げてもいいし、彼のセンスにまかせて私が片付けを担当してもいい。塩梅は自由だ。
ふんふん~と鼻歌でも飛び出してきそうなやさしい時間が流れていたその時、平和な静寂を突き破るがごとく、私の尻からクソデカい屁が放出された。
ぶぉおおおおーーーーーーーーーーーーーー!!
長く一回響き渡る重低音。
まるで異国の地からやってきた大型船が鳴らす汽笛のようだ。
うそだろ……。
いや、もちろん、尻のあたりでとある気体が生成されている予感はあった。私とてそこまで鈍感な体ではない。しかし、キッチンに……いや、部屋中に響き渡るような爆音を奏でるとは思ってなかったのだ。
はるかに期待値を超えてきていた。
この焦りを見抜かれまいと、私がとっさに口にした言葉は「あら、ごめんなさい」だった。
あえてゆっくりと、また少々低めに発声することで品の良いご婦人を演出した。
汽笛のような屁をこいておいて口先だけご婦人を気取ってもしょうがないのだが、そうするしかなかった。
すると、どうだろう。
息子もまたとても落ち着いた雰囲気を醸し出しながら「大丈夫だよ、聞こえなかった」とのたまったのだ。すごく優しい微笑みを携えて。
聞こえてないわけないだろ!!
下手したら隣家にまで聞こえる爆音だったわ!!!
彼の優しさをそのまま受け取ることが、彼に向けてのギフトにもなりうるのだと思うと、純度1000%のダイヤモンドのようなツッコミをそっと胸のうちにしまうしかなかった。
その後も私たちは「決して何事も起きなかった」という平然とした顔でキッチンに立ち続けたのだった。
思えば、今は亡き母も、汽笛級の屁をこいた後でチャーミングな笑顔を振りまく人だった。
いやいや母になったとはいえ、生まれ故郷は「オンナ」でしょ?
そんな風にオンナを捨ててしまって大丈夫? と確かに思っていたのに。
DNAってこわい。
気づけば私も母のようにどっしりキャッチャーのようなツラ構えで屁をこくようになってしまった。
知っている人もいるかもしれないが、ここだけの話、我慢せずにぶっ放す屁は非常に気持ちがいい。
二度の出産でカラダに生じたガタは、骨盤の緩みや抜け毛、はたまた貧血を引き起こし、しまいにはケツの穴を完全にゆるませるというとんでもない到達点に行き着いた模様だ。
これでも昔は「ぴ」とか「ぷ」とかヒヨコが鳴くような可愛い屁しかこいたことない女子だったのだ。オンナを捨てたという簡単なものではなく、生き抜く強さと解釈していただければ幸いだ。そんな私でもオンナとしてのプライドが首の皮一枚でギリギリ残っているとしたら、夫の前でだけは、まだ汽笛を鳴らしたことがない、ということだ。
可愛いといえば、新婚当時の夫の可愛らしさは、今でも忘れられない。
引っ越しをしてきたまさに新婚初夜、さて同じベッドにもぐりこもうとしたその時、はにかんだような顔でモジモジしながら夫はいったん部屋を出ていった。
え……?
ひとりベッドに取り残される私。
しばらくすると、閉めた扉の向こうから「ぶー」というオナラが聞こえた。
戻ってきた夫は顔を赤らめん勢いで言った。
「ちょっと、オナラ出そうだったから」
いや、乙女かいっっっ!!!!!!
乙女だった夫も、今ではブーブーブーブー家のどこにいても屁をこくようになった。私に完全に気を許している証拠である。悪くないだろう。
ぶぉーーーという母の汽笛に対し、父がブッ!! という短い屁の返事をしていたように、いつか私たちも屁で会話ができるようになるのか。その境地にまでたどり着けたら私たちは本物の夫婦になれるのかもしれない。
境地にたどりつくまでの街並みもゆっくりと楽しみたい、だから私の汽笛級の屁の秘密もまだ教えてあげないよッ! ジャン! とポリンキーみたいに心では思っていたのだが、その日は想像以上に早くきてしまった。
まだ暗い寝室でなんとなく目が覚める。
右側にはスース―と行儀よく寝息を立てる9才がいて、左側には私に悪気なく蹴りを入れている6才が爆睡している。
ねぼけ眼でぼんやり目覚まし時計に視線をやると針はもうすぐ六時を指そうとしていた。
あたたかいお布団の中で最高潮にリラックスした体が心地よい。この寝起きのまだぼんやりしている状態の時にこそ、人は幸せに包まれるというものだ。心と体はつながっているとはよく言ったもので敷布団に接している尻の穴が徐々にゆるんでいくのがわかった。
ぷっ……ぷう~……ぶーーーーーーーーーーーーーー……
はぁ~スッキリ! 今日も一日がんばれそうだ。
そんな事を考えているとガッチャと扉が開いて寝室から誰かが出ていく気配がした。
おん?
ゆっくりと首をまわしながら両サイドの子供たちを交互に見た。確かにいる。
ということは、あの男しかいない。夫だ。
なぜだ!
なぜ、この時間に寝室にいるのだ!!
丁寧な暮らし代表といっても過言ではない夫は、朝はだいたい五時過ぎには起きる。まずトイレを丁寧に掃除したあと、窓を開け放って瞑想をし、ストレッチで体をほぐす。そして予め沸かしておいた白湯を飲んで、整える。
気分によっては、夜遅くまで起きてポテチをバリバリやってしまうこともあるジャンキーな妻とは到底似合わないほど素敵な暮らしをしているのだ。
油断していた。
完全犯罪は夢のまた夢だ。
あーーーーー、満を持して教えるべき私の秘密をこんな形で公開してしまうとは!
一生の不覚!!
しかし、夫はその後そろーり静かに部屋を出ていった。長男同様絶対に聞こえているはずなのに何事もなかったかのような素振りだ。
しかも、後からのそのそと起きてきた妻に菩薩のような柔らかい笑みで「おはよう」と言った。
なるほど、長男が「大丈夫だよ、聞こえなかった」と言った品性あふれる優しさはこの男から受け継がれているらしい。
DNAってすごい。
てか、いつもは五時起きであれやこれやとしているのに、この日に限って寝坊してくれるなよ。
早起きして丁寧な暮らししろや!
まあいずれにせよ、私が汽笛級の屁をこけるオンナであるということは、家庭内では知らない者がいないという状況になった。
これはある意味もうチャンピオンである。何のチャンピオンかはわからないがそういうことなのである。
口が裂けてもお上品とは言い難い私のまわりを、品のある男たちが取り囲んでいることは奇跡といってもいいだろう。私が彼らに与えられるものといえば、遠くで船が鳴らす汽笛のようなロマンチシズムくらいだ。ありがたく共生させていただくことにしよう。
ところで汽笛は海上での意思表示や合図のために使われる音響の信号だ。
回数や鳴らす長さによってメッセージは変わる。
ちなみに長音を一回鳴らすのは、せまい水道や湾曲部など見通しが悪い場所へ近づく際の合図らしい。家族でのケンカや誰かの体調不良など不穏な空気が流れるときには、汽笛を鳴らそう。
今日もどこかで聞こえる私の汽笛は、家族を守るシンボルとなる……かもしれない。
パナ子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
鬼瓦のような顔で男児二人を育て、てんやわんやの日々を送る主婦。ライティングゼミ生時代にメディアグランプリ総合優勝3回。テーマを与えられてもなお、筆力をあげられるよう精進していきます! 押忍!!
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