出してからおいで(READING LIFE)

教室はみんなの劇場!~ある教師の奮闘《出してからおいで大賞》


2021/05/24/公開
芦田みのり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
(この話は、事実に基づくフィクションです。)
 
「今日の服は失敗!」
毎日気温が上がったり、下がったりで、どんな服を着ればいいのか、悩んだ末に選んだ紺のソフトスーツがだめだった。襟元も腰回りもきつすぎる。ただでさえ私は暑がりなのに、生徒で埋まった教室はさらに熱量高く、声を発するたびに息苦しく感じられる。私はまっすぐ立って、深呼吸して言った。
「宿題、やってきましたか?」
「そんなの、やってくるわけないじゃん、部活で忙しいんだから」
すかさず細身の男子生徒が茶化すように言う。
「あ、そう、君、バスケ部だったね、あーあ、宿題やってきた人には、いいことあるんだけどな……」
「え、何かくれるの?」
「そんなわけないでしょう」
生徒とのやりとりは、一種、狐と狸の化かしあいだ。そして「ああいえばこういう」となる私も悪い。生徒が宿題をやってきたノートを集めることに、まず一苦労する。
「〇〇だから、家でできなかった」「××だから、明日持ってくる」という生徒の言い訳を一通り聞いて、
「OK. Open your textbook….」
と、ようやく本題に入る。
 
「先生は、生徒の言うことに全部答えなくてもいいんだよ。全部答えちゃうから時間がかかるんだよ」
髪を伸ばした女子生徒が後からすっと寄ってきて、大人っぽく言う。
「そうだよね、でもスルーしてそのまま進めたら、私に無視されたと思わない?」
「みんな、あの子が余計なことを言ってるってわかってるから、大丈夫」
最後は、彼女が私を励ましてくれる。もっともだ。あなたの言う通り。
 
ティーンエイジャーに英語を教える仕事をしている。日々、学校でやることは分刻みで山ほどあり、ジェットコースターに乗るように目まぐるしい。私はいわゆる「偏差値の高い学校」では働いたことがない。近頃言われる、落ち着きがなく座っていられない生徒、物の整理ができず物をよく失くす生徒、忘れ物が多い生徒、時間が守れない生徒……、たちが相対的に多い場所が常に職場である。
生徒はかわいいし、授業をするのも好きなのだが、いったいどんなやり方で何をするのが生徒に合っているのか? 自分の授業のやり方を見つけるまで、私は試行錯誤の連続だった。
「日本語もちゃんと使えていないのに、英語なんかとても無理だろう」
と大人に言われる生徒たち。でも「英語」という教科だからこそできることもあるのだ。それは……。
 
もう十年近く経つだろうか。私がA高校に勤めていた時、ある年担任したクラスはとりわけ賑やかで、先に述べたような子供が多かった。クラスで参加する球技大会とか体育祭とか、体を動かすのは大好きで盛り上がるのだが、座学の教科となると途端に士気が下がっていく。4月に担任を持って半年以上経っても、私はどうすれば英語の授業で生徒と阿吽の呼吸になるのか、掴めないでいた。
「さあ、教科書を開いて」
「ありませーん」
「どこ見ればいいんですかー?」
私はかろうじて笑顔を保っている。胸がざわつく感覚を抑えるのが大変だ。窓側でぽかんとしている男子生徒の方を見て
「I君、大丈夫? 隣のU君、I君に教えてあげてね。〇〇ページの上から××行目、わかった?」
そして、廊下側を見ると、机に伏せて寝ようとしている女子生徒がいる。
「Eさん、起きてる?」
と声をかける。それからその後ろの生徒、Oを見て
「O君、いつものことだけど、提出物出さないと、減点になりますよ」
「減点って何点?」
ペナルティーを与えることで、場を引き締めようとしたのだが、しまった、妥当性のある減点率を考えていなかった。
「1点」
「なーんだ、だったら出さなくていいや。俺、テストでその分の点取るから」
Oが言うとクラスがどっと笑った。O君は、常に足を貧乏ゆすりしたり、右向いたり、左向いたり、体を動かしている生徒だ。「じっとしていなさい」と言うと、逆に退屈して机に伏せて寝てしまう。提出物をほとんど出さない。いや、出せないのかもしれない。でも大人の論理の穴をみつけるのはとてもうまくて、頭の回転が速い。
Oの言葉に対して、すぐに言い返せなかった私は、完全に彼に場を持っていかれていた。何やってるんだ、私! 授業どころでない雰囲気にされてはいけないと焦りながら
「授業中にちゃんと話を聞いて、やっていたかっていうことが、成績に関係あるんだからね」
と、かろうじてクラス全体に対して言った。ふと、「昨日負けても今日負けない」をモットーに、新任の頃いろいろアドバイスをくれたベテランのH先生の顔が頭を過る。気持ちを切り替えて、後で作戦タイムだ。
 
その頃の私は、学校帰りにカフェに寄って1時間ほど過ごすのが日課だった。仕事が終わって、真っ暗になった学校を後にすると、とたんに体はぐったりする。半面、頭はまだ興奮が冷めないので、アンバランスに疲れた感覚が残っている。気持ちがすっきりしなくてそのまま家に帰れず、クールダウンが必要だった。
チェーン店のカフェの2階席でBGMのジャズを聴く。じわーっと涙が出たこともあるし、面白いことを言った生徒を思い出して、一人でにやにやしていたこともある。
そうだ、作戦、作戦。ええと、生徒が座って居られないというのなら……。
 
次の授業で、私は言った。
「Stand up, please, さあ、立って。ペアワークをします。終わるまで座らないでね」
「今まで食べた一番おいしいラーメンについて、ペアの人に話してください。Tell your partner the most delicious Ramen you have ever eaten.」
「えー、ラーメン? 細麵って何ていうの?」
「ええとね、thin noodle.」
教室が、がやがやし始める。意外と楽しそうだ。途中から日本語になってしまうペアもあったけれど、それぞれお気に入りのラーメンの話をし、地域のラーメン屋を教え合っていた。よし! 成功。
そうやって、立ったまま、何種類かの口頭練習をした。生徒は、飽きるとぐたっとするから、飽きる前に次の作業に移る。タイミングを計るのが肝心だ。
「ねえ、先生、疲れたから座りたい」
と、生徒が言い出した頃、
「では、これから紙を配りますから、今の会話の内容を書いてください。綴り字がわからなかったら、調べるか、友達か私に聞くか、してくださいね。まずはお互い助け合って……」
と言って、次の課題に移った。
 
その日も、私はチェーン店のカフェに寄って帰った。新しい方法が成功した喜びで興奮し、まっすぐ家に帰れない心持ちだった。
教師である私も、実はうまく物の整理整頓ができず、スケジュールは間違えるし、人前に立って目立つようなカリスマ性もなく、コミュニケーション上手とも言えなかった。自分だって思うようにならない自分を抱えているのだから、子供たちの学習に向かう態度や、やり方が悪いとは到底言えない。自分が教室で発する言葉に信憑性があるのかも、自信がなかった。そして、かなり個性が強く頑固で自分の意見を曲げない人が多い、教師集団の人間関係にも悩んでいた。
「生徒も自分も同じかも」と苦笑する。物を順序立ててできない、集中力が続かない、などで生徒が苦労しているなら、教師ができる限りやり方を工夫したほうがよい。生徒が忘れ物をして提出物が出せないというのに対して、はてさて、どうするか……。
 
あのカフェで、夢中になって本を読んで帰った日もあるし、小テストの採点をしていたこともあった。単にぼーっと時間を過ごすだけのこともあった。いったい私はコーヒー代にいくら費やしたのだろう? かなりの額だ。まあ、お酒を飲んで帰ったわけではないから、許すとするか。
私は、今は別の街に引っ越していて、当時住んでいたアパートの最寄り駅に立ち寄ることもないから、その小さな店は思い出の向こうに行ってしまった。しかし、今でも時々、学校のこと、授業のことで悩む時、私はあの間接照明のちょっと暗い2階席にいるような気分になる。
いつも同じ席に座っていた。あの場所で、私なりに、ひらめきがいくつもあったのだから、毎回のコーヒー代の数百円は高すぎはしなかっただろう。何事も自分で考えることと、作戦を持つことが大事だと、今も思っている。
 
その次の時間、私は、その日のレッスンの全ての情報を簡略化して1枚のシートにしたプリントを、教室に持って行った。単語の意味、「現在完了」などターゲットとなる文法、内容に関わる質問、アイデアを聞く英問英答などがそのシートにはあった。
「まず、ペアで教え合って単語の意味を全て書いてください」
「単語の意味は書けましたか? では、次はジェスチャーゲームです。ペアになって、一人が単語をジェスチャーで表してください。相手の人は、何の単語かわかったら、それを英語で言ってください。You tell the word by gestures. OK? 日本語はだめですよ。さあ、始め!」
「えー!」
と、教室がざわつく。構わず進める。
「あ、I君、ジェスチャーうまいね。これなら絶対わかるよ。U君、これ何だろう?」
「Telephone!」」
「Yes! そうそう、大正解」
ジェスチャーを使う活動は、具象語の時はよいのだが、friendship (友情)などの抽象語になると難しい。でも、構わず生徒にやらせていれば、そのうち自分たちでやり方を見つけるものだ。例えジェスチャーが下手でも、ペアでそれを笑えるならいいではないか。
あれ、いつも屁理屈を言うO君、どうしてるかな? そうか、あの子、ジェスチャー上手なんだ。意外と楽しそう……。
授業を楽しもうと思った瞬間、私も気が楽になった。
「次にね、このレッスンは、サメに足を喰われてしまって、それでもサーフィンにチャレンジした人の話なんだけど、もしみんなが彼女の立場だったら、どんな気持ちになって、何をすると思う? 書いてみてください。 If you were in her place, how would you feel? And, what would you do?」
「その日のことはその日のうちにやってしまいましょう。今日ここでできることを、できるところまでやって提出していってください。宿題は、なしです。 You do it here and now. No homework today.」
 
毎回の授業が、生徒も教師もお互いに楽しめて成功というわけにはいかないが、私はできる限り授業の中で、生徒の思いや、考えを聞きたいと思う。他の教科で、喋ったり、演技したり、表現したりできる授業はないだろう。それなら私は、自分を表現するひとつの手段としての「英語」を生徒に伝えたい。みんな、自分の意見を言っていい。自分の思った表現をしていい。誰もが主役で、サポートする脇役でもあり、教室がみんなの劇場になればいい。
 
そして私は言った
「今日は何の日? What kind of day is it, today?」
「Halloween!」
「Yes, it’s Halloween! そうハロウィーンだね」
私はチョコレートやキャンディーなどのお菓子の入ったバスケットを出して、生徒に見せる。
「何て言うのかな? Do you know what you have to say?」
「Trick or treat!」
教室中が「トリック・オア・トリート」の大合唱になる。
「では、課題をこちらに提出したら、私のところに来てお菓子をもらってください。課題を出した人だけですよ」
念押しして、私は待つ。お菓子が欲しい生徒たちは、一瞬しんとした。ある者はゆっくり考え、ある者はサーッと潔く課題用紙に文を書くと、次々と教師の元へやって来た。
「Trick or treat!」
みんな、にこにこしている。
「割り込まないで、お菓子、みんなの分あるから。先に出した人から列になってね」
と、私は生徒の流れを整理し、一言ずつ声をかけた。
「I君、今日は真剣にやってたね。OK! Eさんも、ジェスチャーよかった」
Oがいたずらっぽい目をして、列に横から入って来た。
「O君、だめだよ。課題まだでしょ。出してからおいで」
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
芦田みのり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

教職に就いて働く傍ら、都内で、詩を書いて朗読するパフォーマンスや、朗読会を開く活動をしている。趣味は書道と登山。

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