株式会社ドッペルゲンガー:第1話《小説連載「株式会社ドッペルゲンガー」》
Web READING LIFEにて、新作小説の連載がスタートいたします!
近未来の日本で、最新科学技術で作り出した自分そっくりのアンドロイドを使用する人たちの群像劇。
編集長も太鼓判の作品です。ライター・吉田けいが創り出す、ダークな世界観をお楽しみください。
記事:吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)
「自分がもう一人いたら、と思ったことはありませんか?」
深夜の適当な番組を見ていた俺の口から、さきイカがポロリと落ちる。
「最先端生命科学のAI、3Dで再現する人工皮膚、精密アンドロイド。あなたをそっくりそのまま再現いたします。──そう、ドッペルゲンガーのようにね」
それはCMだった。イケメンが洒落たスーツを着て説明しているところに、反対側から全く同じイケメンが出てきた。二人はがっしりと握手を交わす、合成ではない、とテロップが出る。
「メモリーシェア機能で、どこで何をしていたか、共有することができます。仕事は休めないけどリフレッシュしたい。仕事や家事、複数のプロジェクトをうまくこなしたい。家族や同僚に負担をかけるより、信頼できる自分自身に頼むのが安心です。身体は二つ、心は一つ」
短期レンタル、長期レンタル、購入。ご要望とご予算に合わせて各種プランを取り揃えております。詳細は株式会社ドッペルゲンガーのWebサイトにて。CMはそう締めくくった。
「ドッペルゲンガー……?」
次のCMが流れている間は放心していた。見ていた深夜バラエティが再開したところで、俺はのそりと身体を起こしてあぐらをかいた。ついでにさきイカを拾って噛む。
上京して九年。就職して五年。仕事ではヘマばかりしているが、ようやく多少のことはできるようになった、と思っている。ついこの前ボーナスが出たが、彼女もなく、学生時代の同期と会うとみんなそれぞれ活躍していて気後れする。金のかかる趣味もない、一人で旅行に行くのも味気ない、かといって貯金するだけは虚しい。そんなことを考えながら、金曜の夜に、一人で晩酌しながらだらだらとテレビを見ていた。
さきイカをもう一本齧り、発泡酒を飲む。ため息をつきながらテレビ画面を見てみるが、もう内容は頭に入ってこない。スマホで検索してみると、株式会社ドッペルゲンガー、すぐ見つかった。値段は、思ったほど高くなかった。高級車のレンタルと同じくらい?
「もう一人の俺か……」
ボーナスの使い道を思いついて、俺はうきうきとスマホを弄った。
ドッペルゲンガーは、もともとはオカルト的な言葉で、自分にそっくりな人間のことを言うそうだ。ドッペルゲンガーを見ると三日以内に死ぬ、なんて言われていたが、これはアンドロイドなので死ぬことはないらしい。脳波を測定して、申込者の人格を移植したAIを作る。身体も測定して、申込者の体型を再現する。それらを合体させてできた「もう一人の自分」をレンタルしているそうだ。
「二泊三日レンタルでお申込の朝山陽平様ですね。お待ちしておりました」
「あ、はい」
株式会社ドッペルゲンガーは、都心の一等地に綺麗な店舗を構えていた。全面ガラス張りの店内に、アンドロイドがずらりと並んでいる。まだメタルボディのアンドロイドらしい見た目だが、この上に人工皮膚をかぶせて使うのだろうか。予約名を告げると、受付の小柄な女性がにっこり笑って応対してくれた。
「朝山様、ドッペルゲンガーの最終調整をさせていただきますので、こちらにお願いいたします」
「あ、はい」
女性に言われるまま、小部屋で脳波を測るというヘッドギアを付けたり、全身をスキャンされたり、歩いたり座ったりした。どれもあっという間、健康診断よりも早い。
「はい、終わりです~」
「早いですね……」
「これから最終調整をいたします。待合スペースでお待ちください」
待合スペースは、店に入ってすぐ、簡素なテーブルと椅子がいくつも並んでいた。俺の他にも何人かまばらに座っている。すぐ横にはメタルボディのアンドロイド、この会社のCMばかり流しているディスプレイ。俺のドッペルゲンガー、どんなんだろうな。スマホでネットサーフィンして十五分ほど経っただろうか、お待たせしました、とお姉さんの声がした。
短く刈り込んだ黒髪。中肉中背。さしてイケメンでもない、普通の顔。
お姉さんの横に、俺が立っていた。
「……そんなにびっくりすんなよ」
俺が、俺の声で、ニヤリと笑う。
「わ、わ、わ、もう喋るんですね」
「お前、お姉さん綺麗だからってキョドるなよ」
「う、うるさ」
口をパクパクさせる俺の隣に、俺がどかりと腰かけた。違うのは服だけだ。向かいにはニコニコ笑っているお姉さんが腰かける。
「朝山さまのドッペルゲンガーをご用意いたしました。仕上がりはいかがでしょうか?」
こくこくこく。
俺はハトみたいに頷くしかできない。隣の俺──ドッペルゲンガーの俺は、それを見てやっぱりニヤニヤ笑っている。ああ、もし俺がもう一人いて、俺がもう一人の方の俺だったら、やっぱりニヤニヤするよなあ。混乱した頭の隅でそんな事を考えた。お姉さんは書類を取り出し、さっきのヘッドギアのような機械を取り出し、ご利用方法説明です、と話し始めた。
「本日から、二泊三日のレンタルにてご予約を承っております」
「あ、はい」
「ドッペルゲンガーとのメモリーシェアには、こちらのヘッドギアをお使いいただきます。ドッペルゲンガーの背中に端子がありますので、こちらを差してお使いください」
「はあ」
お姉さんが機械を持ち上げて、差込口のところを俺に見せる。俺が首を傾げていると、ドッペルゲンガーが、俺の手を取って自分の背中を触らせた。服の下は人間と変わらない、ぬるい皮膚の感触。その途中に、唐突に人工的な四角い突起があるのが分かった。
「これな」
「ほんとにドッペルゲンガーなんだな……」
「何言ってんだよ今更」
「そちらが端子でございます」
お姉さんは俺たちを見比べてニコニコ笑いながら説明を続けた。得意げなのも俺、うろたえてるのも俺。うわ、なんか恥ずかしい。
「メモリーシェアは、一日分でしたらおよそ十分で終了いたします。なお、レンタル日数を超過してメモリーシェアを実行しますと、ドッペルゲンガーAIにバグが生じることがございます。過度なメモリーシェアはご遠慮ください」
その他、充電方法や返却方法など、こまごました説明を受ける。最後に規約同意書に署名。
かくして、入店した時は一人だった俺は、俺と連れ立って店を出た。店から自宅までは電車と徒歩だ。
「おい、お前、よ、陽平」
「ん、何だ、陽平」
店から駅までの道すがら、俺が呼ぶと、俺の横を歩いていた俺がこちらを振り返った。俺ってこんな顔してんのな、鏡でみるのと少し違う。ものすごい違和感に、何か頭が痛くなってきた。俺はこんなこともあろうかと、用意していたサングラスを取り出した。
「おんなじ人間が二人歩いてたら変だろ、お前これしろよ」
「は? 同じ顔なんだからお前がしろよ」
「は!?」
言い返されて愕然とする俺。それをニヤニヤ見ているのも俺。何も言えずにいる俺を見て、冗談だよ、と笑いながら俺が俺の手からサングラスを取り、さっとかけてまた歩き始めた。
かくして、俺とドッペルケンガーの三日間が始まった。
次の日の朝。
「よし、ゲン! お前はどこからどう見ても朝山陽平だ!」
俺は奴をゲンと呼ぶことにした。ゲンに俺のスーツを着せ、仕事鞄を持たせると、どこからどうみても出勤前に鏡の中にいる俺そのものだった。いや、顔がくたびれてない分、いつもの俺より男前かもしれない。
「今日のタスクはほぼ事務処理だけだ! 健闘を祈る!」
「イエッサー!」
俺が敬礼のポーズをすると、ゲンもノリノリで同じポーズをし、ニヤリと笑った。初日の今日は、ゲンが仕事に行き、俺は家にいることにした。今の生活にまあまあ満足しているけど、学生の頃と比べて、どうしても時間がとりにくくなってしまったものがある。
それは、ゲーム!
「うひゃー! オラオラオラオラー!!!!!」
ゲンが出社した後、買ったはいいが一度も手を付けていなかった新作ゲームの封を開けた。ゲームの世界観にどっぷり浸かりたいから、新作はまとまった時間でプレイしたい。でも、仕事で帰宅した後は疲れて出来ないし、土日はゲームをやる気力もない。ただただ発売日から日数だけが過ぎていき、通勤電車の中で、思う存分ゲームしたいなあ、と思っていたのだ。平日から会社をサボって、今日はゲーム三昧だ! あ、ゲンが出社してるからサボってるわけではないのか。
「うおおおおお!」
「わー! なんだこりゃー!」
昼ご飯は買い置きのカップラーメン。
「くっそーどうしてもこいつが倒せねえ!」
「やった、召喚獣ゲット! SSRだ!」
ゲームのストーリーが一段落。窓の外を見ればもう夕方も通り越してとっぷり日が暮れている。さすがに腹減ったな。夕飯どうしようか、と思ったところで、ただいまー、とゲンの声が玄関からした。
「陽平どうだーやってるかー?」
「おーお疲れ! SSRゲットしたぜ!」
「お! あとでメモリーシェアするの楽しみだな! 夕飯買ってきたから食えよ」
「マジで!?」
そう言いながらゲンはコンビニ袋を差し出してきた。中身を覗いてみると、レンチンするタイプのラーメンと、唐揚げ串、それから発泡酒とさきイカ。
「おおお~さすが俺! 好みドンピシャ! 分かってんじゃーん!」
「当たり前だろ~俺なんだから」
「ありがとな!」
「だろだろ~」
ゲンはニヤニヤしながら、調子に乗って俺のことをつんつん小突いてきて、それから部屋着に着替えに行った。
いやー、いいな、ドッペルゲンガー!
部屋着に着替えたゲンは、メモリーシェア用の機械と一緒に戻ってきた。
「さて、じゃ、忘れないうちにメモリーシェアしちまおうぜ」
「え、忘れるもんなの、AIなのに」
「生身の人間が普通に『一日を思い出す』ってやるのに似た感じだな。時間が経てば細かいことはどんどん忘れていく仕様だぞ」
「ふーん」
ほれほれ、と促されるままに、俺はヘッドギアを頭につけた。お姉さんが付けてくれたものに比べたら、ずいぶん簡単な作りだ。目のところはゴーグルのようになっていて、記憶を映像として見ることが出来るらしい。
「ほれ、差し込んでくれ」
ゲンがTシャツをまくり、背中を見せる。ゲンの背中は俺と変わらない柔らかな表面だ、でもほくろだとか毛だとかそういうのが一切ない。顔以外のそういうオプションはものすごく高かったのでつけなかったのだ。のっぺりとした背中の、肩甲骨よりも少し上のあたりに、唐突に無機質な黒い四角が埋め込まれている。俺はプラグを差し込み、ヘッドギアのゴーグルを目にかぶせる。それを見て、ゲンが行くぞー、と声を出した。
お、ゴーグルになんか映し出されたぞ。
これはいつもの通勤経路だな。いつも俺が見ている風景──ゲンの視線そのままだ。
「特に印象に残らなかったことは端折る機能がついてるぞー」
ゲンの声とともに、視界がぱっと変わる。会社の自分のデスクに座っている俺。通勤は端折られたんだな。今日中に入力したい山積みのデータと格闘しているゲン。俺ならうんざりして間違えそうなものだが、ゲンはAIだからか、淡々とこなしているようだ。見ていると不思議と、その時ゲンが考えていたことが頭に響いてくる。
このお客様、納期が分かったら一報してくれって言ってたな。
こっちは金額で渋ってたから、ペンディングしないように課長に相談に行かないと。
同僚に声をかけられたり、電話応対したり、美人のミキちゃんが書類をばらまいたのを助けてあげてニッコリされたり。おい、なんでお前がミキちゃんと話してるんだ!
「終わりー」
ゴーグルの映像が消えて、ゲンが声をかけた。俺はヘッドギアを外し、ゲンの背中からプラグを抜く。
「いやー、お前マジでずっとゲームしかしてねえのな。進みすぎてて引いたわ」
メモリーシェアは、ドッペルゲンガーの方にも今日の俺の記憶が見えるらしい。俺は全然意識してなかったが、ゲンは俺の今日のプレイ動画をずっと見ていたということになる。
「おま、それより、ミキちゃんと話してんじゃねえか!」
「ラッキーだったよな~ミキちゃん可愛かった」
「ずるいぞ!」
「ずるいって、いいだろ、俺はお前なんだから。明日はお前の番だぞ」
ゲンはニヤニヤしながらヘッドギアをしまいにいった。そう、明日は俺とゲンが交代する。明日はずっと準備していたコンペなので、自分自身でやり切りたかった。その代わり、ゲンは家にいて、この散らかりまくった家の大掃除をすることになっている。
「掃除で土日潰すって思うとやる気なくすんだよなあ。かといって平日帰ってからやるのも面倒だしなあ。いやー分かるぜ陽平。俺はお前だからな! ここは俺様が最っ高に綺麗にしといてやるぜ!」
「頼むぜゲン!」
「おう!」
ゲンは大声で笑いながら、俺の背中をバシバシ叩いた。
次の日、俺はいつものように出勤して、コンペのプレゼンを頑張った。取引先の会社を出たところで、上司がよくやったと背中を叩いてくれたので、まずまずじゃないだろうか。帰社すると、ミキちゃんが「昨日はありがとうございました」とはにかみながら話しかけてきたので、「また重いもの運ぶ時あったら声かけてよ!」と精一杯さわやかに微笑んでみた。
コンペ成功の打ち上げしようかという話になったけど、気が抜けて体調悪いと言って急いで家に帰った。打ち上げは別の日にやるだろうから別にいい。そんなことより、今日帰ったら家がどうなっているかがすごい気になる! 俺は牛丼チェーンで大盛をテイクアウトして、走るようにして家に帰った。
「ただいま!」
「おー、おかえり、早かったな」
奥から聞こえるゲンの声。扉の中、楽しい我が家は、俺の想像を絶する変身を遂げていた。出しそびれていたゴミは処分され、洗濯物は洗って畳んで収納済み、キッチンや風呂場はピッカピカ。家が清浄のオーラを放っているようだ、ま、まぶしい! 更に、断捨離してよさそうなものを集めたから、メモリーシェアで確認しろという。
メモリーシェアすると、ゲンは朝からうきうきと掃除しまくりだった。確かに三年に一度くらい、掃除の神が俺に宿ったんじゃないかというような勢いで掃除をすることはある。まさにそんな勢いで掃除しまくっていた。
「どうよ!」
「いやーさすが俺! やればできる子!」
「だろー!」
ゲンは得意げな顔で俺の背中をバシバシと叩いてきた。
「いって! 調子乗んな俺!」
「うるせー感謝しろ俺!」
俺が小突き返すと、ゲンもまた小突いてきて、二人でゲラゲラ笑った。
それから、俺は牛丼を夕飯に食べた。ゲンは食事をしないので、その横でテレビを見ながらのんびりしている。明日はもうゲンの返却日だ。だから今日の夜は、ゲンと俺にしかできないことをする。ドッペルゲンガーのレンタルで、一番やりたかったことだ。
「あんときの課長さ、マジあり得ないって!」
「それな! 絶対確信犯だよな!」
「じゃなきゃあそこで言わないっしょ! ほんとしてやられたわ!」
名付けて、俺の、俺による、俺のためのカタリバ大会!
社会人になって、なかなか腹を割って話せる仲間が減った。同じ境遇を共有している人が少なくなったせいかもしれない。毎日業務でお互い余裕がないせいかもしれない。学生時代の友人は相変わらず気心知れないが、仕事の話はどこか他人行儀に話すようになった。今俺が考えていること、今俺が誰かに聞いてもらいたいことは、彼女もいない俺は誰にも話す機会がなかったのだ。いや、彼女がいても、「デート中に仕事の話なんかしないで!」っていうタイプかもしれない。
あーあ、俺がもう一人いたら、いろいろ愚痴れるのになあ。
そんなとりとめもない思いを、俺とゲンは語り合った。
最初は仕事の話をちょっとできればいいなくらいに思っていたが、そのうち話題はあちこちに飛んだ。友達といてモヤッと感じた時、誰にも話していないがクラスのマドンナからラブレターをもらったこと、父ちゃんあるある話、面白かった漫画。話題は尽きなかった、どんな話も共感ポイントは同じで盛り上がった。当たり前だ、ゲンは俺なんだから。
話して話して、夜が更けて朝が来て、あっという間にゲンを返却する時間になった。俺は徹夜で、牛丼の後にカップラーメンを食べただけだからヘロヘロだ。ゲンは充電しながら話していたので大丈夫らしい。ヘッドギアなどをとりまとめて、初日に着て来た服に着替え、寂しそうな俺の顔でゲンが切り出した。
「じゃあ、行こうか、陽平」
「……なあ、ゲン。返却日当日って、メモリーシェアしたらいけないのか?」
「しちゃいけないってわけじゃないけど、……頻繁にやるとバグが出ることがあるぞ」
「いや、昨日の夜? 今日? すっげー楽しかったんだよ。ゲンは俺だからメモリーシェアしても同じなんだろうけどさ」
ゲンが綺麗にしてくれた部屋に西日が細く差し込んで、ゲンの足あたりを照らしている。
俺も、ゲンと同じような寂しそうな顔をしているだろうか。
「なんか、楽しかったからさ。お前も同じだったのかなーって。ゲンは返却されたら、メモリーは消去されちまうんだろ。ちょっと、勿体ないなってさ」
「陽平……」
ゲンは笑う。しょうがねえな、って思っているのは言わなくても伝わってくる。
だって、ゲンは俺で、俺はゲンなんだから。
最後のメモリーシェアをして、俺たちは株式会社ドッペルゲンガーへと出発した。
「朝山様、お帰りなさいませ。ドッペルゲンガーの返却手続きでございますね」
「あ、はい」
「ただいま」
株式会社ドッペルゲンガーのガラス張りの店舗。あの時のお姉さんがまた出迎えてくれた。持ってきたヘッドギアなどを返却したら、いよいよ俺とゲンはお別れだ。
「この度は誠にありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」
お姉さんの言葉に、俺たちは二人でお辞儀をした。そして向かい合って、見慣れすぎた自分の顔をみて、お互いニカッと笑う。
「じゃあな、陽平」
「じゃあな、ゲン……陽平」
がっしりと交わす握手。
「では、僕はこれで」
ゲンはそう言うと、強がるような笑顔を浮かべて、俺に背を向けて歩き出した。そういうとこ、アンドロイドでAIだけど、最後の最後までお前は俺なんだな。俺も、家に帰ったら寂しくなるなあ。発泡酒じゃなくてビール買って帰ろうか。
そんなことを考えながら、ゲンの背中を目線で追う──ゲンは、しょぼくれた足取りで、店の外に出て行った。そのまま、人ごみに紛れて、見えなくなってしまう。
……店の、外?
「さて、0917号、ご苦労様でした。クリーニングルームに向かってください」
「……え?」
隣の受付のお姉さんが、俺を見上げてそう告げていた。営業スマイルではない、事務的な声と表情だ。
「え? だって、え? 俺……」
「あれ、認証されなかったのかな。0917号、クリーニングルームへ」
「いやいやいや、冗談きついですって! 俺は朝山陽平で、あっちがドッペルゲンガーで」
背筋が凍りつく。喉が苦しくなって、呼吸ができない。
お姉さんは顔面蒼白の俺をみて、面倒くさそうにため息をついた。
「あー……バグかあー。工藤さん、0917号バグです、お願いします」
「マジか、了解」
お姉さんに呼ばれた男が、面倒くさそうな顔をして俺の方に歩いてきた。その目線は冷静で面倒くさそうで、クレーム報告をした時の上司のような眼だ。無造作に俺に手を伸ばしてきたので、慌ててそれを振り払う。
「いやそんな、待ってください、俺は朝山陽平です!」
駄目だ、話が通じない!
ここにいたらなんかやばい、とにかくゲンと合流しないと! あいつのことだからまっすぐ家に帰ってるはずだ、駅で捕まえられるはずだ!
「0917号、強制停止しまーす」
走り出した俺の手を男が掴み、手のひらの親指を変な方向に捻った。あり得ない感触に俺は顔を歪め──痛みは感じなかった。手の甲に青い光で「強制停止」の文字が浮かび上がり、親指はもぎ取られて男の手の中にある。断面は金属的で、端子とプラグが見える。
「は……?」
声を出そうとしても口が動かない。動こうとしても指先一本動かない。
なんだこれ! 俺は、朝山陽平じゃなかったのか?
じゃあ、さっき出て行った奴が、朝山陽平だったのか?
「0917号、強制シャットダウンしまーす」
耳元で男の声がして、誰かが俺の背中に触れ──
ガシャン。
「ふう。暴れる前で良かった」
シャットダウンされたアンドロイドは、力なくその場にへたり込み、工藤がその肩に担いで店舗の奥へと連れて行った。ざわついた店内、残された受付の女性に注目が集まる。
「皆さま、失礼いたしました。過度にメモリーシェアをしますと、このようにバグを起こすことがございますので、ご利用の際はご注意ください」
女性がにっこり微笑んで一礼する。店内には安堵の空気が流れ、やがてまたざわめきが戻る。レンタルに訪れる人、購入を検討する人、商品の説明をする店員。どの人間も、アンドロイドの叫び声の理由など、微塵も気にしていなかった。店内の壁にかけられたテレビでは、株式会社ドッペルゲンガーのCMがずっと流れている。
「身体は二つ、心は一つ。もう一人の貴方との、かけがえのない時間をお作りいたします。株式会社ドッペルゲンガー、貴方のご利用をお待ちしております」
❏ライタープロフィール
吉田けい(READING LIFE公認ライター)
1982年生まれ、神奈川県在住。早稲田大学第一文学部卒、会社員を経て早稲田大学商学部商学研究科卒。在宅ワークと育児の傍ら、天狼院READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。趣味は歌と占いと庭いじり、ものづくり。得意なことはExcel。苦手なことは片付け。
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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