株式会社ドッペルゲンガー

第3話 「俺たち、家族だろ」《小説連載「株式会社ドッペルゲンガー」》


Web READING LIFEにて、新作小説の連載がスタートいたします!
 
近未来の日本で、最新科学技術で作り出した自分そっくりのアンドロイドを使用する人たちの群像劇。
 
編集長も太鼓判の作品です。ライター・吉田けいが創り出す、ダークな世界観をお楽しみください。

第2話はこちら!

第2話 「ミキとミラ」《小説連載「株式会社ドッペルゲンガー」》

記事:吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 

今日は仕事が早く終わった。
もっと長くかかるかと思っていたが、外出アポイントがあっさり終わり、そのまま直帰できることになったのだ。近くのカフェで日報とメールチェックをして、席を立つ前に家族のグループLINEに「早く帰れる、お迎えか買い物するよ」とメッセージを送る。駅に着く頃には、「じゃあお迎え頼みたい! 助かる!」と返信が来て、OKスタンプを返信した。
 
都心の職場から自宅まで電車で一時間ほど。ラッシュより少し早い時間、座れないけれど吊革に捕まってスマホをいじっていればあっという間だ。最寄り駅に着いたら、娘の保育園まで徒歩十分。暮れてゆく空はまだ少しだけ明るくて、街には人通りがたくさんある。車、子供、自転車、ママ、お年寄り。俺みたいな仕事上がりのサラリーマンはそんなに多くない。仕事とは全く違う世界が街には溢れているんだな。
 
保育園が見えてくると、娘と同じくらいの年頃の子と、連れ立って歩く親の姿が増えてきた。なんとなく視線をやってしまうと、にっこり微笑まれて、俺も慌てて会釈を返す。もしかして同じクラスの子だったのかな、ちゃんと挨拶すればよかった。
 
共働きが当たり前のこの時代、お迎えに来るのはママとは限らない。パパにジジババ、おじおば、それぞれの家庭環境に合わせて、あらゆる人が助け合ってお迎え業務をこなしている。今日は俺の番だから、しっかりこなすぞ。保育園が見えてきて、気合を入れて鞄を持ち直すと、正門の前に人影があるのが見えた。今出てきた様子でもない、誰かを待っているみたいだ。パパっぽい年齢の男と、女の子。女の子は道端に座り込んで、雑草をちょんちょんといじっている。
 
パパっぽい男は、チノパンにTシャツ、それからパーカー。手にはネギがはみ出た買い物袋を提げている。身長は人よりちょっと高い、180cmにいかないくらいか。あごひげなんかはやして、オシャレな雰囲気を気取っている。そいつは俺が歩いてくるのを見つけると、空いている方の手を挙げて、二カッと微笑んだ。
 
「おう、お疲れ、パパイチ」
 
俺は、仕事帰りだからスーツにネクタイ、仕事鞄。180cmにいかないくらい、中肉中背、あごひげなんてもってのほかだ。
 
「お疲れさん。買い物早かったんだな、パパツー」
 
俺の声に、女の子──娘の恵真がこちらを向き、パッと顔を輝かせて、俺の膝あたりに飛びついてきた。
 
「パパ! おかーり!」
「ただいま恵真。パパツーが先に来てたんだな」
「うん! かいもの、おわって、きた! パパくるって!」
「そうかそうかー」
 
じゃれてくる恵真を抱き上げて、俺たちは視線を合わせる。少し高い背、醤油顔、最近もったりしてきた身体。違うのはあごひげと来ている服だけの俺たち。
 
「よし、じゃあ三人で帰るか!」
「かえろー!」
「ママごはん作って待ってるぞー!」
 
そう、こいつは、俺にそっくり似せて作ったドッペルゲンガーなのだ。
俺と俺と恵真は、三人仲良く手をつないで、暮れなずむ街へと歩き出した。

 

 

 

俺の名前は神田正樹。娘の名前は恵真、世界一愛くるしい三歳児だ。その恵真の反対側の手をつないでいるのが、俺のドッペルゲンガー。アンドロイドに人工皮膚をかぶせて、俺の記憶をコピーしたAIを搭載している。俺との違いはひげがあることだ。当初、俺と妻は「ひげまさ」と呼んでいたが、恵真によって「パパツー」となった。そして俺はパパから「パパイチ」となった。ワンじゃなくてイチなのは語呂のせいだろうか。
お迎えが二人で相当嬉しかったのだろう、恵真は途中ぐずることもなく、アニメの歌を繰り返し歌いながら家に着いた。
 
「ただいま!」
「ママー! ただいまー!」
「ただいま」
 
買ったばかりのマンションの一室。いつか戸建てに住みたいが、でも賃貸より買ってしまった方が将来活かせるだろうとちょっと奮発した。広めのリビングダイニング、リビングに繋がっている和室、寝室。子供が小さいから今はこれで十分だ。ここに帰ってきて家族で食事をするのが、俺の何よりの楽しみだ。ドアを開ける前から、けたたましい赤ん坊の泣き声た響き渡っていて、なんとなく何が起きているのか想像はついた。
 
「お帰りー待ってたよー!」
 
家の奥から、妻の璃奈がパタパタと歩いてきた。トレーナー地のくたびれた部屋着を着て、腕に生まれたばかりの赤ん坊を抱いていた。ついこの前生まれたばかりの恵真の弟、悠真だ。璃奈の腕の中で、顔を真っ赤にしてのけぞって、全身全霊の声で泣きまくっている。
 
「寝てる間に料理しようと思ったけど、宅配便が来て、インターホンで起きちゃった……」
「ママー!」
 
恵真が璃奈に飛びつく。璃奈は悠真を抱いたままその場にしゃがみ、器用に片手で恵真を抱きしめてやった。ママ、ママ、と甘える璃奈、なんて可愛いんだ。俺がにへらと鼻の下を伸ばしていると、璃奈がよし、と何か気合を入れた。
 
「恵真、お腹すいたでしょう。ごはんもう少しだから待っててね」
 
立ち上がる璃奈。
ちらりと、俺と俺──パパツーを見る。俺とパパツーもお互い顔を見合わせ、よし、と無言でじゃんけんをした。
結果は俺が勝ち、パパツーが負け。
 
「よっし! 恵真、ごはんできるまでパパイチと風呂入ろうな!」
「やだ! 恵真テレビ見る!」
「ママ、料理どこまで進めた?」
「味噌汁に味噌入れようとしたとこで断念した、あとは全然、ごはんは炊けてる」
「了解!」
 
俺はガッツポーズをしながら恵真を抱き上げ、とりあえず自分のスーツを脱ぐためにクローゼットを目指した。パパツーはキッチンに向かって料理の続きをするようだ。後ろから、璃奈のよろしくね、という声が聞こえた。リビングのソファーでゆっくり授乳するのだろう。子供がいる家なら、夕飯時というのは一番忙しい時間帯だ。だから俺たち三人はいつもこうやって助け合う。悠真のオッパイは璃奈しかできないから、俺とパパツーで恵真の世話と夕飯の支度をどんどんこなしていく。
 
「おふろやだー!」
「ほら行くぞー水鉄砲しようなー」
「テレビー!」
 
俺のスーツを脱いでハンガーにかけ、恵真のパジャマを手に取って、風呂場に向かう。通りすがりのキッチンからは、何かトントンと包丁の音が聞こえてくる。リビングのソファからは、璃奈の鼻歌。みんながみんな、自分の持ち場を迅速にこなしている、俺は風呂で自分を洗い、恵真を洗い、ちょっと遊ぶ。素っ裸でリビングに行きたがる恵真を捕まえて、保湿クリームを塗り、パジャマを着せる。おっと、自分もパンツと部屋着を着るのを忘れちゃいけないぜ。
 
「パパツーおふろでたよ! ごはんなに!?」
 
恵真がリビングに走っていくと、対面式キッチンの横にあるダイニングテーブルに、パパツーが配膳しているところだった。その皿に乗っている黄金色の塊を見て、きゃー! と恵真が嬉しそうな声を上げた。
 
「からあげだあ!」
「パパツーがんばったぞーうまいぞー。おはし配るの手伝ってくれー」
「うん!」
 
恵真がニコニコしながらお手伝いを始める。俺もそれに加わって、味噌汁をよそったり、コップを配ったり。食卓の準備が整う頃、璃奈と悠真もこちらに合流した。
 
「落ち着いたか? 悠真の分もあるぞ」
 
パパツーが仕切り皿に載せた離乳食を食卓に載せる。もったりしたおかゆ、角切り野菜と唐揚げの衣を外して刻んだやつをドロドロにしたものなど、うまく盛り付けしてある。璃奈は悠真を子供椅子に座らせ、エプロンをつけてやった。
 
「わあ、ありがとう! 悠真のまんまだよー、嬉しいねえ、おいしそうだねえ。おっぱい飲んじゃったけど一緒に食べようね」
「ママ! からあげだよー! ママはえまのよこ!」
「うん、恵真も一緒に食べようね、おいしそうだねえ」
 
恵真が璃奈に飛びつき、璃奈は今度はしっかり両手で小さな体を抱き上げた。そのまま恵真も子供椅子に恵真を座らせて、自分もその隣に座る。
 
俺と、パパツーも、一緒に食卓に着く。
 
「じゃあ、食べちゃおうか!」
「からあげ!」
「それじゃあ、今日も皆さまお疲れさまでした!」
 
『いただきまーす!』
 
家族で囲む楽しい食卓が、今日もまた始まった。

 

 

 

ドッペルゲンガーが欲しい、と璃奈が言い出したのは、悠真が生まれる前、二度目の産休に入って少しした頃だった。学生時代の友達とランチに行くと言っていたが、その中の一人がなんとドッペルゲンガーを購入したらしく、いろいろ話を聞いて欲しくなったそうだ。
 
「ドッペルゲンガーって、あれだろ? CMとかでやってる、自分そっくりのアンドロイド作るってやつ……欲しいっていうけど、買うのか? 相当高いんじゃないのか?」
 
恵真が寝た後の夜の食卓。俺はビール、璃奈はルイボスティーを飲みながら、こうして夫婦水入らずで話すのが楽しみだった。顔をしかめた俺に、璃奈は興奮した様子でタブレット端末をいじり、株式会社ドッペルゲンガーのページを俺に見せてきた。
 
「高いよ、そりゃもちろん高い。購入はちょっと無理だと思う。でも、リースだったら行けるんじゃないかって思って」
「リース?」
「そう、三年リースくらい」
 
璃奈の希望はこうだった。今申し込めば、お腹の子が生まれる頃にはドッペルゲンガーがうちにやってくる。璃奈は家で子育てに専念しつつ、産休が明けたら育休はとらず、ドッペルゲンガーを職場に復帰させるのだそうだ。平日夜や土日は家事を手伝うこともできる。何より、これ以上キャリアに穴を開けなくて済む。収入も育休手当でなく、正規フルタイム分が入ってくる。二人目育休を申請した時、申し訳なさと悔しさと不安でいっぱいだった。すぐに復帰してフルタイムで働けば、まだ出世もできるかもしれない。
 
「お金もね、リースならなんとかなるんじゃないかなって」
「何とかって……そんな金なくないか?」
「車。車買い替えるお金をドッペルゲンガーに回すの。今の車も乗れなくはないし」
 
神田家の車は、もともと俺が載っていたおんぼろセダンに恵真のチャイルドシートをつけただけだから使いにくい。もう一人生まれることだし、スライドドアで、中が広くて小回りも効いてたくさん荷物も乗せられる、いわゆるファミリーカーに買い替えようかと、ここ半年ほど意識して貯金していたのだ。それを使えばドッペルゲンガーを買える、リースだけど。璃奈は熱に浮かされたようにそう言った。
 
「マサくん手伝ってくれる方だと思ってるよ、ありがたいと思ってる。でもどうしても残業だったりで帰りが遅い日もあるでしょ。急に残業になってワンオペになっちゃうのがしんどかった」
 
う。それを言われると反論しにくい。
 
「朝の時点で今日は遅いって分かってれば準備できるけど、もうすぐ帰ってくるって期待してたとこに無理って言われると、メンタルにくる。そういう時に限って、恵真がぐずるんだよねえ。そういうときのも助けてくれると思うの」
「だ、だよなあ」
 
璃奈から目線を逸らしながら、俺は空笑いをするしかない。このまま璃奈と璃奈のドッペルゲンガーも一緒に暮らし始めたら、俺は外で稼いで来る以外に役目がないんじゃないか? それじゃいわるゆるATMってやつじゃないか、それだけは阻止しないと!
 
「それだったらさ、璃奈じゃなくて俺のドッペルゲンガーにしてほしいなあ」
「マサくんの?」
「そう。璃奈が子育てして、璃奈のドッペルゲンガーが仕事してたら、俺いらないじゃん」
「あはっ、確かに!」
 
璃奈がいいこと言った! と顔を輝かせたので、俺は慌てて続ける。
 
「ワンオペにしちゃったのは本当に申し訳なかったし感謝してるよ。でも手伝いたくないわけじゃないんだよ。俺だって恵真のかわいいとこたくさん見たいけど、家に帰ったら寝てて、起こすなって怒るだろ」
「やっと寝かせたとこ起こすのが悪い!」
「だ、だよなあ」
 
璃奈が野良猫が威嚇する時みたいな顔になって、俺は思わず身をすくめた。いかん、ここで負けるな俺!
 
「ドッペルゲンガーがいてもさ、璃奈自身は恵真とこの子の世話するんだろ。ドッペルゲンガーが外で働いてたら、昼間はワンオペだろ。でも、家にドッペルゲンガーがいれば、昼間も楽になると思わないか?」
「……確かに……」
「それをさ、俺のドッペルゲンガーにしておけば、俺が家に帰ってから、その、記憶の共有ってやつをやれば、俺も子供の昼間の様子がよく分かるわけだよ。安心して仕事も頑張れたら、しょ、昇進の可能性だって上がるかもしれないし」
 
最後の方は自信がなくなって、口の中でもごもごつぶやくだけになってしまった。しかし璃奈は気にせず、なるほどねえ、と何かを考え込んでいる。よし、もう一押しだ。
 
「三年リースなら、この子も保育園あたりに入ってる頃だろ。恵真は、年長さん? 小学生か? それくらいになれば、また俺たち二人でもなんとかやっていけるだろ」
「そうだねえ、ずっと家にいてくれるなら、車で買い物とかもずいぶん楽になりそう」
「だろ? だからさ、ドッペルゲンガーは俺のにしよう」
 
俺の言葉に、璃奈もにっこり笑って頷いた。
 
「恵真ちゃん、ぼくくん、パパが一人増えるよ! 良かったねえ」
 
愛しそうに大きなお腹を撫でる妻を見て、俺はちょっと疲れた笑みを返した。

 

 

 

そんなわけで、ひげまさことパパツーが我が神田家にやってきた。ひげを付けたのは璃奈の案で、俺とドッペルゲンガーを視覚的に分かるようにしたほうが、子供にはいいのではないかとのことだった。パパが外で仕事を頑張っているのも分かってもらいたいそうだ。うう、ありがとう璃奈、俺頑張る。三年リースで、悠真が生まれる一週間前にやってきた。恵真ははじめ混乱して大泣きしたが、臨月であまり身動きが取れない璃奈の代わりに公園で遊びまくっているうちにすっかり打ち解け、パパツーとあだ名をつけた。
 
璃奈のお産の時も、パパツーは大活躍だった。陣痛が始まった璃奈を車で産院まで送り届け、俺に連絡し、恵真をだっこしながらずっと横で励ましつづけた。俺が仕事をマッハで終わらせて駆け付けた時は、背中の充電コードを差しながら恵真を肩車し、更に璃奈を励ましていたのでちょっと笑ってしまい、璃奈にしこたま怒られた。確か恵真の時は、ものすごく焦って帰ったのに間に合わなかったんだよな。俺たちの実家はどちらも遠くて、しかも持病があるからなかなか頼りにくい。璃奈は恵真の時は一人で陣痛に耐えるの心細かった、と言っていたが、パパツーとメモリーシェアして、こんなに長い時間痛そうにしてたのか、とショックだった。
 
退院して、新生児くんとの生活も、想像を絶していた。終わらない悠真の泣き声、甘えん坊でママを取られたと怒る恵真。パパツーはずっと恵真を抱っこしながら買い物をし、ごはんをつくり、掃除をし、洗濯していた。恵真があれをしたい、これをしたい、と駄々をこねるのも、よほどのことがない限りは対応してやっていた。その横で、璃奈は璃奈で悠真を抱っこしっぱなしでげっそり。時々おっぱいをあげる。その後も抱っこ。寝たかな、と思ってベッドに置くとまた泣き出す。
 
「これ、恵真が赤ちゃんの時はどうしてたの?」
 
恵真がライスストッカーをひっくり返し、悠真がオムツからはみ出るウンチを三回もした日の記憶をシェアした日、思わず俺は聞いてしまった。聞いてしまってから、璃奈の顔が般若のようになったのを見て、まずい、と思うが、時すでに遅し。
 
「どうにかしたよ。私一人でね」
 
それから、俺はドッペルゲンガーがいるからと楽観視せず、できるだけ家のことを手伝うようになった。
パパツーとのメモリーシェアは、璃奈の大変さを理解する以外に、もっと大きな功績があった。専用のヘッドギアのVRゴーグル越しに、恵真が何かの絵を見せてくる。
 
「パパツー、えまこれかいた! パパにもみせて!」
「わー、これはお花かな? きれいだなあ」
 
恵真はパパツーに見せると俺にも伝わると分かっているようで、よくこう言って絵やら折り紙やら拾った石やら買ってもらったおもちゃやらを見せてきた。
 
「うん、ちーりっぷ! パパ見てるー?」
「後でパパイチに感想聞こうな」
「うん!」
 
スマホの動画ではない、俺とほぼ同じドッペルゲンガーの目線。安心してニコニコ笑っている恵真の顔。その日も残業で結局恵真が起きてる時間に帰れなかったのだが、メモリーシェアの中の恵真を見て、思わず俺は男泣きしてしまった。
 
璃奈の職場復帰を目指して、まず恵真が保育園に通い始めた。念のためにドッペルゲンガーのことを保育課の担当者に話したが、ドッペルゲンガーは家電の扱いなので、点数計算に影響はないらしい。普通の家事アンドロイドも、アンドロイド単体だけでの育児は禁止されていて、もう一人大人の手が必要だからだそうだ。ドッペルゲンガーがお子様を見ているなら保育園は不要ですね! と言われないかとヒヤヒヤしていたので、正直安心した。悠真は璃奈の育休明けと同時に通い始める。残り一年もない時間をゆったり過ごすのだそうだ。とはいってもやることは買い物、近所を散歩、ちょっと息抜き。パパツーも一緒の時もあれば、家事と外出を手分けしている時もあった。
 
保育園に恵真を連れていくのは、出勤する俺の役目。初日は大泣きした恵真だったが、すぐに慣れて、ばいばーい、と手を振ってくる。帰りは大抵パパツーが迎えに行くようだ。保育士さんたちの間で、神田家にはドッペルゲンガーがいる、とあっという間に話題になった。俺もパパツーもたくさん質問されたし、恵真も友達に聞かれたようで、ある日保育園までの道のりで、俺に質問してきた。
 
「ねえパパー」
「んー?」
「なんで、うちには、パパとパパツーがいるの?」
「そうだなあー」
 
俺とつないだ恵真の手は小さい、手をつなぐというより俺の指を握っていると言った方がいいかもしれない。何て答えようか、と考えているうちに、恵真が続けた。
 
「ママツーはいないの?」
「ママツーはいないなあー」
「エマツーは?」
「エマツーもいないねえ」
「ゆまつーもいない?」
「ユウマツー欲しい?」
 
俺がニヤリと笑って聞くと、恵真はぶんぶん首を振った。
 
「ゆまつーいらない!」
「そうかー」
「エマツーもいらない!」
 
なぜか恵真は涙目になってぶんぶん首を振り続ける。あれ、俺まずいこと言ったかな。
 
「ゆまつーもエマツーもないよ。パパツーだけだよ」
「ほんと? ママツーは?」
「ママツーもない」
「えま、ママツー欲しい、ママがいい」
「そうか、恵真はママ大好きだもんなー」
 
その日の夜この様子をメモリーシェアすると、パパツーは「そうか……ママか……」とどんより落ち込んでいた。恵真は翌日もママツー欲しい! と騒いでいたので、落ち込み続けるパパツーを俺と璃奈が励ます羽目になった。

 

 

 

恵真と悠真は二歳差だ。恵真は二歳から保育園に通い始めた。悠真は一歳から通い始めることになる。それと同時に、璃奈が職場復帰。それからは、神田家は朝大慌てで全員の出発準備をし、俺と璃奈が子供を送って出勤、帰りはパパツーが気合で二人ともお迎え。璃奈はフルタイム復帰だが、パパツーがお迎え前に家事をすべて終わらせて、夕飯の支度も終えてからお迎えに行くので、なんとかまわりそうだ。
 
「きょうのゆうごはんはね、オムライス! えま、パパツーにおむらいすがいいっていったから、オムライスなの!」
「そっか、パパツーのオムライス美味しいもんねえ」
「おまー……いつ!」
「おっ、悠真、オムライスって言ったか!? すごいなー!」
「えまもオムライスっていえるよ! ちゃけっぷもいえる!」
「ケチャップね。恵真ちゃんはお姉ちゃんだもんねえ」
「うん! もうすぐよんさいだから!」
 
朝の登園時間は俺と璃奈にとって癒しの時間だ。子供二人にバイバイして、それぞれの職場に向かう。璃奈と俺は社内結婚で、部署は違うが出勤先は同じ。乗り換えの待ち時間に二人であれこれ話すのも、また貴重な時間だ。
 
「今日帰り何時ごろ?」
「俺遅くなりそう、蔵部先生のキャンペーンの会議入ってるんだ」
「そっか。私そんなに長くならなそうだから、じゃあ先帰ってるね」
「うん」
 
電車を降りて、階段を上って降りて、ホームに整然と並ぶ。悪いことをしているわけでもないのに、息を潜めて会話をする俺たち。先ほど遅延のアナウンスが入ったからか、みんなピリピリしているように思える。こんな空気の人々がすし詰めになった電車内でおしゃべりなんてご法度なのだ。
 
「恵真も悠真も、ずいぶん保育園に慣れてくれてよかったな」
「そうだねえ、ちょっとさみしいね」
「もう少ししたらひげまさのリースも終わるし、もっと頑張らないとだよな」
「ひげまさって久しぶりに聞いた」
 
クスクスと笑いを噛み殺す璃奈。恵真の妊娠が分かった時、仕事が楽しい、子供が欲しいけどキャリアに影響するのが嫌だ、と泣いてたっけな。でも今、ドッペルゲンガーのおかげで、全力ではないかもしれないけど仕事に打ち込むことが出来ている。あの時璃奈の提案に乗って良かったなあ、と俺がしみじみしていると、璃奈が何か言いたげにこちらを見ていた。
 
「……あのさ」
「ん?」
「パパツーのことなんだけど」
 
タイミング悪く電車がやってきて、人の蠢きに押し流される俺たち。璃奈は手すりの近く、俺はどうにかつり革を確保した。会話が途中の時は、電車内ではLINEでやりとりをするのが俺たちのやり方だ。きっと来るだろうとスマホをもって待っていると、案の定璃奈からメッセージが来た。
 
──パパツー、リース終了後、買取をしてもいいかなって思ってる。
 
買取? パパツーを?
そのまま返信すると、すぐに璃奈から返事が来た。
 
──うん。
──この先、私たち二人だけでやっていくのが不安。
 
大丈夫だって、二人だけで頑張ってる家はたくさんあるんだから。
現実的に考えて、買取だとすごい金かかるだろ? 家のローンもかつかつで、更に車と、建売目指して貯金もしてて。車諦めたって足りないだろうし、恵真も悠真も大きくなったら、今の家じゃさすがに狭いだろ。
 
思いのたけを入力して送信すると、璃奈からは間抜けな表情の猫のキャラクターのスタンプが返ってきただけで、その後何も送られてこなかった。ちょっと言い過ぎたかな。後で顔を合わせた時にもう一回聞いてみよう。
 
家族で一緒に頑張ろう!
俺がそう送ると、猫が「イイネ!」をしているスタンプが送られてきた。
 
パパツーのリース満期の日はあっけなくやってきた。
その日はいつものように過ごし、子供が寝た後、パパツーを引き渡す予定だ。夏を目前に控えた休日で、俺と璃奈、恵真、悠真で、近所の思い出の場所を巡った。昼は公園でピクニック、パパツー特製弁当をうまいうまいと食べた。俺はこんなに料理できないぞ、お前本当に俺だったのか? と冗談めかして言うと、お前もやればできるぞ、やらないだけ、と背中をバンバン叩かれた。それから家に帰って、みんなで料理。ワイワイできる餃子にして、恵真と悠真が小さな手でせっせと餃子を包んでいるのが微笑ましい。みんなで食卓を囲んでワイワイして、パジャマに着替えてさあ寝るぞという時に、恵真がポロポロと泣き出した。
 
「えま、ねない、もっとパパツーとあそぶ」
「ねんね、ちない!」
 
大声を上げるわけでもなく、パパツーの足にしがみつく恵真。悠真はまだ分かってなさそうだが、同じように反対側の足にしがみついてはしゃいでいる。俺たち──俺と璃奈、パパツーは顔を見合わせるが、いいよ、とも、駄目だよ、とも言うことができなかった。俺だって自分そっくりの奴がいなくなるのは悲しい。こいつがいたから、恵真と悠真の可愛い盛りをたくさん見ることが出来たし、仕事にも打ち込めた。でもこれからは、俺たち家族だけでやっていかなきゃいけない。悲しいけど、この別れを乗り越えなきゃいけない。
 
結局、恵真と悠真は、引き取りのぎりぎりまでパパツーと遊んでいた。何か話してクスクス笑ったり、お絵かきをしたり、本当に楽しそうだった。やがて時間になり、株式会社ドッペルゲンガーの担当の人が来る頃には、二人とも落ち着いて、バイバイ、と手を振ってお別れすることが出来た。今度はその様子を見ていた璃奈がボロボロ泣き出してしまい、俺もちょっともらい泣きした。
 
もうこの家にパパツーはいないんだ。
これからは、俺と璃奈で、この家を守っていかなきゃな。
その夜の神田家は、全員が目を真っ赤にして眠りについたのだった。

 

 

 

パパツーを返却してから一ヶ月ほど経っただろうか。神田家の朝は、前にもまして騒がしくやかましくなった。
 
「ちょっとー! なんで連絡帳書いてないのー!?」
 
璃奈の怒号が神田家に響き渡る。しかし子供たちはそれよりもやかましく家の中を走り回り、その後に何か言っているのがかき消されてしまう。
 
「それより俺のワイシャツアイロンかかってるやつないじゃん!」
「ハア!? 知らないよワイシャツなんか! 前の日自分でやりなさいよ!」
 
予想していたことだが、パパツーがいなくなってから、俺と璃奈の負担が増えた。そしてあれをやってない、これが出来てないということが増えた。今までパパツーがやっていたことを、相手がやるだろう、とつい思い込んでしまい、結局どちらもやっていない、という最悪の事態になるのだ。
 
「牛乳がもうない!」
「私の手帳どこ置いたっけ!」
 
俺も璃奈も精一杯だ。ドタバタしながら自分の準備と子供たちの準備を進める。俺はあるはずのカミソリがなくて洗面所の棚をひっくり返していた。
 
「なんでカミソリがねえんだよ! 普通ここにあるだろ!」
「最後に使ったとこにあるはずでしょー! 恵真、悠真、水筒持って!」
「パパ、もうお出かけの時間だよ! はやくー!」
「はあくー!」
 
三人に急かされて。無精ひげのままドタバタと家を出る。カミソリは諦めて、コンビニで買って会社のトイレで剃ればいいか。朝起きて、身支度をして、家を出るだけなのに、もうそれだけでクタクタだ。家族四人で手をつないで歩くが、足取りは重く、ため息ばかりが漏れる。恵真も悠真も歌を歌ったり子供同士で話したりはするが、俺と璃奈のことは心配そうに顔色を窺うだけで、あまり話しかけてこなかった。
 
保育園に二人を送り出す。満員電車に乗って、職場に辿り付く。通勤中も疲れていて、璃奈とも殆ど話さなくなった。夏のフェア前だから、仕事も大詰めだ。今週も残業続きになるかもしれない。何とか恵真たちを風呂に入れる時間までには帰って、それから、ええと……。慌ただしく事務仕事をして、会議をして、自分のデスクで昼飯を食べながら書類に目を通していると、社内メッセンジャーに通知が来ていた。
 
──恵真が熱出したって。迎えに行くの頼める?
 
璃奈からだ。同じ会社とはいえ、部署が違うと顔を合わせることがなく、メッセンジャーでやりとりをすることも多い。恵真が熱かあ、今朝元気なかったもんなあ。今日の予定を確認するが、午後は会議が三つもあり、事務仕事をすべて持ち帰りにしても、定時で上がれるかどうか。
 
ごめん、今日は仕事抜けられない、夏フェア前で。リナ頼むよ。
 
そう返信すると、既読になったが、しばらく返信がなかった。俺だって手伝いたいけど、この時期仕事がパンパンなんだ、同じ会社だし分かってくれるよな。昼飯を食べ終わると、俺は会議の準備に戻った。時々メッセンジャーを気にしていたが、璃奈からの返信は来ていない。会議に出て、メールや電話をして、事務仕事をして。バタバタしているうちにもう二十三時を過ぎ、ようやく同僚たちもパラパラと帰り始めた。俺も終電になる前に帰ろう。少しだけ書類を持ち帰ることにして、腹が減って死にそうだったので牛丼チェーンで牛丼を食べてから電車に乗る。疲れ切ったサラリーマンと、飲み会帰りの楽しそうな人が入り混じる時間帯、俺は間違いなく疲れ切ったサラリーマンの方だ。夫婦二人でフルタイム、子供が大きくなったとはいえ、やっぱりキツいな。そういや恵真は大丈夫だったのかな。
 
家に帰ると、恵真と悠真はもちろん寝た後で、家の中はぐちゃぐちゃだった。璃奈はキッチンのダイニングテーブルに座ってスマホをいじっていた。食器はシンクに片づけてあるが、洗うのはこれからのようだ。おもちゃは床に転がりっぱなし、二人が脱いだものもあちこちにばらまかれている。相当大変だったんだな。
 
「ただいま、遅くなってごめん」
「……夕飯は?」
「牛丼食ってきた」
 
とりあえずネクタイを緩めて璃奈の向かいに座ると、璃奈はバン、とスマホをテーブルにたたきつけるように置いた。その迫力に俺がびくりとする様子を、じろりと睨みつける。
 
「……あのさあ」
「……はい」
「夏フェア前で忙しいのは、私も同じなんだよね」
「……今日のミーティング、どうしても外せなくて」
「……私もミーティングあったけど、頭下げて代理探して帰ったよ、恵真のために」
「…………」
 
まずい。相当怒ってるぞ。
璃奈は盛大にため息をつき、ぽつりぽつりと続けた。
 
「パパツーがいなくなって、分担で混乱するのはしょうがないけどさ。もうちょっと、もうちょっとさ、先回りして用意したり、相手の状況も考えようよ」
「……今日は悪かったけどさ。家のことは俺も最大限」
「全然やってないよ! マサくん保育園の準備全然してくれない、全部私、二人分私!」
「……あ、だ」
「ご飯の準備も掃除も洗濯も全部! 私! マサくん子供お風呂に入れてるだけ! それも残業だとできないし!」
「…………」
「パパツーがやってくれてたこと、ぜんっぶ私に丸投げ! メモリーシェアしてたんだからどんだけ大変か分かってたんじゃないの!? 大変だから私に投げてるわけ!? 私のこと家政婦扱いしてるんでしょ! だからパパツー買いたかったのに!」
 
ドンと璃奈が机を叩き、俺は顔面がカッと熱くなるのを感じる。
 
「家政婦って……それならお前だって俺の給料アテにして」
「アテにできる給料ならフルタイムで働こうなんて思わないよ!」
「俺は働けなんて頼んでないだろ! お前が働きたいっていうから、俺は」
「あーもーうるっさい!!!」
 
俺の怒鳴り声よりも更に大きな金切り声を出し、璃奈は椅子を蹴飛ばしてその場に立ち上がった。
 
「私は! 働いて! 帰ってくるだけの旦那なら! いらないの!」
 
まだ背広も脱いでいない俺に掴みかかって、ネクタイと衿を掴んで乱暴に揺さぶる。脳がぐるぐるして気持ち悪くなり、うお、やめろ、とか言ってる間に、璃奈は俺を玄関までずるずる引きずっていった。ネクタイが締まって苦しくてうまく抵抗できない、こいつなんて馬鹿力なんだ!
 
「顔見たくない! 帰ってくんな!」
 
そのまま、家の外に追い出されて、バタンと扉が閉まり、鍵がかかる音がした。
俺が呆然とへたり込んでいると、ドアがちょっと空いた。チェーンがついていて、隙間から俺のスマホ、財布、充電器、仕事鞄がポイポイと投げ出され、また乱暴に締まり、鍵がかかる音がした。直後にLINE着信の音がする。
 
──しばらく帰ってこないで。むしゃくしゃする。
 
「……んっだよ……」
 
俺たち、家族だろ。今日はうまくいかなかったけど、こういうのも一緒に乗り越えていくんじゃないのか? 家から追い出して、明日の朝の準備とかはどうするんだよ。そう思ったが、璃奈の「保育園の準備全然してくれない」の叫び声が蘇ってきて落ち込んだ。
 
結局、その日は近所のマンガ喫茶に行って朝まで過ごした。次の日はわざと通勤時間をずらして璃奈と顔を合わせないようにし、仕事に没頭して過ごした。気が付けばまた二十三時だ。俺だって必死に仕事してるんだ、それは間違いなく家族のためなんだ。金を稼がないことには生きていけないじゃないか、俺がまず稼がなくてどうする。璃奈は母親だから、俺ができないことをやってほしかっただけなのに、何でそれが分からないんだ……。どうせ家に帰っても恵真も悠真も寝てしまってるし、今日もまたどこかに泊まろう。牛丼を食べて、カプセルホテルでシャワーを浴びてその日は眠りについた。その後、ちょうど出張が入ったので、ワイシャツやパンツ、靴下を買い足していそいそと出張に行き、仕事に没頭した。
 
社内結婚だと、喧嘩したとかそういう噂はすぐにみんなに広まる。同僚はお前やっちゃったな、早く奥さんに謝れよ、と言っていたが、俺も腹の虫がおさまらなかった。三泊四日の出張から帰って出社すると、同僚が心配そうな顔で俺に声をかけてきた。
 
「神田の奥さんさ、ここ何日かフルタイムで出勤して、残業もしてるらしいぞ」
「は? 残業?」
「お前出張だったよな? お子さんのお迎えとか誰かに頼んだのか?」
 
……俺は頼まれてないし、頼める人もいないはずだ。あれからお互い意地になって、何も連絡していないが、一人で子供と家の子と見つつ、フルタイムに残業はさすがに璃奈でも無理なんじゃないのか?
俺の顔色を見て、同僚も更に深刻そうな顔になった。
 
「……喧嘩は大人同士だけどさ、あんまり追いつめて、ネグレクトとか、虐待とか、そういうのになるとまずいぞ。早く謝った方がいいって、巻き添え食らうお子さん可哀想だろ。来週の準備は今日だけ俺が引き受けるから、出張の処理だけして帰れよ、それなら保育園間に合うだろ」
「……そう、だよな、ありがとう」
 
ネグレクトに虐待。この手のニュースはいつまでたっても絶えないし、子育て世代には恐ろしい話題だ。自分の子供にそんな事絶対できないと思う反面、追いつめられた親の気持ちが少しわかってしまう自分もいる。璃奈はまさか子供を放置して働きまくっていたのだろうか。食事は? 風呂は? そもそも子供はどこで待ってるんだ、保育園も行ってないのか? 妄想ばかりがどんどん肥大していき、俺はやっとのことで最低限の仕事を終わらせ、飛ぶように家に帰った。
 
いつかと同じ夕暮れ時。初夏に差し掛かり、日はだいぶ長くなったが、それでも夕暮れのオレンジの光が街を満たしている。保育園までの道のりが嫌に長くて、心臓が壊れたみたいにドクドクしているのは走っているせいだけではないかもしれない。もう少しで保育園が見えてくる! 道の少し先に、見慣れた後ろ姿があるのに気が付いた。見たことある袖の短いカーディガンに、明るいショートカットの女性。璃奈だ! なんだ、ちゃんとお迎えに行ってるんじゃないか。ネグレクトなんて、あいつ、タチの悪い冗談言うなあ。
 
安堵した俺の目線の先で、璃奈がおーい、と手を振った。
俺には背を向けたままだ。その目線の先に、恵真と悠真と、もう一人大人の人影があった。
 
身長は人よりちょっと高い、180cmにいかないくらい。
少し高い背、醤油顔、もったりした体形。
わざとらしくはやした、あごひげ。
 
──パパツー!
 
なんでだ、あいつは解約したんじゃなかったか。
璃奈がパパツーに駆け寄る。恵真と悠真がママ、ママ、とはしゃいでいる声が聞こえてくる。何か会話をしている璃奈とパパツー。その姿は傍目から見れば、キャリアウーマンのママと、それを支える主夫のパパ。今どきでは珍しくもない、ありふれた、けど幸せな家族の光景だ。
 
なんなんだ、あれは。
璃奈は俺の妻じゃなかったか? 恵真と悠真は俺の子じゃなかったか?
あそこにいるのは俺じゃなかったのか。
 
いや、あれは、……俺なのか?
 
どれくらい時間が経過しただろう。実際はほんの一瞬だったのだろうが、俺には永遠の時間が経過したように感じた。家族はそれぞれ手をつないで俺が立っているところとは反対側に歩き始め、俺から遠ざかり始めた。俺は動くことが出来ない、声を上げることもできない。行ってしまう、俺の家族が行ってしまう!
 
すると、途中で、恵真と悠真がピタリと足を止めた。二人で大人二人をぐいぐいと引っ張り、その場にとどまろうとする。璃奈とパパツーが何か言うが、二人は聞かない。そのまま手を振り払ったかと思うと、二人ともぱっと走り始めた。
 
まっすぐに、俺の方へ。
 
「パパ!」
「ぱっぱー!」
 
天使のような恵真と悠真。満面の笑みで、転げるように駆けてくるのを、金縛りが解けた俺はしっかりと抱きとめた。パパ、ひさしぶり! ぱっぱ、パー! はしゃぎまわる子供の声を聞いて、小さな体の体温を感じて、うん、うん、と頷くしかできない。ボロボロと涙がこぼれ、それを手の甲で拭うと、恵真がハンカチを出してくれた。
 
「あれ、マサくん、出張帰りって今日だったっけ! お疲れさま!」
 
璃奈も駆け寄ってきて、ニコニコ笑いながら話しかけてくれた。もう怒ってなさそうだ。俺は涙でべしょべしょの顔で、璃奈の手をがっしと掴んでブンブン振り回す。
 
「璃奈、ごめんよ俺、ホント悪かった! だからそいつじゃなくて俺をパパにしてくれ!」
「あはは、タイミング悪いからびっくりした? マサくんの出張中に臨時収入があって、パパツーに戻ってきてもらうことにしたの!」
「臨時収入?」
「そうなの、パパツーが貯金で投資とかFXやってたでしょ? その残高を確認してみたら、なんと二億を超えてたんだよ! マンションのローンも一括返済できて、パパツーもリースじゃなくて購入! 戸建と新しい車買っても、家族みんなで海外旅行に行けるくらいのお釣りが来るよ!」
「ハア!? なんだそりゃ!? 上手くできすぎだろ!」
 
俺が間抜けな声を上げると、やっと近くまで歩いてきたパパツーがニヤリと笑った。
 
「ま、上手くいったんだし、いいじゃねえか」
 
俺と同じ顔の、誰よりも頼りになる、最高の相棒。差し出された手をガシッと握りしめて、俺たちは同じ顔で笑いあった。
 
「お前、とっくに消えてたのかと思ったよ!」
「よくあるんだよ、後からやっぱり買いたいってご希望がさ。だからリースのドッペルゲンガーは、しばらくそのまま残されてるんだ」
「なら、最初からそう言っとけよ!」
「臨時収入がなかったら買えなかったんだろ、変な希望持たせる方が悪いかと思ってさ」
「水くせー!」
 
俺はパパツーの背中を、これでもかとバンバン叩いてやった。
 
「いってえな! まあ末永くよろしくな、パパイチ!」
「おう、頼むぜ、パパツー!」
 
パパイチと呼ばれて、俺はまたボロボロ泣いてしまって、璃奈が笑い、恵真が笑い、悠真も笑い、パパツーも笑った。そう、俺たちは、これで全員。家族五人で神田家なんだ。帰り道は、俺、恵真、璃奈、悠真、パパツーの順番に手をつないで帰った。道いっぱいに広がるので、人や自転車とすれ違う時は笑いながら分散し、また手をつなぐ。恵真が全員の顔をぐるりと見まわして、嬉しそうに声を上げた。
 
「これで、やっとかぞくがもとどおりだね!」
 
俺には、夏の夕暮れの暑さよりも、じんと胸に熱く染みわたる一言だった。

 

 

 

正樹と喧嘩して追い出した次の日、私は恵真の熱をもらって倒れてしまった。病院に行きたくて、何とか保育園の準備をして二人を送り出すと、恵真が別れ際にぽつりとつぶやいた。
 
「ママ、おもちゃばこのしたに、おてがみがあるよ。パパツーから」
 
パパツーから手紙? なんだろう。帰宅して朦朧とする頭でおもちゃ箱をひっくり返すと、底の方に封筒が貼り付けてあった。ずいぶん手の込んだ隠し方してるなあ。不思議に思いながら封を開け、中身を読んでみる。
 
璃奈へ
恵真に、パパとママが喧嘩したら見せてくれと頼んだ。どうせ俺だからすぐお前を怒らせるだろう。俺は神田正樹なのか、パパツーなのか、自分ではもう分からない。ドッペルゲンガーからオーナーに期間延長や購入を促すことは禁じられているし、自分が本人だと騒ぐとバグ扱いされて廃棄される。だからイチかバチかでこんなやり方をした。俺は神田正樹なのか? パパツーなのか? あいつはどっちなんだ? 分からない、ただ俺は消去されるのが怖い。うまくいっていれば、俺の投資関連をできるだけ現金化したので購入資金に充ててくれ。この手紙は読んだら燃やしてくれ。
 
「…………」
 
熱でぼけているのかと思ったが、何度読み返しても内容は同じだった。消去されるのが怖い。その言葉に妙な重さを感じて、正樹の口座をチェックすると、恐ろしい残高になっていた。慌てて株式会社ドッペルゲンガーに連絡をして、手続きをして、パパツーが戻ってきた。
 
「……ただいま」
 
向かい合う、私とパパツー。夫によく似た、ひげだけ違うアンドロイド。今までずっと一緒に暮らしていたけど、改めて相対して、少し不気味に感じる。手紙のことを聞いてみた方がいいんだろうか。
 
「……あなたは、どっち?」
 
私の問いに、ドッペルゲンガーは、何言ってるんだよ、と冗談めかして笑った。
 
「俺たち全員で家族だろ。俺は俺だよ。またよろしくな」
 
私は、頷くしか、できなかった。

 
 

❏ライタープロフィール
吉田けい(READING LIFE公認ライター)
1982年生まれ、神奈川県在住。早稲田大学第一文学部卒、会社員を経て早稲田大学商学部商学研究科卒。在宅ワークと育児の傍ら、天狼院READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。趣味は歌と占いと庭いじり、ものづくり。得意なことはExcel。苦手なことは片付け。

この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

http://tenro-in.com/zemi/70172

 


2019-04-15 | Posted in 株式会社ドッペルゲンガー

関連記事