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株式会社ドッペルゲンガー

第7話 「欲望の起源」《小説連載「株式会社ドッペルゲンガー」》


記事:吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)

Web READING LIFEにて、新作小説の連載がスタートいたします!
 
近未来の日本で、最新科学技術で作り出した自分そっくりのアンドロイドを使用する人たちの群像劇。
 
編集長も太鼓判の作品です。ライター・吉田けいが創り出す、ダークな世界観をお楽しみください。

第6話はこちら!

第6話 「希少なケース」《小説連載「株式会社ドッペルゲンガー」》


 
 

その日は新聞もテレビのニュース番組もネットニュースサイトも、すべてこの話題で持ちきりだった。
 
「──ミライクル製薬株式会社が、株式会社ドッペルゲンガーと事業提携することが発表されました。ドッペルゲンガーとは、本人に似せたアンドロイドに、人格を移植したAIを搭載し、記憶を本人と共有することが出来ます。ドッペルゲンガーを活用し、医療サービス提供により、患者のQOL、クオリティオブライフ、生活の質を向上させていくとのことです。ミライクル製薬社長の來海繁一氏も、自身のドッペルゲンガーを作成、持病の治療と経営を両立させていくとのことです」
 
病院の談話室のテレビの中で、ニュースキャスターが原稿を読み上げる。くるみしげかず、と俺の名前が呼ばれると、談話室にいた一同がバッと俺の方を向くが、記者会見の映像に切り替わり、すぐまたテレビの方を見る。フラッシュを浴びて席に着き、鈴なりのマイクを前にして、壮齢で頭を坊主に刈り上げた男が、ニカリと笑ってみせる。
 
「科学が発達し、昔は不治の病と言われた類のいろいろな病気や怪我、障害が治せる時代に突入しています。今や患者さんを苦しめるのは、病気そのものではなく、治療を続けていく苦しさだと思っています。身体の自由がきかない苦しみ。治療を続けるための金銭的な苦しみ、仕事が出来ないという社会から孤立する苦しみ。自分がもう一人いて、健康な頃と同じように働き、社会とかかわり続けることができれば、より余裕をもって治療に取り組むことができるようになるでしょう。実際、ここにいる私はドッペルゲンガーで、本物は今頃病院でこの会見の中継を見ているはずですよ、はっはっは」
 
坊主頭がでかい口を開けて笑うと、記者たちもどっと笑い、さざめきのような音になった。坊主頭の横で、白髪頭に眼鏡の男も、ニヤニヤ笑っている様子が映る。
 
「医療用アンドロイドは既に導入され始めていますが、特にドッペルゲンガーは医療との相性が良いと思う。既にいくつかの試みは臨床試験の段階に入っている。榑屋敷くんと一緒に、日本と世界の医学の進歩に貢献できたら素晴らしいことだと考えている」
 
得意満面な坊主頭の表情を写真に収めるべく、たくさんのストロボが光った。続いてコメントお願いします、くれやしきさん、と記者の声がして、カメラのアングルが白髪頭の方に移った。白髪頭は、余裕というか、人を舐めているというか、変な笑い方をしながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
 
「弊社の商品が、困っている患者様のお役に立てるのであれば本望です。立派になった來海くんとこのような形で共同事業ができることになり嬉しい限りです」
 
画面が切り替わり、またキャスターが映し出された。ミライクル製薬社長の來海繁一氏と、ドッペルゲンガー社長の榑屋敷玄朔氏は大学の同級生だそうです、とコメント。少しの間が空き、次のトピックになると、談話室のあちこちから拍手が聞こえてきた。
 
「いやあ、來海社長、よろしく頼むよ!」
「來海さん、手術も頑張りましょうね!」
 
患者やら、看護士やらが、口々に声をかけてくれ、なんだかこそばゆい気持ちだ。
 
「いやあ、本体はこの通りなのでね。まずは自分自身が実験台になって、みなさんに良さを伝えていければと思っております!」
 
テレビの中の男とそっくりな、トレードマークの坊主頭をひょこひょこ下げて、俺の笑い声を談話室中に響かせてやった。

 

 

 

仕事のことを気にせずにゆっくり過ごす病院の個室というのは、寸暇を惜しんでねじ込んだバカンスよりも快適なのかもしれない。五月晴れの空、まぶしい日差し、爽やかな風。これで自分が病気でなければ最高なのだが。そんなことを考えながら、持ち込んだ簡易デスクに座って論文に目を通していると、コンコンと誰かが扉をノックした。ドアの鍵はかけていない。案の定、俺の返事を待たずに扉が開いた。
 
「來海。俺だよ」
「ああ、榑屋敷か」
 
ひょろりとした、白髪頭に眼鏡の壮齢の男。俺のように酒太りしている側からすると羨ましい体型だ。榑屋敷は見舞だよと言いながら、手にしていた洋菓子の箱を机に置いた。見覚えのある箱のロゴに、俺は思わず声を上げた。
 
「エルメのケーキじゃないか。これ旨いんだよ。お前らしくもなく気が利いた土産だな」
「そうか、秘書に伝えておくよ」
「なんだ、秘書か」
「当たり前だ、菓子の銘柄なんぞ分からん」
「なんにせよありがとう、よく伝えてくれ」
「ああ」
 
榑屋敷は軽く肩をすくめ、苦笑いしてみせる。俺は椅子を勧め、引き出しから皿とフォークを出し、いただいた土産をさっそく食べることにした。カップに入ったタイプのケーキが箱の中で行儀よく並んでいる。俺は適当に端の二つを皿にのせ、一つを榑屋敷に渡した。
 
「お前も食え、旨いんだぞ」
「そうか、じゃあ」
 
ジジイ二人が、若い子が喜びそうなケーキを持って、ちまちまとつついて食べる。ともすれば異様な光景も、病院なら何だかしっくりくるのが面白い。榑屋敷は一つだけ食べたが、俺はもう一つ食べて、残りを冷蔵庫にしまった。ケーキのゴミは丹念に畳んで、ティッシュにくるんでから捨てる。
 
「これで証拠隠滅だ」
「糖尿もだったか?」
「いや、まだだが、美鶴子が節制しろとうるさくてね」
「まだ、か。それは気を付けた方がいい」
 
俺が肩をすくめると、榑屋敷は呆れたような声で返事をした。還暦にもなると多少の不調は出てくるものだ。それとうまく付き合うのが医学というのものじゃないか。
 
「相変わらず尻に敷かれてるんだな。元気かな、美鶴子氏は」
「ああ、おかげさまで、そのうち鬼の角でも生えてくるだろうさ」
「とうとう美鶴子が美鶴鬼になるんだな」
「おそろしい鬼だ」
 
俺と榑屋敷は大学の同期だ。医学部で、それぞれ目指す専攻は違ったが、不思議と気が合ってよくつるんでいた。美鶴子は違う学部だが、同じサークルの後輩だった。学生らしくよく飲みよく遊ぶサークルで、俺と美鶴子の他にもいくつか結婚した奴がいたはずだ。榑屋敷も同じサークルだったので、美鶴子と面識がある。のらりくらりとしている俺を怒って追いかけまわす美鶴子を、美鶴鬼と言ってからかったものだった。
 
「それよりもだ、プレスリリースして、会見もして、忙しくなったんじゃないのか」
「おかげさまでな。來海とこんな形で一緒に仕事をすることになるとは思わなかったよ」
「それは俺のセリフだ。お前はもともと医療用ロボットの方に進みたいと言っていたが、まさかドッペルゲンガーとはなあ。お前の奇天烈な発想にはいつも驚かされる」
「そうか?」
「特に、AI作成の設問と脳波測定、数は多いが想像よりも簡単だったな。あんなので本当に人格がコピーできるのかと思ったが、出来上がったドッペルゲンガーはまさに俺だったから、いや驚いたよ、本当に」
「そうか」
 
榑屋敷はどこか満足気に頷いた。俺も榑屋敷も、医師免許を取得してしばらくは勤務医をしていたが、開業でも出世でもなくメディカルドクターを選んだ。医療関係の企業に勤めながら、一方で副業として病院の外来の診察をする、そんなメディカルドクターが医者の間でも一般的になりつつある。医学の進歩や革命は、もはや医者よりもその周辺分野から生じることが多い。臨床の経験から生じる、こんな薬があればいいのに、こんな治療ができればいいのにといった思いを、自分の手で製薬研究にぶつけることが出来る。そんな思いで外科から製薬会社に就職し、気が付けば独立開業して二十年が経っただろうか。学友と再会した時、俺も榑屋敷もすっかり年を取っていた。
 
「もっと無限に問答を繰り返すのかと思っていたよ」
「まさか、それじゃ商売にならんよ」
 
榑屋敷がニヤリと笑い、俺も笑い声を上げる。
 
「さすがだなあ。脳神経外科に榑屋敷あり、だったもんなあ」
「お前こそ、ゴッドハンドだとか、ブラックジャックだとか、嘯いてただろう」
「ははは、そうだったか」
 
榑屋敷は脳神経外科でキャリアを積んで、医療ロボット企業に転職した。俺が知っているのはそこまでだが、今こうして一企業の社長をやっているということは、俺と同じように独立開業したのだろう。部下の研究論文でドッペルゲンガーについて触れたものがあり、運営する企業の社長名を見た時は我が目を疑ったものだった。
 
「実際のところ、ドッペルゲンガーに入れるAIが本人のコピーかというと、そうではないんだ。それらしい回答をする会話AIを高精度なものにしたと思ってもらっていい」
「なんだ、そうなのか?」
 
俺が身を乗り出すと、榑屋敷は頷いて、視線を窓の外に投げた。
 
「弊社の技術の肝は、メモリーシェアの方だ。ドッペルゲンガーの方で、体験した脳波を再現し、それを持ち主側に送信する。言葉で言うのは簡単だがね、実現させるのは本当に骨が折れたよ。その逆も実施するだろ、そうして何度もシェアを繰り返すと、だんだん本当に本人に似たAIになってくるんだ」
「なるほどなあ。向こうの俺はあの通り多忙だから、まだ一度もメモリーシェアしてないんだよ。シェアするのが楽しみになった」
 
俺も窓の外に目をやる。ちょうど青空を飛行機が横切り、飛行機雲がぐんぐん伸びていくところだ。
 
「おそらく手術後にシェアすることになると思う。そうしたら改めてユーザーとして感想を伝えさせてもらうよ」
「そうか、助かるよ」
 
そういうと、俺と榑屋敷はがっしりと握手を交わした。この年になっても、若き青春の日の友情は燃え尽きることがないのだ。そのことを嬉しく思い、俺は榑屋敷の背中をバンバン叩いたのだった。

 

 

 

「社長、榑屋敷さまがお見えになりました」
「ああ、もうそんな時間か。コーヒーを頼む」
「はい」
 
秘書に声をかけられて、俺は顔を上げた。俺──今は入院中の、ドッペルゲンガーの俺の本体である男の好みにあつらえた、落ち着いた雰囲気の社長室の時計は、待ち合わせの十五時の五分前を差していた。相変わらず律儀な奴だな。ぼやきながら応接スペースの椅子に座ると、コンコン、と扉が叩かれる。秘書が応じて、榑屋敷とお茶を持った事務がやって来た。
 
「ご無沙汰しております、來海社長」
「お待ちしておりましたよ、榑屋敷社長。どうぞおかけください」
 
わざとらしいやりとりをするが、俺は可笑しさをこらえきれずに肩を震わせた。榑屋敷もニヤニヤしているので同じ気分なのだろう。お茶が配膳されると同時にソファーに座り、榑屋敷が鞄から資料を取り出し、机の上に置いた。
 
「それで、新規事業のアイディアだったか、來海」
「ああ。ドッペルゲンガーのこと、論文や研究報告含めていろいろ読ませてもらった、実に素晴らしいな。そこで、かねてから温めていたアイディアを、思い切って事業にしてみたいんだ。勿論ドッペルゲンガーが事業の要になる」
「ふん……?」
 
榑屋敷はお茶に手を伸ばし、ゆっくりと啜りながら少しだけ顔をしかめる。
 
「弊社にとってありがたい申し出ではあるが、リハビリドッペル事業が軌道に乗り始めたところだろう。まだキャッシュ回収までほど遠い、時期尚早じゃないのか?」
「いや、早い方がいい、何せ時間がかかる事業だ。とにかく話だけでも聞いてくれ」
 
俺もお茶を手に取って、熱いのも構わずに一気に飲み干した。俺はドッペルゲンガーだから食べ物や飲み物を口にすることはできても、喉の渇きなどは本当なら感じないはずだ。それでも喉が渇いたような気がするのは、身体的な記憶が、こういう時にはこう感じる、ということを覚えているからだそうだ。パブロフの犬のような条件付けが、人間には思いのほか多いということだ。秘書は俺の様子を見て、お茶のおかわりを用意してくれた。
 
「榑屋敷、俺は今の科学技術なら、人間がコールドスリープすることは可能だと思っている」
「コールドスリープか。さすがだな、來海」
 
榑屋敷が眼鏡の奥の瞳を見開き、少し身を乗り出した。俺も嬉しくなって身を乗り出す。学生の頃、俺達で医学を変えるんだと語らったのはいつの夜だっただろうか。
 
「ミライクルを立ち上げたのも、本当はそれが主目的なんだ。製薬技術が追い付くまで、患者を冷凍して未来に送り込む。SFでは出し尽くされたようなネタだろう。海外じゃ、死人を蘇生する技術ができるのを夢見て、死体を冷凍するサービスがあるらしいが、俺は生きてる人間を対象にしたい。俺のとこも、もう猿までは実験が進んでいるんだよ。二年の冷凍に耐え、無事蘇生して、健康に害もない、子供も産んだ。次はいよいよヒトの治験なんだ」
「じゃあ、治験すればいいじゃないか、やりたいと思う奴はごまんといるはずだぞ」
「そう思うだろう。だが、バッシングも予想される。生命科学が新しいことをやろうとすると、常に反発が付きまとうんだ。それに、本人の不安も大きい。そこで、治験対象者のドッペルゲンガーをつけ、冷凍期間に制限を設ける。冷凍している間の出来事を後からシェアできるから、浦島太郎のようになることもないし、期間を定めれば、いたずらに長い時間が経って費用だけかさむ心配もない。どうだね、いいと思わないか」
 
いけない、ついまくしたててしまった。ハアと大きく息を吐き出してから、お茶のおかわりをまた飲み干す。榑屋敷はその様子を面白そうに眺め、やがてくっくっと肩を震わせて笑いだした。
 
「來海、お前は、ドッペルゲンガーでも來海なんだなあ」
「当たり前だ、俺はお前のとこの製品だぞ。自分の製品に驚いてどうする」
「そうだな」
 
榑屋敷はまだ笑っている。
 
「お前のような、義侠心に燃える奴が、科学の発展を牽引していくんだろうなあ」
「それはお前も同じだろう、榑屋敷」
「俺はそんなにできた人間じゃないよ、來海」
 
榑屋敷は目尻に涙さえ浮かべながら笑い続け、そして肩をすくめて見せた。
 
「世の中にいる大多数の人間は、もっと自分勝手に生きているよ」
「そうかもしれんが、だからといって俺までそうなる必要はあるまい」
「そうか、そうだな」
 
俺は少し頭に来ていたが、昔のように怒鳴り散らさないだけの自制心は身に付いている。ほとんど入っていないお茶を啜りながら待っていると、榑屋敷の笑いがやっとおさまった。
 
「結構、來海、大変結構。コールドスリープに関して、弊社はドッペルゲンガーを提供すればいいんだろう、いつでも対応できるから御社のタイミングで始めてもらって構わない」
「そうか、心強い、何よりだ」
「悪かった、笑ったりして。お前が変わっていないことが嬉しくてね」
「構わんよ」
 
俺はずっと持っていた湯呑を机に置き直し、平静を装って頷いてみせた。こういう時に余裕ぶって見せるのが大人の男の嗜みというものだ。榑屋敷も、笑い転げてこそいたが、もう落ち着き払ってどっかりと腰を据えている。その様子をみてふと浮かんだ疑問を、俺は口にしてみた。
 
「榑屋敷、じゃあお前は何のためにドッペルゲンガーを作ったんだ?」
「そう来るか、繁一くん」
「そうとも、あれだけ笑ったのなら教えてくれたまえよ玄朔くん」
「ふむ」
 
榑屋敷は、顎に手を当てて、視線を俺から外す。
窓は応接テーブルから少し離れていて、その向こうには都心の高層ビル群が見えている。
 
「……俺は、見てみたいんだよ。人間というやつを」
「人間を?」
「ああ、天才と言われるような人間の、頭の中を、見てみたくなる。プラトンが思索する時、シェイクスピアが執筆する時、ダヴィンチが絵を描く時。アインシュタインが相対性理論を発見した時、ホーキング博士が宇宙を見た時。他にもたくさんいるがね、彼らの頭の中で、何が起こっているのか、覗いてみたくなった。なんなら彼らになりたくなったのさ」
 
白髪頭の男は、古い映画の道化のように、おどけた表情で両手を広げて見せた。
 
「もちろん、叶わない夢だがね」
「途方もない夢だな、それは」
 
予想外に詩的な答えが返ってきて、俺は少々面食らう。
 
「見る、というが、他人の頭をメモリーシェアで見るということか? それは理論上は無理だと言っていなかったか?」
「ああ、何も、本当に頭の中を覗こうというわけじゃないさ。それこそ、このネタで新規事業ができたらと考えてはいるがね」
「ほう、なんだ、教えてくれよ」
「そのうち事業計画にするから待っててくれ、まだほんの小さな種さ」
 
榑屋敷はゆっくりと首を振ると、苦笑いを浮かべるのだった。
それから我々はそれぞれ社長らしく既存プロジェクトの進捗の確認に時間を費やした。二人で話しているとどんどん新しいアイディアが生まれ、形になっていく。横で秘書が議事録を取っているので、どれもすぐに動き出すだろう。仕事をしていてよかったと思えるのは、こうした瞬間なのだといつも思う。予定していたアポイントの時間はあっと言う間に過ぎ、俺の次の来客が来たので、戦略会議はお開きとなった。
 
「じゃあ、頼みますよ、來海社長」
「おう、お任せください、榑屋敷社長……そういえば、俺の見舞に行ってくれたそうだな。俺が礼を言うのも変だが、ありがとう」
「ああ、大したことじゃないさ。あちらのお前は、お前とメモリーシェアするのを楽しみにしていたよ」
「ああ、俺も楽しみだ」
 
二人とも立ち上がって、がっしりと握手を交わす。男同士の、熱い思いを交わす、力強い握手だ。俺の手は志望で肉厚になったが、榑屋敷の手は枯れ木のように細くなったが、そこに込める思いは若かりし頃と変わらない、あるいはそれ以上かもしれない。
 
「俺も、楽しみにしているよ、來海」
 
榑屋敷は何か含みのあるような微笑みを浮かべ、俺の手をやんわりと握り返した。

 

 

 

俺の手術は医者の観点からも、還暦過ぎたジジイとしても大したものではなかった。健康診断でポリープが昨年より大きくなっているから切除した方がいいというだけのことだ。俺は仕事を理由に手術をうやむやにしようとしたが、美鶴鬼が怒り狂って手が付けられなくなったので手術を受けることになってしまった。ちょうど榑屋敷と事業提携について話し始めた頃であり、それならばと榑屋敷がドッペルゲンガーのレンタルを提案したのだ。確かに良いものだと自分でも思っていたので、美鶴子と検討した結果、レンタルではなく購入することにした。榑屋敷は無料でやると言ったが、それは悪いときちんと正規料金を支払った。
 
いよいよ俺の手術になったので、俺──ドッペルゲンガーの俺は、俺の見舞に行くことにした。最初に引き合わされてから、二ヶ月ほど経っただろうか。俺は患者の鑑となるべく、医師の指示に従い、食事制限や消灯時間も律儀に守っているようだった。美鶴子は二人並んだ俺たちを見比べて、うるさいのが増えたわね、と毒づいていた。
 
「しかし、本当にそっくりだなあ。こんなことなら、もっと若く作ってもらってもよかったもしれないなあ、美鶴子」
 
美鶴子はベッドの上の俺の冗談に、そう言って若い子ひっかけようったってそうはいかない、と俺の耳たぶをつねり上げていた。俺に人間と同じような痛覚は備わっていないが、見ているだけでぞっとする、痛々しい光景だ。やがて主治医が来て、手術の準備のために俺の本体を運んで行った。美鶴子は健気に付き添うという。俺もノートPCを持っているし、アポイントはすべてブロックしたので、美鶴子と一緒に付き添うことにした。暇を持て余していると、なんと榑屋敷が見舞にやって来た。この病院の患者がクライアントのため、挨拶のついでに寄ったのだと言う。美鶴子に一言断り、二人で院内のカフェに抜け出し、安いコーヒーを買って席に着いた。ちょうどランチの時間帯が終わったころで、利用客はまばらだ。
 
「まあ、何事もなく終わるとは思うがな、ポリープ切除だし、俺自身が執刀したいくらいだ」
「はは、豪気だな」
 
俺の冗談に、榑屋敷も軽く笑って応じる。俺も笑いながらコーヒーを口に含んだ。安いと思ったが、なかなか旨いじゃないか。
 
「こうしていると、アンドロイドの身体だというのを忘れそうになるな。食べ物の味もする、触感も匂いも分かる。節々が痛くなったりポリープが出来たりすることもない。どこか破損すればヒョイと交換できる。肉体より便利だと思う瞬間があるよ」
「……そうか」
 
カフェは中庭に面しており、初夏の強い日差しが生い茂る緑を眩く輝かせている。生命の躍動を感じるその色彩を見ながら、俺はしみじみとコーヒーを飲み続けた。
 
「もし、今この状態で、俺の手術が失敗して本体が死んだら、俺はどうなるんだろうな? 法律上は家電になるそうだが、ミライクルの社長は続けられるのか?」
「さあ、それは株主と従業員に聞いたらいいんじゃないのか。法的規制はないぞ」
 
榑屋敷もコーヒーを飲みながら、俺のことを探るように見据えてくる。そんなことは分かっているさ、と肩をすくめ、俺は続けた。
 
「おかげさまでリハビリドッペルは好評だ。だが、あくまでも医療目的だから、健康な肉体になることを目指しているだろ。肉体が健康になれば、ドッペルゲンガーは用なしだ。だが、ドッペルゲンガーがいるなら、肉体は不健康なままでも構わないと思う患者が一定数いるんだよ。初めは理解不能だったが、俺自身がこの身体だから、だんだんそれでもいいかという気にもなってくる。義足や人工心臓の類と何が違うのかと思うね。どこまでが自己なのか、その認識の違いでしかないんじゃないのか」
「……ふむ」
「そう考えると、もっと重症の患者や、脳機能障害にも裾野を広げられるんじゃないかと思ったんだ。精神疾患の患者に、健常な脳波のAIをメモリーシェアすることで、正常な状態に戻せるんじゃないのか? 寝起きがままならない患者が、自身の介護用に購入したケースはもう前例があるんだろう」
「わかった、わかったよ、落ち着いてくれ來海」
 
榑屋敷は両手を上げて降参のポーズをとった。思い付きを話しているうちについ話しすぎてしまうのは俺の悪い癖だ。すまんと言ってコーヒーを飲むと、榑屋敷は苦笑いをしながら両手を下げる。
 
「お前は本当に医療の発展に人生を捧げた人間なんだな」
「そうかな、いい事業だと思ったんだが」
「いい事業だよ、俺もそう思う。いい事業だとも、医療の世界に留めるのは勿体ない」
「そうだろう、なら早速」
「來海。人の欲望は、限りがない」
 
榑屋敷は、ため息と共に、独白のように呟いた。俺はその様子に何か気圧されてしまい言葉をつぐむ。俺が黙ったのを確認すると、榑屋敷は視線を落とし、ぽつりぽつりと続ける。
 
「誰しも、多かれ少なかれ考えたことがあるだろう。もっと外見が優れていたら。もっと運動神経が良かったら。もっと頭が良かったら。全て、ドッペルゲンガーで叶うんだ」
「……外見と運動神経は分かるが、頭脳もなのか?」
「ああ」
 
榑屋敷が微笑む。
 
「可能なんだよ、來海」
 
抑えきれない喜びが、彼の口の端を押し上げている。
 
「……榑屋敷、それは」
「……あなた」
 
俺は言葉を続けようとしたが、誰かに肩を叩かれ、それが遮られた。振り向くと美鶴子が立っていて、手術が終わったようですよ、と続ける。
 
「ああ、もうそんなに時間が経ったか。美鶴子、ありがとうな」
 
妻に声をかけながら、榑屋敷の方も仰ぎ見ると、彼は肩をすくめて首を振っていた。話はこれで終わりのサインだ。また何かの機会に聞けばいいだろう。俺がぬるくなったコーヒーを飲み干して席を立つと、榑屋敷もそれに倣う。術後でぼんやりしているであろう、俺の肉体を見舞うべく、三人でカフェを後にしたのだった。

 

 

 

來海の術後の容体は順調で、ドッペルゲンガーの來海はすぐに仕事に戻っていった。榑屋敷と美鶴子が病室に残り、來海は点滴を打たれながら寝入ってしまっている。二人は特に会話もなく、沈黙がしばし流れた。
 
「……では、私もこれで。手術成功おめでとうございました」
 
榑屋敷が鞄を持って立ち上がると、美鶴子はその様子に目礼で答える。白髪頭の男はそのまま退室しようとしたが、扉を開けるか開けないかのあたりで、美鶴子も立ち上がった。
 
「……來海のことは、諦めなさい」
 
怒気の強い言葉に、榑屋敷はドアノブに伸ばしていた手を止め、ゆっくりと振り返る。睨みつけるような眼差しの美鶴子を、柔和にも見える微笑みで振り返った。
 
「さて、何のことかな、美鶴子くん」
「とぼけないで。繁一のメモリーシェアは、一生させないから」
「はあ」
 
眠り続ける來海。夫を守るようにベッドの前に立つ美鶴子。榑屋敷は二人をゆっくり見比べると、やれやれとため息をついた。
 
「美鶴鬼は何でも御見通しか」
「忘れようがないだけよ。天才になりたいから医者になるって嘯いていたあなたのことを。ドッペルゲンガーを購入した時、あなたの目的も検討がついた。でも残念ね、美鶴鬼さまを出し抜けるとでも思ったの?」
「來海は何百年に一度かの素晴らしい頭脳だ、それは間違いない。その保存に消極的とは残念だよ」
「保存? あなたが使いたいだけでしょう、來海の頭脳を」
「…………」
 
榑屋敷は苦笑いと共に、ゆっくり首を振って見せた。美鶴子は微動だにしない。榑屋敷はため息をつき、鞄を持ち直した。
 
「もし気が変わったら、いつでもメモリーシェアさせてやってくれ、すぐに弊社がバックアップを取るから。それまでくれぐれもあの頭脳を無碍に失う事がないよう、健康に気を付けてやってくれよ、天才美鶴子くん」
「そうね。おかげさまで仕事から解放されたから、ゆっくり療養できるでしょう」
 
二人は沈黙し、お互いを睨むように視線を合わせる。
 
「それでは、本当に失礼するよ」
「ええ、さようなら。榑屋敷によろしくね、ドッペルゲンガー」
 
病室の扉が、バタンと音を立てて閉ざされた。

 
 
 
 

❏ライタープロフィール
吉田けい(READING LIFE公認ライター)
1982年生まれ、神奈川県在住。早稲田大学第一文学部卒、会社員を経て早稲田大学商学部商学研究科卒。在宅ワークと育児の傍ら、天狼院READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。趣味は歌と占いと庭いじり、ものづくり。得意なことはExcel。苦手なことは片付け。

この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2019-05-15 | Posted in 株式会社ドッペルゲンガー

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