株式会社ドッペルゲンガー

最終回 「憧憬の記憶」《小説連載「株式会社ドッペルゲンガー」》


記事:吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)

Web READING LIFEにて、新作小説の連載がスタートいたします!
 
近未来の日本で、最新科学技術で作り出した自分そっくりのアンドロイドを使用する人たちの群像劇。
 
編集長も太鼓判の作品です。ライター・吉田けいが創り出す、ダークな世界観をお楽しみください。

第7話はこちら!

第7話 「欲望の起源」《小説連載「株式会社ドッペルゲンガー」》


 
 

「ただいま!」
 
元気のいい、可愛らしい声。ドサドサ、ぱたん、ドタドタと、賑やかな音が玄関からダイニングキッチンまで近付いてきた。
 
「ただいま、お母さん!」
「おかえり。おうちの中で走っちゃダメだよ」
 
ダイニングに、夏のヒマワリのような笑顔で、娘が飛び込んできた。キッチンに立っていた私を見つけると、ランドセルを背負ったままがばっと腰に抱き着いてくる。
 
「お母さん何作ってるの!?」
「さあ、なんでしょう」
「おやつ! あっ、パイだ!」
「正解。ランドセルを置いて、手を洗っておいで」
「はーい!」
 
娘は二つ結びにした髪の毛をなびかせて、バタバタと子供部屋の方に走って行った。走らないの、と形ばかり声をかけるけど、聞こえてないだろうな。ついこの間までオッパイを飲んでいたような気がするけど、もう小学二年生。大きくなったなあ、としみじみため息をつく。手元には、粗熱がだいたいとれたアップルパイ。ホールのまま大皿に移し替えて、私と娘のお茶の準備をする。お茶と言っても、私は紅茶で、娘はジュースなんだけど。
 
「手洗ったよ! パイ食べよう!」
「はいはい、食べようね、これテーブルに運んでね」
「はーい!」
 
娘にアップルパイを託すと、誇らしげな顔で受け取った。わあおいしそう! と歓声を上げ、ニコニコしながら匂いを嗅いでいる。以前は落としたりしないかと脇でハラハラしていたが、今は私もニコニコしながら見守ることが出来るようになった。私もケーキナイフ、取り皿、お茶をトレイに載せて追いかける。二人でセッティングして、きゃあきゃあ言いながら取り分けて、楽しいお茶タイム。娘はニコニコしながら今日の学校での出来事を話す。私が頷き、コメントすると、本当に幸せそうに笑ってくれる。
 
お茶が済んだら、次は夕飯の支度だ。娘は遊びに行くのかと思ったが、今日は私の手伝いをしてくれると言う。私もお言葉に甘えて、ひき肉をこねたり、ソースをかきまぜたり、サラダ用レタスをちぎったりするのを手伝ってもらった。少しずつ日が暮れて、家の中を美味しい匂いが漂い始める。料理は佳境というころ、今度は夫が帰ってきた。
 
「わー、美味そうな匂い! 今日はごちそうだな!」
「お父さん、琴音がハンバーグ丸くしたの!」
 
夫にじゃれつく娘、スーツが皺になっちゃうよ、なんて言いながらも、一緒になってじゃれる夫。二人してウォークインクローゼットに行って着替えて、洗面所に洗濯ものを出して手を洗い、何やら楽しそうに話しながら戻ってきた。
 
「さあ、もうできるよ、手伝ってね。お父さんのビールもあるよ」
「はーい!」
「やったー!」
 
二人とも子供のように笑い、我先にと手伝ってくれる。テーブルを布巾で拭いて、カトラリーを配り、食器を用意する。出来立てのシチュー、焼き立てのハンバーグ、新鮮なサラダ、ほかほかのごはん。夫にはおつまみセットの枝豆とチーズも。どれも美味しそうにできて良かった。エプロンを外して、私もニコニコ笑いながら、食卓に着く。
 
「それじゃあ──」
「いただきまーす!」
「いただきます」
 
娘の元気いっぱいな声を合図に、幸せな食事が始まった。
それは、私がその後何度となく思い出すことになる、大切な大切な記憶だった。

 

 

 

「……望永暁子さんの検査結果は、悪性でした」
 
病院で、ドラマでよく見かける告知を受けたのは、何か月前のことだっただろうか。体調不良が続き、風邪が長引いているのかと思って病院に行ったら、大きい病院で検査することを勧められた。言われるがまま検査したら、おもちゃ箱をひっくり返すように、次々と病気が見つかった。内臓にいくつも腫瘍。リンパ節に転移。ステージIV。医学がどれだけ進歩しても、手遅れになってしまったら、後は苦しみを緩やかにするしかない。自分としてはちょっと風邪が治らないと思っていただけなのに、世界ががらりと変わってしまった。夫は仕事が順調で、残業で午前様になることもある。子供は娘の琴音が一人。琴音が小学生になったのを機に、私もパートで働き始めた。可愛くて、気立てもよくて、お勉強も頑張っている琴音。優しくて頼りになる夫。そんな暮らしがずっと続いていくのだと思っていたのに、突然、私の世界は病院と薬だらけになってしまった。パートをやめて、更に詳しく検査して。抗がん剤投与、放射線治療、どの腫瘍から実施するか。いろいろな計画を立てなければいけなかったけど、ぼんやりしていて覚えていられなかった。泣きそうな顔をした夫が、いろいろと頑張って手配してくれていたみたいだ。
 
「……望永さん、治験の対象者になるおつもりはありませんか」
 
入院していた病院で、院長先生に呼び出されたと思ったら、院長先生の他にも何人か人がいて、またいろいろと説明をされた。聞くと、いくつかの製薬会社の人だという。まだ日本では許諾されていないけれど、ステージIVの悪性腫瘍にも効果がある薬や治療法がいくつかあり、好きなのを選ぶことができるのだそうだ。好きなものを一つ選んでいただきたい、と、リスト化された資料をもらった。治療は辛いけど、私はまだ諦めたくない。本当に効果があるものがあればやってみたい。病室に戻ると、私は必死の思いで資料を読み込んだ。体調がよくなくて、普段なら本を読んでいると気持ち悪くなっていたけど、それが気にならないくらい集中していた。いろいろな治療法や薬の説明が並んでいる中で、リストの下の方にあった治療法が、私の目を惹いた。
 
「コールドスリープ……ミライクル製薬」
 
映画とか漫画でよく見かける。実験が進んでいる、と時々ニュースになったりもする。でもまさか、この言葉を、このリストの中で見かけることになるなんて。本当に、フィクションでやっているようなコールドスリープのことなの? 紙をめくる私の指先は震えていた。
 
コールドスリープは、被験者を冬眠のような状態にすることで、新陳代謝を極限まで落とす。生命活動はほぼ停止した状態と言っていい。その状態で、被験者の治療に有効な新薬が開発された時に、スリープ解除して治療をする。
 
「スリープ前に、被験者のドッペルゲンガーを用意……」
 
ドッペルゲンガー。最近テレビやCMで見かける、自分そっくりのアンドロイドのことだ。本人とドッペルゲンガーの間で記憶を共有できるそうで、今や大人気なのだそうだ。
 
「スリープ中はドッペルゲンガーが被験者として生活、スリープ解除時にメモリーシェアすることができる……」
 
心臓がドキドキしている。指先が熱い。
私、諦めなくてもいいのかな? ただ治るだけじゃ駄目で、病院と薬だらけの世界ではないところに行きたい。琴音が大きくなって、綺麗になって、恋したりするのを、横で応援していたい。夫と一緒に、反抗期の琴音には困ったものだねと頭を抱えたり、疲れた時にはいたわってあげたり、時にはデートしたりしたい。友達とだって遊びたい、両親にもまだ何も恩返しできていない……。全部、諦めなくちゃいけないのかなと思っていたけど。これなら、治療できるまでずっと待っていられる。琴音の運動会や卒業式も、ドッペルゲンガーが見た記憶で、後から取り戻すことが出来る。
 
「……寛くんに相談してみよう」
 
形ばかり、夫の名前を呟いてみたけれど、私の心はもう決まっていた。
 
コールドスリープの治験を希望することを伝えると、ミライクル製薬での説明会に呼ばれた。そこには私と同じように、コールドスリープを希望する人たちがいた、全部で十名ほどだろうか。それぞれの事情が発表されるわけではなかったが、説明係の人の口ぶりから想像するに、みんな私と同じように、病気だったり、障害だったり、でも将来的に治療薬や治療法が確立される可能性が高いと言われている人たちだった。説明会では、ドッペルゲンガーの会社の人も来ていて、ドッペルゲンガーの作り方や扱いについて、簡単な説明を受けた。山のような許諾書にサインして、保険やローンの紹介を聞いて。夫と一緒にあれこれ算段を付けた。両家の両親にもずいぶんと助けてもらい、琴音が二十歳になるまでコールドスリープをする契約をした。今、研究中の新薬が、その頃には臨床で使えるようになっている可能性が高いらしい。琴音が二十歳かあ、成人式をリアルタイムで見られるのかな。病気だらけの生活に、少しずつ希望が見えてきたようで、体調が辛くても頑張ることが出来た。
 
私、生きられるんだ。死ななくていいんだ。
 
「お母さん、いなくなっちゃうの?」
「いなくならないよ、ちょっと長く眠るだけ。お母さんのドッペルゲンガーが来るから、ごはんも作るし、琴音は寂しくないよ」
 
がんのことはずっと琴音には黙っていたけど、コールドスリープをすることにしてからようやく打ち明けた。がんが何なのかも知らなかった琴音。お母さんは病気になって、それを治すためにクマさんみたいに冬眠する。そんな風に解釈したようだった。毎日毎日、夫との会話を、琴音との暮らしを、慈しむようにして過ごした。両家両親ともゆっくり過ごして、懐かしい友人にも会って。私は治る、人生を諦めなくてもいい。そんな希望が胸の中でどんどん大きくなっていくと、病気に打ち勝つ活力も沸いてくるような気がした。
 
私がコールドスリープする前日は家族水入らずで過ごした。当日は、朝から両家両親や友達がお見舞いに来てくれて、頑張ってね、待ってるよ、と私の肩を叩いてくれた。そうしているうちに、ミライクル製薬から私のドッペルゲンガーが届けられて、本当に私とそっくりだね、とみんなで驚いた。ドッペルゲンガーを載せてきた車で、入れ替わりで私がラボへと向かう。
 
「お母さん、これ……」
 
いよいよ出発となった時、夫の母と私の母、二人のおばあちゃんに背を押され、もじもじした様子の琴音が私の前にやって来た。手には、くたっとしたクマのぬいぐるみが二匹抱かれている。形はそっくりで、リボンの色が一匹は黄色、もう一匹はピンクだ。
 
「ことちゃん、お母さんに渡すんだって、頑張って作ったのよね」
 
夫の母の言葉に、こくりと頷く琴音。その目から、ぽろりと涙がこぼれると、二粒、三粒、どんどん溢れてきて止まらなくなった。
 
「ことちゃんの代わりにお母さんの近くにいてもらって、お母さんのこと応援してもらうんですって。あたしたちも手伝ったけど、布選んで縫って綿詰めて、全部ことちゃんが頑張ったのよ」
「琴音……」
 
寛くんも鼻を啜りながら、ちゃっかりスマホで撮影なんかしてる。私のドッペルゲンガーも、私のスマホで撮影してる。確かに私も撮影しちゃうな、と少し笑ってしまった。
 
「あのね、黄色がお母さんので、ピンクが琴音のクマさん」
 
私は笑ってしまったけれど、琴音はばあば二人がせっせとティッシュで涙と鼻を拭いてくれていたが、追い付きそうにもなかった。差し出されたクマごと琴音を抱きしめると、すぐに笑いは引っ込んで、私もポロポロ泣いてしまった。
 
「ありがとう、琴音、お母さんとっても勇気が出た! とっても上手にできてるね、お店屋さんで買ったみたい。お顔も可愛い、リボンも素敵! お母さんが黄色が好きなの覚えててくれたのね。ありがとう、ありがとう琴音、ゼッタイ元気になって帰ってくるから、待っててね!」
「うん……待ってる」
 
こんなの、みんな泣いちゃうよ~! 琴音の優しさを力いっぱい抱きしめて、思う存分泣いてから、私は夫に連れられて、ミライクル製薬へと出発した。

 

 

 

長い、長い夢を見ていた気がする。
海の底のような、宇宙のど真ん中のような。暗くて寒くて果てのないところで、ずっと一人で漂っている夢。
 
「…………」
 
ここはどこだろう。私は何をしているのだろう。ぼんやりしていると、暗かった視界が急に開けた。光が差してきたんだ。私が思わず目をつぶったが、光の中に人影が見えたので、はっとして身体を起こす。その人影は、白衣を着た男性で、手にはタブレット端末を持っていた。
 
「おはようございます、僕は医者です。確認のためお名前を教えて頂けますか」
 
三十代半ばくらいだろうか、私よりは年上に見えるけど、医者としては若いんじゃないか。
 
「望永暁子です」
「ありがとうございます。僕は医者の北方誠と言います。望永さんは、たった今コールドスリープからお目覚めになったところです」
 
私の答えに、医者の男性は、嬉しそうな様子を隠さずにニコニコと話した。見回すと、私は酸素カプセルのような機械の中に座っている。周りにも、似たようなカプセルがいくつもある。さっき起き上がったから、それまではこの中で寝ていたのだろう。普通に寝て起きた時と同じで、だんだんと寝る前のことを思い出してくる。そう、わたしは、末期がんでコールドスリープしていたんだ。コールドスリープに入る時は、病室で薬を飲んで、睡眠導入剤を点滴されて、そこで意識が途絶えたんだった。本当に、SFみたいな機械。私、未来に来たってことなのかな? 傍らには琴音にもらったクマがちゃんと座っていて、ちょっと笑ってしまった。
 
「あの、今は西暦何年なんでしょうか? 私の病気が治るってことなんですか?」
「聞きたい事、たくさんありますよねえ。まずはバイタルチェックをして、それから説明しますから、ちょっと待っててくださいね」
 
北方先生は、ニコニコしながらタブレット端末を操作した。タブレットの表面に、ホログラムのように映像や文字が浮かんでいて、先生はそれをつついたりつまんだりしている。すごい、ゲームしてるみたい! 私がすごいですねというと、今は3Dカルテが主流なんですよ、と教えてくれた。北方先生は私をカプセルから降ろしてくれると、先立って歩き始めた。記憶とほぼ変わらない、白くて無機質なラボ。連れていかれた先では、身長体重を測ったり、心臓の鼓動を聞いたり、全身をスキャンしたり、脳波を測ったり。どんな仕組みで、何の検査かさっぱり分からないけど、それでも病気の頃と比べて、ずいぶん機械が進化したな、というのは分かる。最後に机と椅子だけある小さな部屋に連れていかれると、そこにはテーブルと椅子、それからテーブルの上にあたたかそうなスープがあった。
 
「ずっと休んでいたところ、いきなり固形物を食べると内臓がびっくりしますから。ひとまずこちらを食べてください」
 
にこにこしている北方先生に促されて、私は椅子に座り、スープを飲んだ。とろとろしていて、あまじょっぱい。でも、染みわたるようで美味しいな。私がどんどん食べていると、北方先生は一度部屋を出ていき、私が食べ終わるよりも前にまた戻ってきた。今度は先生だけではない、その後ろに人影がいる。
 
「あ、ドッペルゲンガー!」
 
私が嬉しくなって立ち上がると、私にそっくりなアンドロイドがにっこり笑いかけ、私の向かい側に座った。おいてきてしまったと思っていたクマも持ってきてくれていた。黄色いリボン、琴音が選んでくれた色だ。
 
「解凍おめでとう、暁子」
「ねえ、おめでたいの!? 今って西暦何年なの? 私もう病気治ったのかな、寛くんは? 琴音は?」
「まあまあ、落ち着いて。スープ食べて、内臓機能のチェックが終わらないと、メモリーシェアの許可が出ないんだよ?」
「あ、そうなの?」
「そうなの。だから早く食べちゃいなよ」
 
ドッペルゲンガーは私の顔でにこにこ笑っている。鏡を見ているようで、変な気分だ。私が急いでスープを食べる様子を、クマを抱っこしながら何も言わずにずっと見ていて、ちょっと居心地が悪い。
 
「ねえ、あれから何年が経ったの? 教えてくれたっていいでしょ」
「知りたい?」
「知りたいよ、そりゃ!」
 
ドッペルゲンガーの笑顔が、ちょっと悲しそうに曇る。
 
「……暁子がコールドスリープに入ってから、102年が経ったよ」
「ひゃ、102年!? 琴音の成人式の時じゃなかったの!?」
 
私は思わず大声を出してしまった。手からスプーンが落ちて、皿ではなくテーブルの上に落ちて、テーブルを汚してしまう。ドッペルゲンガーがスプーンを拾って皿に戻し、ティッシュで汚れを拭く。寛と喧嘩した時の私のような、無言の動作に苛立って、私はドッペルゲンガーの手からティッシュをむしり取り、机をごしごしと拭いた。
 
「ねえ、102年って、冗談でしょ!?」
「ホントだよ。新薬開発が難航して、琴音の成人式の時期に間に合わなかったの」
「それにしたって、100年って……」
 
頭がぐるぐるする。心臓がバクバクしている。足が震えて、椅子に座っているはずなのに、何かに捕まっていないと体を起こしていられない。
 
「……100年って、もうみんな死んじゃったってこと? 寛くんも、親たちも、琴音も?」
「……いきなり、結論を話すとショックでしょ。メモリーシェアで順番に見た方がいいよ」
 
否定しない言い方。きっとみんな死んでしまったんだ。心臓はまだバクバクしていたけど、とにかくメモリーシェアをしなくちゃ。頑張ってスープを食べて、横でおろおろしていた北方先生に急いでもらうように頼んで、いろんな検査を一気にした。途中で仮眠をして、トイレに行って、尿や便も検査されて、ようやくメモリーシェアの許可が出た。
 
北方先生に連れて行かれたのは、映写室のようなところ。小さな映画館のようにスクリーンが前方にあり、椅子がいくつか並んでいる。
 
「あれ、メモリーシェアって、ヘッドギアでするんじゃないんですか?」
「通常はそうなんですけどね。貴重なデータなので、シェア中の望永さんの脳波や身体反応を記録させていただきたいんです」
 
そう言って、私にはヘッドギアをはじめ、いろいろな機械がつなげられ、椅子に座った。私の横に座ったドッペルゲンガーも、背中にコードを挿されて、それが何か大きな機械に繋がっている。
 
「……ねえ、本当に100年も経ったの?」
「……102年ね」
「信じられない、私、一人になっちゃったんだ……」
「まあ、とにかくシェアを見て」
 
ドッペルゲンガーは悲しそうな顔をすると、私の手をそっと握った。やわらかくて暖かい、まるで人間のような手。この手は私の代わりに琴音を守ってくれたんだろうか。ドッペルゲンガーは私にクマを抱かせると、前のスクリーンを見るように促した。
 
「それでは、シェアを開始いたします」
 
北方先生の言葉を合図に、部屋の電気が暗くなった。やっぱり映画館みたいだな、と思っていると、目の前のスクリーンにクマのぬいぐるみを抱いて泣いている琴音と、それを抱きしめる私が映し出される。
 
「あ! これ、私がコールドスリープに行くとき!」
「……そうよ」
 
泣いている琴音、それを励ます私。ちょっと涙ぐんでるばあば達。私からは見えなかったけど、一所懸命涙を拭いている寛くん。みんな、私を心配してくれてたんだな。私にとっては、懐かしいと言うより、ついさっきのことのように思える。さっき獲った動画をもう一度見ているような、そんな感覚だ。私のこと、待っててくれたのかな? でも、102年経っちゃったから、もう会えないのかな……。この先を想像して勝手に涙ぐんでいると、シーンがどんどん変わっていった。
 
ドッペルゲンガーが私の代わりになった生活を始めた望永家。夫は仕事を頑張り、琴音はいい子で過ごしていた。ドッペルゲンガーの気配りや、言葉がけ、本当に私みたいだな。思わず惚れ惚れとして映像に魅入ってしまう。でも、琴音、ちょっと無理してるんじゃないかな、あんまりにもいい子すぎる。もっとおちゃめで、いたずらっ子で、私に良く叱られてなかった? 一所懸命お手伝いして、おりこうさんにして、すごいじゃない……。ある日夜中に琴音の様子を見ると、枕に顔をうずめて泣いていた。ドッペルゲンガーが声をかけるけど、その手を振り払い、一人で泣き続ける。
 
「あなたは、お母さんにそっくりだけど、お母さんじゃない……!」
「…………!」
 
ドッペルゲンガーがショックを受けた痛みが、私にも伝わってくるようだった。アンドロイドが痛みって、おかしいのかもしれないけど。ドッペルゲンガーだけど、琴音と夫のことを思って頑張ってたじゃない。ドッペルゲンガーがついてるから、琴音がさみしくないからと思って、お母さんはコールドスリープをしようって決めたんだよ……。でも、映像に向かって呟いてみても、その声が当時の琴音に届くはずもない。涙をぼろぼろ流していると、隣にいるドッペルゲンガーがまた私の手を握り、ハンカチを渡してくれた。
 
映像は、少しずつ家族がぎくしゃくしていく様子を映していた。ドッペルゲンガーに少しよそよそしい琴音。腫れ物に触れるようだった寛の帰宅時間が、少しずつ遅くなっていく。二人だけのことが多くなった望永家。夫婦の会話、といっても、寛とドッペルゲンガーの会話も減り、事務連絡くらいしかなくなっていく。琴音、どうして? ドッペルゲンガー、お母さんだと思ってくれなかったの? こんなにそっくりなのに、琴音にとっては違ったの? 私の疑問は置いてけぼりにして、映像は進んでいく。琴音が中学生になって少し経った頃、珍しく、琴音、寛、ドッペルゲンガーの三人がテレビに見入っていた。それは、何かの事件のあらましの説明と、記者会見の様子を映し出しているようだった。白髪頭に眼鏡の男の人。あれは確か、ドッペルゲンガーの社長の、榑屋敷さんじゃなかったかな。
 
「……ドッペルゲンガーに、何かあったの?」
「……まあ、見てて」
 
私の呟き声に、私のドッペルゲンガーは嫌そうな声で答えた。
 
映像の中のテレビ番組の解説に寄れば、株式会社ドッペルゲンガーが、新しいサービスを開始したとのことだった。それは、自分をコピーしたAIであるドッペルゲンガーに、その人が持っていない知識やスキルを移植する、というものだ。移植するための知識やスキルのソフトフェアを、知識の種、シードと呼ぶらしい。パソコンにソフトを入れたり、スマホにアプリを入れたりするような感覚で、いろいろなシードをドッペルゲンガーに入れることができるそうだ。英語ができるようになりたければ英語のシード、運動が得意になりたければ、運動に関連するシード。積極的になりたければポジティブなシード、思いやりの気持ちが育つシード。そうやって自分が欲しいシードをどんどん入れていくことで、ドッペルゲンガーの能力や性格を、思いのままに変えられるというのだ。そして、それを自分自身とシェアすると、なりたかった自分になれる、ということだった。
 
「…………!」
 
なんだろう、とんでもない話すぎて、頭の処理が追いつかない。でもそれは映像の中でも同じだったみたいで、何度も何度も解説が入っていた。一方、それが事件になる理由は、榑屋敷さん自身もドッペルゲンガーだからということらしかった。榑屋敷さんの生身の方はもう何年も前に事故で四肢損傷し、車いす生活となっているらしい。その上、ドッペルゲンガー開発のため、何度も脳に負荷がかかる実験を繰り返したので、廃人のようになり、ずっと家に閉じこもって、わけのわからない独り言ばかり呟くだけになってしまったと。その榑屋敷さんの様子から、新しい商品は人道に反するものだ、みんな榑屋敷さんのようになってしまう、AIは人間にとって代わることはできない、と糾弾されているようだった。榑屋敷さんを取り囲んだ記者会見の中継で、罵倒のような声がひっきりなしに飛び交っている。
 
「くれやしきさん、シードは安全と言いますが、エラーやバグが起きる可能性は本当にないのでしょうか!?」
「間接的に人間の脳を作り変えることを意図されて開発したという事ですか!?」
「人間はAIに劣り、駆逐されていくという事なのでしょうか!?」
「人間にしかできないこともたくさんあると思いますが、それらは無視してもよいという事なのでしょうか!?」
 
榑屋敷さんは、無表情で罵倒を受けていたけれど、急にうつむいて口を押え、肩を震わせた。周囲はどよめき、写真をたくさん撮る。榑屋敷さん、泣いてるんですか、という誰かの叫び声に対して、返事の代わりに、あはははは、と爆発したような笑い声が響いた。
 
「みなさん、非難するパフォーマンスがお上手ですね」
 
ざわ、ざわ、と会場にどよめきが起こる。
 
「AIは人間の代わりになれないというのなら、私ではなく、家にいる生身の榑屋敷に質問すればいいでしょう。私はドッペルゲンガーに過ぎないんですから。ここにいるドッペルゲンガーに、榑屋敷のことを質問するという事は、このドッペルゲンガーが榑屋敷玄朔であると認めて頂いている、何よりの証拠でしょう」
 
そんなのは屁理屈だ! という叫び声がするが、榑屋敷さんはまた笑い声を上げた。
 
「みなさん、非難してはみたものの、自分ならどのシードにするか考え始めているのではないですか? バグやエラーが怖いと言っても、使用方法を誤らなければよいのだから、自分ではうまくできると思っているのではないですか。学歴もルックスも内面も、すべてのコンプレックスが解消されます。知能も外見もすべて思うがまま、オンラインゲームのアバターで現実世界を楽しめるようになったんですよ」
 
最後には、会場はシーンと静まり返ってしまった。テレビ中継とニュースはここでおわり、望永家のテレビも電源が切られた。琴音が寛くんとドッペルゲンガーを交互に見比べるが、どちらも何も言わない。琴音がため息をつき、自分の部屋に戻る様子を、私のドッペルゲンガーが悲しそうに目で追っていた。
 
それからしばらく、毎日のように望永家のテレビの様子が映し出された。内容はもちろん、ドッペルゲンガーの特集だ。シード機能の是非を討論する番組もあれば、実際にドッペルゲンガーを使っているユーザーの声を集めたものもあった。レンタルで使用した若い男の人は、なかなか楽しかったと言っていた。若くて美人だったころの自分のドッペルゲンガーを作って楽しんでいるという女の人。パパのドッペルゲンガーを作って、育児を助けてもらっているという家族。有名な漫画家さんが、寝たきりになってもドッペルゲンガーで執筆を続けている様子。アイドルの女の子が自分のドッペルゲンガーでファンと交流する企画があったこと。リハビリドッペルが、医療の現場で活躍している様子。そして、コールドスリープを開発したミライクル製薬の社長さんも、自分の手術のためにドッペルゲンガーを作り、うまく機能しているという事。
 
榑屋敷さんの言う通り、みんな形ばかり非難がましいことを言っていたけど、ユーザーのコメントはどれも肯定的だった。ドッペルゲンガーの人気はあっという間に広がり、一家に一台、一人一台、車を買うみたいに、本当に沢山の人がドッペルゲンガーを作るようになった。そうすると、次によく取り上げられるようになったのは、医療の現場のようだ。肉体の治療にお金をかけず、ドッペルゲンガーが本当の自分だという事にして生きることにする人が増えるというのだ。テレビ番組もインターネットもSNSも、いろいろな人のいろいろなドッペルゲンガーを紹介している。その中で、なんと私のドッペルゲンガーも紹介されていた。
 
「末期がんを患い、コールドスリープ中のAさん。彼女のドッペルゲンガーと暮らす家族にも、異変が起き始めています」
 
淡々としたナレーションに、私は思わず隣のドッペルゲンガーを見る。ドッペルゲンガーは無表情で映像を指差し、続きを見なよ、と呟いた。画面には、ボカシが入った夫がインタビューする姿が映っている。
 
「妻のドッペルゲンガーはいるわけだし、コールドスリープの維持費もかさむし、そろそろいいかな、という気もしています」
 
画面が変わり、今度は自宅の様子。全体にボカシが入り、女の子の叫び声がする。
 
「嫌だ、絶対イヤ! お母さんのコールドスリープやめるのは絶対ダメ!」
 
母のドッペルゲンガーを受け入れられない娘、とナレーションが入る。私以外にも同じようなケースがいくつもあった。それは私と同時期にコールドスリープした人もいて、新薬開発で完治した人もいれば、治療費を理由にコールドスリープを解除し、ドッペルゲンガーにその後を託して亡くなった方もいる様子だ。目覚めた人たちは、家族から説明を受け、ショックを受けた様子だけど、ドッペルゲンガーとシェアすることでだんだん様子が落ち着いていく。そんなケースがずっと続いていた。
 
なに、これ。
私も、病気が治ってないけど、もう死ねってこと?
 
「……まだ、最初の十年だよ」
 
ドッペルゲンガーが、力強く私の手を握った。
 
高校生になった琴音と寛くんはよく喧嘩するようになった。その理由は私のコールドスリープのことだ。琴音は喧嘩する度に大泣きしていた。寛くんはほとんど家に帰らなくなり、ある日、離婚届を記入してくれとドッペルゲンガーに迫った。法的に問題がないかを確認して、コールドスリープ中につき特例が認められ、私と寛くんは他人になったようだった。琴音は寛くんについていかず、ドッペルゲンガーの私と二人で暮らし始めた。琴音の成人式になって寛くんと再会した時、隣には見たことのない女が立っていて、琴音が寛くんに平手打ちしていた。
 
「もうすぐ、もうすぐお母さんの新薬が出るから! それまでだから……!」
 
琴音はよくドッペルゲンガーにそう言いながら、こぼれた涙を自分で拭いていた。でも、新薬は琴音の成人式が過ぎてもまだ開発されなかった。しびれを切らした琴音は何度も製薬会社に問い合わせたが、研究が上手くいっていない、との答えしか返ってこなかった。琴音は通っていた私大をやめて、猛烈に勉強した。パートをしながらそれを支えていたドッペルゲンガーが心配するほどの頑張りようだった。その目的は、もっと上の大学、それも医学部に入り直すことだったみたいだ。無事合格してからも猛烈に勉強した琴音は、晴れて医者になった。奨学金の返済と、コールドスリープを維持する費用が生活に重くのしかかり、琴音もドッペルゲンガーも必死に働いていた。
 
医者として、がむしゃらに働く琴音。友達のつてで知り合った、人のよさそうな男性と結婚して、男の子を授かったみたいだ。綺麗なウェディングドレス、似合ってたよ。ドッペルゲンガーは琴音の横で、ずっと生まれた子の祖母として琴音を応援していたけど、もう琴音の方がドッペルゲンガーより年上になってしまった。私の両親は、何度も何度も琴音に頭を下げて、ろうそくの火が消えるように亡くなっていった。寛くんと寛くんの両親の消息はもう分からなかった。それから何年も、何年も、ただひたすらに琴音が頑張る様子が続いていく。世の中はドッペルゲンガーがいることが当たり前になって、医学は私がコールドスリープする前ほど重んじられなくなった。それでも琴音は生身の肉体の大切さを訴え、その病気を治す研究を続けているようだった。
 
琴音がもうすっかりおばあさんになった頃、ようやく琴音の研究が実を結んだみたいだ。学会でひっぱりだこになり、研究内容を発表する日が続いた。ドッペルゲンガーはもう琴音の母ではなく、秘書のような役割でそれについていった。琴音の息子も医学部に入って医者になり、琴音と何かのプロジェクトを立ち上げたようだ。琴音から何かの指導を受けて、プロジェクトの計画を立てる。時々製薬会社のラボに行って、実験をしては試行錯誤しているみたいだ。
 
琴音の息子、私の孫も結婚して子供が生まれた。琴音の孫、私の曾孫も私の年齢を超えてしまった頃、どこか見たことあるような顔になった。あれ、これ、さっきの北方先生にそっくりじゃない? 北方先生は実験を繰り返し、ようやく成功した、これで治療できる! と手を上げて喜んだ。すっかりよぼよぼになって、車いすに乗っていた琴音も、涙を流して喜んだ。そうか、何か見たことあると思ったら、北方先生がいるのは、このミライクル製薬のラボなんだ! 琴音の研究を北方先生が受け継いで、もしかして、私の娘と曾孫が、私を治してくれるの? 予想通り、コールドスリープ中の私に、いくつも処置がなされていく。三年ほどかけて私の治療が進んだ。
 
そして、私の目線の先に、スープを食べている私が映る。
 
「…………」
 
映像が終わった。ドッペルゲンガーが私をじっと見ている。その向こう側で扉が開き、北方先生と、車いすに乗ったおばあさんが室内に入ってきた。顔も手もしわしわで、すっかりしぼみ切ってしまっているおばあさん。その手に、ピンクのリボンをして、ボロボロに薄汚れたクマのぬいぐるみが、弱々しく抱かれている。
 
「……琴音?」
 
私の言葉に、おばあさんが、ぽろりと涙を流す。北方先生がこちらに近づいてきてくれて、私の目の前に車いすを寄せてくれる。私が車いすの前にかがんで、おばあさんの顔を覗き込むと、おばあさんはクマから手を離し、私の頬にそっと触れた。
 
「おかあ、さん……」
「琴音……」
「腫瘍、琴音と、誠が、治したよ……」
 
震えている指先。かすれた声、ポロポロと零れる涙。これが琴音? あの小さくてかわいかった、私の琴音なの? でも、この眼差し、確かに琴音と同じ。この人は琴音なんだ。私の病気、諦めてくれても良かったのに。世間が言う通り、ドッペルゲンガーを私だと思って、自分がやりたいことをやってよかったのに。私、事情を話してくれたら、きっと受け入れたと思う。
 
でも、琴音はそうしなかった。
ドッペルゲンガーではない、生身の私を助けるために、人生を賭けてくれた。
大切な、大切な、あんなに小さかった琴音が、私なんかのために。
 
「琴音……ありがとう、頑張ったのね、お母さんなんかのために……嬉しい、嬉しいよ琴音、ありがとうね……」
 
私も涙がこぼれていく。おばあさんの琴音を抱きしめて、白髪の頭を撫でる。そうすると、腕の中で琴音が、ああ、と、長い長いため息をついた。
 
「もういちど……こうやって、おかあさんに、ほめて、もらいたかった……」
 
その、優しい声。琴音の言い方そのままだ。私は琴音が愛しくなってぎゅっと抱きしめた。されるがままの琴音がゆっくりと息を吐くと、その身体から力が抜けた。北方先生がハッとして琴音の首に手を当てる。慌てた様子の北方先生を、琴音がその手を掴んで引き留める。顔を歪める北方先生。私が力の限り抱きしめる中で、琴音の呼吸がどんどんゆっくりになり、最期の深いため息の後、もう動くことはなかった。
 
「……琴音……!」
 
最愛の娘を抱きしめているのに、私は泣くことしかできなかった。

 
 
 
 

❏ライタープロフィール
吉田けい(READING LIFE公認ライター)
1982年生まれ、神奈川県在住。早稲田大学第一文学部卒、会社員を経て早稲田大学商学部商学研究科卒。在宅ワークと育児の傍ら、天狼院READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。趣味は歌と占いと庭いじり、ものづくり。得意なことはExcel。苦手なことは片付け。

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2019-05-20 | Posted in 株式会社ドッペルゲンガー

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