【ガラパゴス。世界自然遺産第1号を旅して】第2回 よみがえれ、ゾウガメの島《天狼院書店 関東ローカル企画》
2021/06/14/公開
記事:岡 幸子(READING LIFE編集部公認ライター)
2019年8月。
ガラパゴス諸島へ到着した翌日は、朝から雨が降ったり晴れたり、天気が目まぐるしく変わった。サン・クリストバル島の8月は、そういうものらしい。
午後、島のゾウガメを飼育繁殖しているセロ・コロラドセンターへ向かった。市街地を野生のアシカやイグアナがうろついているガラパゴスでも、さすがにゾウガメはいなかった。
飼育下でもいい。憧れのガラパゴスゾウガメに会える!
遠足前日の小学生のように浮き浮きした気分だった。
センターに着いたときには、小雨が降っていた。雨合羽を着てマイクロバスを降りた。東京だったら暑苦しくて辛い8月の雨合羽が、少しも苦にならない。軽井沢のような涼しさだ。まさか赤道直下のガラパゴスが、東京の避暑地になるとは思わなかった。
ぬかるんだ道を歩いてセンターの奥へ進む。
「この天気だと、今日は立派なゾウガメは見られないかも知れません」
ガラパゴスの歩く百科事典、奥野玉紀さんが言った。
日本を代表するガラパゴスの専門家は、天候で変わるゾウガメのご機嫌もわかるらしい。
「いるとしたら薮の奥の方ですから。歩きながらよーく探してみてください。ちなみに、そこに落ちているのは、ゾウガメがかじったグアバの実です。大好物です」
かじりかけのグアバの実には、まだ食べられる部分がずいぶん残っていた。好きな所だけちょっぴり食べて次の料理に手を伸ばすとは、カリオストロ伯爵の朝食ではないか。気ままな大金持ちのやることだ。
「グアバ好きなら全部食べればいいのに、もったいないですね」
「今は食べ物が豊富にあるのでしょう。食べ残しがなければ観察できませんからね」
その時、前を行くツアー仲間の声がした。
「いましたよ、ゾウガメ!」
急いで近くまで行った。
目を凝らすと茂みの奥に確かにゾウガメがいた。頭を下げてじっとしている。
初めて見る野生のゾウガメは、しわしわの首とつぶれた鼻と引き結んだ大きな口が、スピルバーグの映画に出てくる“E.T.“を連想させた。
長い首がゆっくりと上がる。
こちらを見た。
あわてて写真を撮った。
「まだ小さいですね」
奥野さんが言った。
「ゾウガメは最大で体長150センチ、体重250キロにもなりますからね。あの倍くらいにはなりますよ」
「何年くらいで?」
「あと10年くらいかなぁ。ゾウガメは成熟するまで20~30年、寿命は150~200年といわれています」
「うわぁ、動きと同じように成長もゆっくりなんですね」
感心していると奥野さんが、さらに驚くべきことを言った。
「ゾウガメは消化もゆっくりなんですよ。色々な木の実や草を食べますが、消化には1週間から3週間もかります。今日出したフンは、だいたい1ヵ月前に食べた残りかすなんです」
「そんなにかかるんですか!」
ゾウガメは、動きもゆっくり消化もゆっくりで、一度にがつがつ食べないのかも知れない。しわしわごつごつの風貌だが、苦労知らずのお嬢様のようにおっとりしている。警戒心もゼロだった。
センターの奥まで行くと、腰の高さのコンクリート設備があった。上部は金網でおおわれていた。のぞき込むと、それぞれの区画に子ガメが4~5頭ずつ入れられていた。小さいものは手のひらサイズだ。かわいい。
ガラパゴスでは、「動物に2メートル以上近づかない」という観光客が守るべきルールがある。触れないのが残念だ。
奥野さんが言った。
「ゾウガメの人工繁殖は、苦労の連続だったんですよ。日光に当てないと甲羅が硬くならないことがわからなかったり、子ガメがネズミに食べられてしまったり。外に出して、ネズミ除けに二重の金網をつけたのに、2005年、このセンターで初めて卵からかえった子ガメは、アリに襲われたんです。生き残ったのはわずか1頭だけでした」
「えっ、まさかアリが子ガメに群がって食べてしまったとか?」
「そのまさかです。当時入ってきた外来種のアカカミアリにやられたと聞いています」
驚いた。
カメには固い甲羅もあるし、皮膚もごつごつして硬そうだ。まさか子ガメがアリに食べられてしまうとは。甲羅のせいで硬そうに思えるが、カメの肉は案外、柔らかいのかも知れない。
「無人島だったガラパゴス諸島に、16世紀以降、海賊や船乗りが立ち寄って航海中の食料としてゾウガメを持ち去った歴史もあります。記録に残っているだけで4万頭、それ以外も含めるとトータル約20万頭が食用にされたとも言われています」
「そんなにたくさん……」
「ゾウガメは何カ月も飲まず食わずで生きられるので、船に積む新鮮な肉として好都合だったんですよ。一度に数百頭ものゾウガメを積みこんでいったと言われています」
海賊や船乗りたちに連行されて、甲板にずらりと並んだゾウガメを想像した。彼らにとってゾウガメは、好きな時にいつでもフレッシュな肉を取り出せる、天然の冷蔵庫だったのだ。
「もともと、ガラパゴス諸島にはゾウガメがとてもたくさんいたんです。ガラパゴスというのは、スペイン語でリクガメを意味する『ガラパゴ(Galapago)』からきているんですよ」
「ガラパゴス諸島は『ゾウガメの島々』という意味なんですね!」
感心していると、奥野さんがさらに詳しく教えてくれた。
「ゾウガメの島だったのに、激減してしまった一番の原因は、船乗りがヤギやブタ、ネズミなんかを持ち込んだことですね。それまで、ゾウガメはガラパゴス諸島最大の草食動物でした。野生化したヤギが増えて草を食べられ、ネズミに卵を食べられたせいで減ってしまったんです。だから今は、諸島全体でヤギの駆除にも力を入れています」
ゾウガメとヤギが同じ土地に住んだら、ゾウガメに勝ち目はなさそうだ。すばしっこいヤギが野生化して数を増やし、吸引力抜群の掃除機のように、その辺の草を片っ端から口の中へ入れていく様子が目に浮かんだ。
「人間のせいで、ゾウガメが絶滅に瀕しているのは辛いです」
「19世紀末から20世紀初頭にかけて、カメ油をしぼったり、住民の食料としてもゾウガメが殺されて、15種いたうちの4種が絶滅してしまいました。1964年、世界の科学者の協力で、サンタ・クルス島にチャールズ・ダーウィン研究所ができたとき、最初に取り組んだのがゾウガメの保護でした」
「ああ、それで飼育繁殖センターが作られたんですね」
「そう、諸島内に4カ所ある飼育繁殖センターから、島に戻されたゾウガメの数は、50年間で7,000頭を超えました。ヤギなど外来種の駆除も成果をあげて、今では、諸島全体で2万頭を超えるまでに回復しています」
よかった。心ある人たちの努力で、ゾウガメの数は少しずつ回復しているのだ。
明日は、ゾウガメ保護の中心地、サンタ・クルス島へ行く。
「明日はきっと、今日の倍くらい大きなゾウガメが見られますよ」
奥野さんの予言だ。きっと見られる、楽しみだ。
そう思った。
まさか、その先にもっと大きなサプライズが待っていようとは。
ガラパゴス諸島に到着して、3日目の朝。
早起きして朝食を済ませ、朝7時にはホテルをチェックアウトした。
2つめの島、サンタ・クルス島へ移動するためだ。
高速ボートに乗る前に、桟橋でスーツケースを全開にして手荷物検査を受けた。
本当は、スーツケースを開けたくなかった。整理整頓が苦手なので、旅先の一人部屋で2泊もすれば、部屋中に荷物が散乱した。それを手当たり次第に詰め直すから、中身は悲惨だ。旅行前、どんなにきれいにパッキングしても、旅先のスーツケースは大型台風が吹き荒れたように、ぐちゃぐちゃになってしまう。
恥ずかしいけど仕方ない。
ガラパゴスでは、諸島内の別の島へ移動するときも細心の注意を払い、人と一緒に生ものを移動させないのが鉄則だった。
それを怠るとどうなるか。
もともとその土地にいなかった生物、つまり外来生物が、天敵がいないのをいいことに急激に増えることがある。店員も警備員もいないコンビニに、盗みに入るようなものだ。棚のお菓子も日用品も盗り放題、レジのお金も好きなだけ持っていける。盗みに入った泥棒が栄え、盗まれた店は衰退する。
ガラパゴスでもそれが起こった。
栄えたのは、人が持ち込んだヤギのほか、ヒアリ、アシナガバチ、ブラックベリーなどだった。船や飛行機にくっついたり、食用の野菜や果物に混ざって検疫をすり抜けたのだ。すでに諸島内に広がって勢力を増した外来生物を駆除するだけでも大変だ。これ以上、余計な生きものを他の島に広げないように、水際対策に力を入れるのは当然のことだった。
だから、船に乗る全員のスーツケースの中身をチェックする。
おかげで、私のようなミーハーな観光客も、ガラパゴスの人々が島の固有の自然を守ろうと頑張っていることを、肌で感じることができた。
無事に荷物検査をパスして、乗り込んだ高速ボートは、本当に高速だった。
青い海をひた走り、約2時間でサンタ・クルス島へ着いた。
昼食は、野生のゾウガメが来るという農家経営のレストランまで、マイクロバスで移動した。
バスを降り、2分もしないうちに前を行くツアー仲間が叫んだ。
「ゾウガメがたくさんいますよ! しかも昨日見たのより大きい!」
見ると、レストランの看板のすぐそばに大物がいた。
看板の後ろの草の上にも、数頭のゾウガメがいた。
茂みの奥の方にはもっといそうだ。
ここは、もともと野生のゾウガメが繁殖のために集まってくる場所で、偶然その一部に農場を拓いたのだった。20世紀後半、ゾウガメが観光資源になるとわかって、敷地の中に副業でレストランを開いたという。観光客は毎日やってくる。ゾウガメは野生なので、何の世話もいらない。夢のようなビジネスモデルだ。
ゾウガメがいるすぐ近くのオープンハウスで昼食をとった。
運ばれてきた料理を見て驚いた。銀座のビストロのような、オシャレでモダンなフレンチだった。器も盛り付けも美しい。しかも、さすが農家だけあって、野菜たっぷりで味もいい。銀座フレンチのような昼食を、公園の休憩所のような柱と屋根しかない場所で食べられるとは思わなかった。おまけに、その気になれば食事をしながら、草をはむゾウガメを見ることもできる。最高だ。
食後は長靴を借りて敷地の中を散策した。
いたる所にゾウガメがいた。草の上、沼の中、そして駐車場。
薮の中ではない。
手を伸ばせば届きそうな距離にゾウガメがいる。
なんという幸せ。
ここでも、写真は撮り放題だった。
この日、ガラパゴスゾウガメとの出会いを満喫した私たちに、さらに大きなサプライズが待っていた。
サンタ・クルス島に渡って2日目の午後。
移動中のマイクロバスの車内に、奥野さんの声が響いた。
「あれ多分、新種のゾウガメですよ! 見に行きましょう」
バスが止まった。
こんな車道のすぐそばに、都合よく新種がいたりするものか?
半信半疑で車を降りると、奥野さんが示す方向に、たしかに野生のゾウガメがいた。
こちらに近づいてくる。
「やっぱり新種ですね。この島はもともと東西に2種類のゾウガメがいたんです。数年前に丘の上の地域にいるのは別種ではないかと言われ、DNAの比較研究から認められたばかりなんですよ」
それにしても、走る車の窓からチラリと見ただけで、ゾウガメの種類までわかるとは!
奥野さんは、やはり只者ではない。
「これはメスですね。お腹が膨らんでいるでしょう。オスは交尾のときに甲羅の上に乗りやすいように、お腹が凹んでいるんですよ」
「ほんとだ、お腹ふくれてますね! 甲羅がピカピカで、昨日のより丸みが大きいですね」
私は目の前を横切っていくガラパゴスゾウガメにカメラを向けて、夢中でシャッターを切った。
「こんな所で会えるのは、ゾウガメが増えてきた証拠でしょうか?」
「いえ、この新種は、島の東側に数百頭しかいないので、ここで出会えたのは本当に幸運です」
奥野さんの言葉に、ガラパゴス訪問49回目のベテラン添乗員、波形さんが続けた。
「私も長年添乗していますが、こんなタイミングでゾウガメに出会うのは初めてです。みなさんは本当に運がいいですよ」
たしかにその通りだ。
幸運な出会いと、このゾウガメを新種とわかる奥野さんがいてくれたおかげだ。
そう思うと、目の前のゾウガメの甲羅がさらに輝いて見えた。
「ガラパゴスゾウガメは、4種が絶滅してしまいました。それでも、諸島全域でまだ10種以上が野生で繁殖しています。他にも、ゾウガメのようにガラパゴス諸島にしかいない固有種はいくつもあります。しっかり守っていきたいですね」
本当に、その通りだ。
貴重な生きものも、人間が貴重だと認識して保全への意志を持たなければ、ドードー鳥やフクロオオカミのように、あっけなく絶滅してしまうだろう。それは嫌だ。ゾウガメの前で強くそう思った。
新種のゾウガメは、人間たちにカメラを向けられてもまったく動じることもなく、茂みの中へゆったりと歩き去った。堂々としてたくましい。人間よりはるかに長い寿命を与えられたこの生きものは、この島の先住民だ。私たちは彼らに敬意を払い、ガラパゴスのすべての自然とともに大切にしていかなければいけない……訪れた人にそう思わせる強烈な魅力が、ゾウガメと、この島にはある。
だからこそ、ガラパゴス諸島は、世界中の人が力を合わせて守るべき場所として、世界自然遺産第1号に選ばれたのだ。
どうか、このガラパゴスゾウガメのメスが長生きして、たくさんの子を作り、ゾウガメの島の復活へとつながりますように。そう祈らずにはいられない。
頑張れ、ガラパゴ!
□ライターズプロフィール 岡 幸子
(READING LIFE編集部公認ライター)東京都出身。高校生物教師。平成4年度~29年度まで、育休をはさんでNHK「高校講座生物」の講師を担当。2019年8月、ガラパゴス自然体験ツアーに参加し、現地で得難い体験をする。帰国後、日本ガラパゴスの会(JAGA)に入会。ガラパゴス諸島の魅力と現実を、多くの人に知ってもらうことを願っている。
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