【ガラパゴス。世界自然遺産第1号を旅して】第3回 イグアナは、まつこだった《天狼院書店 関東ローカル企画》
2021/08/16/公開
記事:岡 幸子(READING LIFE編集部公認ライター)
この旅に出る前、私のガラパゴス諸島に対する知識は哀れなものだった。
生物の教員なので、ダーウィンが進化論の着想を得た島だということは知っていた。世界中で、海に潜るイグアナがガラパゴスにしかいないことも知っていた。
けれど、そこに住む人たちのことにまで思いを巡らせたことは一度もなかった。テレビ番組に島民が登場しても、記憶に残っていなかった。だから、ツアーパンフレットを見て最初に驚いたのが「島にホテルがある」ことだった。ガラパゴス諸島にホテルはなく、観光するなら大陸からクルーズ船に乗って出かけるものだと勝手に思い込んでいた。
ガラパゴス=世界のどこか遠くにある、珍しい動物がたくさんいる島。
それが、エクアドル共和国にあって、スペイン語が話され、USドルが使え、ビザなしで入国できることは、全部、旅行が決まってから知った。
現地に来てみると、島民は子供から大人まで当たり前のように島の自然を誇りに思い、大切にしていた。観光客が「動物には2メートル以上近づかない」などのルールを、入島と同時に知るシステムが出来上がり、外国人が払う入島料は島の自然保護に使われていた。エコツーリズム(管理型観光)の最先端がここにある、そう思った。
最初に上陸したガラパゴスのサン・クリストバル島は、海岸沿いに可愛らしいホテルが並ぶ、リゾート感たっぷりの街だった。道路は舗装され、土産店が並び、ゴミも落ちていない。明るい太陽の下、空気全体に優しさが漂っているような気持ちのいい場所だった。
ホテルの周辺をちょっと散策しただけで、ガラパゴス諸島にしかいない固有種のアシカやトカゲやフィンチに出会うことができた。
ウミイグアナもいた。
1メートルを超える大きな野生動物が、人通りの多い道端にいるのは意外だった。
眠っているわけではなかった。両手を広げ、腹ばいのまま動かない。
「何であんなに、じっとしてるんでしょうか」
私は、一緒に歩いていた奥野さんに聞いてみた。
奥野さんは、NPO法人日本ガラパゴスの会(略称JAGA)事務局長で、ガラパゴスの歩く百科事典のような人だった。
「海に入って冷えた体を温めているんですよ。変温動物なので、体が冷えちゃうと活動できないので」
「海に入ると冷えちゃいますか? 赤道直下だから海は温かいと思ったのですが」
「いえ、じつはガラパゴス周辺の海水は意外と冷たいんですよ。ガラパゴスは、複数の海流がぶつかる場所で、中の1つは南極方面からやってくるペルー海流という寒流なんです」
「そうか。確かに、南極から来たなら冷たそうですね」
「赤道付近で暖流と寒流の温度差は10~15℃あるといわれていますからね。さらに、西からくるクロムウェル海流は、海の深層から湧きあがってきた海水なので、ガラパゴス諸島の西側は、海水温がさらに低くなります」
「なるほど。それで、ウミイグアナたちは体が温まるまで待っているしかないんですね」
人間たちが自分を話題にしているのを知ってか知らずか、ウミイグアナはお腹をべったり地面に着けたまま、置物のように動かなかった。
その姿を見ているうちに、私はウミイグアナの手が気になり始めた。すらりと伸びた長い指先に、鋭い爪がある。海藻を食べるとき、岩にしっかりとしがみつけるだろう。
でも、“あれ”がない。
「どこかに、ウミイグアナの手には水かきがあると書いてあったのを思い出しました。目の前にいるイグアナには水かき、ありませんよね? 個体差ですか?」
「ああ、ウミイグアナの水かきについては、ダーウィンが『ビーグル号航海記』に『四肢に部分的に水かきがある』と書いていましたね。そこから「部分的に」がとれてしまったのでしょう。人間の手にあるような、水かきの名残のようなものを指しているのだと思います。実際ウミイグアナは、四肢を体に貼り付けて、魚のように体を左右にくねらせて泳ぐので、水かきは必要ないと思いますよ」
さすがは奥野さん、私の誤解を一瞬で解いてくれた。
イグアナにまつわる驚きはまだ続いた。
圧巻は、ガラパゴスへ到着して4日目、5日目にやってきた。
4日目午前、私たちはサンタクルス島のトルトゥーガベイへ行った。
青い空の下、見渡す先まで続く白い砂浜を20分ほど歩いた所に、ウミイグアナの群生地があるという。スニーカーをサンダルに履き替え、砂の感触を楽しみながら歩いていくと、添乗員の波形さんが、私たちに声をかけた。
「ほら、ウミイグアナが見えてきましたよ」
「えっ? どこですか?」
「あの、海岸に転がった岩みたいなのが全部ウミイグアナですよ」
よく見ると大小さまざまなウミイグアナたちが、砂の上に伏せてじっとしていた。遠くから見ると敷物の品評会のようだった。人間が近くに来ても知らん顔だ。全然動かない。フィンチを背中に乗せたウミイグアナもいた。なんとも微笑ましい光景だった。
「マングローブの方へも行ってみましょう」
波形さんの案内で、波打ち際のマングローブの近くへ行ってみた。
すると、ちょうど一頭のウミイグアナが、海面から顔を出していた。泳ぎながらこちらへ向かってくる。やがて、海から体を出して砂浜へと上がってきた。
どんどん歩いて、日当たりのいい場所へ行くと、べたっと腹ばいになった。
「見かけによらず、素早い動きができるんですね」
「泳ぐ姿はもっと素早いですよ。両手両足を体につけて、長い尾をヘビのようにくねらせて泳ぐんです。成体になると海中に潜って、岩に付着した藻類を食べます。好物はアオサやテングサですね。ちなみに、子どもや体の小さいメスは潜りません。引き潮の時、海面に出てくる藻類を食べています」
そう言うと、波形さんは一眼レフを構えながら姿勢を低くして、イグアナの写真を撮り始めた。ガラパゴス添乗49回目の大ベテランが撮る写真は、毎年コンテストに入賞し、JAGAが作るカレンダーに使われている。
その時、イグアナが鼻からピュッと潮を吹いた。
「うわっ、水鉄砲みたい!」
私が驚きの声を上げると、近くにいた奥野さんが言った。
「ウミイグアナは海藻を食べるとき、一緒に海水も飲み込んでしまいますからね。塩分を濃縮して排出する器官が鼻にあるんです」
「塩類腺ですね!」
高校の授業で、ウミガメの塩類腺が目にあることは扱っていた。ウミガメが海岸で産卵しているとき、泣いているように見えても、それは濃縮された塩分を排出しているだけだ。カメは“メ”から、ウミイグアナは鼻の“アナ”から余分な塩類を排出するのか。帰国したら生徒にしっかり伝えよう。
それにしても、ガラパゴスのイグアナたちは、いかつい顔に似合わず大人しい。
私は奥野さんに言った。
「昔、ダーウィンがビーグル号でガラパゴス諸島に来たときも、今と同じようにイグアナは人間を怖がらなかったんですよね」
「陸にはイグアナを襲う動物がいませんからね」
「人が近づいても逃げないんですから、簡単に捕まえられたでしょうね」
「『ビーグル号航海記』によれば、ダーウィンはウミイグアナを捕まえて、海に何度も投げ入れていましたね。私は、ダーウィンが何度やっても、同じイグアナが自分の元へ一直線に戻ってくるのはなんでだろう、と考察する部分が好きなんです」
「えっ? なんで戻ってくるんですか?」
「面白いですよね。ダーウィンは、追い詰められたウミイグアナが海に飛び込むよりも、人に尾を捕まれる方を選ぶことも確かめています。なぜだと思います?」
「まさか……本当は海が嫌い、とか?」
「それです。ダーウィンもそう考えました。陸上よりも海の中の方が、サメなどの天敵が多いからではないかと考察しています。だからウミイグアナは、本当は海に潜りたくないけれど、食べ物のために仕方なく出ていく、というわけです。この考察は、素朴でかつ鋭くて、ダーウィンらしさがよく出ていますよね」
まいった。
珍しいい動物を見てただ喜んでいる私とは大違いだ。物事の本質を探ろうとするダーウィンの好奇心も素晴らしいが、その考察を「ダーウィンらしさがよく出ている」と楽しむ奥野さんも素敵だ。同じ場所で同じものを見ても、好奇心や洞察力の違いで、全く違う世界観が作られていくのだろう。ダーウィンは、5年に及ぶビーグル号の航海から『種の起源』の着想を得たが、彼と一緒に旅した誰もそんなことは思いつかなかった。
私が一人で感心していると、奥野さんが言った。
「明日は、ノース・セイモア島へ上陸します。ようやくリクイグアナに会えますね」
「よかった! ゾウガメやアシカやウミイグアナはたくさん見かけるのに、リクイグアナは全然いないのが不思議だったんです」
「ガラパゴス諸島全体で、ウミイグアナは数十万頭いますが、リクイグアナは1万頭くらいしかいませんからね」
なるほど、リクイグアナは偶然すれ違うには数が少なすぎるのだ。
稀少な動物を見るのはそれだけで価値がある。わくわくしてきた。
そうして迎えた5日目の午後は、ガラパゴス諸島で過ごす最終日だった。
最後に訪れたノース・セイモア島は、ガラパゴス諸島に200以上ある無人島の1つで、リクイグアナが棲むだけでなく、鳥たちの営巣地にもなっていた。
むき出しの溶岩でできた島へは、デイクルーズ船から数人ずつ、ゴムボートに乗り換えての上陸だった。小さなゴムボートから見上げる無人島のごつごつした岩肌は野生的で、こんな荒れ地で繁殖する生きものは物好きに思えた。いや、だからこそ、敵に襲われずに安心して繁殖できるのか。
上陸すると、緑豊かとはいえないまでも、ブッシュや多少の樹木は生えていた。リクイグアナの好物であるウチワサボテンも点在していた。
足元の溶岩大地には、観光客が勝手に歩きまわらないように、足を踏み入れても大丈夫な範囲を示す杭が、ほどよい間隔で打ってあった。
グンカンドリやカツオドリの説明を聞いて、少しずつ進んでいくと、波形さんが振り向いて私たちに声をかけた。
「リクイグアナがいましたよ! ほら、そこです」
そこ?
「どこですか?」
「その、ウチワサボテンの下ですよ」
あっ、と思った。
ウチワサボテンがつくる日陰に体を横たえ、黄土色の土と似た色をしたリクイグアナがいた。太陽光を受けた鱗は黄金色に見えた。美しい。そして、じっと動かない。
「日陰に逃げ込むくらいだから、もう十分、体は温まっているはずなのに。なんでこんなに動かないんでしょう」
私の疑問に奥野さんが答えてくれた。
「ウチワサボテンは多肉植物だから、葉のトゲさえ気にならなければ、水分豊富で美味しいのでしょう。イグアナやゾウガメがいる島のウチワサボテンは、食べられないように、進化の過程で上の方に葉をつけるようになったんです。ゾウガメの中には、首を高い所まで伸ばせるように進化した種があります」
「甲羅の形が鞍型のゾウガメですね!」
「はい。あの形なら、首が上の方までよく届くから、ウチワサボテンの葉が上部にあっても困りません。一方、リクイグアナは違いました。相変わらず、ウチワサボテンの葉に届かないし、木に登ることもできません。それで、待つことにしたんですよ」
「何を?」
「ウチワサボテンの葉が地面に落ちてくるのを、です」
なんと!
イグアナは、まつこなのだ!
ウミイグアナは、海水で冷えた体が温まるのをじっと待つ。
リクイグアナは、ウチワサボテンの葉が落ちてくるのをじっと待つ。
こんなのんびりした生き方が許されるのも、ガラパゴスだからだろう。
陸上に、イグアナたちを捕食する動物がいないから安心して「待つ子」になれるのだ。
「今のお話を聞いて、イグアナが大好きになりました」
そう伝えると、奥野さんは嬉しそうに言った。
「実は私も、ガラパゴスの動物の中でイグアナが一番好きなんです。自分一人では生きられないから、自然に任せて待ってみる。そんな見た目に反したゆるさに加え、これぞ自然の中で自然に生きるという生き方。堪らなく愛おしいですね」
「イグアナは、待つことで自然に生きてるんですね!」
「健気で、かわいいですよね」
私の中で、イグアナのイメージが激変してしまった。
イグアナは、健気でかわいい、まつこだった。
写真提供
Katsunori Namikata
Sachiko Oka
協力JAGA
□ライターズプロフィール 岡 幸子
(READING LIFE編集部公認ライター)東京都出身。高校生物教師。平成4年度~29年度まで、育休をはさんでNHK「高校講座生物」の講師を担当。2019年8月、ガラパゴス自然体験ツアーに参加し、現地で得難い体験をする。帰国後、日本ガラパゴスの会(JAGA)に入会。ガラパゴス諸島の魅力と現実を、多くの人に知ってもらうことを願っている。
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