【ガラパゴス。世界自然遺産第1号を旅して】第4回 プライドの低すぎる鳥・グンカンドリは、ペリカンに勝てるか《天狼院書店 関東ローカル企画》
2021/12/27/公開
記事:岡 幸子(READING LIFE編集部公認ライター)
「それ、まさか伊勢エビじゃないですよね!?」
海辺の市場で量り売りされている大きなエビに驚いて立ち止まった。
観光客らしき男性が、お目当てのエビを選んで、自分で秤に乗せていた。
ここはガラパゴス。
日本から遠く離れた南米エクアドルに属する、赤道直下の島々だ。
いくら似ていても、「伊勢」と名の付くエビがいるのはおかしいような気がした。
一緒に歩いていた奥野さん(NPO法人日本ガラパゴスの会:略称JAGA事務局長)が、微笑みながら答えてくれた。
「伊勢エビですよ」
「ガラパゴスでも、伊勢エビなんですねぇ」
「海に国境はありませんからね」
「ガラパゴスに来てからシーフードが全部おいしくて幸せです。ホテルの、こんな近くに魚市場があったんですね」
「明日の朝は早起きしてもう一度来ましょう。面白いものが見られますよ」
「それは楽しみです! 何時ごろがいいでしょう?」
「まあ6時ですね」
朝6時にここに来るためには5時半には起きる必要がある。
朝は苦手だが、ガラパゴスの歩く百科事典のような奥野さんが「面白いものが見られる」というのだから、絶対に見逃せない。
そんなことを考えながら、ふと見ると壁際に一羽の鳥がいた。
長いくちばし。体長1メートル位。
つぶれた饅頭のような恰好で、無防備に休んでいる。人間がいても警戒心ゼロなのは、ガラパゴスの動物たちの特徴だ。
この鳥たちが翌朝の主役になるとは気づかなかった。
翌朝は、気合を入れて早く起きた。
曇り空の下、長袖を羽織らなければ寒いくらいだった。ガラパゴスに来るまで、赤道直下の8月が、軽井沢のように涼しいとは夢にも思わなかった。南極地方からやってくる寒流のおかげで涼しくなるのだという。自然のクーラーだ。
少し歩くと、サンタ・クルス島の海辺の市場が見えてきた。
昨日とはすっかり様子が変わっていた。
道路わきにあった秤は片付けられ、コンクリートの調理台の向こうで3人の漁師さんが魚をさばいていた。包丁をふるって魚の頭を切り落としているのだろうか。慣れた手つきで次々と処理されていく。
そんな様子を遠目に見ながら近づいていくとはっとした。
漁師さんの作業を見守っていたのは、私のような観光客だけではなかった。
もっと熱心に、シェフの一挙手一投足を見逃すまいと必死な弟子たちのように、漁師さんの手元に熱い視線を向ける、たくさんの目があった。
海に面した狭い通路に、鳥たちがお行儀よく並んでいるのだった。
ペリカンだった。
よく見ると、漁師さんは切り落とした魚の頭を、ペリカンたちがいる方向に放り投げていた。
それに合わせて、ペリカンたちは一斉に口を開いて、魚の頭をキャッチしようと必死だった。
少し遅れて市場に来た奥野さんが話しかけてくれた。
「カッショクペリカンです。世界のペリカンの中で最も小さいんですよ」
「そうなんですか? 大きいなって思いながら見てました」
ペリカンとして小型だとしても、首を伸ばすと1メートル以上あって十分大きい。
昨日見た、市場の片隅でうずくまっていた鳥はペリカンだったのだ。
あの饅頭ポーズからは想像もできない、見事なフォーメーションチェンジだった。
朝のペリカン軍団は、漁師さんの手元をじっと見つめ、魚の頭が飛んでくる瞬間から賑やかになった。駅のホームで電車が来るまで行儀よく並んでいたのに、ドアが開いた瞬間、列が乱れて我先に乗り込む群衆のようだった。一度崩れた秩序は回復しない。押し合って喧嘩が始まることもある。
目の前2メートルの距離で、1羽のペリカンが甲高い声を上げた。
鳥語は知らないが、直感で怒っていることがわかった。
羽を広げて自分を大きく見せながら、隣のペリカンに向かって大きく口を開けた。
隣りのペリカンが後ろに下がった。
それは、私に近づいたということだ。
ガラパゴスでは、観光客は動物に2メートル以上近づいてはいけないとうルールがある。
だから、動物が近づいてきたらこちらが距離をとらなければいけないのだが。
その時、私が立っていたのは埠頭の端で、もう1メートル後ずさったら海へ落ちてしまうような場所だった。
下がるに下がれない足元に、ペリカンが迫ってきて焦った。
お願いだから、それ以上こっちへ来ないで……
動けないまま、ペリカンの喧嘩を見届けることになった。
こちらに近づいてきたペリカンは、怒った仲間から逃げようとしたのだろう。
その努力もむなしく、あっという間に相手のくちばしで自分のくちばしを挟まれてしまった。
レスリングの抑え込みのようだった。
逃れようとしても、身動きができない。
抑え込んだ方のペリカンは、相手の口の中に入った魚を奪おうとしているのだろうか。
いや、相手のくちばしを抑えている以上、絶対にそれは叶わない。
怒ったペリカンは、合理的な目的ではなく、キレたチンピラのように相手を痛めつけているだけのように見えた。
「オレの方が強いんだ! どうだ、参ったか!」
そんな感じだ。
喧嘩しないで待っていれば、次の魚を放り投げてもらえただろうに。
実際、漁師さんの近くに並んだペリカンたちは、次々と魚をゲットしている。
仲良くしている方が絶対お得なのに、チンピラ風のペリカンにはそれがわからないようだ。
お気の毒に。
その時、魚市場の屋根の先端に、一羽の大きな黒い鳥が舞い降りた。
見上げると私の頭上1.5メートルの距離だった。
先端が鋭く曲がったくちばしと、喉元の赤い袋がおしゃれで印象的。
わちゃわちゃしたペリカン軍団とは大違い、優雅で堂々としていた。
「カッコいいですね」
「アメリカグンカンドリ、ガラパゴスの固有種です」
「のど袋、赤いのが膨らんでますね!」
「もっと大きくなりますよ。のど袋が赤いのはオスの特徴で、メスに求愛するときに膨らませるんです」
「膨らむとますますカッコよく見えますね。グンカンドリは優雅でお洒落だなあ。地上で魚の切れ端をめぐって大騒ぎしているペリカンとは大違い、堂々としていますね」
「たしかに、そんな風に見えるかも知れませんが……」
奥野さんは、手品師がとってのおきのネタを帽子から取り出すように間をとった。
「もし、ペリカンとグンカンドリがここで魚を奪い合ったら、グンカンドリは勝てないと思いますよ」
「ええーっ、なんでですか!?」
「じつは、グンカンドリは足の構造上、平らなところに立てないんです。それで、柵の上や屋根の端とかにとまるんです」
「へぇー、リングに立てないボクサーみたいに、戦う前に負けですね。」
「それだけじゃありません。グンカンドリは、海鳥なのに水が苦手なんですよ。羽毛に水をはじく性質がなくて、濡れたら溺れるという、すごいハンデを持っているんです」
「そんな! 濡れたら溺れるのに、海で暮らしてるんですか? 何食べてるんですか!?」
驚く私に奥野さんは、さらに驚くべきことを教えてくれた。
「海に入れなくても、グンカンドリはちゃんと魚を食べています。自分より小さな鳥がくわえている魚を、空中で横取りするんですよ」
「なんと! それじゃ空中海賊ですね」
「そうそう、他の鳥を襲って食べ物を略奪するイメージだから、その名も“軍艦鳥”というわけです。自分は海に入らず、他の鳥がとった魚を強奪する。生き抜くための強さと図々しさが、自然らしくて楽しいですよね」
そうなのか。
グンカンドリの堂々とした大きな体と、優雅なカーブを描く長いくちばしは、他の鳥から魚を奪うことに使われていたのか!
その姿は、背中に立派な刺繍が施された長~い学ランを着て、頭をリーゼントで固めた昔の不良の姿と重なった。自分を強く大きく見せて、肩で風を切って歩いたり。弱い者から金品を巻き上げたり。いじめっ子の原型のような彼らも、どこかに弱さがあるから、虚勢を張っていたのだろう。強くて自分で何でもできる能力があったら、目立つ格好をしなくても、他者から金品を奪わなくてもやっていける。本当に強い人は、弱者に優しいものだ。
見下ろすと、潮が引いた干潟にもペリカンたちがいた。漁師さんのおこぼれを当てにせず、自分で魚をとっているのだろう。ペリカンより小さなカツオドリやヨウガンカモメもいる。彼らも干潟で魚をとっているのに違いない。
その頭上をグンカンドリが飛び回っていた。
奥野さんの話を聞いた後で眺めると、海賊に見えてくるから不思議だ。
虎視眈々と、他の鳥が飛び立つのを待っているのか。
それにしても。
お腹が空いた状態で、他者をあてにして飛び続けるのも哀れだ。
グンカンドリどうしはライバルだから、横取りできる可能性はさらに低くなる。
「グンカンドリ、自分では魚をとれないんですか?」
「いえ、海面すれすれを飛んで小魚をとるグンカンドリもいますよ。長いくちばしを垂直に海に入れて、魚をひっかける感じです」
「濡れたらダメなんですよね? 大変そうだなぁ」
「まあ、濡れたら溺れるハンデがあっても、ちゃんと繁殖して子孫を残してきたわけですからね。今日は、デイクルーズでノース・セイモア島へ行きます。グンカンドリの営巣地があるので、ヒナが見られますよ」
「うわぁ、それは楽しみです!」
ノース・セイモア島は無人島だ。
きっと雑誌やテレビで紹介されるような自然の宝庫に違いない。
わくわくしながら、ペリカンでにぎやかな魚市場からホテルへ戻った。
朝食後、デイクルーズ船が出る島の反対側へ移動した。
驚いたことに、ホテルから車で数十分走っただけで、天気ががらりと変わってしまった。
船着き場では、灰色の雲は消え去り、気持ちのいい青空が広がっていた。
出航すると、風をきって進む船のすぐそばを、カツオドリたちが気持ちよさそうに飛ぶ姿が見られた。
いよいよ、ノース・セイモア島へ上陸するときがきた。
船から数人ずつゴムボートに乗りかえ、溶岩でできた島に渡った。
海から島の上まで数メートル。ごつごつした石が階段がわりになる。
上りきって視界が開けると、赤茶けた大地が広がっていた。
枝しかない丸裸の低木が、視界の先まで点在していた。
「みなさん、杭で示されたトレイルに従って歩いてください。トレイルから外へは出ないでくださいね」
ガラパゴス訪問歴49回目、ベテラン添乗員の波形さんから声がかかった。
「ガラパゴスの無人島は、どこも上陸人数が制限されています。船長さんたちが連絡をとって、時間や人数を調節していますからね。あんまり離れないように、一緒に歩いてください」
そういえば、島の周りには私たち以外のデイクルーズ船も何艘かとまっていた。小さな無人島だ。観光客が無秩序に上陸したら、あっという間に荒れてしまうだろう。環境を壊さないように上陸を管理するのは大切だ。同時に、観光客にとっても、ごちゃごちゃしないで島の自然をゆったり味わえるからありがたい。さすが、ガラパゴスのエコツーリズムは進んでいる。
「もう少し行くと、のど袋を膨らませたグンカンドリが間近で見られますよ」
波形さんの声を聞きながら進んでいくと、いた!
枝の上でグンカンドリが赤いのど袋を、はちきれんばかりに膨らませている。
真っ赤なビーチボールみたいだ。
少し離れた枝に、メスがとまっていた。のど袋がないからメスだとすぐわかる。
オスが一生懸命ディスプレイしても知らん顔、まったく関心がないように見えた。
私は、奥野さんに聞いてみた。
「あそこのメス、オスの求愛にまったく無関心ですね」
「ああ、メスはメスでも、あれは幼鳥ですからね。頭が白いでしょう。大人になると胸だけ残して黒くなるんですよ。」
「なんと、あの大きさでまだ子どもなんですか!」
「まっ白なヒナから少しずつ、黒い羽毛に生えかわるんです」
そういえば、ペンギンのヒナも、羽毛が灰色のまま親並みの大きさになる。グンカンドリのように羽毛の色が少しずつ変われば成長段階が分かりやすくて便利だ。
グンカンドリ、小さなヒナは、ふわふわの雪だるまのように真っ白だった。小枝を集めて作られた巣の上にちょこんと座った姿は愛嬌がある。未来の海賊も、子ども時代はパンダのように可愛いかった。
ちょうどその時、近くで赤いのど袋を膨らませたオスのグンカンドリが鳴き始めた。
波形さんが振り返った。
「皆さん、運がいいですね。メスを呼んでいます。しばらくここにいましょう」
驚いた!
まさか、こんなに間近で求愛コールを聞くことができるなんて!
オスのグンカンドリは、ちょっとしわがれたような声で、空に向かって一生懸命呼びかけていた。力いっぱい胸を張り、成熟の勲章のような赤い風船を見せびらかしていた。
「あ、来ました!」
私は思わず声をあげた。
オスの近くにメスが舞い降りた。でも、そっぽを向いている。自分のパートナーにするかどうか、すぐには決めないようだった。
オスは鳴き続けている。
プロボーズは成功するのだろうか。少なくともデートの誘いには成功したわけだ。
うまくいったら、メスの産んだ卵から真っ白なヒナが孵るだろう。
そうしたら、ヒナにはやっぱりちゃんと育ってほしいと思う。
将来、海賊になるとしても。
グンカンドリは、どこか抜けたところのあるジャック・スパロウのように、憎みきれない海賊だった。
写真提供
Katsunori Namikata
Sachiko Oka
協力JAGA
□ライターズプロフィール 岡 幸子
(READING LIFE編集部公認ライター)東京都出身。高校生物教師。平成4年度~29年度まで、育休をはさんでNHK「高校講座生物」の講師を担当。2019年8月、ガラパゴス自然体験ツアーに参加し、現地で得難い体験をする。帰国後、日本ガラパゴスの会(JAGA)に入会。ガラパゴス諸島の魅力と現実を、多くの人に知ってもらうことを願っている。
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