【ガラパゴス。世界自然遺産第1号を旅して】第5回 近すぎる野生動物たち《天狼院書店 関東ローカル企画》
2022/06/13/公開
記事:岡 幸子(READING LIFE編集部公認ライター)
ガラパゴス諸島は、ダーウィンが進化論を思いつくきっかけになった場所として有名だ。
その名も「ダーウィンフィンチ」という鳥がいる。
食べる物の違いによって、くちばしの形が少しずつ異なる形に進化した鳥だ。
他にも、ガラパゴス諸島にしかいない種類のイグアナ、ゾウガメ、グンカンドリ、アシカ、カツオドリなど、珍しい野生動物がたくさんいる。
それは知っていた。
テレビ番組で特集があれば、画面に大写しされた野生動物たちを食い入るように眺めていた。いつか行ってみたいと憧れの気持ちを抱いていた。
実際に、ガラパゴス諸島へ行って最も驚いたのは、野生動物たちが、あまりにも無防備で人間を恐れないことだった。
例えば、ダーウィンフィンチは雀くらいの大きさで、諸島内のどこにでもいた。小さな小鳥なのに、大きなカメラを向けられても、全く動じない。
人間がオープンテラスで食事を始めると、近くの椅子や柵に舞い降りて待機している。人が食べ終えるまで様子をうかがっているのは、彼らなりのマナーのようだ。食べ残したお皿には遠慮なく乗ってくる。
観光客は目の前でフィンチを見られ、フィンチはお腹を満たし、生ごみの減量にもなる。とってもエコロジーだ。
フィンチと並んで、どこにでもいたのがガラパゴスアシカだった。
フィンチが雀なら、アシカは犬のようだった。ただし、野犬がうろうろしていたら怖いけれど、野アシカは全然怖くない。野生だが、飼い犬のようだった。
海から上陸して、気ままに歩いたり休んだり。
近くに人がいても、全くお構いなしだったり。
気が向けば、昼でも夜でも所かまわず眠ってしまう。
誰もアシカをいじめないので、とことん呑気にしていられるのだろう。
動物たちを守っているのは、ガラパゴス国立公園局が定めた観光ルールだ。
動物に触らない、自然物を持ち帰らない、動かさないなど、10以上あるルールの中に「動物から2メートル以上離れておく」というものがある。ストレスを与えないことが目的なので、動物の方から近寄ってきた場合は、急に動いて驚かさないように、じっとしているか、ゆっくり動いて距離をとるようにする。
ガラパゴス諸島に入島する観光客はみんな、最初にこのルールを説明される。だから、夜道で眠るアシカに出くわした観光客は、自然に一列になって、アシカと距離をとっていた。
同じ夜、道端で眠るアシカを、地元の若者が乗ったオートバイが軽々と避けて走り去っていった。その様子は、工事現場に置かれた標識をちょっとよける程度の気軽さだった。
野生動物と人間が、街中でこれほど軽やかに共存しているとは思ってもみなかった。
ガラパゴス諸島に暮らす人々は、野生動物たちをとても大切にしている。世界自然遺産第1号に選ばれた自覚がしっかりあるようだ。すぐ近くに人間がいても安全なら、動物たちは逃げないのだとよくわかった。
そして、お得なバーゲンセールに人が集まるように、お得な場所には野生動物たちも集まるようだ。
サンタ・クルス島の魚市場には、毎朝、たくさんのカッショクペリカンが集まってくる。漁師さんたちが、切り捨てた魚の頭を放り投げてくれるのを待っているのだ。
その場所で立って働く漁師さんたちの間に、割り込むようにはさまって首をのばすアシカがいた。その姿は、飼い犬がお座りをしてエサを待つ様子にそっくりだった。漁師さんの足に首をもたれかけ、甘えるような仕草もする。大型犬に懐かれたら悪い気はしないだろう。漁師さんたちは、ペリカンよりアシカの方を可愛がっているように見えた。
人馴れしているのは、市街地にいる動物たちだけではなかった。
海岸沿いに白い砂浜の続くトルトゥーガベイ。
そこでは、砂浜で体を温めるウミイグアナたちが、無防備に横たわっていた。
人間がカメラを向けてもまったく動く気配がない。野生のウミイグアナの集団を、これほど間近で見られるとは思ってもみなかった。
市街地から海岸までは、車が乗り入れることのできないトレイル(遊歩道)になっていた。
片道約2kmのトレイルを歩きながら、自然観察を行えるのも楽しかった。
トレイルの左右には、主にウチワサボテンが生えていた。サボテンなのに赤く太い幹をもち、トゲのある多肉部分は幹の上の方についていた。
「ウチワサボテンが、アカマツのように堅い幹の上に枝を広げているのは、サボテンを食べるゾウガメやリクイグアナがいる島だけなんですよ」
ガラパゴスの歩く百科事典、奥野さんが教えてくれた。
「ゾウガメとリクイグアナは、ウチワサボテンの茎や花を食べます。それに対抗するように、ウチワサボテンは幹を硬い樹皮で守り、上の方に枝を広げて花をつけるようになったんです。あと、芽生えたばかりのやわらかい部分を、動物に食べられるのも困りますよね。鋭いトゲも、動物に食べられないように進化したんです。ちなみに、サボテンのトゲは葉っぱが変化したものなんですよ。葉からの蒸散がほとんどないので、乾燥に耐えられるんですね」
「トゲが葉っぱなんですか? ウチワの部分が葉っぱなのかと思いました」
「ウチワは茎です。サボテンは、茎が水分をためて光合成をするんですよ」
さすが、奥野さんだ。大学で生物学を専攻し、ガラパゴス諸島のナチュラリストガイドになろうとしていた過去がある。奥野さんが資格試験を受ける予定だった年から、島民でないとナチュラリストガイドになれない決まりができてしまった。今は、日本とガラパゴスをつなぐ代表者として、NPO法人日本ガラパゴスの会(JAGA)事務局長を務めている。
このトレイルの途中で、常識ではあり得ないような嬉しい体験をした。
「鳥は警戒心が強いから、望遠レンズがないと良い写真はとれませんよ」
以前、日本野鳥の会の知り合いからそんな話を聞いていた。
ところが、私は望遠レンズどころか、まともなカメラさえ用意していかなかった。
ガラパゴスに来る前月、旅行中の写真を撮る目的で、いわゆる「ガラケー」をスマートフォンに買い替えただけだった。写真は素人だし、一眼レフのような重いカメラを持ち歩くのも嫌だったので、スマホで十分と思ったのだ。麻婆豆腐を作るのに、本格的に調味料を揃えず、クックドゥーの味付けで満足するようなものだ。
ウチワサボテンとブッシュが続く遊歩道の途中、ちょうど目の高さに一羽の鳥が舞い降りた。奥野さんが鳥の名前を教えてくれた。
「ガラパゴスマネシツグミです。諸島内に4種いて、羽色やくちばしの形が少しずつ違っています。ダーウィンが、進化論を思いつくきっかけになったともいわれている鳥ですよ」
「ダーウィンフィンチより大きくて、くちばしが細長いですね」
私は立ち止まって、スマホを構えた。
1枚、2枚、3枚……
目の前のガラパゴスマネシツグミを撮り続けていると、何を思ったか、鳥が私を正面から見つめてきた。
意外なタヌキ顔だった。
まさかスマホで、野鳥を真正面から捉えた写真が撮れるとは思わなかった。素材がいいと、料理の腕がなくても美味しく食べられるのと同じだった。最新のスマホカメラの性能にも感謝した。胸元のふわふわした羽毛の質感までわかるではないか。
ダーウィンは、ガラパゴス諸島で捕らえたマネシツグミの標本を持ち帰ったけれど、私はこの写真で十分だ。小躍りしたいような気分だった。
ガラパゴス滞在最終日には、二つの無人島に上陸した。無人島でも、動物たちの無防備さは変わらなかった。
最初に上陸したのは、砂浜が美しいモスケーラ島だった。
この島にいるガラパゴスアシカたちは、街中のアシカに比べて、人間に関心をもっているように思えた。写真を撮っていると近づいて来たり、人と一緒に泳いだりしてくる。好奇心なのか、縄張り意識なのか。本当の気持ちはよくわからなかった。
最後に訪れたノース・セイモア島は、砂浜はなく、溶岩でできた島だった。
カツオドリやグンカンドリの繁殖地で、ヒナや若鳥があちこちにいた。ここでも、鳥たちが無防備なのは同じだった。また、スマホ写真家も私だけでなく、ツアーメンバーにも、偶然一緒になった外国人家族にもお仲間がいた。
家族の中に、サングラスをかけた少年がいた。日本の中学生ぐらいだろうか。
ごつごつした溶岩の上を、跳ぶように移動して遊んでいた。
その身軽な様子が面白かったのか、彼の目の前の溶岩に一羽の鳥が舞い降りた。アオアシカツオドリの幼鳥だった。まだ全身が茶色くて、足も青くない。大人になると、腹側が白で翼は黒くなり、足が青空のような色になるという。
幼鳥が首をひねって少年を見た。
少年も幼鳥を見た。
近すぎる!
2メートルどころか、1メートルもないではないか。
いや、これは幼鳥が人間の子供を観察している風にも見える。
もしかしたら。
私を見つめてきたガラパゴスマネシツグミも、カメラマンを後ずさりさせながら近づいてくるアシカも、人間を近くで観察したかったのかも知れない。野生動物に、人間と対等な気分を与えるなんて、環境保全と観光のバランスを上手にとらなければできないことだ。
世界自然遺産第1号。
どうか、気分まで人に近すぎる野生動物の楽園が、この先も続きますように。
そう願わずにいられない。
写真 Sachiko Oka
協力 JAGA
□ライターズプロフィール 岡 幸子
(READING LIFE編集部公認ライター)東京都出身。高校生物教師。平成4年度~29年度まで、育休をはさんでNHK「高校講座生物」の講師を担当。2019年8月、ガラパゴス自然体験ツアーに参加し、現地で得難い体験をする。帰国後、日本ガラパゴスの会(JAGA)に入会。ガラパゴス諸島の魅力と現実を、多くの人に知ってもらうことを願っている。
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