第二回:発達障害グレーを自分の問題だと認識したとき《発達障害グレーの子育てはパパが重要!》
記事:鹿内智治(READING LIFE編集部公認ライター)
「ADHDグレーだって言われた」
「ADHD。グレーってどういうこと?」
「ADHDを診断するのにはいくつか項目がある。全部の項目を満たせば、ADHD確定で診断が出せる。けれど、一部だけ満たす子の場合、グレーと言うらしいの。はっきりと診断は出せないけど、傾向があるってことらしい」
息子と大学病院から戻ってきた妻が教えてくれた。今日は2度目の大学病院だった。
先生から診断結果を聞いたところ、結果はADHDグレー。つまり、診断は出せないが傾向はある、ということだった。
「私、診断聞いてホッとしたの」
「どうして?」
「そういう傾向があるってことは、私の育児が悪かったわけではないってことだからさ」
妻はこれまで、子育てがこんなにも辛いものなのかと悩んでいた。公園に行けば、周りの子と仲良く遊べずに、相手の子を叩いたりして冷や冷やし、児童館に行っても、他の子どもとうまく遊べず落ち着きがない。家にいても、言うことは聞かない。描いた子育てとのギャップに悩んでいたという。
「ADHDグレーってことは生まれながらの特性ってことでしょ。誰が育っても大変だったってことだから」
「え? そんなこと悩んでたの? 当たり前じゃん。誰も、なっちゃんのせいにしてないって!」
「ま、まあ、そうなんだけど。そう勝手に思っちゃってたの」
そんな妻の悩みには気付いてなかった。申し訳ないと思った。
ADHDグレーの診断をきっかけに、妻は療育の準備を始めた。まずは役所で教えてもらった療育施設に電話をしてみた。リタリコと言う。教室が自宅から自転車で10分ほどのところにあったので、十分通える。
「いっぱい? そうですか……」
早速リタリコに電話をかけたが、空きがないと言う。年度ごとに子どもが入れ替わる。2,3歳で教室に入り、持ち上がりで続ける家庭が多いので、途中から入れることは難しいようだ。来年度から入るよう、順番待ちをお願いした。最近は、療育も人気だ。それだけ発達障害、子どもの将来を考える親が増えたということか。すぐに入れないことに内心ほっとした。それはまだ療育に通うことに100%賛成できていなかったからだ。
「タケは普通だって。療育なんてオーバーだと思うわよ。私が子どものときなんて、よくいたわよ」
妻のお母さんも療育に前向きではなかった。でも妻は、私たちの反対など気にせず、療育の準備を進めた。
「なんでそんなに療育にこだわるの?」
療育に抵抗がないのか、あるとき妻に聞いてみた。
「タケを見守る大人を増やしたいの」
役所の紹介で、妻が保健師の先生に相談したときのことだ。いろいろアドバイスをもらって、最後に言われたそうだ。親としてやるべきことは、子どもを見守ってくれる大人をひとりでも増やすことだと。つまり、子どもやお母さんの味方を作ることだと。そう聞いて、私はハッとした。
私は妻や子どもの味方になれてなかったかもしれない。いやむしろ敵だった。大学病院に行くことに反対し、診断を受けることに反対し、療育に通うことに未だに賛成せず。妻にしたら、邪魔でしかなかったはず。でも、面と向かって言われなかった。子どもの将来を考えて行動していたのは妻だけだった。私は療育がよく分からないから反対して、自分のことしか考えていなかった。恥ずかしくなった。自分の言動を変えなければいけないと思った。
でも妻が、ヒステリックな部分もある。健康で、見た目は普通で、会話もちゃんとできる子を、大人がラベルを貼り、自分のエゴをぶつけ合ってるだけに思えてならなかった。妻は子どもの未来を良くしていることも事実である。でも。私のなかに葛藤があった。
そうこうしているうちに、幼稚園の入試が近づいていた。近所の私立幼稚園である。どこにするか妻はかなり悩んだ。知り合いのママ友やネットの口コミから情報を集めて、1つに絞った。そこは自宅から徒歩で10分ほど、結構離れていた。しかも、前年に予定外に多く生徒が入園させてしまったために、今年は定員を減らすという。加えて、幼稚園に近い自宅の子を優先するという。結構人気らしい。妻はそこに入れたいと思った。
入試は、面接はなくて願書の提出のみだった。願書には、親の思いを書く欄があった「お子さんにどんな子供になってほしいか?」「お子さんの好きなところはどこか?」「お子さんの強みはどこか?」ということを書かねばならなかった。
どう書くか、妻と悩んだ。
何度も書き直しをして、提出した。
ここまで頑張ったのだから、受かってくれと思った。
結果は、合格。
入園式当日。
私の中で、何かが切り替わる出来事が起きた。
うちの中はあわただしかった。タケは制服を着ようとしない。「早く着て!」言っても言うことをきかない。少し緊張しているかも思った。妻も支度に忙しくて、家を出た時間はギリギリだった。
幼稚園に着くと、門には「にゅうえんおめでとう」のアーチがかかっていた。アーチをくぐると、3階建ての幼稚園が見えた。
ここが、タケが通う幼稚園かと思った。嬉しくなった。
教室に入ると、入園式を待つ親子が大勢いた。
同級生になるんだと思うと嬉しくなった。
カメラマンに家族の写真を撮ってもらって、さらにテンションがあった。
入園式のホールに父親たちは先に通された。みなビデオカメラを準備していた。
「これからお一人ずつ、お子さんの名前を呼んでいきます。お母さんと手をつないで会場に入ってきます。よろしくお願いします」と園長から説明があった。
入園式が始まった。一人目の子が名前を呼ばれた。元気よくお母さんと入ってきた。
声の小さい子もいれば、恥ずかしそうにして、手をあげられない子もいた。
次がタケの番になった。
名前が呼ばれた。「はーい」と少し照れながら妻と会場に入ってきた。
成長したなと嬉しくなった。
全員名前を呼ばれた。全員席に座った。
園長の話が始まった。少し長いとも思った。でも、記念にカメラを回していた。
退屈だと思ったとき、園児はみな座っているのに、一人だけ席を立った子がいた。
タケだった。
え。座れよと思った。周りの目もある。
と思っていたら、私の足元に走ってきたのだ。
何を言ってくるでもなかった。まとわり付いてきた。
「分かったから。タケ戻って」声をかけたら、戻っていった。
苦笑いをするしかなかった。こんなところでは怒れなかった。
周りの親たちも、優しい目で見てくれた。
こんなところで目立って恥ずかしいと思った。
席に戻って、数分後。
タケがまた立ちあがった。私の元に走ってきた。
「分かったから。戻って」
そんなことをしているのはうちの子だけだった。
席に戻って、数分後。
タケがまた立ちあがって私の元に走ってきた。
さすがに、うちの子は変わっていると思った。恥ずかしいと思った。
周りの目が気になった。その場から離れたくなった。とそのとき、ハッとした。
「妻が言っていたのはこれだ」
児童館で感じた恥ずかしさ。いたたまれなさ。
しかりつけたい。でもできないもどかしさ。
うちの子と他の子との差。
これだったのだ。
たしかに妻が言ってたことは本当だ。事実だ。他の子とは違うんだ。
こんな晴れ場で、現実を突き付けられた。
ガツンと頭を殴れたようだった。
何かしなくてはいけないと思った。
何か対策を取らなくては、なにか教育をしなくは、何か自分にできることをしなくては。
私の中で、何かがカチッと入れ替わった。
タケに、発達障害グレーに向き合おうと思った。
私の反省。これまで妻の話を真剣に聞いてなかったこと。オーバーに言っているとか、ヒステリックだと思い、まともに聞いていなかった。でも入園式で現実を見た。恥ずかしかった。ウソだろと思った。周りの子との差を感じた。紛れない事実だった。そのとき私のスイッチが入った。妻の言っていたことが分かった。何かしなくてはと思った。何かが切り替わった。これが私のターニングポイントになった。
私のように旦那さんが子どものこと、真剣に聞いてくれない、考えてくれないことがあるかもしれない。そんなときは、事実を見せるのが良い。これが現実なのだと。これが違いなのだと。嫌だと言う人もいると思う。でもいつか認められるときが来ると思う。そこからガラッと変わると思う。男性には、問題解決をしたがる特性があるという。問題と認識させれば、旦那は強力な協力者になるはず。
❏ライタープロフィール
鹿内智治(READING LIFE 編集部公認ライター)
妻と息子と3人暮らし。都内在住。私も妻も子どもが2歳になるまで発達障害グレーなんて言葉は全く知らなかった。。分からないなりに試行錯誤して、今では未就学児向けの療育サービスを利用して、発達障害グレーと向き合っている。今春から小学校進学。普通級の進学が決まっている。
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