日本から7時間、赤道直下で学ぶ日本史《週刊READING LIFE Vol.64 日本史マニアック!》
記事:一色夏菜子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
私は、歴史の勉強が苦手だった。過去の元号を覚えたり人名を覚えたりしても、何も新しいものは作り出せないではないか……と、記憶力抜群の、歴史大好きクラスメイトを見ながら毒づいたものだ。
だから、はじめに言い訳したい。私がシンガポールで学んだ「日本史」は、もしかすると多くの日本人にとっては常識なのかもしれない。ただ、私が知らなかっただけで。
日本から飛行機で7時間ほどの距離にある、赤道直下の島国・シンガポール。
私が昭南神社を見たのは、もう5年以上前のことになる。現地に住んでいた頃、シンガポール人の友人に誘われて行った。
「シンガポールにも神社があるんだよ。週末に、見にいかない?」
と気軽に誘われて、気軽に「面白そうだね、行こう!」と応じた。集合場所は整備された国立公園だったが、すぐに整備された道を外れて、道なき道を歩いた。熱帯雨林が生い茂る山道を歩くこと1時間半、辿り着くころには息が切れていた。湿度99%のなかジャングルを歩くのは、かなり体力を必要とした。
「昭南神社」という名前の小さな神社は、太平洋戦争中、日本がシンガポールを占領した時期につくられた。鬱蒼としたジャングルのなか、ぽっかりと空いた空間に、今でも石造りの手水鉢(手を洗う場所)が残っている。日本から取り寄せたヒノキ材を作って建築されたという鳥居や社殿は、戦争終結後に壊されてしまい、もうない。
「こんなところに神社を建てるのは、大変だったろうね」と、息を切らした私が平凡な感想を言うと、友人は「シンガポール人を捕まえて、働かせて作ったんだよ」と教えてくれた。日本軍が、現地捕虜を働かせて作ったから、日本人は指示を出すだけだった……ということだ。
「日本軍はこんなところまで来たんだね」
「そうだよ。シティホールのそばに、日本軍に虐殺された人を祀ったタワーがあるよ。見た?」
「あの都心の駅のすぐそばにあるタワー? あんな一等地に?」
「そうだよ。5万人くらいの人が殺されたから」
「5万人!?」
「日本軍がシンガポールを占領しているとき、中華系のシンガポール人を集めて、タナメラのビーチに並ばせて、みんなを撃ち殺したんだよ。皆殺し。初代首相のリー・クアンユーも、殺されそうになったけど、運良く逃げることができた」
「ごめん……知らなかった。そんなことをしたんだね、日本軍は」
「気にしなくていいよ。でも、シンガポール人はみんな学校で勉強する。シンガポールは歴史が50年しかないから勉強しやすいんだ。日本は歴史が長いから、なかなか全部は覚えられないよね。しかたないよ」
日本にも住んだことがある親日的な彼は、いつもとまったく変わらない、晴れやかな表情でそう言った。
歴史の勉強を避け続けてきた私の太平洋戦争にまつわる知識は、とても浅かった。「日本軍はフィリピンやインドネシアなどの東南アジアまで進軍したが、手詰まりになり苦戦を強いられ、アメリカに原爆を落とされて戦争は終わった」程度の理解だった。日本軍は、はるか南にあるシンガポールまで来て、その土地に住む人々を殺したのだ。
現地に住む日本人として、シンガポールと日本の関係性を知らないのは恥ずかしいなぁと思って、その後、私は少しずつ、東南アジアと日本の歴史を学び始めた。
シンガポールには昭南神社以外にも、日本軍による占領を記録する史跡が多く残っている。きらびやかな高層ビルが立ち並ぶイメージが強い国だが、過去を忘れないための記録は大切にしているのだ。
友人が教えてくれた「日本軍に虐殺された人たちをまつったタワー」の正式名称は「日本占領時期死難人民記念碑 (Civilian War Memorial)」という。
友人は「5万人が殺された」と説明したが、それはシンガポール政府の見解で、日本側は「5千人」と主張している。数はさておき、虐殺があったことは認めていて、戦後に約30億円の賠償金を支払っている。交換条件はなく、無償供与。全面的な謝罪だ。
日本軍による虐殺という辛い体験を持つシンガポール。ところが、親日的な人がとても多い。私は計5年間住んでいたが、一度も国籍を理由に嫌がらせをされたことはない。むしろ逆だ。
「日本食だいすき! 特に牛タンが好き」
「日本には10回くらい旅行で行ってる。北海道が好き」
「日本に住んでたことがあります。定年後の夢は、軽井沢の別荘に住むこと」
日本人ですと自己紹介しただけで歓迎してくれる人ばかりだし、日本についてめちゃめちゃ詳しい。「アジア10ヶ国の親日度調査」では「日本人が好きですか?」という質問に対して、シンガポール人の95%が大好き・好きと答えている(アウンコンサルティング調べ、2014年)。シンガポール ナンバーワン・インフルエンサー、ミスターブラウン(Mr. Brown)も親日派で、毎年2〜3回日本旅行に来て、そのたびに好意的なSNSポストを連発している。
さらに、住んでいて痛感したのは、和食の人気っぷり! どれくらい人気かというと、ラーメン屋さんが148店舗もある(ラーメン博物館調べ、2013年)。東京23区程度のサイズの国・シンガポールで148店もラーメン屋があると、食べたいときはいつでも気軽にラーメンが食べられる。外国にいるとは思えない状態だ。ラーメン以外でも、スーパーマーケットの総菜エリアには必ず寿司が並んでいるし、もつ鍋やお好み焼きを出すレストランもある。手に入らない日本食はない。
いっぽうで、日本軍が中華系シンガポール人を虐殺したということは、初代首相リー・クアンユーの伝記にも詳しく書かれているし、友人が教えてくれた通り学校でも習うし、シンガポール人にとっては「常識」だ。
日本に対して反感を抱いてもおかしくない史実があるのに、なんでこんなに親日的なんだろう? と、知れば知るほど、私は驚いた。
虐殺を間一髪で逃れ、後日シンガポール初代首相となったリー・クアンユーが、日本占領時期死難人民記念碑(虐殺された人を祀ったタワー)の起工式で、国民に呼びかけたのだという。
「過去がどんなに痛ましいものであったとしても、過去の経験にとらわれることなく、今に生き、未来に備えなければならない」
戦後、シンガポールは日本が支払った賠償金(約30億円)を活用して、インフラ設備を整えた。日本企業からの投資を誘致して、シンガポールの経済発展に活用した。最近だと、アニメや漫画が好きだから日本も好きという人も多い。そして、ラーメンをはじめとした和食人気もスゴイ。
「過去の経験にとらわれることなく、今に行き、未来に備える」……その言葉を実践しているのだ。
そのおかげで、私や多くの日本人が、シンガポール訪問時に嫌な思いをしないで、楽しい時間を過ごすことができる。しかし、当地の人々にとって「常識」である華僑虐殺事件について、シンガポールを訪れる日本人の多くは知らない。
私は、歴史の勉強が苦手だ。
大学受験でも歴史を避けて乗り切ったのに、日本から遠く離れて、赤道直下の小さな島国まで来て、日本史を学ぶことになるなんて。しかも、こんなマニアックな日本史を。
……いや、もしかすると多くの日本人にとっては常識なのかもしれない。ただ、私が知らなかっただけで。
◽︎一色夏菜子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
1982年生まれ。 いわゆる理系、数学専攻。
日本で5年働いた後、シンガポール移住。あちらで5年働いた後、日本帰国。たまに東南アジアに帰りたくなりつつ、日本で空を飛んでます。
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