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受け取るのが下手なのに、与えようとするなんて《週刊READING LIFE Vol.65 「あなたのために」》


記事:伊藤千里(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

わたしは「あなたのために」と人に与えている人ほど、受け取り下手だと思っている。
受け取るのが下手なのに、どうして相手が与えて欲しいものがわかるのだろう?

 

 

 

20代のころ読んだ本に「自分を一番大切にしましょう」と書いてあった。
人間は、ひとりひとり「器」を持っていて、その器を満たせば心が満たされ、幸せに生きられる。
人はとにかく「あなたのために」と人のために何かをすることによって(ときにはその恩返しで「いいね」をもらうことによって)、その器を満たそうとする。しかし、そもそもその器は、自分を大切にすることによってしか満たすことはできないのだという。
自分がまず一番で、自分を一番大切にして自分の器を満たす。器が満たされれば、そこから勝手に溢れたもので周りの人を幸せにすることができる、というのがこの本の主な内容だった。
 
読んだ時は「なるほどな~」と思ったが、いざ実生活でやってみようとすると、なんだか悪いことをしている気持ちになってしまった。
だってこの本を読んだ20代までずっと「あなたのために」と誰かに与えることばかりしてきたのだ。そんなわたしが急に、自分を一番に大切にしようとしたって、心の中の自分が反発してきた。この時の私は自分を一番大切にすることは、自己中心的だとか自分勝手だというふうに思っていたからだ。
だから一度はトライしてみたものの、このときは「自分を一番大切にして、まず自分の器を満たしましょう」という本の教えを守れず、途中で挫折してしまった。
 
そもそもわたしが自分を一番に大切にできず、絶えず「あなたのために」と与える生き方をしてきたのには理由がある。
それは兄の存在だ。
 
わたしには2つ年上の兄がいるが、兄は長男だからか家族からとても大事にされていた。もちろんわたしが虐待されていたとかそういうことではないが、兄が大切にされているなと思ったのは、まず写真の数だった。アルバムの写真の量があきらかに違うのだ。
たしかに、初めての子どもでめずらしいから両親や祖母が兄の写真を撮りまくる気持ちはよくわかる。でも、兄の小さい頃の写真はアルバムに1.2.3.4.5……と番号がつくくらいあるのに、わたしのアルバムはたった1冊しかない。幼稚園だったか、小学校低学年のとき、とにかく小さいときにそのことに気がついてわたしは少なからずショックを受けた。写真のほかにも、誕生日のケーキだったり、端午の節句のカブトが立派だったり(わたしのお雛様は一段飾りだ。七段飾りが欲しかったのに)、兄が優遇されているのでは? と幼心に感じることは何度もあった。祖母などは頻繁にわたしを一旦、兄の名前と呼び間違えること日常茶飯事で、小さいわたしはこう思った。
 
「みんな、わたしよりおにいちゃんが大事なんだな」
 
いま考えると完全に被害妄想だと思う。でも、子どものときいうのは大人に愛されることが死活問題だ。だってもし、大人に愛されなかったら、幼いわたしは生きていけない。どうすれば大人の愛を奪えるか……そこでわたしがとった作戦は「おにいちゃんより優秀になる作戦」だった。
 
おにいちゃんより優秀になり、おにいちゃんより目立てば、きっと両親も祖父母もわたしを優先してくれるだろうと思ったのだ。正確にいうとその当時は自分のこうした意図を自覚していたわけではなかったが、とにかく勉強も習い事もおにいちゃんよりがんばって、大人から褒められ、認められようとしていた。たくさん本を読んで、わたしはおにいちゃんより賢いんだよというところを見せようとしていた。いつも両親や祖父母のためになることを探して、おにいちゃんよりアピールできることを探していた。
とにかく「おにいちゃんよりわたしを見てくれー!!」とわたしは日々がんばっていたのだ。
 
わたしはこうして「がんばらないと人に愛されない」「人より優れていなければならない」「人に与えられる存在でなければ私の存在は無駄」という考え方を心の中に築いていった。
 
最初はおにいちゃんに勝つために、親の愛を奪うためにはじまったことだった。でも、だんだんと家の中だけではおさまらず、友だちや周りの人に対しても、とにかく「あなたのために」何かをしていないとわたしの存在意義はないんだと思うようになっていった。
 
友だちの勉強を見てあげて、宿題を写させてあげる。
誰もやりたがらないクラス委員や生徒会会長としてクラスや学校全体のために働く。
困っている人がいたらアドバイスしてあげる。
友だちの愚痴を黙って聞いてあげる。
大人になってからだって、めんどくさい仕事を進んで引き受け、飲み会では頼まれていないのにひたすら盛り上げ役にまわった。
 
わたしはずっと「あなたのために」与えることばかりしてきたのだ。だから、「まず自分の器を満たしましょう」なんて言われてもやり方がわからない。
なにより相手に与える生き方をしていると、ときどき相手から「いいね!」をもらえ、それによってわたしの承認欲求は満たされる。だからその麻薬的な効力に抗えなかったということもある。
だって、自分を一番大切にしてたって、誰からも「いいね!」はもらえない。

 

 

 

だって、わたしにはこの麻薬が必要だった。
 
なぜなら、毎日疲れていて、ストレスでいっぱいだったから。
相手のためを思って「こうしたら?」とアドバイスしてあげる、相手の愚痴をひたすら聞いてあげる、とにかく相手に尽くす。でもその行為でわたしは自分で自分をすり減らしていった。そして、そのすり減った部分を補うため、「いいね!」の麻薬を求め、「あなたのために」と与えてばかりいた。
 
いまこうして書いてみると、自家ブラック永久ローテーションをしていたのだなと客観的に気がつくことができるし、なんだかちょっと笑えてくる。でも、当時は「いいね麻薬中毒」だったからそのことに気がつかなかったのだろう。

 

 

 

あまりにも自分がすり減っていて、ストレスでいっぱいなのでわたしは救いを求めていた。そして、いろんな自己啓発の本やセミナーで救いを求めてさまよっていたところ、あるセミナー講師の言葉にわたしはドキッとした。
 
「『あなたのために』と人に与えてばかりの人がいる。こういう人は、自分は受け取り下手なことが多い。相手のために……と与えてばかりいるが、自分は受け取ったことがない。
なにか矛盾していると思わないだろうか?
受け取ったことがないのに、どうして相手の与えて欲しいものがわかるのだろうか」
 
受け取ったことがないのに、どうして相手の与えて欲しいものがわかるのだろうか……?
心臓を掴まれたようだった。
 
わたしは受け取り下手なのだ。
人にアドバイスばかりしているが、人からアドバイスされるのは、自分のテリトリーに介入されているようで大嫌い。
人からプレゼントをもらったら、嬉しいよりも申し訳ない気持ちが先に立つ。
好意なんて示されようものなら、「わたしみたいな人間に……」と自分を卑下し、受け取らなくてすむように逃げ回ってばかりいた。
人の愚痴を聞く役に回っているが、自分の愚痴はほどんと話さない。いや、愚痴以外にも自分のことをほとんど話さない。だって、こんな自分を相手にさらけ出すなんて、相手から嫌われるに決まっている。
 
わたしは、「あなたのために」と人に与えることばかりしてきたけど、受け取ることは一回もしてこなかった。わたしは超! 受け取り下手なのだ。
 
「受け取ったことがないのに、どうして相手の与えて欲しいものがわかるのだろうか」
 
わたしはボールを投げたことしかない野球選手みたいなものだった。
投げてばかりで自分でボールを受けたことはない。でも、受けたことがなければ、どこに投げたら相手が取りやすいのか、どう投げたら、どんなボールなら相手が喜んで受け取ってくれるのかわかるはずもないだろう。
わたしはいままでボールを投げまくって、投げたことにただ満足していただけだった。
 
それこそ自己中心的で、自分勝手で、自己満足だった。
 
わたしが「あなたのために」とか「いいね!」が欲しくて投げまくってきたボールは、相手にとっては不要なものだったかもしれないし、豪速球すぎたり、変化球すぎて迷惑だったのかもしれない。そう考えるとこれまでの投手生活が急に空虚なものに思われた。
 
そして、自分は投げてばかりで受け取らないので、ボールはわたしの手元からどんどんなくなっていったのだ。
だから、こんなに疲れてストレスいっぱいだったのか。
 
やっとわかった。わたしにはまず、ボールを受け取る練習が必要だったんだ。
「まず自分の器を満たしましょう」というあの本に書いてあったことがようやく腑に落ちた。
 
相手にアドバイスしなくたっていいんだ。ただ、相手を信頼してそっと見守るだけにしよう。もし、聞かれたらわたしの経験を少しだけ参考にしてくれたら嬉しい。
 
人からなにかもらったら、笑顔で心から「ありがとう」と言って受け取ろう。
人からもらったことに対して遠慮して、相手に悪いなあと思うよりも、無邪気に受け取ってくれた方が、くれた相手もそっちの方が嬉しいだろうから。
 
人の愚痴ばかり聞いてあげるのではなく、自分のことも少し話そう。
正直なわたしを目のまえの人にさらけだそう。
それでもし嫌われたとしても、人類全員から嫌われてるわけじゃないから、まあ……いいんじゃない。 
 
わたしはボールを投げるまえに、まず受け取る練習をしよう。

 

 

 

わたしは「あなたのために」と言ってボールを投げている人ほど、ボールを取るのが下手だと思っている。かつてのわたしがそうだったから。
 
「あなたのために」と独りよがりの投球はやめて、まず、受け取り上手なキャッチャーになってから、ピッチャーを目指しても遅くはない、とわたしは思う。
 
 
 
 

◽︎伊藤千里(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
1987年生まれ。同志社大学法学部卒。
両親が公務員のためか「安定、慎重、無難」がモットー。大学卒業後は警察庁に入庁するが、霞ヶ関のブラックな勤務に疲れ果て、28歳の時「世界で最もストレスフルな仕事」と呼ばれる航空管制官に転職。
所轄の刑事時代に被疑者(犯人)や被害者から事件の状況を聞き、供述調書を書いていた経験から「聞いて、書く」ことが得意。

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