メディアグランプリ

悔し涙と会議室——正しさが、人を遠ざける理由


*この記事は、「ハイパフォーマンス・ライティング」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

2025/10/23公開

記事 :岸正龍(ハイパフォーマンス・ライティング)

 

 

22年前のある夜、ホワイトボードマーカーの匂いだけが残る会議室で、僕はひとりで議事録を打ち直していた。参加していたスタッフは全員帰り、会議室にいるのは僕だけだ。頭の中では「悔しい」という言葉がぐるぐる回っている。窓の外から聞こえる車の音が、遠く感じた。

 

キーボードを叩く。

何度もため息が出る。

そして、気づけば、涙が出ていた。

——悔し涙だ。

 

頬に伝う涙をぬぐいながら、キーボードを叩き続ける。画面に映し出されているのは、さっきの会議で僕が発言した内容。論理的で、筋が通っていて、正しい。スタッフもみな「なるほど」という顔をして聞いていた。

 

なのに。

僕の話は、誰の心にも届いていなかった。

その事実が、悔しい。とんでもなく悔しい。

 

ミーティングでは、経営者として全力で会社の未来を語ったつもりだ。

「このままじゃ危ない」と。

「今のやり方を変えなきゃ」と。

「もっと真剣に動こう」と。

最大限の熱意をもって伝えた。データも揃えたし、論理も完璧だった。プレゼン資料には誰も反論できないグラフと数字を並べた。それなのに……。

 

誰とも目が合わない。

メモを取る音も止まっている。

誰かが時計をちらっと見た。

その小さな仕草が、まるで「早く終わらないかな」と叫んでいるようだった。いや、実際に叫んでいたのだろう。会議が終わったあと、ミーティングに出ていた一緒に働いている妻から、こう言われたのだから。

 

「言ってることは、正しいよ。でも、そんな言い方じゃ、誰も聞く気になれないって」

 

その言葉が耳から離れなかった。悔しさや情けなさや苛立ちや憤りや、様々な色をした感情があふれ出し、それが涙となった。

 

僕はこれまで経営者として、合理的な判断を最優先にしてきた。そうじゃないと、会社を存続させることができないからだ。常に論理的に考え、合理的に判断し、正しい方向を示す。それが経営者としての僕の使命だと信じていた。この信念が崩されたとしたら、僕はどうすればいいのだろう?

 

答えの出ないまま、家に帰る電車に乗る。

いつのまにか拳を握りしめていた。

爪が手のひらに食い込んでいる。

痛い。でも、手を開けなかった。

 

なんで、伝わらないんだ?

なんで、誰も反応しない?

 

俺は間違ったことを言ってない。

むしろ、チームのために言ってるんだ。

なのに、なんで……。

 

頭の中で同じ言葉がリピートされる。気づけば、駅を三つも通り過ぎていた。慌てて次の駅で降りて、逆方向のホームに立つ。冷たい風が頬を撫でた。その瞬間、また涙が出そうになった。

 

正しいことを言うのが、こんなに孤独だなんて。

 

 

友人の言葉が、ブーメランになった

 

本を読んだ。

これまでの人生でも、壁にぶつかったときに僕を救ってくれたのは本だったからだ。

 

コミュニケーション術、話し方のテクニック、伝え方の法則……Amazonで高評価のビジネス書を片っ端から買い込んだ。買い込んで、読んだ。そして、落胆した。書いてあるのが「結論から話せ」「データを示せ」「ロジカルに説明しろ」——僕がすでにやっていることばかりだったから。

 

これだけ本を読んでも答えが見つからないなら、最初から答えなんかなかったに決まってる。それが合理的な結論だ。そう悪態をつきつつ、手にしていた本をソファに投げたとき、大学時代に友人から言われた言葉が、ふと脳裏をかすめた。

 

「お前と話してると疲れるんだよ。正論すぎて」

 

当時、この言葉を言われたとき、「は? 正論の何が悪いんだよ」と思った僕の考えが、ブーメランとなって返ってきた。

 

正論は、人を追い詰める。

正論は、逃げ場をなくす。

正論は、相手の存在を否定する。

 

じゃあ、どうすればいい?

 

 

ホワイトボードに数字を書かなかった日

 

次の週、またチームミーティングがあった。僕はプレゼン資料を配るのをやめた。ホワイトボードに数字も書かない。準備してきたグラフも、机の中にしまった。代わりに、こう言った。

 

「最近、みんな、仕事たのしい?」

 

数秒、沈黙が流れた。

部下たちは顔を見合わせた。

「社長、どうしたんだろう」という空気が伝わってくる。

その空気が怖かった。また失敗するんじゃないか。また凍りつかせるんじゃないか。

僕は不安で固まった。

 

その瞬間、スタッフのひとりが「楽しいかって言われると」と話し始めた。すると別のひとりが「最近ちょっと疲れてて」と続けた。うなずきが生まれた。空気がほどけた。僕は心の中で「これだ」と思った。

 

会議は1時間続いた。誰も時計を見なかった。帰り際、若手社員が「今日の会議、よかったですね」と言ってきた。その夜、家に帰って、初めて肩の力が抜けた。

 

 

人は正しい人を、無意識的に避けてしまう。

もっとストレートに言うと、人は正しい人を無意識的に嫌う。

 

人が惹かれるのは、「人間らしい人」だ。

僕が、悔し涙を流した晩から、何年もかけて学んだ真実。

 

そしていま、自分を客観的に分析して言うならば、僕が変えたのは話し方ではなく「自分の中の恐れ」だ。どんなに正しい言葉でも、その奥に「恐れ」があると、相手の無意識はそれを感じ取る。

 

「間違えたくない」という恐れ。

「否定されたくない」という恐れ。

「無能だと思われたくない」という恐れ。

 

そんな恐れが、声のトーンに乗る。表情に出る。間の取り方に現れる。

そして相手の無意識が、「自分のことしか考えていない人間」として受け取る。

僕は、何年もかけてそれを学んだんだ。

 

 

「つまり、相手を操作するってことですか?」

 

もう一つ、忘れることができない失敗談を紹介しよう。

講師として活動を始めたばかりの頃の話だ。

 

ある大手企業の研修で、「会社における円滑なコミュニケーション」というテーマで話をしていた。参加者は40名ほど。スーツの男性が多く、みな真面目で優秀。大手企業の中堅社員たちだった。

 

講義の前半はうまくいっていた。笑いも起きていたし、「いい研修だ」という空気も流れていた。それが、だ。後半に入り「会話における無意識のパターン」を説明したとき、明らかに空気が変わった。一人の受講者が腕を組み、いくぶん怒気を含んで、こう言ったからだ。

 

「つまり、心理的に相手を操作するってことですか?」

 

会場が静まり返った。40人の視線が僕に集中する。誰も呼吸していないような静けさ。その静けさに押され、僕は昔の自分に戻ってしまった。

 

「違います。操作ではありません。もっと根源的な——」。口から出てくる言葉が、自分でもわかるほど理屈モードになっていた。「人間のコミュニケーションには無意識の層があって、それを理解することで相互理解が深まるんです。操作とは全く違う概念で——」

 

会場の熱が、一気に冷めていくのが分かった。その後に流れたのは、前半とはまったく違う時間。誰も質問しなかった。笑いもなかった。終わったあとの拍手もまばらで、受講者たちは足早に会場を出ていく。いつもなら質問に来る人がいるのに、その日は誰も残らなかった。

 

研修の後に入ったトイレで、鏡に映る自分の顔を見た。こわばった表情。硬い目。

「また、やってしまった」と自分を責める、僕の顔がそこにあった。

 

論理は、心を閉じる。

感情は、心を開く。

頭では知っていた。でも、身体がまだ理解していなかった。

僕の中に染み付いた「論理的」という呪縛が、また人との距離を生み出したのだ。

 

 

ゆっくり吸って、ゆっくり吐く

 

僕は、心理学の現場に通い始めた。カウンセリング、エリクソン催眠、NLP、行動心理……机上ではなく、人と向き合う現場。週末ごとに、様々なセッションに参加した。

 

そんなある日、セッションでペアになった相手が、僕にこう言った。

 

「岸さん、伝えるときに呼吸が浅くなっていますよ」

 

自分ではまったく気づいていないポイントだった。言われてさえも、わからなかった。しかし録画を見返すと、本当にそうだった。何かを「わかってもらおう」とすると、呼吸が浅くなり、話すスピードが速くなっていた。

 

その「妙な変化」が、相手の防衛を呼び起こしていたのだ。

理解してもらおうとして、相手を追い詰めていた。

説得しようとして、拒絶を生んでいた。

無意識の緊張が、相手の心を締めつけていた。

それは、まるで自分の首を絞めているようなものだった。

呼吸が浅くなることで、自分も相手も苦しめていたのだ。

 

 

その日から僕は、話す前に深呼吸するようにした。ゆっくり吸って、ゆっくり吐く。たったそれだけ。それだけで、相手の反応が変わった。声のトーンが柔らかくなった。間の取り方が自然になった。相手の目を見る余裕が生まれた。

 

そして何より、自分が楽になった。「わかってもらわなきゃ」という焦りが消え、「理解されなくてもいい」という安心が生まれた。

 

そんなある日、大企業の経営者との交渉があった。僕の会社としては、何としても仕事に結びつけたい重要な交渉だ。以前なら、相手にたくさんの言葉をぶつけていただろう。けれどその日は、沈黙を怖がらず間を取った。

 

実際、難しい交渉だったので沈黙の時間が多かった。正直言えば、怖かった。何かを話している方が楽だった。けれど、それは僕の問題だ。僕の恐れだ。そう考え、ゆっくりと呼吸を続けた。すると。

 

「岸さん、実は……」と、相手の経営者がゆっくり話し出した。そこから彼の話は止まらず。1時間半も続いた。僕はほとんど何も話さなかった。ただ、呼吸をして、聞いていた。交渉の最後の場面で、そんな僕に彼はこう言った。

 

「一緒にいいお仕事ができそうです。今日はお時間ありがとうございました」

 

 

正しさの鎧を脱いだとき、すべてが変わる

 

こうした体験を積み重ねていくうちに、「正しい人」と「信頼される人」の違いが痛いほどわかってきた。

 

正しい人は、答えを持っている。

信頼される人は、相手の中に答えがあると信じている。

 

正しい人は、説明する。

信頼される人は、相手に寄りそう。

 

正しい人は、早く話す。

信頼される人は、間を取る。

 

正しい人は、浅い呼吸。

信頼される人は、深く呼吸する。

 

文字にすれば、簡単な違いだ。

でも、この違いが、人生を変える。

僕はそれを身をもって知っている。

 

もしあなたが、この文章をここまで読んでくれたなら。

もしあなたが、「正しいことを言っているのに伝わらない」と感じたことがあるなら。

もしあなたが、「なぜか人が離れていく」という痛みを知っているなら。

 

それは、あなたが、壁の前に立っているというサインで、

その壁の向こうには、あなた本来の魅力が眠っています。

 

11月22日、天狼院カフェSHIBUYAで、「信頼される人になる」ための方法についてお話します。ベースとなる心理学的な知見はもちろんですが、「じゃあどうすればいいのか」という具体的な方法に力点を置いてお伝えします。だからこの講座は、ただ知識を増やすだけの時間ではありません。「正しさの鎧」を脱ぐ時間です。

 

誰かを変えたいなら、まず、自分の無意識を知ること。

息を止めてきた時間をほどくこと。

沈黙の怖さを超えてみること。

安心を与える呼吸を体得すること。

その一歩を、あなたと一緒に踏み出せたらと思います。

 

リアル会場で、

あるいはオンラインで、

あなたとお会いできることを、楽しみにしています。

 

岸正龍

 

講座の詳細・お申し込みはこちら👇

https://tenro-in.com/

 

追伸

この講座は少人数制です。会場参加は先着20名まで。

オンライン参加も定員があります。お早めにお申し込みください。

 

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2025-11-13 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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