字の味を教えてくれた先生
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです
記事:ムー子(25年11月開講コース)
字は、その人そのものだ。
自分も他人も、字の癖や大きさが全然違う。
字には味があり、それを知ることで自分や他人を知ることが出来る。
そう思ったきっかけは、書道の先生とのやり取りだった。
私は小学校一年生の時から中学生二年生まで書道を習っていた。
近所の友達Kちゃんと、近くのショッピングセンター内にある書道教室に通っていた。
Kちゃんは字が綺麗だった。出来上がった作品は朱色でいつも丸をつけられていた。
一方、私は字を書くのが苦手だった。
お手本をまねて書いているつもりでもバランスがおかしかったりする。
いつも朱色で訂正され、アドバイスを受けていた。
特に、字の「はらい」が難しかった。
例えば、「大」という字。
二画目は左方向、三画目は右方向に、それぞれ筆をゆっくり進め、力をすっと抜けるようにして書くことで綺麗なはらいが完成する。
私の場合、すっと力を抜くときにいつも緊張してしまい、筆の形がポコッとなったままはらってしまうので、やや不格好な形になる。
少しでも筆の向きがおかしいと力が抜けずに、そのままズルズルと長いものになることもあった。
小学校一年生のある日、いつも長めになってしまうはらいを短めにしようと試みたところ、そこの部分だけがかすれてしまった。
どうしようか、しかし、書いてしまったものは仕方がない。
ふとKちゃんのほうを見た。
なんと細筆で自分が書いた字のはらいの部分を修正しているではないか。
心に引っかかるような気がなんとなくした私は、思わず「それって大丈夫なの?」と聞いた。
「えー、だって変になったんだから綺麗にしたいじゃん」
Kちゃんは修正することが当然のように私に言った。
確かに失敗したら綺麗にしたい。修正出来るものならしたい。
しかし、これって、ありなのだろうか。
そう思いながら、私はその時細筆をとった。
はらいは気になるが、諦めて左端に名前を書くか……
それともKちゃんのようにはらいを修正するか…
その時、先生と目が合った。
しっかりとした、正直な性格の先生だった。
教室で騒いでいる子やいたずらをしている子がいれば注意をしっかりする。
生徒一人一人が書いた作品を長い時間かけて見て、生徒にあわせたアドバイスをしっかりする。
そして、目が大きい人だった。何事も逃さない、そんな感じの目力がある先生だった。
その目力と正当な注意力をもって教室を管理しているからか、いつも教室内は荒れることなく、落ち着いていた。
そんな先生が、大きな目でずっと私を見ている。
そして、微笑んでいる。
先生が笑った顔を初めて見て驚いたことと、Kちゃん方式の修正を一瞬でもしようとしたことの後ろめたさで私は怖くなってしまった。
重罪を犯したわけでもないのに怖がりすぎだろう、と今思えば笑ってしまうのだが、そのときはその目力で諫められたと思ったのだ。
やはりよくない。私は細筆で自分の名前を左端に書き、作品を完成させる方を選んだ。
提出すると、やはり朱色の修正だらけだった。
黙って見ていると、先生は「かすれは全く問題ないよ」と言った。
そして「かすれも字の味の一つ、よく書けてるよ。このまま頑張れば伸びるからね」と付け加えた。
「字の味」ってなんだろう。
言葉の意味も、修正だらけのものが本当によく書けているかも分からなかったが、
かすれに問題はないと聞いてほっとした。
先生に直接私の手を持ってもらい、筆の力の抜き方を教わった。
その後授業を繰り返す度に、うまくできないところは先生に相談した。
そして小学校二年生の時、私は市のコンクールで賞をとった。
Kちゃんのほうが上手だったと思うのだが、私が選ばれた。
小さい賞だったが、とても嬉しかった。
通学の理由で小学校中学年から違う書道教室に通うことになり、高校受験をきっかけに書道は辞めてしまった。
時間が経ち、私は卒業した中学校で教育実習をすることになった。
授業が終わり、帰宅や部活動のために生徒が教室を後にする。
その時に掃除をするのが教師の役目だった。
一通り掃除をし、私は教室の後ろに飾られた生徒の書道の作品を見た。
作品全部に生徒自身の個性が出ている。
例えば学級員のAさん。
彼女の字は、墨汁のつけ方にムラがなく、強弱のつけ方がうまい。
見えない枠を設定し、その中で字のバランスを考えて書いているのだろうか、
字のまとまりもよく、意志が強く几帳面な彼女を象徴したような字だった。
いつも賑やかでやんちゃなB君。
全体的に丁寧に、慎重に書こうとしている感じが見られた。
授業中騒いで休憩時間もにぎやかで笑っている彼だが、書道の時間はしかめっ面で真剣に取り組んでいた。
彼なりのこだわりと流儀があって、自分が取り組む作品にそれをぶつけるタイプだと感じた。
口数が少なく、どんなことを考えているのかいつも不思議だったCさん。
書く文字はクラスの中で一番力強かった。普段とのギャップがクラスの中で一番だったので意外だった。字を大きく書いているので、左端の自分の名前を書くスペースがほぼ無い。だが文字には迷いがなく、潔い。
内面に秘めているものは大きそうだ。
他の生徒の作品も魅力あるものばかりだった。
生徒の普段の様子も、普段見ることのない内面も表現されているような気がした。
どこにでもある普通の中学校だが、これだけ個性のある作品があふれている。
それらを見ていると、字はお手本通りの綺麗さ=良いもの、とは言い切れないのだと思った。
字の美しさとは別の、個人によって違う「何か」がある。
これが「字の味」なのかと私は気づいた。
同時に書道の先生の表情を思い出した。
あの時の微笑みは「あなたは今の姿勢で頑張れ」というメッセージだったのだ。
書道では文字の美しさは考慮されなければならない。
細筆で修正することで、文字の均一性や綺麗さ、バランスは手に入れることが確かに出来たかもしれない。しかし、私が努力すべき方向はそこではなかった。
何度も先生に入れられた修正の朱色。
それこそが、私がどう頑張るべきかを根気強く示したものだった。
それに沿って努力した先で私の「字の味」がよりよいものになる、そのことを先生は知っていたのではないだろうか。
私が教育実習で生徒の作品を見て感じたことを、長年書道を教えている先生ならずっと前から感じていたに違いない。
あの微笑みは私を単に諫めたのではなく、わたしがどうあるべきかを教えてくれたものだと、その時に気づいたのだった。
努力の方向を指し示し、私に「字の味」の魅力を教えてくれた先生。
その先生と言葉を交わさずに行われたやりとり。
そのおかげで、今日も私は字を見るのにワクワクしている。
≪終わり≫
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