メディアグランプリ

 視線のある喫茶店 


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:たちばな(25年・年末集中コース)

 

喫茶店で「自分は人からどう見られるのか」と考え込むことになるとは、そのときの私はまだ知らなかった。

 

ある日曜日の昼下がり。

知人の家に持っていく手土産を買い終え、帰る途中のことだった。

ビルばかりが建ち並ぶ灰色の街のなかで、とつぜん深い青が私の視界に飛び込んできた。その青は、喫茶店の屋根の色だった。

こぢんまりとした店構えで、そのまま通り過ぎてしまいそうな佇まいである。それでも、その屋根の青だけは、周囲の景色から浮き上がるように、はっきりと存在を主張していた。

 

しばらくその青を眺めてから、私は店に入ることに決めた。ずいぶん歩いたあとだったので、何か温かいものを飲むのも悪くない、と思ったのである。

 

重たい扉を押し開けると、そこには純喫茶特有の薄暗い店内が広がっていた。

静かな空気、年季の入ったカウンター、どこか懐かしい匂い。

ただひとつ違っていたのは、頭上やカウンター奥の壁面にずらりと並んだティーカップたちだった。

それらはまるで、観客席からこちらを見下ろしているかのようだった。

 

案内されたカウンター席に腰を下ろし、ブレンドコーヒーを注文する。注文を待つ間にスマートフォンでこの店について調べると、二百種類以上のティーカップの中から、客の雰囲気に合わせてカップを選んでくれるという。

そうと知った瞬間、さきほどまで無機質だったはずのカップたちが、ひそひそと値踏みしているように見えてきた。

――今日は誰が行く?

――あの人、あなたにぴったりなんじゃない?

――私、あのお客さんが気になるわ。

そんな声まで聞こえてくる気がする。

 

やがて店員さんが、注文分のコーヒーをまとめて淹れ始めた。調理台に並んだ三つのカップが目に入る。

ウェッジウッドの、白地に苺柄の可愛いらしいカップ。

深い青色が魅力的な、静かに気品を湛えたカップ。

白地に深紅の模様、金縁が輝くクラシカルなカップ。

 

深紅のカップを見た瞬間、呼吸が一拍、遅れた。とても私好みのデザインなのだ。

 

今日の私の粧いといえば、マーメイドラインの黒いニットワンピースに、ピンクレッドのリップ。ゆるく波打つ長い黒髪を下ろしている。

あの紅いカップを持ったらきっと似合うことだろう。そんな想像までしてしまう。

 

店員さんの手元から目を離せずにいる自分に気づく。

ミルを回す音、湯を注ぐ音、そのどれもがやけに大きく聞こえた。

店員さんは、私をどう見ているのだろう。

そして調理台に並ぶカップたちは、私をどう思っているのだろう。

 

お湯を注ぐ手が止まり、ドリップポットが調理台に置かれた。珈琲を淹れ終わったらしい。店員さんがゆったりした動作でカップを持ち上げ、私の前にそっと差し出す。

そのカップは――苺柄だった。

 

深紅のカップは、奥で煙草を燻らせていた、どこか艶のあるショートカットの女性のもとへ。青いカップは、異国の空気をまとったダンディーなお客様のもとへ運ばれていった。

女性は、カップを口に運ぶ仕草まで艶やかである。紅いカップは、元からそこが居場所であるかのように似合っていた。レトロな映画のような美しいその光景に、悔しいけれど、納得してしまった。

 

私はどうしてこのカップになったのだろうか。普段身につけない雰囲気である。目の前の可愛らしいカップと静かに対峙する。

しばらく眺めていると、その写実的な葉と花のなかに、見覚えのある色を見つけた。

やわらかいピンク色。私が入店時に羽織っていたモカ色のロングコートと似ているのである。

 

初対面の人への第一印象は、一般的に「3~5秒程度」で決まると言われている。

やわらかいモカ色をまとった私は、きっとその色から「可愛い」雰囲気と認識されたのだろう。

 

苺柄の白いカップは、黒いワンピースを背景にしてよく映えた。まるで「あなたが思うほど、私は悪くないでしょう?」とでも言うように。

 

見られるというのは、不思議な行為だ。

自分がどうありたいかを表現してみても、その思いとは別のかたちで誰かの目に映ってしまう。

「この人がどういう人なのか」は、自分ではなく他人の解釈次第なのだ。

たった一つのティーカップを通して、思いもよらない自分の輪郭を突きつけられた。

 

今度はもっと大人っぽい服装で来店してみようか。誰にも、そして何にも、誤解されないように。

 

今度はあの紅いカップを出してもらえるかしら。

それとも、新たな私に対する「解釈」を知ることになるのだろうか。

 

そんなことを考えながら珈琲をすすったのだった。

 

 

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