明治の出納帳を読んでわかった、私が住職に選ばれた「まさか」すぎる理由
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:回復呪文は使えない(25年・年末集中コース)
「そんなことってある?」 人生には、まさかという坂があると言うが、私の目の前に現れたのは坂道どころか断崖絶壁だった。
ある日突然、妻の実家のお寺を継がなければならなくなった私。「なぜこんなことになってしまったのか」を考える暇もなく、日々襲われるいろいろな出来事に追われまくっていた。そんな慌ただしい日々の最中(さなか)、整理に入った納戸の奥で古そうな書物を見つけた。
うちのお寺には、昔のものがほとんど残っていない。 ご本尊とお地蔵さん以外は、ほとんど戦火で焼け落ちてしまった。
そんなお寺の納戸から、数冊の古そうな書物が出てきた。 書物というよりは、帳面か。パラパラとめくってみると、どうやら明治10年代の出納帳らしい。 墨書で几帳面に書かれているが、カナ遣いが現代とは違うため、簡単には読めない。古文書の類だ。
「なんだ、ただの帳簿か」 普通の人ならそう言って閉じてしまうだろう。 だが、私は現役の「財務コンサルタント」だ。 そこに「収入 金〇〇円〇〇銭」「支出 金〇〇円〇〇銭」「繰越 金〇〇円〇〇銭」なんて文字が並んでいたら、職業柄、血が騒がないわけがない。
「どれどれ、明治時代のお寺の経営状態とやらを、監査してやろうじゃないか」
私は目を皿のようにして、古文書を解読し始めた。 すると、驚くべき「お寺のビジネスモデル」が浮かび上がってきたのだ。
どうやら戦前の当寺は、広大な農地を持っていたらしい。 そこから上がる「小作料(家賃)」を金納させ、そこから「税金」を払う。その差額が、お寺の主な収益源だったようだ。 記録を現代の単位に換算すると、農地改革で失った農地は約8ヘクタール。東京ドーム1.7個分だ。なかなかに豪勢な大地主である。
「なるほど、不動産収入で食っていたわけか」 納得しかけたその時、ある違和感に気づいた。
「あれ? ……ないぞ?」
収入の部に、「お布施」や「お参り」による収入が見当たらないのだ。 僧侶としての本業をサボっていたのか? いや、支出の部には法要の準備等の記載がある。仕事はしているのに、売上がない。
そして、この「消えたお布施」の謎こそが、令和の世になって私がこのお寺を継ぐことになった、「そんなことってある?」という理由に直結していたのだ。
古老の話や他の資料を突き合わせていくと、衝撃の事実が判明した。 戦前、この地域のお寺のヒエラルキーは絶対的だった。 葬儀や法事といった「お布施」が発生する業務はすべて、市中心部にある「一番大きなお寺(本寺)」が独占していたのだ。
うちのような郊外の末寺は、お参りの実働部隊として駆り出されるものの、もらえるのはお車代程度。檀家はいても、そこからの収入はゼロだった。 つまり、当時の当寺は「宗教法人」というよりは、実質的にただの「地主」として生計を立てていたのだ。
この歪な構造が一変したのは、戦争と、その後の連合国軍による占領だった。 GHQの後押しで強権的に進められた「農地改革」。 国は、地主から土地を二束三文で購入し、小作人にタダ同然で払い下げた。これによって、大地主だった当寺は、農地8ヘクタールを強制的に買い上げられてしまった。これで、収入源のほぼ全てを失ったのだ。
土地はない。お布施も入らない。本堂も焼けてしまった。もう、どうにもならない。
これは経営の危機どころではない。存亡の危機だ。 そこで、うちのお寺を含む近隣の5か寺は立ち上がった。
「我々にもお布施を受け取る権利をよこせ!」
それはまさに、市中心部の大寺に対する「独立戦争」だった。長く大きな苦労の末、先代たちはなんとか「お布施の権利」を勝ち取り、今日のお寺の形を作ったのだ。
そんな血と汗の歴史を知った上で、時計の針を現代に戻そう。
時は流れた。
2022年、先代住職(私の義父)は足を悪くし、高齢者施設に入ることとなった。
彼はこうなることを予期しており、自分の弟子の中から、然るべき人物を後継者に指名していた。 それは、昔、うちのお寺からお布施を搾取していた大寺に極めて近い、優秀な僧侶だった。
能力も経験も申し分ない。普通なら彼で決まりだ。 ところが、ここで「待った」がかかった。 声を上げたのは、近隣のお寺の長老たちだ。
「それは、阻止せねばならんのう」
彼らの脳裏に、あの「独立戦争」の記憶が蘇ったのだ。 「大寺の息のかかった人間が、またこっちに入ってくるだって? 冗談じゃない。せっかく勝ち取った権利を、またヤツらに吸い上げられるのか?」
敵(と彼らが認識している勢力)が、味方の陣地に司令官として送り込まれてくる。 長老たちにとって、それは許せない景色だったのだろう。
「外部の人間はダメだ。こちらの側の人間でなければ」
そして、白羽の矢が立ったのが、私だった。 仏教の知識ゼロ。住職の資格なし。あるのはファイナンシャルプランナーの資格だけ。 そんな私に、長老たちは言った。
「きみにお願いしたい。理由は、きみが『村の中』に住んでいるからだ」
村? うちは120年前から市なんじゃないですか?
順々に話を聞いていくと、彼らの言う「村」とは、現在の行政区分ではない。 うちのお寺が管轄していた、かつての「村」。 つまり、江戸時代の区割りのことだった。
「きみはこの村(江戸時代のエリア)に住んでいて、よそ者じゃない。だから、きみが継ぐべきだ」
100年前とか200年前とか、その時代に発生したことを理由に、自分の人生が決定づけられてしまった。ホント、「そんなことってある?」。
GHQの農地改革と、江戸時代の村の境界線。 この二つの歴史的要因が、令和の財務コンサルタントを、住職の座へと押し上げたのだ。
最初は「なんて理不尽な」と思った。 だが、明治の出納帳を閉じ、お寺の縁側でぼんやりと庭を眺めていると、不思議な感覚に包まれることがある。
今の世の中は、秒単位で株価が動き、四半期ごとに決算を求められる。 けれど、ここお寺には、そんな時間の流れとは無縁の「別の時計」が動いている。 100年前の因縁で人が動き、200年前の区割りで役職が決まる。 その悠久の流れの中に身を置いていると、自分の一生なんて、長い映画の「たった一コマ」に過ぎないのだと感じられる。
自分の一生を「一つの舞台」と考えると、予期せぬトラブル続きでせわしない人生だ。 しかし、数百年続く歴史の「ただの一コマ」と考えれば、このドタバタ劇もまた、時の流れの中の優雅な瞬きなのかもしれない。
現代社会において、優雅なだけでは生き延びられないのは、財務コンサルタントとして百も承知だ。 けれど、秒速で戦う「ビジネスの刀」だけでなく、数百年単位で物事を捉える「悠久の刀」。この二本を腰に差しておくことは、これからの予測不能な時代を生き抜くための、意外と悪くない「守り刀」になるのかもしれない。
この「守り刀」を、どうすれば今を生きる忙しい人々の役に立てることができるのか。これが、長老たちから、そして江戸時代を生きた「村」の人たちから私に課せられた使命なのかもしれない。
「そんなことってある?」は、現代に残された最後の封建的なしがらみだった。それを「守り刀」として活かすために知恵を絞る。そんな生き方もアリなのかもしれない。
≪終わり≫
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