脳卒中で利き手を失った女性が”左手でおにぎり”を握った朝《“治す側”から”治される側”を経験した作業療法士が教える『心と身体の再起動スイッチ』》
2025/12/1/公開
記事:内山遼太(READING LIFE公認ライター)
※一部フィクションを含みます。
右手で握っていたおにぎり。小さな手の動きが、彼女にとっては「私らしさ」の象徴だった。脳卒中で利き手を失い、何度も涙を流した彼女が、左手でおにぎりを握れた朝。その手は、絶望を乗り越えた「再起動スイッチ」だった。
——
初めて彼女に会ったのは、脳卒中の発症から1ヶ月が経った頃だった。リハビリ室に入ってきた彼女の右手は、力なく膝の上に置かれていた。表情は硬く、視線は虚ろだった。
「おはようございます」と声をかけても、返ってくるのは小さな頷きだけ。カルテには「右片麻痺、重度」と記されていた。だが、私が最も注目したのは、別の一文だった。
「毎朝、家族のためにおにぎりを握ることが日課だった」
彼女は専業主婦として、40年以上家族の食事を支えてきた。特におにぎりは特別な存在だった。娘が遠足に行く朝、息子が受験勉強で夜遅くまで頑張っていた時期、夫が単身赴任から帰ってくる日。いつも、彼女の右手が握ったおにぎりが家族を迎えた。
「ちょっと塩を強めにして、真ん中に梅干しを入れるの」
そう語る彼女の声には、誇りがあった。でも、その直後に視線は再び右手に落ちる。動かない手。握れない手。
「もう、握れないのよね」
その言葉には、深い絶望が滲んでいた。
作業療法士として働く中で、私は何度も気づかされる。人にとって「できること」は、ただの動作ではない。それは、その人の存在意義そのものなのだと。
彼女にとって、おにぎりを握ることは単なる調理動作ではなかった。それは「母として」「妻として」家族を支えてきた証だった。朝早く起きて、米を炊いて、一つひとつ丁寧に握る。その時間が、彼女の一日の始まりであり、生きる意味だった。
初回の評価で、私は彼女に尋ねた。
「リハビリで、何ができるようになりたいですか?」
彼女は少し考えてから、こう答えた。
「おにぎりを、もう一度握りたい」
その瞬間、私の中でリハビリの方向性が明確になった。右手の機能回復だけを目指すのではない。彼女が「自分らしさ」を取り戻すための支援をするのだと。
実は、私自身も病気を経験している。“治す側“から“治された側“になった時、初めて分かったことがある。
失った機能を前に、人は何度も「できない自分」と向き合わされる。朝起きた瞬間から、夜眠るまで。歯を磨く、服を着る、食事をする。すべての動作が、以前のようにはいかない。
その時、一番辛いのは「できないこと」そのものではない。「できていた自分」を失ったという喪失感なのだ。
彼女が右手でおにぎりを握れないことは、確かに機能的な問題だった。でも、それ以上に大きかったのは「家族のために握っていた自分」を失ったという心の傷だった。
だからこそ、私は彼女に寄り添いたかった。同じ経験をした者として、彼女の痛みが分かる気がした。
右手の回復には時間がかかる。いや、完全に元通りになる保証はない。そんな現実を前に、私たちは「左手でおにぎりを握る」という新しい目標を立てた。
最初、彼女は戸惑った。
「利き手じゃない手で、できるの?」
その不安は当然だった。左手は器用ではない。力の入れ加減も分からない。何より、40年以上右手で握ってきたのだ。
でも、私は彼女に伝えた。
「大丈夫です。時間はかかりますが、必ずできます。おにぎりを握るという『行為』は変わらないんです。使う手が変わるだけです」
リハビリは小さなステップから始まった。まずは左手で物を掴む練習。洗濯バサミを開閉する、ボールを握る、タオルを絞る。地道な訓練が続いた。
そして、ある程度握力がついた段階で、実際のおにぎり作りに取り組んだ。
最初は崩れた。形にならなかった。ご飯粒が指の間からこぼれた。彼女は何度も「やっぱり無理かも」と呟いた。
でも、諦めなかった。私も、彼女も。
3ヶ月が経った、ある月曜日の朝。
リハビリ室に、彼女が小さなタッパーを持って現れた。中には、少しいびつな形のおにぎりが2つ入っていた。
「作ってきたの。左手で」
その声は震えていた。でも、表情は初めて会った時とは全く違っていた。
私は一つもらって、その場で食べた。少し塩が濃かった。形も不揃いだった。でも、これまで食べたどのおにぎりよりも、温かかった。
「娘に持たせたんです。今朝」
彼女は言った。
「『お母さん、これお母さんが握ったの?』って驚いて。『左手でも握れるようになったのよ』って言ったら、娘が泣き出して」
彼女の目からも、涙が溢れた。
「私、まだお母さんでいられるんだって思えた」
その言葉を聞いた時、私も涙をこらえられなかった。
作業療法には、様々な技法がある。関節可動域訓練、筋力強化、日常生活動作練習。でも、最も大切なのは「その人にとっての意味」を取り戻すことだと、私は信じている。
彼女にとって、左手でおにぎりを握れるようになったことは、単なる技能習得ではなかった。それは「母としての自分」「妻としての自分」を再び肯定できるようになった瞬間だった。
人は、役割を失うと生きる力を失う。でも、新しい形でその役割を取り戻せた時、驚くほどの回復力を見せる。
彼女の右手は、今も完全には動かない。でも、左手で握るおにぎりは、今では家族の定番になった。週末には娘夫婦が孫を連れて来て、「おばあちゃんのおにぎりが食べたい」とリクエストする。
「今は両手で握る練習もしてるの」
先日、彼女は笑顔でそう教えてくれた。
「右手は添えるだけだけど、それでも形が綺麗になるのよ」
彼女が左手でおにぎりを握れた朝は、私にとっても特別な日となった。作業療法士として、そして同じく病気を経験した当事者として、改めて気づかされたことがある。
人の回復は、決してゼロから始まるわけではない。失われたものの中にも、変わらない「核」がある。彼女の場合、それは「家族を想って握る」という気持ちだった。
その気持ちは、右手でも左手でも変わらない。握り方が変わっても、おにぎりの中に込められた愛情は変わらない。
リハビリの目標は、元通りの身体に戻すことではない。その人が「自分らしく生きる」ための新しい方法を、一緒に見つけることだ。
彼女は今も、毎朝キッチンに立つ。左手でご飯を握り、梅干しを入れる。少し時間はかかるけれど、その時間が彼女の誇りだ。
「先生、おにぎりって不思議ね」
ある日、彼女は言った。
「握るたびに、生きてるって感じるの」
その言葉が、すべてを物語っていた。おにぎりは、彼女にとっての「再起動スイッチ」だったのだ。右手を失い、絶望の中にいた彼女が、左手で握ることで再び立ち上がった。
そして今、彼女のおにぎりは家族だけでなく、私の心も温めてくれている。
❏ライタープロフィール
内山遼太(READING LIFE公認ライター)
千葉県香取市出身。現在は東京都八王子市在住。
作業療法士。終末期ケア病院・デイサービス・訪問リハビリで「その人らしい生き方」に寄り添う支援を続けている。
終末期上級ケア専門士・認知症ケア専門士。新人療法士向けのセミナー講師としても活動中。
現場で出会う「もう一度◯◯したい」という声を言葉にするライター。
2025年8月より『週刊READING LIFE』にて《“治す側”から”治される側”を経験した作業療法士が教える『心と身体の再起動スイッチ』》連載開始。
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