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 「ネギ抜きの鈴木」と結婚した私がたどり着いた境地


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事: maruha (ライティング・ゼミ25年11月開講コース)

 

 

ネギとは料理の良心だと思う。

あらゆる食べ物に、良かれと思ってネギは乗せられる。

色どりのため、味のアクセントのため、そして健康のため。

ラーメンやうどんなどにおいては、唯一の野菜としての使命を背負わされていることも多い。

うちのダンナは昔からネギが食べられない。そう言うと好き嫌いだと思われがちだが、そうではない。ネギや玉ねぎを生に近い状態で食べると腹を下すらしく、本人曰く「体に合わない」とのことだ。

放っておくと、肉と炭水化物しか食べないダンナ。

ただでさえ野菜摂取量が足りないのに「なけなしの健康要素であるネギ」まで丁寧に除けて、カロリーだけを食べているさまを見ると、妻としてはどうしても一抹の不安を覚える。

チャーハンもネギを抜いてもらう。

うどん屋でカツ丼セットを頼んでも、

「カツ丼は、ネギと玉ねぎ抜き、うどんもネギ無しで」

見事に野菜はゼロだ。

「ネギ抜きの鈴木さん」

いつも同じ店員さんがいる飲食店に何度か通うと、大体そう覚えられる。

ダンナは、気に入ったらずっと同じものを頼むタイプだ。

1年中ヘヴィメタルTシャツを着た100キロ超えの大男が、必ず「ネギと玉ねぎ抜きで」と言う。否が応でも店員さんの記憶に残る。

そのせいもあってか、あちこちの飲食店で顔を覚えられているようだ。

あるうどん屋では「うどん大盛りでネギ抜きの人」

あるラーメンチェーンでは「B定食、ネギ抜きのお兄ちゃん」

とある行きつけの喫茶レストランでは、席に着くなり店員のお姉さんが、

「チキンパンチご飯大盛、味噌汁ネギ抜き、食後アイスコーヒー、ガムシロ抜き」

と、まっすぐ目を見て暗号のように唱える。ダンナは「そうです」と言うだけでいい。私は「常連っぽくていいじゃない」と思うが、本人は「恥ずかしいからやめてほしい」と言う。

絶対、裏では「チキンパンチが来た」とか言われてると思う。

(ちなみにチキンパンチとはニンニク風味チキンのカリカリ焼き)

「ネギ抜きの鈴木」のオーダーは何かと面倒だ。

最近増えたタブレット注文も、送信後にわざわざ店員さんを呼んで「今の、ネギ抜きでお願いします」と言わなければならない。人員削減の努力が一瞬で相殺される。

ガヤガヤしたラーメン屋ではさらに気を遣う。「ネギ無しで」と言うと、「ネギ増し」と聞き違えられ、山盛りで出てくることすらある。ネギを抜きたい時は、「ネギ抜きで」と言うべし。これは長年の経験から得た教訓だ。

しかし伝えたにもかかわらず、ネギ入りで出てくることも珍しくない。その場合、ダンナは文句も言わず、一つ一つネギをよけて食べる。熱々のベストコンディションは失われる。「不憫だな」と思う。

あまりに量が多いときは「ネギ抜きでお願いしたんですが……」と、こちらも申し訳なさそうに伝える。「作り直します!」と言ってくれる店もあれば、一度下げて大雑把にネギだけ除去して戻ってくる店もある。その時はちょっとガッカリするがしょうがない。

ある時、鈴木は勝負に出た。

仲がいい職場の部下と、つけ麺を食べに行った。そこでも「ネギ抜きで」と伝えたのに、つけ汁の中には細かいネギが入っていた。混んでいたし時間もなかったし、取り替えてと言うのもはばかられた。

「だいぶ火も通ってるし、もしかしたら食べられるのでは」

淡い期待と共に、ネギ入りつけ汁に麺をつけてすすってみたらしい。

しかし「ズル」といったあと、すぐに「パーン」と噴き出したそうだ。

「ネギがノドの手前でクイックターンした」と後にスズキは語る。

隣で爆笑する部下を横目に、「ネギは一生、抜かなあかんのやな」と悟り、黙々とネギをよけ、少し冷めたつけ麺を食したそうだ。

もちろん家での料理にも、ネギは入れられない。

ネギに何の思い入れもなかった私にとって、ネギは「入ってても入ってなくてもどっちでもいい」存在だった。結婚して数年は、ネギ抜き生活にも特に違和感がなかった。

しかし今にして思えば、「ネギが食べられない」ダンナに、私は無意識のうちに、自分が食べるものまで合わせすぎていたのかもしれない。そんなある日、急に反動が来た。

久しぶりに「ネギが食べたい!」という謎の衝動に襲われて、スーパーで「きざみネギ」を買い、自分の料理にだけ入れてみた。

すると、「あれ? ネギってこんなに美味しかったっけ?」とまるで再発見したような感覚になった。自分で作った料理もワンランク上がる気がするし、「なんで私まで、ネギをやめてたんだろう?」と反省までした。

それ以来、私は取り憑かれたように大量のネギを刻み、ジッパー袋で冷凍保存し、自分の食べるものにこれでもかとまぶすようになった。

うどん、納豆、冷ややっこ、焼いた肉。ネギがあるだけで、色あせた世界は一段階明るくなる。

以前は「あってもなくてもいい存在」だったネギ。

だけどしばらく断っていたせいで、本来の良心的意味合いでの「ネギのありがたみ」を全力で感じはじめたのだ。

「ネギ抜きの鈴木」の隣で私は今、空前のネギブームを迎えている。

お好み焼き屋ではネギ焼き、ラーメン屋ではネギラーメン。

最近編み出した裏技は、二人でラーメン屋に行ったとき、「ネギ別盛りで」と頼むことだ。小皿に分けられたネギは、自然な流れで私の元へやってくる。私はそれを受け取り、自分のラーメンに追加し、ネギ増しを完成させる。

ダンナがネギを抜くおかげで、私は増せる。

win-winというか、ネギバランスの取れた夫婦になれたと思う。

今日も私は、ダンナの横でネギを頬張りながら、以前より少し自由になった自分を噛みしめている。

家族に苦手な食べ物や、アレルギーがあったりすると、合わせることが当たり前な気がしてしまう。でも、気を遣いながらも「自分が本当に食べたいもの」を大切にしていいのだと、ネギを通して学んだような気がする。

<終わり>

 


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