明日がくるための努力を、私は一度だってしたことがない
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:杏(2026年1月開講ライティング・ゼミ)
娘の命が終わった。
もともと小さな子だったけれど、最後は痩せ細り、本当に、本当に小さくなってしまった。
娘の容態が急激に悪化してからの1ヶ月間。家にいても、仕事先にいても、歩いていても、車を運転していても、どこで何をしていても「娘の命が終わる」ということばかりを考えていた。
私自身も体調を崩した。胃に違和感を覚え、熱も出た。彼女と同じように、私も食事を受けつけられなくなった。
最期の時が近づいているのだから、こんな時こそ自分がしっかりしなければ、食べて体力をつけなければと口にはしてみるものの、途端に気持ちが悪くなった。体よりも気持ちが食べることを拒否していたように思う。
彼女も徐々に食べなくなっていった。命が終わる数日前からは完全に食べなくなり、せめて水だけでもと介助しても、それさえ受けつけなくなった。
そういう状態になれば、もって1週間程度と言われていた。その1週間は心の準備期間にはならなかった。むしろ恐怖感と後悔だけが膨らんだ。
もっと一緒にいればよかった。もっと言うことを聞いてあげればよかった。もっと早くに異変に気づいていればこんなことにはならなかったんじゃないだろうか。思いつく限りの可能性を探してみるが、今更何をだ。
金曜日、午前4時20分過ぎ。彼女の手を握り、ずっと名前を呼び続けた。「お父さんとお母さんがいるよ」と声をかけ続けた。彼女はどこか遠くを見ているようだった。視線の先にあったのは過去だったのだろうか、未来だったのだろうか。
こちらの呼びかけに少しでも反応してくれたら、という淡い期待。それ以上に、このまま終わってしまったらどうしようという恐ろしさ。心の中で「待って、待って」と繰り返した。
そして、その瞬間はやってきた。
生きていれば、命が終わるのは当然のことだ。どんなに愛情を注ごうとも、周りに誰がいようとも、例外はない。この世に生まれた限り、必ず終わりがやってくる。それが早いか遅いかの違いだけで、その時を誰にも決めることはできない。
そんなことは分かりきっていたはずなのに、娘が旅立ち、初めて「命って本当に終わるんだ」と実感した。
50歳を過ぎて、何をバカなことをと言われるかもしれない。これまでの人生で死別の経験はあった。その時だって悲しく、寂しく、辛かった。けれど、それは「命が本当に終わる」という感覚ではなかったように思う。
お通夜や告別式では、久しぶりに集まった知人と故人の思い出話をしながら、お互いの近況を報告し、「また会いましょう」と、本心か社交辞令かも判然としない挨拶をして別れるのが常だった。
「今日が人生最後の日だと思って生きよう」
「毎日に感謝しよう」
自己啓発本にはよく出てくるし、訳知り顔で言う人もいる。
「今日が人生最後の日と思えたら、一秒一秒を大切に噛み締めながら、精一杯生きることができる」
確かにその通りなのだろう。理屈ではわかるし、そう生きることは美しいことなのだと思う。人としてそうあろうとすることは、間違いではないはずだ。けれど、そんな風に思って一日を過ごしたことなど、一度もなかった。
当たり前に明日はやってくる。今日が人生最後の日になるなんて思わない。眠れば明日になり、明日になればまた、いつもと同じ一日が始まる。根拠なんてないけれど、ただそう思っていた。逆に、明日が来ないかもしれないなんて、どうやったら思えたのだろうか。
子どもの頃はどんなに学校に行きたくないと思っても。大人になってからは会社なんて行きたくないと思っても。目が覚めれば必ず明日になっていた。自堕落な生活を送っても、充実した一日を過ごしても、明日は平等にやってきた。
明日を呼び込むために努力をしたことなんて、一度もなかった。試験のため、仕事のため、あるいはマラソン大会で記録を狙うために努力をしたことはある。けれど、それは「明日の何か」のための努力であって、「明日が来ること」そのもののための努力ではない。
彼女はどうだったろうか。最期の時、何を考えていたかは知るよしもない。でも明日何かをするためにどうにかしようなんて考えていたとは思えない。ただ明日のために生きる努力をしていただけだと思う。
明日が来るのは当たり前なのだろうか。いい歳をして今さらこんなことを考えている自分は、単純に未熟なのだろうか。
こんなにも寂しいのに、その寂しさは全部を吸い込んでしまいそうなくらい大きく暗く底が見えないのに、いつものように明日はやってくる。朝になれば太陽が昇り、世の中は昨日と同じように動き出す。
誰かがどこかで笑い、人生を心から楽しんでいる。宝物を失って悲しみにくれている人もいる。世界は昨日と同じように、幸も不幸も関係なく乗せたまま、次のときへと淡々と運んでいく。
心にこれほど大きな穴が空いているのに、喉は渇き、爪は伸びる。記憶が薄れてしまうのが怖い。いつかこの気持ちを感じなくなる日がやってくるのだろうか。もしそんな日が来るとしたら、私はその時、正気なのだろうか。
きっと、明日はやってくる。彼女がいない今日が終わっても、明日はやってくる。
「彼女の分まで生きていこう」なんて、そんな力強い決意はない。いつもと同じように生きていくのだろう。今日も明日も明後日も。
≪終わり≫
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