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時を繋ぐ時計屋


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:山本圭亮(2026年1月開講・渋谷/通信・4ヶ月コース)

 

商店街の奥に、小さな時計店がある。店主は白髪の老人だ。名前を知る者は少ない。ただ「時計屋の親父さん」と呼ばれ、この街で半世紀以上、時計と向き合ってきた。

ある秋の午後、スーツ姿の男が扉を開けた。田中誠一、50歳。IT企業で働く几帳面なサラリーマンだ。

「すみません、この腕時計、1分進んでいるんです。正確に直してください」

老人は時計を受け取った。機械式の立派な時計だ。

「明日の夕方に」

翌日、田中が受け取った時計は、相変わらず1分進んでいた。

「直ってませんよ」

苛立ちを隠さず言う田中に、老人は穏やかに答えた。

「この時計は壊れていません。あなたの時間に合わせているんです」

「何を言ってるんですか」

「あなたはいつも約束に遅れる。だから時計が自ら進むようになった。時計には持ち主の時間が染み込むんです。あなたが変われば、時計も変わりますよ」

馬鹿馬鹿しい。田中はそう思った。だが、確かに自分は遅刻が多い。「5分くらい大丈夫」という甘えが、いつも心のどこかにあった。

その日から、田中は少しだけ早めに行動するようになった。朝、5分早く家を出る。会議の10分前には席につく。小さな変化だったが、不思議と心に余裕が生まれた。

1ヶ月後、ふと時計を確認すると、進みは30秒になっていた。さらに1ヶ月後、時計はほぼ正確な時を刻んでいた。

田中は時計店を訪れ、報告した。

「本当に直ったんですね」

老人は微笑んだ。

「私は何もしていません。あなたが時計を直したんです」

 

それから3年後の春。

田中の娘、美咲が同じ時計店の扉を開けた。22歳、就職活動の真っ只中にいる大学4年生だ。

「あの、この懐中時計を直していただけますか」

手にしているのは、真鍮製の古い懐中時計。彼女の祖父が遺したものだった。

老人は時計を手に取り、蓋を開けた。

「ああ、この時計は知っていますよ」

「え?」

「あなたのおじいさんが、よくここに持ってこられた」

美咲の目に涙が浮かんだ。祖父は5年前に亡くなった。優しく、いつも自分を見守ってくれた人。

「この時計、1日に3分も遅れるんです」

老人は首を横に振った。

「おじいさんは『このままでいい』とおっしゃっていました。『孫娘はせっかちだから、この時計の遅れが、彼女にゆっくり生きることを教えてくれる』と」

美咲は息を呑んだ。確かに自分はいつも焦っていた。就職活動では、とにかく早く内定が欲しくて、何社も受けては落ち、また慌てて次を受ける。

この懐中時計も、何度も「遅刻する」と捨てようと思った。でも捨てられなかった。

「お母さんが言ってました。『おじいちゃん、いつもあなたに「急ぐな」って言ってたでしょう』って」

「そうです」老人は優しく頷いた。「この時計は、その想いを今も刻み続けているんです」

その時、店の扉が開いた。

「美咲、ここにいたのか」

入ってきたのは田中だった。仕事帰りに娘を迎えに来たのだ。

父娘は顔を見合わせた。老人が穏やかに言った。

「お久しぶりです、田中さん。お嬢さんも、あなたと同じ道を辿っていますね」

田中は懐かしそうに店内を見回した。

「そうですね。僕の時計は『急げ』と言い、父の時計は『ゆっくりでいい』と言う」

美咲は父を見た。

「お父さんも、ここに?」

「ああ。3年前、人生を変えてもらったんだ」

田中は娘に語った。自分がどれだけ時間にルーズで、それをこの時計店で気づかされたか。そして父もまた、この店の常連だったこと。

「おじいちゃんは、僕が急ぎすぎていると心配していた。でも僕は聞かなかった。それで、せめて孫のお前には、自分のペースで生きてほしいと願っていたんだ」

美咲は懐中時計を胸に抱いた。

翌朝、彼女は時計に従って、いつもより30分早く家を出た。駅までの道をゆっくり歩いた。道端に咲く花に気づいた。

駅前で、重い荷物を持って困っている老婦人がいた。以前なら素通りしただろう。でも、その日は手を貸した。

「ありがとう。優しいお嬢さんね」

面接会場には、余裕を持って到着した。深呼吸をして、落ち着いて部屋に入った。焦らず、自分の言葉で語れた。

一週間後、合格の通知が届いた。

美咲は時計店に駆け込んだ。

「おじいちゃんのおかげです。この時計、直さないでください」

老人は優しく微笑んだ。

「時計は人生の伴走者です。完璧である必要はない。大切なのは、その時計があなたに何を教えてくれるか、です」

田中も店にやってきた。父娘は並んで、それぞれの時計を見つめた。

一方は少し進み、一方は少し遅れる。でもどちらも、持ち主にとっての「正しい時間」を教えてくれていた。

「ありがとうございました」

二人が店を出ると、夕暮れの商店街が温かな光に包まれていた。

時計屋の老人は、窓越しに二人を見送った。また一組、時計と心を繋ぐことができた。

店内では、無数の時計が、それぞれの時を刻んでいる。どれも完璧ではない。でもどれも、誰かの人生に寄り添っている。

秒針の音が重なり合い、小さな調べを奏でていた。

≪終わり≫

 

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