父はスマホの時代を知らない
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:ムー子(25年11月開講コース)
あれ、お父さんが亡くなった時ってスマホあったっけ。
実家で、母にスマホのアップデートや特定のアプリの設定変更について聞かれた時のことだった。
母と一緒に調べながら、私も対応していたのだが、分かる部分と分からない部分がある。
機械音痴な私は、ヘルプページの長ったらしい説明を理解するのに時間が掛かる。
やっと理解しそのようにしてもエラーが出る。
二人でああでもない、こうでもないと言いながら「機械に詳しい父がいてくれたらなあ」と思った時に気づいた。
私の父は、スマホが普及した後の時代を知らないのだ、と。
父が亡くなったのは、2010年の年末だ。
当時の世の中はまだガラケーが主流だった。
スマホは流行を先取りする層に少しずつ注目されはじめた頃だったと思う。
父は家電好きの人だった。
仕事でも家でもパソコンを使用し、パソコン関連の本をよく買って、自主的に勉強していた。だからか、その方面には詳しかった。
「機械系の困った事は父に聞こう」と私が思った理由はここにある。
そんな父のお気に入りは、ワンセグ対応機種のガラケーだった。
映像コンテンツが大好きだった父は、会社の行き帰りの多くの時間をワンセグ視聴で費やしていた。
休みの日には家のテレビで録画していたバラエティ番組の『アメトーーク!』を見て大爆笑していた。
もしくは家庭用プロジェクター(家電製品売り場に3回足を運び、迷いに迷って奮発して購入したもの)を使い、映画満喫デイを過ごしていることもあった。
それだけ映像作品が大好きだった。
父は定年後の夢を「寝ころんでポテチを食べながら、好きな映画を時間に縛られることなく見るねん」と母に語っていたようだ。
私には、自分で一からフィギュアを作ってみたいと言っていた。
若い時は美術の教師を目指していたくらい、絵を描き、立体物を作るのが好きな父らしい願いだとその時は思っていた。
やりたいことがいっぱいある、人生を楽しもうと日々の仕事を頑張る。
そんな普通の50代を過ごしていた。
そんな父が、出張先で大動脈解離になり、突然亡くなった。
私が大学卒業後に遅い内定をもらい、就職して3ケ月くらい経った時だった。
正直言って、本人が一番びっくりしたのではないかと思う。
「こんなはずしゃなかった、やりたいことがまだまだあったのに」と。
私と母がスマホに変えたのは、父が亡くなってからしばらく経った2016年頃だ。
ガラケーがいよいよ衰退し始め、スマホを持つことが世の中で既に標準とされた時だった。
契約していた会社が「スマホに変えるなら今! お得なキャンペーン開催中!」の広告を出していたことがきっかけだった。
買い物をするときの決済、銀行への振り込み、ネットショッピング、認証システム……。
持ち歩ける生活のデバイスとして、スマホで出来ることが日々、年々広がっていった。
通信の速度と容量が増えたことで、高画質動画サービスが伸び、比較的リーズナブルな値段で映像コンテンツが楽しめるようになった。
SNSを使って、個人が手軽に情報発信をしたり、ショート動画作成したりできるようになった。テレビに出る芸能人だけではなく、誰だってスターになれる。
いつのまにかAIも搭載するようになり、知らないことがあればすぐまとめてくれる。
絵だって作れる。自分の想像する世界を自由自在に作れるようになった。
「みんながクリエイター時代」がやって来た。
スマホは現在、その時の生活に合わせて進化を遂げる、人々の生活必需品となっている。
父が今生きていたら、どうだろう。
目をキラキラさせながら、新しい機種が出るたびにソワソワし、手に入れた途端、指で新しい機能を堪能しているだろう。
しかし実際の父は、2010年のガラケーの世界で止まったままだ。
家族の中で一番今のスマホ社会を楽しめる、映像コンテンツと家電大好き人間の、あの父が。
NetflixやPrime Videoといった面白いコンテンツを、SNSのつながりも、AIも。
すべてを知らない。
そう実感した瞬間、私と父との間に大きな溝が開いたような気がした。
今を生きる人と、もういない人。
スマホの存在を通じて改めてその事実を突きつけられた途端、どうしようもない大きな寂しさが、どっと押し寄せてきたのだった。
もしかしたら私は「父はもうこの世界にいない」という当たり前の事実に向き合うことを、無意識に避けていたのかもしれない。
亡くなる少し前、映画通の父は私に『プラダを着た悪魔』を見るように薦めてくれた。
私が入社後即、お局的存在に「洗礼」を受けていたからだ。
精神的に追い詰められていた私を見た、父なりの励まし方だった。
私のことを心配し、会社が入っているビルのエントランスまでこっそり様子を見に来ていたこともあったらしい。
「結局ね、会社名が書かれた1階のパネルだけを見て帰ったみたいだよ」と、荷物整理のために父が勤めていた会社を訪問した際、職場の方にそのことを教えてもらった。
その後、父に教えてもらった『プラダを着た悪魔』を見て励まされ、言われっぱなしのヨワヨワなサンドバックから、上司にも意見を言える度胸を持つようになった。
職場でへこたれない私につけられたあだ名は「鉄の女」だった。
色々投げ出したくもなったが、婚活を頑張って、縁があって結婚も出来た。
気づいたら病気が見つかったが、早期発見で助かった。
私が過ごした15年は、自分のことで精いっぱいだった。
父のことを忘れたことは一度もなかったが、日々は淡々と素早く過ぎていき、あっという間に過ぎていった。そんなものだと思っていた。
しかし、父がいない現実と本当の意味で向き合うには、それだけの時間が掛かったのだ。
15年という期間は、私にとって「短いけれど、長い時間」だ。
現在、私が実家に行った時に座る位置は、元々父が座っていた場所だ。
リビング、キッチン、家の全体を見渡せる場所。
いつもこの視点から見ていたのか。
スマホの設定がひと段落した後、座ってふと仏壇に目をやると、父の写真と目があった。
父の実家で親戚と集まった時に、当時大学生だった私が撮ったものだ。
笑っている。
父の写真をじっと見ている私の様子を見て「お父さん、今日も笑ってる。ここに今もおって、きっと一緒に話を聞いてるよ」と母は言った。
今でもそばにいて、会話を聞いてくれているなら。
私が色々なものを見て聞いたりしたら、そばにいる父も、一緒に見ることが出来るだろうか。
かつて、私に映画を薦め、会社にこっそり訪ねて寄り添ってくれたように、今度は私が代わりに色々な体験をする形で父に寄り添ってみようか。
父の席に座った私は静かに思った。
すごい勢いで変革する技術や社会。
今後もっともっと面白いものを見ることが出来るよ、きっと。
一緒に見ようぜ、お父さん。
スマホ社会、楽しい時も難しい時もあるけど、私は楽しんで生きていく。
あの頃、お父さんがキラキラ、ウキウキしていたみたいに。
≪終わり≫
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