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暖簾をつなぐことは、信じること


 

 

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:川瀬健二(2026年ライティング1年間完全習得パスポート)

 

創業1898年。

 

その数字を見つめるとき、誇らしさよりも先に、静かな緊張が走る。120年という時間は、誰か一人の力で積み上げられるものではない。この暖簾は、私が作ったものではない。曾祖父が掲げ、祖父や父が守り、無数の社員が支えてきたものだ。私の役目は、それを次へと渡すまでの、ほんの数十年を預かることにすぎない。

 

四代目として立ったとき、私は「守らなければならない」と強く思った。途切れさせてはならない。自分の代で弱らせてはならない。お墓参りの度に、ご先祖様の前でそう誓った。だがある時、気づいた。その思いはいつの間にか「自分が守ってみせる」という力みに変わっていたのではないか、と。

 

百年以上続いた理由は、強かったからではなく、変わることを恐れなかったからなのかもしれない。そう思えるようになったのは、私自身が迷い、そのたびに仲間に支えられてきたからだ。

 

経営とは、決断の連続だ。しかし振り返れば、その決断は決して一人のものではなかった。現場から上がってくる声、数字の奥に潜む違和感、若い社員の率直な問い。そうした揺らぎが、進むべき方向を少しずつ修正してくれた。変化は、トップの号令で起きるものではない。それを引き受け、現実に変えていく仲間がいて初めて形になる。

 

早朝から工場に立つ姿。

クレームに頭を下げる姿。

会議室で遅くまで議論を重ねる姿。

声高な改革はない。だが、確かな更新がある。その積み重ねこそが、百年をつくってきた。

 

仏教に伝わる「諸行無常」は、世のはかなさや命には限りがあるという意味に解釈されることが多いかもしれない。しかし、もっと深く掘り下げると、この世のすべての現象や万物は常に変化し続け、一瞬たりともとどまることなく移ろい、不変のものは存在しないという教えだ。

 

戦争、震災、バブル、IT革命。どの時代にも「この会社は、このままでは続かない」という声があったはずだ。そのたびに形は変わった。扱う商品も、作る道具も、営業の方法も、組織の在り方も。それでも志だけは変わらず、暖簾が降りることはなかった。

 

「ていねいに寄り添う」

120年間続いてきた志を伝えるために、私が言語化したものだ。この志は、私の胸の内にだけあるのではない。仲間一人ひとりの仕事の中に宿っている。今日の行動は正しかったのか、何を以て正しかったと言えるのか、その判断基準になっている。

 

暖簾は、風を通す布だ。

人が出入りするために、真ん中に切れ目がある。

閉じるためではなく、開くために掛けられている。

守るとは、固めることではない。呼吸を止めないことだ。外の空気を取り入れ、中の空気を入れ替える。その循環を止めなかったからこそ、暖簾は揺れ続けてきた。

 

私はかつて、仲間にこう声をかけて誘った。

「一緒に次の時代をつくりたい」

 

理想だけは大きかった。不器用で、迷いも失敗も多い経営者だった。それでも彼らは歩みを止めずに、ついてきてくれた。そして時間とともに、組織は変わっていった。会議で私に異論を唱えるようになり、現場の課題を自ら引き受け、会社として何が正しいかを自分の言葉で語るようになった。

 

その姿を見たとき、私は理解した。承継とは、体制の変更ではない。育ちきったチームが、自律して次の段階へ進む合図なのだ。社長交代を決めたとき、不安がなかったわけではない。だが、それ以上に確信があった。次の社長とともに、このチームならさらに遠くへ行ける。

 

信頼は感情論ではない。長い時間軸で見れば、それは最も強い戦略になる。マネジメントやコンプライアンスは即効性がある。だが、信じてもらった人は期待以上の責任を引き受ける。信頼が循環するとき、組織はやがてリーダー個人を超えていく。

 

暖簾の正体は、布でも歴史でもない。

信頼の蓄積だ。

 

そしてこれは、百年企業だけの話ではない。あなたが任されている一つの仕事も、あなたが守っている顧客との約束も、同じ構造を持っている。それは「あなたのもの」ではなく、未来から預かっている時間だ。信頼とは目に見えないが、確実に残る資産だ。数字にはすぐには現れない。しかし困難に直面したとき、最後に組織を支えるのは、人と人との信頼だ。誰かが「この人のためならもう一歩踏み出そう」と思えるかどうか。その積み重ねが、時間を味方に変えていく。

 

そう考えた瞬間、明日から仕事の重みが少し変わる。短期的な成果よりも、続く選択を考えたくなる。自分の評価やキャリアステップよりも、次に渡せる形を意識するようになる。

 

「ていねいに寄り添う」を、次世代の「恩送り」へ

私はいま、新しい挑戦の入り口に立っている。それは家業を離れることではない。この暖簾の精神を、よりたくさんの人たちへ、より広い社会へ開いていく試みだ。

 

暖簾をつなぐことは、閉じることではない。

信じ、開き、次へ渡すことだ。

 

そして最後に、改めて思う。この暖簾は、私のものではない。あなたのものでもない。信じ合う仲間たちの間で揺れている。もし今、何かを任されているのなら、それは誰かがあなたを信じて預けているということだ。その信頼に応えようとする一つひとつの仕事が、やがて時を超える。

 

暖簾は今日も揺れている。

しなやかで、その糸は強い。

その揺れを支えているのは、私たち一人ひとりの背中なのだ。

 

≪終わり≫

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