メディアグランプリ

自分を使い切るという贅沢 —— 鎌倉で見つけた、本当の豊かさ


 

 

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:川瀬健二(2026年1月開講・渋谷/通信・4ヶ月コース)

 

朝の鎌倉は、少しだけ世界から切り離されている。

まだ観光客の姿はなく、空気はひんやりと澄んでいる。潮の香りが、眠りから覚めきらない街の隙間に入り込んでくる。寺の境内に足を踏み入れると、外界のノイズがふっと遠のく。鳥のさえずりと砂利を踏む自分の足音だけが、やけに鮮明に響く。僕は本堂に座り、ゆっくりと呼吸を整える。次々と浮かんでくる昨日までの記憶を、一つずつ吐き出す。そして、ある音を長く深く響かせていく。

 

「阿―――」

その余韻が体の奥底に沈殿していくのを感じながら、静かに目を閉じる。その音を体中に響かせた後に少しずつ小さくしていき、最後は無音になる。さっきまで僕の頭の中を占有していた記憶はなくなり、無の境地へと誘われていく。古くから伝わる高野山真言宗の瞑想「阿字観」だ。

 

半年前までの自分には、こんな時間は存在しなかった。朝は「処理」すべきタスクの山と共に始まり、メールを確認し、数字を追い、次の判断に備える。頭の中は常にパンパンに詰まっていた。私にとって「空白」とは、一刻も早く埋めるべき欠落でしかなかったからだ。けれど、今は違う。何もしていないこの空白が、不思議なほどに満ちている。 ようやく、わかった気がする。

「空白」こそが、大人の手に取り戻すべき最高の贅沢なのだ。

 

かつて私は、目に見える「大きな数字」を背負っていた。年商9億円、それは確かに僕を支え続けてきた証だった。先代から続く歴史の延長線上に立ち、会社の仲間や顧客と共に積み上げてきた確かな手応え。 けれど同時に、それは逃れられない「重石」でもあった。数字は、維持しなければならないもの。 成長し続けなければ、価値がないもの。

 

気づけば、私の時間も思考も、その数字を守り、拡大することだけに占拠されていた。経営者として当然の責務だと言い聞かせてはいたが、どこかで少しずつ、自分の魂が「摩耗」し、「破綻」していく感覚があった。うまくいっても、いかなくても、決して満たされない。 その違和感を、当時の私は言葉にできずにいた。

 

鎌倉に移り、仏教に触れる時間が増えた。 最初は知的な好奇心だったが、次第にそれは、私の生き方そのものに対する鋭い問いに変わっていった。

「何のために生きるのか」

「何のために働くのか」

「何をもって、自分を満たすのか」

 

そして、あるとき気づいた。 僕は「成果を出すこと」に拘り続けていたが、「自分という資源をどう使い切るか」については、驚くほど無頓着だったのではないか。能力を発揮することと、自分を使い切ることは、似ているようで全く違う。 効率よく成果を出すことはできても、それが自分の心に栄養を与えるとは限らない。むしろ、効率を突き詰めるほど、本当の自分から遠ざかっていくような感覚さえあった。

 

最近、僕の中で優先順位が変わってきた。「何をやるべきか(Should)」ではなく、「心がどう動くか(Want)」を起点に置く。 もちろん、現実は甘くない。今でも経営への責任もあるし、守るべき仲間や顧客との約束もある。それでも、まずは自分の心が微かに揺れる方向に、真っ先に目を向けるようにしている。

 

例えば、ずっと気になっている「サーフィン」もその一つだ。20代の頃からずっとやってみたかった。今でも海を眺めていると飽きないし、大きなうねりに体を預けてみたくなる。波に乗る技術そのものよりも、人知を超えた自然の一部になる感覚に、僕は飢えているのかもしれない。

 

以前の自分なら、即座にこう切り捨てていただろう。

「今はそんな時間はない」

「もっと優先すべき課題がある」

 

けれど今は、そう思う自分の幼い願望を、そのまま抱きしめてみたいと思う。これから新しく始めようとしている取り組みも、この延長線上にある。誰かのため、社会のため。もちろん、それは大前提だ。 だが、その手前にあるべき「純粋な動機」を、僕は何より大切にしたい。

 

自分が面白いと思えるか。

自分が納得できるか。

何より、自分自身が満たされているか。

 

その感覚を無視した貢献は、どこかで歪みを生み、長続きしない。 逆に、自分が内側から満たされているとき、人は無理なく、自然と他者に価値を分け与えることができる。仏教が説く「自利利他」には、厳然たる順番があるのだと思う。 まず自分を整え、満たし、その溢れた分が他者へと広がっていく。その循環こそが、本物だ。

 

鎌倉の朝は、静かだ。何かを成し遂げたわけでも、数字が積み上がったわけでもない。 それでも今の僕は、以前よりも確かに「充足」を感じている。理由はシンプルだ。

自分を、自分の意思で、正しく使い切っている感覚があるからだ。

 

これを読んでいるあなたは、いま、何に自分の命を使っているだろうか。 その思考やエネルギーの使い道は、本当にあなたが望んだものだろうか。正解はない。効率を追うことも、大切な家族を養うことも、素晴らしい。 ただ、ときどき立ち止まって、自分の心の針がどちらを向いているか、確かめてみてほしい。

 

僕の新たな挑戦が始まり、忙しさは増していくだろう。 それでも不思議と不安はない。

これまでにないほど「自分自身を生きている」という手応えがあるからだ。この旅の続きを、言葉にして届けていきたいと思う。 もしよければ、一緒に見届けてもらえたら嬉しい。

 

そしていつか。あなた自身も「自分を使い切る」という贅沢に出会えたとき、 それはきっと、どんな数字や責任にも代えがたい、あなただけの本当の豊かさになっているはずだから。

 

 

≪終わり≫

 

 

 

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院カフェSHIBUYA

〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6丁目20番10号
MIYASHITA PARK South 3階 30000
TEL:03-6450-6261/FAX:03-6450-6262
営業時間:11:00〜21:00



■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「名古屋天狼院」

〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-5-14先
Hisaya-odori Park ZONE1
TEL:052-211-9791
営業時間:10:00〜20:00


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00



関連記事