週刊READING LIFE Vol.30

「木を植えた男」の呪いを受けて《週刊READING LIFE Vol.30「ライスワークとライフワークーーお金には代えられない私の人生テーマ」》


記事:吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 

「木を植えた男」という物語をご存知だろうか。
 
1953年に発表された、フランスの作家ジャン・ジオノによる短編小説である。しばしばノンフィクションと思われがちであるが、残念ながらジオノによる創作であることが明かされている。ぜひ原作か、絵本版を読んでほしい。アニメーション化しているのでそれを見るのも良いだろう。絵本版は1989年にあすなろ書房より出版されている。
 
物語はある青年の旅の回想録だ。青年はフランスの山間部を旅していた時、荒野である男に宿を借りることになった。男の名前はエルゼアール・ブフィエ。荒れ果てた荒野を人知れず耕し、一粒ずつドングリを植え続けている。青年は途方もない作業だ、とこぼし、また旅を続ける。数年後また同じ荒野を訪れると、ブフィエは同じようにドングリを植えており、荒野には小さな林ができていた。それから、青年が訪れるたびに木が成長し、森が拡大し、荒野が豊かな森として蘇っていく。人々は荒野が森に変わったことを、自然の奇跡と言ってもてはやし、やがて豊かな村が生まれ、人々が森で憩うようになった。何十年もの年月を費やしたブフィエは、自分の事業なのだと名乗ることもなく、ただ静かに余生を過ごす──
 
私がこの物語に出会ったのは中学一年の道徳の授業で見たビデオだった。当時はフィクションだと思わなかったので、すごい人もいるものだな、としみじみ感じ入った。こんな風に、何か一つのことを自分の使命と定めて、真摯に打ち込むことができたなら。誰に自慢するわけではなく、ただその仕事の結果が人々に恵みをもたらすことは、どれほど素晴らしいことだろう。ああ、私にもこんな風に自分が為すべき使命があるのだろうか?
 
思えばこの時、エルゼアール・ブフィエは、私に呪いをかけた。
「木を植えた男」になりたい、という、途方もない呪いだった。

 
 
 

「木を植えた男」の呪いに気が付いたのは、転職をぼんやり考えていた頃だった。
新卒で入社した会社で、ウェディングプランナーから総務、内部監査室への異動。自分の希望とは似ても似つかない業務内容にやる気が出るはずもなく、転職やら独立やらのキャリア転向を考えていた。いつの時代も、転職サイトは「貴方の適職を診断!」「市場価値を算定!」「好きを仕事に!」といったキャッチコピーで、転職すれば自分にぴったりの素晴らしい仕事があるよ、と呼びかけてくる。ライスワークとライフワークという言葉を知ったのもこの頃だ。Web上の無料診断を受けたり、求人情報を眺めたりしながら、自分のライフワークは何なのだろうとよく考えた。今の仕事は自分にとっては間違いなくライスワークでしかない。全然楽しくない、天職だと思えない。もっと人の役に立つ仕事をしたい、そういうことをライフワークにしたい、という思いが腹の底に溜まっていた。
 
「木を植えた男」と再会したのは、そんなことを考えていた時期だった。何かの拍子に思い出して、本屋で探すと絵本が見つかり、それを読んだのだと思う。当時はまだノンフィクションだと思っていたので、改めてブフィエという人物の偉業に恐れをなし、自分の身の不甲斐なさに打ちのめされた。
 
エルゼアール・ブフィエの仕事は、ライフワークとして完璧である。
 
一つの事業を、完遂するまで粘り強く続けている。
事業を通して他者に奉仕し、恩恵をもたらしている。
そして、それらを驕ることなく、誰に語ることなく自分の胸の内にしまっている!
か、カッコいい! カッコよすぎる! ライフワークかくあれかし!
 
「……こんなふうになりたいなあ」
 
一刻も早くブフィエのように素晴らしい人物になりたかった。かといって都心に住む私が彼の真似をしてドングリを植えるわけにもいかなかった。何をしたらブフィエになれるのか分からず、とりあえず「それっぽい」と感じた国際公務員やソーシャルビジネスについて調べる日々が続いた。一方、ライスワークである勤務先の業務は、悪く言えば他の人が一所懸命に仕事した事をひっくり返してアラ探しをするような性質のもので、業務をすること自体が苦痛で仕方がない。法律で決まっていることだ、回り回って会社の役に立つはずなんだと自分に言い聞かせていたが、ブフィエの偉業を思い出すと、理想や憧れとかけ離れていて落ち込んだ。ウェディングプランナーのままだったらこんな思いはしなかったのかな。でも、全然仕事が出来なかったから、異動になってしまったのは仕方がない。ウェディングプランナーも、ブフィエに比べるとライフワークではないのかもしれない。私に向いていて、ライフワークにできるような仕事なんてあるんだろうか。
 
調べれば調べるほど、どうすれば自分はブフィエになれるのかが分からなくなっていった。日本は恵まれていて、私もまあまあ恵まれていて、仕事はたくさんある。どれでも自由に選ぶことが出来る。でも、その中の何か一つを選ぶ勇気が出なかった。これは私のライフワークと確信が持てないまま何かを選んでしまい、他の道を閉ざしてしまうのが怖かった。結果として、目の前のやりたくない仕事を嫌々続けるだけだった。
 
ブフィエは、どんな思いで「木を植えた男」になろうと決心したのだろう。
途中でやめたくなることも何度もあっただろう。戦争や災害で若木がダメになってしまった描写もあった。それでも心折れず、たった一人でドングリを植え続けるのは、なんてすさまじい精神力だろう。
 
ブフィエの呪いはずっと私と共にあった。いろいろな資格の勉強に躍起になっていた時も、結婚して夫の会社に転職した時も、物書きが楽しくて仕方がないと思い出した時も。ライフワークかくあれかし、それはライフワークと言えるほどのものなのか。何かをやるたびに、常に腹の底からそんな問いが返ってきて、それに答えられない日々が続いた。物書きはそれ自体が楽しいので、他者貢献につながらなくても続けたいと思えたが、ライフワークか、と問われると、それほどのものなのか、とまた考え込んでしまうのだ。

 
 
 

今の私がブフィエのことをよく思い出すのは、夫の会社の経理処理をしている時だ。経理がない会社というのは存在しないだろう。あるとすれば社長一人だけの会社だ。そこでも経理の係がいないというだけで、社長が経理も兼務しているにすぎない。誰かがやらないといけない仕事だが、私が得意としているわけではない。前職が内部統制で、ちょっと経理と関連があったというだけだ。経理担当者としては素人もいいところである。また、在宅勤務で息子の世話を夫と交代で見ていると、全員が参加する営業方針のミーティングなども、必然的に私は参加できなくなる。一人だけ隔離されたような状態で、社内SNSを眺めて、毎月同じ経理処理をし続ける私。その自分の姿を、一人荒野で淡々とドングリを植えるブフィエと重ね、彼の素晴らしい偉業に思いを馳せ、対照的な自分の境遇にうんざりするのだった。
 
そんなある日、夫の会社に税務調査が入ることになった。経理担当者としては一大事である。顧問税理士に指導を仰ぎ、過去の資料をひっくり返して準備に追われた。ダブルワーク状態の時期の資料はひどいもので、あれが足りない、これが足りない、とあらゆるファイルと書棚をひっくり返して探し回った。資料が揃っていないと自分の不甲斐なさにうんざりする。揃っていれば揃っていたで、きちんとやっているのに誰もそれに気が付かないのだ、とやるせない心地になる。嫌な気分で仕事をすると効率よく進まず、あっという間に調査日が近づいてきた。
 
調査当日は徹夜で挑んだ。明け方まで資料の準備をしていたからだ。息子を私の母に預け、社長である夫と経理担当者の私、顧問税理士二人で調査官を迎えた。調査中は緊張しっぱなしで手汗が酷く、一人で何杯もお茶を飲んではトイレに行きまくり、何度も話の腰を折った。何か悪いことが見つかるのではないかと気が気ではなかった。書類の不備で、夫の会社にあらぬ疑いをかけられてしまうのではと戦々恐々としていた。私は調査官に言われた資料をサッと出し、質問もすべてその場で回答した。調査官が資料を閲覧している時は他のことをしていてよいと言われたが、とてもじゃないが何かをする気になれず、手汗だらけの手でハンドタオルをもみくちゃにしながら調査官の目の先の数字を一緒に追った。
一通りの調査が済んで、最後の講評の時、まだお若い調査官がふわりと微笑んだ。
 
「お願いしたら、すぐに資料が出てくるんですね。ご担当者様がきちんと把握されているということだと思います」
 
私は、その言葉に、ブフィエが育てた森を見た気がした。
 
咄嗟にブフィエのことを思い出されたものの、彼の偉業はライフワークで、私の仕事はつまらないライスワークだ、と思い直した。自分の仕事を評価されたことで舞い上がってしまったのだろう、その時はその程度に考えた。だが、「木を植えた男」の絵本の挿絵にあった美しい森の風景が忘れられなかった。何度も絵本のページをめくっていると、突然、調査官の言葉とブフィエの森がかちりと結びついた。
 
ブフィエがドングリを植える作業は、傍目にはつまらない作業のようだったが、それはやがて美しい森になった。経理の仕事は確かに楽しくない、つまらない。けれど、その仕事が確かに、夫の会社を支え、今日までやってきた。
 
それは、ブフィエの森と同じなのではないか。
「木を植えた男」の呪いが、私に森を見せたのだ。

 
 
 

ライフワークとライスワークの概念で考えると、私の事務仕事はやはりライスワークであることに変わりはないと思う。ブフィエのように成し遂げたい思いがあるわけではないから、ライフワークというのは気が引ける。しかし、たとえライスワークでも、その仕事の先に実るものがあったのだ。
 
働き方がめまぐるしく変わり続ける現代では、ライフワークを是とし、ライスワークを軽んじる風潮が強いように思う。自己実現、他者貢献の名のもとに、よりよい仕事を求めるのは素晴らしいことなのだろう。しかし、目の前の仕事がライスワークだからと言って、いたずらに落ち込んだりしなくてもよいのだ。ライフワークが見つからなくても焦ることはない。どんな仕事でも、その仕事の先にはきっと豊かな森が広がっているに違いないのだから。
 
そんなことを考えながら、今日も私のライスワークに取り組み続ける。
「木を植えた男」ではないが、「会社を育てた女」くらいにはなれるだろう。

 
 
 

❏ライタープロフィール
吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)
1982年生まれ、神奈川県在住。早稲田大学第一文学部卒、会社員を経て早稲田大学商学部商学研究科卒。在宅ワークと育児の傍ら、天狼院READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。趣味は歌と占いと庭いじり、ものづくり。得意なことはExcel。苦手なことは片付け。
 


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2019-04-29 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.30

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