天狼院通信(Web READING LIFE)

「お手洗い」という嘘のはじまり《天狼院通信》


記事:三浦崇典(天狼院書店店主)

 

「ちょっとリップ塗ってきます」

天狼院書店Esola池袋店で、ゼミ告知動画の撮影をしているときだった。
急に出演になったスタッフが、そう言って、トイレに消えた。

が、なかなか、帰ってこない。

リップを塗ってきます、と聞けば、僕は素直な性分なので、あ、4秒で済むよね、と思い、いつでも撮影が開始できるように録画ボタンに手を置きながら、待った。

けれども、待っても待っても、帰ってこない。

「あれ? どうしたんだろうね、リップってそんなにかかるもんなのかな?」

もう一人の出演者のスタッフに聞いてみる。

さあ、と首を傾げる。

「お待たせしました〜!」

と、スタッフが帰ってきたのは、10分くらい経ってからのことだった。

リップの割に、ずいぶんと時間がかかったな、と思ったが、謎がすぐに溶けた。

顔が、別人になっていたのである。

あ、そういうことね、と僕は思った。

これは「お手洗い」の類の話かと。

たとえば、レストランなどで「ちょっとお手洗い」に行ってくる、と言えば、ほとんどの人は、その主目的を「手の洗浄」とは捉えない。

なんらかの排泄のことだと、わかる。

「手を洗う」のは、その排泄の後にする行為であって、たしかに、手を洗うことには違いがないので、嘘ではない。

ただし、主目的が「手を洗う」ことではない。

ちょっと思考実験してみよう。
たとえば、ここに、嘘に潔癖な人がいたとして、

「君の主目的はお手洗いではなく、何らかの排泄だろうから、ここは排泄してくるという方がフェアだと思うよ」

と、言ったとしよう。

実に、めんどくさい。

はあ?

である。

ただし、小説の登場人物としてはとても面白い。

たしか、司馬遼太郎先生の『花神』という作品の中でのことだったと思う。

のちに、日本陸軍の基盤を創ったと言われる大村益次郎は、若い時分、夏の日、あぜ道を歩いていた際に、近所の人に、

「先生、今日は暑いですね」

と言われた際に、不機嫌そうにこう答えたという。

「夏は暑いのが当たり前です」

たしかに、そうではあるが、と言った人は苦笑したことだろう。
ただし、小説の登場人物としては、このエピソードは面白い。

でも、たぶん、僕は小説の登場人物ではないから、

「あのさ、リップ塗ってきたんじゃなくて、メイクしてきたんだよね、それで、最後にリップを塗ったとは思うけど、それならメイクをしてくるって言ってほしい」

と、言ってしまうと、実にうざい。もはや、きもい。

あ、リップを塗ってくるって、もしかして、メイクをしてくるって意味もあるかもしれないと予測して置かなければならないのか、と心中でつぶやく程度がちょうどいい。

主目的を告げなくても、たしかに、嘘ではない。
フェアじゃないとしても、排泄に行ってくる、と言わせるよりも、お手洗いに行ってくると言われたほうが、何かと言われる方もいい。

逆に、デートの際に、レストランにおいて、女子に、

「排泄に行ってくる」

と言われたら、ひく。
大いに、ひく。

となれば、これは、「嘘」ではなし、「アンフェア」でもない。

関係性を実に円滑に進めるための「叡智」である。

なるほど、主目的ではないことを言っているのね、と汲み取ることも「叡智」であって、ときにこれを「マナー」と呼ぶ。

流行語大賞の中で話題になった、「ご飯論法」は、また、別の話である。

「ご飯を食べましたか?」

と聞かれて、

「食べてません」

と答えると、多くの人は、食事をしていないと捉えるだろう。
けれども、「食べてません」と答えた人が、

実は「パン」は食べていて、食事はしていたけれども「ご飯」を食べていなかったとして、相手に対して、ある種の「錯誤」を狙ったものであるとすれば、それは確かに嘘ではないが、欺瞞である。
それを意識的に使ったとすれば、悪意がある。

だとすれば、「お手洗い」と「ご飯論法」は、同じ種に見せかけて大いに違う。

「お手洗い」には、悪意がない。人を騙そうとする意図もなく、受け手も、そうは捉えない。
ところが、「ご飯論法」はそうではないかもしれない。

錯誤させようと意図が働く場合がある。

こう考えると、「嘘」とは、いったい、何なのだろう。

まるで、腫瘍のように、悪性の「嘘」と良性の「嘘」が世の中には存在するのかもしれない。

あるいは、「嘘」ではないが、悪性の欺瞞というものも、世の中にはあるのだろうとも思う。

僕らは、その微細なニュアンスの違いを気にしながら、あるいは、一方でスルーしながら、今日も欺瞞と希望に満ちた世の中を生きている。

 

 

■ライタープロフィール
三浦崇典(Takanori Miura)
1977年宮城県生まれ。株式会社東京プライズエージェンシー代表取締役。天狼院書店店主。小説家・ライター・編集者。雑誌「READING LIFE」編集長。劇団天狼院主宰。2016年4月より大正大学表現学部非常勤講師。2017年11月、『殺し屋のマーケティング』(ポプラ社)を出版。ソニー・イメージング・プロサポート会員。プロカメラマン。秘めフォト専任フォトグラファー。
NHK「おはよう日本」「あさイチ」、日本テレビ「モーニングバード」、BS11「ウィークリーニュースONZE」、ラジオ文化放送「くにまるジャパン」、テレビ東京「モヤモヤさまぁ〜ず2」、フジテレビ「有吉くんの正直さんぽ」、J-WAVE、NHKラジオ、日経新聞、日経MJ、朝日新聞、読売新聞、東京新聞、雑誌『BRUTUS』、雑誌『週刊文春』、雑誌『AERA』、雑誌『日経デザイン』、雑誌『致知』、日経雑誌『商業界』、雑誌『THE21』、雑誌『散歩の達人』など掲載多数。2016年6月には雑誌『AERA』の「現代の肖像」に登場。雑誌『週刊ダイヤモンド』『日経ビジネス』にて書評コーナーを連載。

この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」講師、三浦が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2018-12-11 | Posted in 天狼院通信(Web READING LIFE)

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