週刊READING LIFE vol.263

虚構に救いを求めて〜思春期に出会った、艶っぽく悲しい洋画を考察してみた〜《週刊READING LIFE Vol.263 ちょっと淫らな話》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライティングX」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2024/5/27/公開
記事:Kana(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
サテン生地のドレスの裾が、するすると捲り上げられる。
書架の段差に軽々と乗せられた女性に、男性が重なるように立つ。
貪るような口付けと衣擦れの音、互いの体を這う手。
大きな屋敷の中の奥まった図書室には、誰も来ない……はずだった。
 
寒い冬の朝。
14歳の私は、友人から借りた映画を見ていた。
まだ誰も起きていないリビングで、音を小さくして。
DVDケースの裏に書かれたあらすじに、「姉の情事を目撃してしまう」とあった。
「情事」の意味は正確に理解していなかったけれど、文脈で察していた。
だから念のため、親の起きていない時間に観ようと思ったのだ。
その判断は、大正解だった。
 
恐れと期待の半々で迎えた、その場面。
いけないものを覗き見ているようで、いつの間にか体育座りをした膝ごしに観ていた。
背中を羽でふんわりなぞられるような心地がして落ち着かない。
見たこともないような滑らかな体の動かし方に驚く。
画面の中の人たちが何を考えているのか、皆目見当がつかなかった。
 
 
この艶っぽい映画の正体は、『つぐない』。
イアン・マキューアンの「贖罪」という小説をもとに制作され、アカデミー賞をはじめとする多数の賞にノミネートされている。
中学のクラスメイトが貸してくれたのが、『つぐない』のDVDであった。
彼女は賢く教養があり、中学生とは思えないほど幅広い小説や映画を嗜む女の子だった。
かたや私は、相変わらず児童文学を好んで読んでいたし、スタジオジブリや漫画を実写化した邦画しか観たことがなかった。
「大人っぽい彼女が良いと思う本や映画には、全部触れてみたい」
背伸びをしたいお年頃の私は、友人に憧れて人生で初めて洋画を観ることになった。
 
『つぐない』のストーリーをご紹介しよう。
13歳のブライオニーは、使用人の息子であるロビーという青年に恋をする。
彼の気持ちを試すために、庭の池でわざと溺れたふりをするブライオニー。
ロビーはすぐに飛び込んで助け、彼女は甘やかな感情になるが、ロビーはブライオニーの体を離すとさっさと行ってしまう。
彼はブライオニーの美しい姉セシーリアに想いを寄せているから、まだ子どものブライオニーなど眼中にないのである。
 
ロビーとセシーリアはお互いに惹かれすぎて、うまくコミュニケーションが取れない。
ちょっとした諍いから花瓶を奪いあい、二人の手から落ちた花瓶は割れて破片は噴水に落ちてしまう。
よほど大切な花瓶なのか、セシーリアは花瓶の破片を拾うために服を脱いで噴水の中に潜る。
びしょ濡れで下着姿のセシーリアが噴水から出ると、彼女から目が離せずに固まるロビーが突っ立っていた。
そんな彼らの怪しげな様子を屋敷の窓から見ているブライオニー。(切ない!)
 
ロビーはセシーリアに謝る手紙を書こうとするも、欲望が迸り「君のcuntにキスしたい。熱く濡れた君のcuntに。」という、信じられないほど直接的な手紙を書いてしまう。
ロビーは手紙を書き直してセシーリアに届けるようにブライオニーに渡すが、実はそれは書き直す前の手紙。
姉への手紙を盗み見たブライオニーは、「cunt」という文字を見てショックを受ける。(私もショックを受けた)
 
受け取ったセシーリアは嫌な顔を浮かべてみるも、彼のことが頭の中から離れない。
送る手紙を間違えたことに気づいたロビーは、セシーリアに謝りにいく。
はじめは嫌悪感を露わに逃げようとするセシーリアだったが、このできごとで図らずもお互いの気持ちを確認し合うことになった。
 
その時ブライオニーは、ロビーとセシーリアが見当たらないのを気にしていた。
廊下に落ちている姉の耳飾りに、嫌な予感を感じて彼女は奥の部屋へと進む。
そうして、図書室で重なり合うロビーとセシーリアを見つけてしまう。
ショックのあまり彼らに背を向けて駆け出したブライオニーは、ロビーが捕らえる間もなくセシーリアの部屋に入り、化粧台に置かれた件の手紙を持ち去る。
 
大人の恋への嫌悪感とショックに我を忘れたブライオニーは、周りを巻き込んで「ある嘘」をついてしまう。
子どもがよくやる、純粋な悪戯のつもりだった。
しかしそれは、ブライオニーにとって人生最大の後悔となってしまう。
小説家として成功し年老いた彼女は、自分の幼少期の体験について筆を取る。
『つぐない』と題して。
 
 
イギリスの夏の美しい風景と音楽、官能シーンの美しさに見惚れているうちに、あっという間に観終わってしまった。
ただただ切なかった。
あまりの切なさと現実の残酷さに、心が張り裂けそうだった。
 
恋路を邪魔されたロビーとセシーリアの立場からすると、ブライオニーは圧倒的に悪者だ。
でも、溺れたふりをする彼女の気持ちが痛くて苦しかったから、嫌いになれなかった。
ブライオニーのように、自分のことを歯牙にもかけない年上の男性に恋心を持った経験のある女の子は、実は多いのではないだろうか。
例えば先生に、兄の友だちに、近所の年上の子に、親戚のお兄さんに。
 
思い返せば、私は教育実習にきた大学生のことが好きだった。
先生が他の子と親そうにするたびにざらりとした不快を感じたし、担任のアドバイスに真剣に耳を傾ける横顔はこっそり眺めていて飽きなかった。
休み時間中に落書きをしていた私は、「何描いてるの?」と先生に不意に話しかけられ、絵を見られるのが恥ずかしくて急いで手元のプリントを裏返した。
授業開始のチャイムがなっても、ドキドキはおさまらなかった。
 
「先生、彼女いるー?」
ある日クラスの元気な女の子が、無邪気に先生に問いかけた。
それを少し離れたところで耳ざとく聞きつけた私は、怖くてそちらを向くことができなかったが、全神経は耳に集中していた。
「いるよ」
はにかんで答える先生の声を聞いて、胸がちくりと痛んだ。
仮に彼女がいなかったとしても、私にはどうすることもできない。
もちろんそれはわかっていた。
 
ブライオニーを過ちへと駆り立てたような「ヒリヒリする気持ち」は、決して彼女だけのものではない。
好きという気持ちを交わす手段をまだ持ち合わせていない少女にとって、想いを伝えられない自分はもどかしいし、大人の恋愛は理解できない畏怖の対象だ。
彼女とほとんど同い年の頃にこの映画を観たから、私の視点は少女ブライオニーと完璧にリンクした。
少女漫画のようにデフォルメされていない、リアルな大人の情の交わし方に初めて触れた私は、ブライオニーと一緒にショックを受けた。
この映画は映像と音楽の美しさと共に、柔らかい土にスコップを刺したように心に残るものであった。

 

 

 

12年もの月日が流れ、空想上のものだった大人の恋愛はいつの間にか現実のものとなったし、映画のことはしばらく忘れていた。
しかし、最近思いがけず『つぐない』を思い出すできごとがあった。
 
最近読んだ小説に、桜木紫乃さんの「砂上」という作品がある。
作家を目指してはいるものの、賞に落選し続けている女性が主人公だ。
彼女はある日、編集者に「自身の経験を小説という虚構にして出版しませんか?」と持ちかけられる。
この時、編集者はこんなセリフを主人公に語る。
 
『本気で吐いた嘘は、案外化けるんです。
嘘ということにして書かないといけない現実がありますから。』
 
思わず、ハッとした。
12年前に観た『つぐない』のストーリーが、不思議に思い出された。
もしかして、小説家になったブライオニーにとって、幼少期の恋と過ちは「嘘ということにして書かないといけない現実」だったのではないか。

中学生の私は、恋の切なさやブライオニーの後悔といった「感情」だけを映画から受け取った。
しかし、胸を締め付けるような「感情」を抱えて生きるブライオニーが「小説を書く」という行為に昇華させたこと、それこそが映画の本質であった。
「小説を書くこと」は、ブライオニーにとっての「つぐない」だったのだ。
タイトルに込められた意味に、今更ながら気づいたのである。
官能シーンの衝撃とラストの切なさによって吹き飛ばされていた本質が、12年の時を経てやっと心の中にストンと着地した。
 
人はなぜフィクションを書くのか。
事実は小説よりも奇なりというし、書くネタがあるのならばそのまま書くのではダメなの
だろうか。
学生の頃は、小説を楽しんでいても所詮虚構の世界だから虚しいなと思うこともあったし、ノンフィクションの方が“リアル”だとなぜか信じ込んでいた。
だが、しかし。
「フィクションにしないととても書けないような、血が滴るような剥き出しの感情」
人生においてはこんな感情が時として発生してしまう、ということが年を重ねるうちに徐々にわかってきた。
フィクションは再構築された虚構の世界だが、例え役者が、小道具が、シナリオが変わろうとも作者の伝えたかった想いは変わらない。
フィクションにでも閉じ込めておかないといけないほどの危険さをはらんだ感情は、まごうことなき“リアル”であった。
 
「書かなきゃいけないもの」を背負った人の書くフィクションの凄みは、人を惹きつけてやまない。
だからこそ、何度でも読み継がれるフィクションがあるのだろう。
何度も読み継がれるフィクションの代表例が、今年の大河ドラマの主人公である紫式部が書いた「源氏物語」だ。
ドラマの中でも、「人がなぜ物語を書くのか」は大きな命題として取り上げられている。
最近の放送回では、蜻蛉日記を書いた道綱母が「妾として生きる辛さを、書くことが救ってくれた」と話す。
書くことの目的は、読み手を楽しませるエンターテイメントとしてだけではない。
何よりも書き手自身の心の救済になるのだ。
『つぐない』のブライオニーも小説を書くことで、過ちをつぐなうと共に自分の心を救済しようとしたのではないか、といま改めて考察できる。
映画では明確に描かれなかったからこそ、積年の後悔にくるしめられた彼女の心が救済されたことを願ってやまない。
 
 
中学生の頃に出会った『つぐない』。
官能シーンに衝撃を受けただけではない。
感受性を育み大きな考察をもたらしてくれた、私にとって思い出深いコンテンツだ。
また12年ぶりに改めて鑑賞したい。
今度は官能シーンになっても自分の膝小僧に隠れながら観ることはないだろうから、ワインでも飲みながらゆったり楽しもう。
12年分の時間が私を少女から大人に変え、視点の数を増やしてくれた。
きっと同じ作品でも見終わった時の感動は、全く違うものになるだろう。
コンテンツをより深く味わえるようになると思うと、年を重ねるのも悪くはないし、むしろ楽しみだ。
 
人生はまだまだ長い。
私はこれからどんな凄いフィクションに出会っていくのか、楽しみで仕方ない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール

愛知県生まれ。滋賀県在住。 2023年6月開講のライティングゼミ、同年10月開講のライターズ倶楽部に参加。 食べることと、読書が大好き。 料理をするときは、レシピの配合を条件検討してアレンジするのが好きな理系女子。 好きな作家は、江國香織、よしもとばなな、川上弘美、川上未映子。

 
 

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2024-05-22 | Posted in 週刊READING LIFE vol.263

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