一つの恋が終わった朝のバニラモナカジャンボ《週刊READING LIFE Vol.264 本当は教えたくない話》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライティングX」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2024/6/3/公開
記事:Kana(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「なんでバニラモナカジャンボ買っちゃったんだろう。」
出勤前の早朝のコンビニで、手の中のアイスをぼんやり見つめた。
なんで買っちゃったんだろうとはいえ、レジに持って行ったのは私自身だ。
寝不足のどんよりと重い体をイートインスペースに投げ出して、目元を抑える。
昨晩、別れた男から電話がかかってきた。
やり直さないかという趣旨の未練たっぷりの内容だった。
何回か繰り返したはずの別れたい理由をもう一度丁寧に話すと、こう返ってきた。
「あなたの考えはよくわかったし多分正しいと思うけど、あなたの感情は?」
理屈っぽい私と感情的な彼は、話し合いがうまくできなかった。最後まで。
何か込み入った事態に直面した時、私はすぐに理屈を押し通そうとしてしまうし彼は自分の感情にまみれてしまうしで、何も噛み合わなくなるのがいつものパターンだった。
それは将来を考える上でかなり致命的だというのが、別れる原因だった。
幸せな時間をどんなに拾い集めて固めても、話し合いができるという基盤がないからその上には何も建てられなかった。建ててもすぐに崩れるのは目に見えていた。
「本当はずっと一緒にいたかったけど、今の延長線上では考えられない。ごめん」
お互いを応援する言葉と気をつけてほしいことを述べて、元気でね、と言い合った。
「…………」
「…………」
この電話を切ったらもうすべて終わりになる。
それがわかっていたから、2人とも電話が切れなかった。
「じゃあね、切るね…… 」から10分経ち、30分経ち、60分経った。
結局切ったのは私だった。
ポロロン、というLINE電話の切れる音は、いつになく大きく響いて聞こえた。
電話を切った途端に猛烈に悲しくなって、ぐしゃぐしゃに泣いてしまった。
こちらから別れを切り出した身として泣くわけにはいかなかったから、2時間も我慢し続けたというのに、その最後の沈黙の時間がダメだった。
電波でしか繋がっていないからこそ、2人とも別れがたいという感情が浮き彫りになってしまっていた。
湿度90%の「ダメだ、切れないよ………」を聞いた時に、たぶん降水確率はすでに振り切れていたんだと思う。
もう続けるつもりはないのに、心は離れているのに、こんなにも涙が溢れることに驚いた。
涙で歪んだ時計の針は、AM3:30を指していた。
こんな時間まで泣いていたら、明日は誰が見てもわかるほどに瞼がパンパンだろう。
後悔してももう遅い。
3時間後、無情にもいつもの朝がやってくる。
鏡を見るまでもなく瞼はパンパンで、二重線が子どもの落書きみたいだった。
こういう時は、瞼に保冷剤を当てるといいことを知っている。
大急ぎで保冷剤を探して冷凍庫を漁った。
しかし、作り置きで満たされた冷凍庫には保冷剤が一個も見当たらない。
「あぁ、ツいてないな……」
税金を納めるためという労働の使命感が、気怠るい体を駅のホームに運ぶ。
会社に行きたいなんて一ミリも思っていないのに体は会社に行こうとするから、社会人というのは不思議だ。
心がついていかないのに会社に向かおうとする体を無理やりに止めたいと思った時、人は電車に飛び込んでしまったりするのかもしれない。
こんなふうに考えを巡らせると人身事故のニュースが人ごとに感じられず、自分という存在がいっぺんに心許ないものに変わる。
ついさっきまで、自分の顔のことしか頭になかったというのに。
スライムみたいにぐずぐずとした自分を何とか通勤中のOLの形に保ちながら、会社の最寄り駅にたどり着いた。
昼食を買うため、コンビニに立ち寄る。
列に並んでいると、ふとアイスコーナーに目が惹き寄せられた。
「アイスを買って目に押し当てれば、腫れがマシになるのではないか」
いいアイデアを思いついたが、朝っぱらから優雅にアイスを買う姿なんて会社の人に見られたくない。
さっとアイスを引っ掴んで、素早くレジに持っていく。
会計を済ますと、イートインスペースに体を滑り込ませた。
3時間しか寝ていなくても瞼を冷やして何ごともない顔で出勤する私は、なんてスマートなんだろう。
首尾よくアイスを手に入れた自分に満足していた……が、しかし。
さて瞼を冷やそうと、手の中のアイスを見て愕然とした。
私が買ったバニラモナカジャンボは、別れた男の好物だった。
しかも、アイスの冷たさはモナカに包まれてマイルドになってしまっている。
瞼を冷やすには、完全に今ひとつであった。隣のパピコにすればよかった。
しかも、コンビニのモナカアイスはたいていグニャッとしていて美味しくない。
2秒でアイスを選んだ瞬間に、モナカを手に取ってしまった自分を恨めしく思った。
まぁ、でも失恋した後に、パピコを分け合わずに一人で食べるよりもマシか……
彼と出会うまで私は、バニラモナカジャンボを気に留めたこともなかった。
「せっかく買うならチョコが多い分、チョコモナカジャンボの方が得じゃない?」
こう言った私に、彼は力説した。
「チョコモナカジャンボとバニラモナカジャンボは、モナカが全く違うんだよ」
彼の言うとおり、バニラモナカジャンボのモナカは和菓子のモナカとは異なりアーモンドの風味をまとって洋菓子に寄せた作りになっている。
しかもアイスとの接触面にはホワイトチョコがコーティングしてあり、チョコモナカジャンボとは違ってミルク感たっぷりに作られたアイスと相まって、豊かな風味を形成している。
食べてみたら確かに洋菓子のような味わいで、チョコモナカジャンボと全く違っていた。お菓子メーカーの創意工夫を感じて、今まで何となく食べていたコンビニアイスが急に面白くなる。
とても感覚的な彼と一緒にいると新たな発見が多く、24色の色鉛筆で描かれていた私の日常はいつの間にか48色になっていた。
モナカアイスには最大の弱点がある。それは湿気。
コンビニに売っているモナカは仕入れてから時間が経って空気中の湿気を吸い込んでいるため、ぐにゃっとしていることがほとんどだ。
「バニラモナカジャンボは、パリッとしていないと美味しくないんだよ」
そう言って彼はコンビニでアイスを手に取る時に、端を少しだけ押して質感を確認していた。(マナー違反!)
そうやって買ったアイスが、確認したのにも関わらずパリパリじゃないとブツブツ言いながら食べていた。
私は彼のそういうところが嫌だった。
コンビニアイスごときにこだわって、期待外れだと文句をいうのは子どもっぽい。
「モナカの皮がパリッとしていなくても、諦めて食べるのが大人でしょ。それが嫌ならそもそも買わなきゃいいじゃない」
期待せず文句も言わないことは、私の美徳の一つだった。
しょうもないこだわりなんて捨ててしまった方が生きていきやすい。
ぐにゃっとしたモナカに残念な気持ちになりたくないから、私はコンビニでモナカを買うことは諦めた。
……今朝、なぜか手に取ってしまうまでは。
そんな思い出たちは、今となってはどうでもよかった。
とにかく瞼を冷やさねば。
二重が元に戻って欲しいとは思わないから、とにかく赤みが消えればそれでいい。
モナカを瞼に押し当てると、かろうじてほんのり冷たさを感じられた。
おそらくこれ以上は冷やせないだろうと思われた頃、モナカを食べることにした。
コンビニのモナカだ。
しかも私が目に押し当てたからぬるくなっている。
がっかりしないように「たいていぐにゃっとしているから」と自分に言い聞かせながら、かぶりつく。
歯が湿気ったモナカに沈み込む……はずだった。
「パリパリっ」
気持ちの良い音が、ねっとりした睡眠不足の脳内に鳴り響いた。
店内で作ってます、とでも言わんばかりの新鮮な歯触りに驚きが隠せない。
あまりのおいしさに目を見張り、急いで二口目を噛み付く。
「……おいしすぎる」
歯の下でサクサクと噛み砕くと、ほんのりとしたアーモンドの風味が鼻に抜ける。
クセのないミルクアイスの柔らかな甘味が舌に嬉しい。
昨日から引きずっていた湿った想いが、サクサクと音を聞くたびに軽くなっていくのを感じた。もしモナカがぐにゃっとしていたら、振り払うことはできなかっただろう。
サクサクのバニラモナカジャンボが、こんなに美味しいなんて知らなかった。
スカートの膝がモナカのクズまみれなことにも気がつかないほど、夢中で食べた。
膝のうえをポンポンとはたくと、さっき電車に乗っていた時の憂いも一緒に落ちていった。
帰り際に隣を見ると、会社員の男性が同じモナカアイスを食べていた。
私があまりにもおいしそうに食べていたから真似をした人なのか、朝のモナカはサクサクで美味しいとすでに知っていた賢者なのかは、わからなかった。
この時に食べたバニラモナカジャンボの味が忘れられず、何度かコンビニで買って食べてみた。
会社帰りにコンビニに寄って買ったモナカはグニャッとしていることが多かったが、朝は仕入れて陳列してから時間が経っていないのか、パリッとしている確率が高まることがわかった。
「朝イチのコンビニで食べるバニラモナカジャンボが1番美味い説」は、こうして検証された。
これに味をしめて、私はときどき出勤前にコンビニでアイスを食べる。
すると、ただモナカが美味しいだけでなく、いろんな素敵な効果が明らかになってきた。
はじめに、朝から糖分が補給されて血糖値が安定するのか、いつもより集中力高く仕事に取り組めるという効果が見られた。
午前中の会議での発言を褒められるなど仕事の評価も上がったことから、自然と大事な仕事は朝イチで行うようになり残業も減った。
そして何より、朝からアイスを食べてしまうと「今日もいいことあった♪」というツいてる気分で一日過ごせるのである。
そうするとサクサクしたモナカのように、カラッとした態度で人と接することができた。
これまでは「コンビニのモナカはぐにゃっとしているのが当たり前」と同じように、「仕事は楽しくないのが当たり前だから、我慢だから」と自分に言い聞かせて出勤していた。
期待しなければ傷ついたり凹んだりすることもないけれど、それに慣れてしまうと楽しいや嬉しいもわからなくなる。
こだわりを捨てて身軽に生きているはずなのに、なぜかぐにゃっとした重たい気分で毎日を過ごしていた。
でも、朝早くにコンビニ行くことでパリッとしたモナカが手に入るように、能動的にちょっと工夫すれば多少マシな気分で働くことは可能だった。
「期待しないけど、諦めもしない」というスタンスは、思ったよりもずっと快適。
自分の望む方向に自らの行動で緩やかに舵を取っていけることは、とても自由でしなやかな生き方だと気づいた。
こうして私は、デキる女の裏技「朝イチコンビニアイス」を手に入れてしまった。
顔のむくみは冷やして抹殺、糖分補給して朝から頭はギュンギュンフル回転。
甘いものは夜ではなく朝食べてスタイルキープしつつ、自分のご機嫌は自分でとる。
いいことしかない。
でも、これはみんなに教えない。
みんなが真似して、朝イチのコンビニからバニラモナカジャンボが消えたら嫌だもの。
何より、バニラモナカジャンボを食べながらあなたのことを思い出しているなんて、別れた男には絶対教えたくない。
□ライターズプロフィール
愛知県生まれ。滋賀県在住。 2023年6月開講のライティングゼミ、同年10月開講のライターズ倶楽部に参加。 食べることと、読書が大好き。 料理をするときは、レシピの配合を条件検討してアレンジするのが好きな理系女子。 好きな作家は、江國香織、よしもとばなな、川上弘美、川上未映子。
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