週刊READING LIFE vol.266

私は迷わず、呪いを解いたリングを選んだ《週刊READING LIFE Vol.266 フリーテーマ》


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2024/6/17/公開
記事:山田THX将治(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
MLBで連日の活躍を見せている大谷翔平選手。
彼は今シーズン前に、同じLAのエンジェルスから、古くからの伝統を誇るドジャースにフリーエージェントで移籍した。
 
移籍の理由は一にも二にも、優勝を為し遂げたいとのことだった。優勝といっても、単なる地区優勝ではない。
大谷翔平選手の望みは、MLBの頂点、ワールドシリーズのチャンピオンシップを獲得することだ。それも、自らが中心選手と為っての。
 
そう。大谷翔平選手は、チャンピオンシップを渇望しているのだ。
私がそう感じるのは、或るインタビュー中継を記憶しているからだ。
 
大谷選手が、投打二刀流の活躍により、新人王(MLBの)を獲得した2018年オフのこと。秋のトレーニングに励む、大谷選手を、現在レポーターを務める有名選手が訊ねて来た。
その元選手の名は、アレックス・ロドリゲス氏(Aロッド)。シアトル・マリナーズやNYヤンキースで活躍した、通算本塁打696本を誇るスラッガーだ。
インタビューマイクを持つ、Aロッド氏の右手中指には、2009年にデレク・ジーター選手や松井秀喜選手(MVPを獲得)と共に勝利した、ワールドシリーズのチャンピオンリングが輝いていた。
 
その時の大谷選手ときたら、普段の礼儀正しい態度は何処へやら。
ただでさえ童顔な上に、瞳を余計に円(つぶ)らにして、相手(Aロッド氏)の顔を見ず、視線はAロッド氏の右手中指から離れなく為っていた。
 
 
アメリカのスポーツシーンでよく見られる、このチャンピオンリングは、大学の卒業記念で揃える、カレッジリングを発祥としている。
同期で大学を卒業した苦労を、同じリングで共有しようと造られたのがカレッジリングだ。その、共有感を継承したのがチャンピオンリングだ。
 
スポーツの優勝(チャンピオンシップ)には、トロフィーが付き物だ。アメリカの場合、それも巨大なトロフィーが。
当然のことだが、贈られるトロフィーは、チームに対する一つだけだ。選手各自が、優勝の感動を共有しようと造られたのがチャンピオンリングだ。
云うなればチャンピオンリングは、各自に配られたチャンピオンシップ・トロフィーのレプリカみたいな物だ。
 
MLBでの優勝(ワールドシリーズ・チャンピオン)を渇望する大谷翔平選手の瞳は、Aロッド氏の指から離れる訳が無いのだ。
それ程迄に、大谷選手は勝ちたいのだ。
 
そんな大谷選手の気持ちを知らぬ訳が無いAロッド氏は、彼に対する敬意と励みの一助に為ろうと、チャンピオンリングを登場させたのだろう。
 
 
実は私も、憧れのチャンピオンリングを指に嵌めた経験が有る。
たっだ、一度だけだが。
 
その顛末は、こうだ。
 
 
「これ、本物ですか?」
 
2009年の春、新宿のデパート・紳士館一階に在る宝飾品売り場で、私は思わず子供の様な質問をした。
厳重に施錠されたショーケースには、豪華に宝石が散りばめられた、正確には全面に宝石が埋め込まれた『チャンピオンリング』が三個並んでいた。
 
「ハイ。本物と同じ仕様のレプリカに為ります」
 
と、女性のスタッフはにこやかに答えてきた。
私は、
 
「レプリカということは、宝石は全部本物なのですね」
 
と、尋ね返した。
何故なら、宝石が本物ならとんでもない価格と思ったからだ。
 
「ハイ。同じ等級の本物(宝石)を使用しています」
 
と、女性スタッフは、然も当然と言いたげな顔で答えてくれた。
私は、
 
「すると、正価で1,000万円位ですか?」
 
と、恥をかかない程度に高目の金額を言ってみた。
すると、スタッフの答えは、
 
「イエイエ、そこまではしませんが、一番右の物で500万円+消費税で受注可能です」
 
と、驚くべきものだった。
私は、
 
「えっ! じゃ、消費税だけで25万円(当時5%)ですか?」
 
と、自分の懐事情がバレない様に冗談で返した。
女性スタッフは、
 
「折角の機会ですから、一度指に嵌めてみませんか?」
 
と、白い手袋を用意しながら、にこやかに言ってくれた。
私は、“そら来た!”と身構えた。
物欲豊かな私は、チャンピオンリングを指に嵌めたら、欲しくなるに決まっている。勿論、500万円+消費税なんて額を衝動買いで出せる程、私は経済的に豊かな身分では無い。
美人の笑顔が、悪魔のそれに思えた。それでも見栄を張って身を亡ぼす程、私は愚かではない。
 
私は、一瞬考え、
 
「いやいや、これは真のチャンピオンを獲得出来た者しか、身に付けちゃいけない物です。恐れ多いこと等出来ません」
 
と、丁重に御断りした。
 
 
『チャンピオンリング』は、ダイアモンドをベースに様々な色の宝石を組み合わせて作られるものだ。チャンピオンチームのチームカラーに合わせる為だ。
青系のチームカラーの場合、ブルーサファイヤが使われることが多い。赤系だとこれが、ルビーやガーネットとなる。この辺りの使われる宝石の価格差が、チャンピオンリングの代金となって跳ね返るらしいのだ。
最高値となるのは、チームカラーが緑の場合だ。緑には、エメラルドが使われるので納得出来るというものだ。
 
ショーケースには、紺色の宝石をベースにしたリングと、赤をベースにしたリング2個が飾られていた。
2005年、アメリカンフットボール(NFL)の頂上決戦・スーパーボウルで勝利した、ニューイングランド・ペイトリオッツ(愛国者の意)のリングが、紺色の方だ。
赤い方は、2004年と2007年にメジャーリーグ(MLB)のワールドシリーズで勝利した、ボストン・レッドソックスの物だ。
チーム名と年度が、ブルーサファイヤやルビーでデザインされているので、私には直ぐに判断が付いた。
 
スタッフは、それでもその場を離れられずに居る私に、
 
「こちらは、松坂(大輔)選手と同じに為ります」
 
と、2007年のリングを指し示した。
私は思わず、
 
『そんなことは、先刻承知! 第一、松坂だけじゃなくて、岡島投手だって持っているだろうが!』
 
と、ツッコみそうになったが、寸でのところで堪えた。
他人(ひと)から見れば、私なんぞは、いかにも煽てられて高価な買い物をしそうなオッサンにしか見えないのだ。間違っても、40年来のMLBファンには見えることはなかっただろう。
 
 
「では、一生の想い出に見せて頂こうかな」
 
と、私は、意を決して言ってみた。
女性の販売スタッフは、それまでにも増して笑顔になり、白い手袋をハメ直した。
そして、然も当然とでもいう様に、2007年のチャンピオンリングに手を伸ばした。松坂選手と同じものだ。
私は、
 
「いや、2004年の方を」
 
と、スタッフの手を言葉で遮(さえぎ)り、自らの意志を示した。
 
「こちらで宜しいのですか?」
 
と、念を押す様にスタッフは私に確認した。
多分彼女は、自分の好意が私に通じず困惑したのだろう。
私は、
 
「2004年だから意味が有るのですよ」
 
と、答えた。
スタッフの女性は、
 
「どの様な意味ですか?」
 
と、言葉を選ぶ様に尋ねて来た。
私は、
 
「少し長くなりますよ」
 
と、念を押した。
スタッフが軽く頷いたので、私は、
 
「呪いが解けた年だからです。2004年の前は、1918年迄レッドソックスのチャンピオンリングは無いのですよ」
 
と、話し始めた。
私は、女性スタッフの目に“興味津々”の文字を読み取ったので、それではと話し始めた。
 
 
キリスト教徒が多いせいか、アメリカやヨーロッパには『呪い』に関する逸話が多く在る。その多くは、いわゆる都市伝説に近いものだ。
数ある『呪い』の中で、アメリカに限定すれば『バンビーノの呪い』が最も有名なものだ。
 
『バンビーノ』とは、MLBの伝説的選手ベーブ・ルースのことだ。
現在、二刀流でMLBを席巻している大谷翔平選手が、よく例えられる伝説の二刀流選手だ。MLB史上最も偉大な選手の一人だ。
 
大谷選手と同じく童顔だったところから、本名の“ジョージ・ハーマン・ルース”を“ベーブ(ベイビーbabyのもじり)”を登録名にしていた。『バンビーノ(The Bambino)』は、ボストン在籍中のニックネームだ。
 
日本では、ニューヨーク・ヤンキースの選手として知られているベーブ・ルースだが、その前にボストン・レッドソックスでMLBデビューを果たしている。
ベーブ・ルースは実際に、投打で活躍し、特にエース投手として1915・1916・1918年の3回、チャンピオンシップをボストンの街にもたらした。
 
 
ところが、1919年優勝を逃した上に経営難に陥ったレッドソックス球団は、こともあろうか、ベーブ・ルースを多額の移籍金でトレードに出してしまう。
行き先は、球団創設以来のライバルチーム、ニューヨーク・ヤンキースだった。
当然のこととして、地元ボストンのファンは怒り心頭に発した。
それ以降ワールドシリーズを勝ち取ることが出来ないレッドソックスのことを、
 
「『バンビーノの呪い』が掛けられた」
 
と、いって憂いたのだった。
憂い続けたのだった。
 
 
その後何度も、あと一歩のところ迄ワールド・チャンピオンに近付くことはあったボストン・レッドソックスだったが、徹底的に『バンビーノの呪い』に阻まれた。
いつしかボストン市民の夢は、自分達が生きている内にレッドソックスが『バンビーノの呪い』を解き、ワールド・チャンピオンを獲得することとなっていた。
 
夢見るボストン市民を代表して、映画監督の兄弟が『FEVER PITCH』(直訳すれば『熱球』といったところか)という、ライトなラブコメディ映画を製作した。主演は、ドリュー・バリモア(『E.T.』の少女)。
ストーリーは、ボストンでビジネスコンサルタントとして成功した彼女には、高校の数学教師をしている恋人がいる設定だ。
2004年10月が近付いた時、カレシは常に‘心此処に在らず’な状態に為る。理由を問い詰めると、レッドソックスが快進撃を続けて居り、ワールドシリーズに進出したというのだ。
これでやっと『バンビーノの呪い』が解けそうだと、熱っぽく語るのだった。
感動的なセリフに、
 
「僕が生きている内に『バンビーノの呪い』が解けるかも知れないんだぞ!」
 
と、ボストン市民の心の叫びの様なものがあった。
普段からMLBを観ることが無かった彼女は、誘われるままレッドソックスの本拠地“フェンウエイ・パーク”(世界最古のボールパーク)へ出向く。
すっかり熱戦にのめりこんだ彼女は、彼にとって自分は‘一時的に’2番目だったと気付き、二人の関係はレッドソックスの応援をすることで一層深まるというものだ。
邦題は『2番目のキス』。なんとも意味深な題名だ。
 
この『2番目のキス』が、本国アメリカで公開されたのは、2005年春のことだ。そうなると、撮影は2004年の夏から秋口と推測される。
その時点では、未だ『バンビーノの呪い』は解けていないのだ。
 
ということは、『バンビーノの呪い』が解けていないフェンウエイ・パークで、呪いが解けるシーンを兄弟監督は撮り続け、ドリュー・バリモアは演じ続けていたのだ。
だから私は、この『2番目のキス』を名作とは思えないが、呪いを解くという奇跡を導いた作品として記憶している。
 
この作品が公開された際、周りの映画仲間たちは一斉に、MLB事情に詳しい私に対し『バンビーノの呪い』について質問して来たものだ。
 
 
2004年・現地10月27日、日本時間では10月28日午前、私は仕事を放り出しテレビに文字通り噛り付いていた。
ボストン・レッドソックスとセントルイス・カーディナルスが対戦している、ワールドシリーズの第4戦が始まろうとしていたからだ。
会場は、ミズーリ州セントルイスのブッシュ・スタジアム。シリーズはここまで、3勝0敗でレッドソックスがワールド・チャンピオンに‘王手’を掛けていた。
 
スタンドの観衆は、敵地にもかかわらず紺色に『B』(ボストンの頭文字)の赤い文字が鮮やかなキャップを被った、レッドソックス・ファンで埋め尽くされていた。
アメリカ大陸と太平洋で隔てられた東京で私は、買い求めてあったレッドソックスの赤いリストバンドを付けて、拳を握っていた。私は日本人でありながら、40有余年来のレッドソックス・ファンなのだ。心は完全にボストニアンなのだ。
 
2004年MLBワールドシリーズ第4戦は、レッドソックスが前半で得たリードを守り切り勝利した。レッドソックスは、1918年以来、86年振り6回目のワールド・チャンピオンとなった。
これは同時に、ボストンの街を『バンビーノの呪い』から解き放った瞬間だった。
カーディナルスの最終打者は奇しくも、ベーブ・ルースと同じ背番号3の選手だった。
 
「これは奇跡だ! 86年間の呪いが解けた!!」
 
現地の中継アナウンサーは、狂乱した様に大声で叫んでいた。
奇跡を裏付ける様に、アメリカではその日“皆既月食”が観測されていた。
ワールドシリーズ開催中の“皆既月食”は、史上初のことだった。
 
 
東京でテレビ観戦をしていた私は、『2番目のキス』のカレシではないが、まさか自分が生きている内に、『バンビーノの呪い』が解けるなんて何だか信じ切れずにいた。
でもこれは、現実だった。
それでも私は、こんな劇的瞬間が訪れたことに実感がわかなかった。
 
86年も縛っていた『バンビーノの呪い』は解けたのだから。
それでも私は、その瞬間を観届けることが出来、本当に幸せだと感じた。
 
呪いが解けた後、ボストン・レッドソックスは、2007年・2013年・2018年と3回もワールド・チャンピオンに輝いた。
2007年は松坂大輔投手が、大車輪の活躍をした。また2013年は、上原浩治投手が日本人初・優勝決定(日本風に言うと『胴上げ』)投手と為ったことで、日本のファンの多くが記憶していることだろう。
 
しかし私には、長年の『バンビーノの呪い』が解けた2004年のワールドシリーズ勝利こそが、ダントツに鮮やかな記憶として現在も残っている。
 
 
2009年春、私は新宿のデパートで、『バンビーノの呪い』が解けた証である赤いチャンピオンリングを右手中指にはめ、一人感慨に浸っていた。
 
暫くして、リングを落としたりしたら大変と思い直し、私はスタッフにリングを丁寧にお返しした。
そして、スタッフに、
 
「一生の想い出を有難う」
 
と、少々仰々しい礼を述べた。
 
多分、販売スタッフの女性には私の表情が、
 
「こんな体験が出来るなんて、生きていて佳かった」
 
と、言っている様に映ったことと思う。
 
また、そう願いたい。
 
 
そりゃ何と言っても、呪いが解けた年なのだから。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
山田THX将治(天狼院・ライティングX所属 READING LIFE公認ライター)

1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数17,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載
続けて、1970年の大阪万国博覧会の想い出を綴る『2025〈関西万博〉に伝えたい1970〈大阪万博〉』を連載
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
更に、“天狼院・解放区”制度の下、『天狼院・落語部』の発展形である『書店落語』席亭を務めている
天狼院メディアグランプリ38th~41stSeason四連覇達成 46stSeason Champion

 
 

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2024-06-12 | Posted in 週刊READING LIFE vol.266

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