週刊READING LIFE vol.267

シングルタスクをこなすことの大切さを、生後三か月の娘が教えてくれた《週刊READING LIFE Vol.267 迸る》

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライティングX」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2024/6/24/公開
記事:青山 一樹(READING LIFE編集部ライターズX)
 
 
その日は、朝から皆が、迸る喜びに浸っていた。生後三ヶ月になった娘のお宮参りを迎えるにあたって。朝10時に私のマンションに集合、と言っていたにもかかわらず、義理の両親は朝9時過ぎに、マンションのインターホンを鳴らした。
 
私と妻も、最も見栄えのするスーツを着て、お宮参りに備えた。義理の父親も私のスーツを見て、嬉しそうに購入金額を質問してくる。娘も、お姫様のような綺麗なドレスや、色彩鮮やかな着物を代わる代わる身につけてもらっていた。生後三ヶ月とはいえ、娘も何か楽しいイベントの日であることが、分かっているようだった。
 
私たち夫婦、義理の両親、そして娘と、五人全員がお祭り気分になっていた。そして、私は「ちょっと代わりに抱っこして」と言われ、妻から娘を受け取り抱っこした。この時、その依頼ごとが、おかしいことに気づくべきだった。普段であれば、妻は「代わりに抱っこして」など言わない。普段通りの妻であれば、ベッドに娘を寝かせて、自分の用事に取り掛かる。
 
しかも、この日の娘は、いつも以上に手足をバタバタさせている。私と妻は共に、動きづらいスーツを着ている。にもかかわらず、娘を受け渡すことは非常に危険な行為だ。しかし、私の感覚も、迸る喜びで鈍くなっていた。何の疑問も持たず、妻から娘を受け取った。娘は相変わらず、手足をバタバタさせている。娘もテンションが上がっていた。
 
腕時計をつけ、スーツを着て、そして立ったまま娘を抱くのは、私にとって初めてのことだった。腕時計のベルトが、娘の身体に食い込みそうになる。娘が手足を動かすたびに、スーツのジャケットに負担がかかり、ボタンが取れそうになる。
 
そこで、私は左手だけで娘を抱き、残った右手で腕時計とジャケットのボタンを外そうとした。その瞬間に、事件は起こった。より勢いよく手足をバタバタさせた娘が、飛び跳ねて、私の目の前で一回転し、そのまま顔から床に落ちてしまったのだ。
 
火山が噴火したかのような娘の泣き声が、すぐに部屋中に響き渡った。義理の父が「すぐにぶつけた個所を冷やせ!」と言い、私、妻、義理の母親の三名は、保冷剤で娘の額を冷やした。10分もしないうちに、娘が泣き止み、いつも通り大人しくなった。娘は約1メートルの高さから落ち、額を床にぶつけたが、特に外傷も出血もなかった。そのため、私たち五名は、予定通り神社へ向かい、お宮参りを済ませた。そして、午後からは、私の兄も加えた六名で食事会を開催した。
 
娘の容態が変わったのは、それから三日後だった。額から床に落ちたにもかかわらず、娘の左側頭部が腫れてきた。心配した妻が、かかりつけの小児科に行くと、すぐに大学病院を紹介してもらった。そして、レントゲン検査、CT検査などが行われ、娘の入院が決まった。診断名は、頭蓋骨骨折であった。
 
娘を落とした私だけでなく、娘を私に手渡した妻も、ショックを受けていた。しかも、妻は病院で、小児科と脳外科の医師二名、看護師、検査技師から、同じような質問を繰り返し受けた。「娘さんが床に落ちた時の様子を詳しく教えてください」と。私も、医師二名から同じような質問を受けた。私たち夫婦は、虐待を疑われていた。
 
「不慮の事故なのに、虐待を疑われるのか……」と私と妻は落ち込んだ。三日前の迸る喜びは何だったのだろうか。今は、迸る悲しみしか感じなくなっている。もう、誰も信用できなくなっていた。しかし、一番辛いのは、頭蓋骨を骨折して入院した娘である。
 
娘が入院した大学病院の面会時間は、午後1時~午後8時だった。赤ちゃんであっても、その時間以外の付き添いは不可だった。平日、妻は7時間ずっと娘に付き添ってくれた。私は、少しでも早く仕事を終え、病院に向かい、娘と過ごす時間を1分でも長くしようとした。
 
見舞いに行き、不自然に腫れた娘の左側頭部を見ると涙が出そうになった。私が泣く前に、娘を抱っこしている妻の目から、涙がこぼれていた。こんな頼りない親にもかかわらず、娘は、私たちを屈託のない笑顔で迎えてくれる。床に落とされたことなど、何にも気にしていない様子であった。
 
娘は、生後三ヶ月にして、一人で大学病院に入院している。一晩中、泣き続けてもおかしくない月齢である。しかし、娘は違った。医師、看護師、検査技師など、娘の診療に携わってくれる人たちに、笑顔で対応していた。小児科病棟といっても、生後三ヶ月ほどの赤ちゃんが入院するのは珍しいのだろうか。次から次へと看護師が、娘を見に来てくれる。そして、その看護師一人ひとりに、娘は笑顔を振り撒いていた。娘は小児科病棟のアイドル的存在になっていた。
 
一方、私たち夫婦は、病院を後にする時は、心身ともに疲れ果てていた。家に着くと、部屋がいつも以上に広く感じられた。小さな娘が一人いないだけで、ここまで広く感じてしまうのだろうか。私たち夫婦にとって、娘という存在は、それ程までに大きかったのだ。その部屋の広さを認識した時、私は娘をもう二度と片手で抱かないと、心に誓った。
 
私たち夫婦は、慣れない育児が三ヶ月続き、自分たちが思っている以上に疲れていたのだろう。娘が入院している間、久しぶりに朝までぐっすり眠れる日が続き、次第に二人とも元気になってきた。と同時に、娘の頭の腫れも治まり、遂に退院できる日がやってきた。私たち夫婦は、病院に娘を迎えに行き、そして帰宅した。一週間ぶりに、家族三人がひとつ屋根の下に揃った。
 
私は、片手で娘を抱きかかえたことを猛省した。そして、ある考えに達した。私は、自分の限界以上のタスクを抱えていたのではないだろうか。家事・育児・仕事・プライベートのいずれにおいても。そして、タスクの多さばかりを考え、父親としての責任を忘れていたのでは、なかっただろうか。
 
タスクが多いため、効率化を第一に考え、何事も手際よく捌かなければならない。そして、器用にタスクをこなしていく自分に酔いしれ、娘を怪我・病気なく育てるという父親としての責任を失念していた。
 
私は、自分の抱っこのやり方に自信を持っていた。娘が産まれた頃から、毎日のように抱っこをしていた。出かけるたびに、「お父さんも、抱っこに慣れていますね!」という言葉を聞き、いい気になっていた。お宮参りの日もそうだった。娘を左腕一本で抱っこし、空いた右手で腕時計とジャケットのボタンを外す。そして、神社へ行くための荷物を、また右手だけを使って纏めて、カバンに入れる。さらに、娘を片手で抱いたまま、右手だけでビジネスシューズを履こうと考えていたくらいだ。
 
娘の安全を考えず、抱っこと他の作業を同時にこなそうとした。いわゆるマルチタスクを遂行したばかりに、娘を床に落とし、そして入院させてしまった。娘は、私たち夫婦にとって大事な存在だからこそ、両手でしっかりと抱きかかえるべきなのに。
 
その反省を込めて、娘を抱っこするときは、片手ではなく、両手で大切に包み込むようにした。また、妻との間で、娘を受け渡すときは、一度、娘をベッドや床に置いて、渡すことにした。どうしても、直接渡さなくてはならない時は、二人とも座って、受け渡すことにした。万が一、落としたとしても、床までの距離が20~30センチと短くなるため、衝撃が小さくて済むからだ。
 
さらに、私と妻が揃っている時は、どちらかが家事をやり、もう一方が娘の世話をすることにした。例えば、料理をする人は、料理だけに集中する。料理をしながら、娘の世話をしない、というルールを決めた。つまり、シングルタスクに集中することにした。
 
家事・育児・仕事といったものは、効率化のノウハウが、世の中に溢れている。家事と育児を同時に進めないと時間が足りないと考え、子どもを片手で抱っこし、空いているもう片方の手で、料理を作れる器用な人もいるかもしれない。
 
しかし、私は抱っこしながら、腕時計やボタンも外せないくらい不器用である。不器用な人は、器用な人を真似せず、一つひとつのタスクを、着実にこなしていく方が性に合っている。抱っこをする時は、抱っこだけに集中する。ご飯を作る時は、調理だけに集中する。洗濯物を干す時は、干すことだけに集中する。
 
こうやって、シングルタスクをこなしていくと、経験値を堅実に積み重ねることができる。そして、一つのタスクを、質が高く、時間が短く完了させることできるようになる。私が、抱っこのスキルだけを磨き、「お父さんも抱っこに慣れていますね」と言われた日のように。
 
一つひとつのタスクを、着実に進めていくことが大切である。そのことを、迸る喜びと、迸る悲しみの両方を、経験させてくれた娘に教えてもらった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
青山 一樹(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

三重県生まれ東京都在住
大学を卒業して20年以上、医療業界に従事する
2023年4月人生を変えるライティングゼミ受講
2023年10月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部に加入。
タロット占いで「最も向いている職業は作家」と鑑定され、その気になる
47歳で第一子の父親になり、男性育児記を広めるべく、ライティングスキルを磨き中

 
 

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2024-06-19 | Posted in 週刊READING LIFE vol.267

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