週刊READING LIFE vol.267

私がサウンドトラック愛好家になった理由《週刊READING LIFE Vol.268 心に残る映像》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライティングX」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2024/7/1/公開
記事:Kana(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
菜の花が一面に広がり、かくれんぼをする子どもの笑い声が風に乗って聞こえる。
まるで絵画のようなその風景のなか、子どもが無邪気に駆け回る。
菜の花の向こうには静かな浜辺が広がり、遊んでいるうちにあっという間に夕陽は海の向こうに姿を隠す。
波の音が優しく世界を包み、水面が黄金色に輝いている。
 
行ったこともないけれど、その美しい風景は私の心に深く刻まれているから、今でもありありと思い出せる。
あのメロディーを聴けば……
 
 
子どもの頃、私は母方の祖父母の家に遊びに行くのが大好きだった。
古くて大きいその家は、1階に玄関と祖父の事務所があり2階にリビングやキッチンがある作りだ。
母に借りた鍵で玄関を開け、タッパーの詰まった紙袋を下げてトントンと階段を登っていくと、何やら人の言い争う声が聞こえてくる。
 
『×××××××××スムニダ!!』
『アニエヨ!! ××××××!!』
眉根を寄せて真剣な顔でテレビを見つめる祖母がいた。
 
「あら、来てたの〜〜」
緊迫した場面が終わってようやく私の存在に気がついた祖母は、呑気に語尾を伸ばす。
ミーハーな祖母は韓国ドラマに目がないのだ。
 
もちろん私も、祖母の影響で韓国ドラマが大好き。
勝手に冷蔵庫を開けてグラスに牛乳を注ぎ、お菓子と一緒に祖母の隣に陣取る。
「そんな怖いもの観て!」と母に怒られるようなドラマも、祖母は観せてくれた。
「怖い話が、いちばん面白いんじゃない〜〜」と言って。
 
私と祖母がいっとう気に入っていた作品がある。
ヨン様の冬ソナで有名な四季シリーズの最終作、『春のワルツ』だ。
もちろんそのストーリー展開は、いわゆる“韓国ドラマあるある”な要素がてんこ盛りであった。
「生き別れの兄妹が再会する」「心臓の手術を受ける主人公」「交通事故で死ぬ」「三角関係ならぬ四角関係」など、挙げればキリがない。
 
春のワルツの舞台は韓国とオーストリアで、描かれる情景がとにかく息を呑むほど美しい。
特に主人公が幼少期を過ごした韓国の青山島の風景は、このドラマの代名詞だ。
幼い主人公たちがかくれんぼをする菜の花畑や、のどかでどこか寂しい浜辺の光景は、ノスタルジーを感じずにはいられないような描かれ方をしている。
いちめんに広がる黄色い花畑は、タイトルの『春』そのもの。
祖母と一緒にその美しい景色を眺めながら、ドラマの世界に浸る時間が大好きだった。
 
景色の美しさもさることながら、ドラマの中で流れるサウンドトラックもまた美しく、どれも心に染みるメロディーばかりだった。
歌詞のない曲もあったし、歌詞はあっても韓国語だから意味は全くわからない。
けれどそのメロディーを口ずさむと、教室にいてもバスに乗っていても、ドラマのシーンがありありと思い出される。
どこで何をしていても、否応なく菜の花畑に連れていかれてしまうのだった。
ドラマの中でも、主人公がクレメンタインという曲を口ずさんでは、子どもの頃を思い出す場面があった。
「メロディーって、ここではない場所へ連れて行ってくれる“どこでもドア”みたい」
小学生の私は、この素敵な事実に初めて気づいたのだ。
 
その頃の周りの友達はみんな流行りのアイドルの曲ばかり聴いていたから、『春のワルツ』のサウンドトラックがどれほど素晴らしいかを共有することができなかった。
幼い私は、その魅力を同じく幼い同級生にうまく伝える術を持ち合わせていなかった。
友達と共有できなくても、『春のワルツ』の音楽が私にとって特別なものであることには変わりなかったのだけれど。
 
 
あっという間に時は流れて、祖母は優しい思い出を遺して亡くなり、私は大学生になった。
大学生はとにかく忙しい。
小学生の頃のようにのんびり韓国ドラマを観る暇もなく、バイトとサークルに明け暮れる日々。
サークルでは大学合唱団の活動に打ち込んでいた。
コンクールに向けて練習を重ね、勝ちに行くために曲を作り込む日々はまさに青春であった。
 
合唱団の活動はコンクールだけに留まらない。
外部から招いた作曲家の先生にオリジナルの合唱劇を作曲してもらって初演をするという、一風変わった活動も行なっていた。
 
 
合唱劇と言われてもなかなかピンとこない方も多いだろう。
それは、ストーリーを元に作詞・作曲された合唱曲集を軸とした舞台であり、物語の主要な場面に配置された合唱曲を演奏する。
曲と曲の合間にはセリフや朗読が入ることで物語は進行していき、舞台上の団員は簡単な演技や動きで物語の世界を表現する。
わかりやすく言えば、「小学校の学芸会のもっと本格的なやつ」または「ミュージカルのもっと簡単なやつ」と言ったところだろうか。
 
合唱以外の要素が格段に増えるため、合唱劇の練習はとても骨が折れるものであった。
しかし、世界でまだ演奏されたことのない曲を作り上げているという、「初演」という活動ならではの高揚感がそこにはあった。
作曲家の先生はピアニストでもあり、私たちの合唱劇の伴奏を自ら引き受けてくださった。
若手とはいえ有名な先生だから、合唱が好きな人にはとても羨ましい舞台だろう。
 
先生は合唱の伴奏だけでなく、セリフや朗読の部分で情景にぴったり合うピアノを演奏してくれた。
例えば、星空の下で登場人物が昔を回想するシーン。
先生のピアノは、まるで瞬く星のように粒々キラキラとしたメロディーを奏でた。
ひな壇に座りながら目を瞑って聴くと、瞼の裏には満天の星空が広がった。
 
情景だけではなく、心情描写もまた巧みだった。
不穏な出来事が起こるシーンでは緊張感のある不協和音が鳴り響き、登場人物と一緒に心のざわつきを覚えた。
一方で幸福な場面やコミカルなシーンでは、先生のピアノもまた明るく希望に満ちたメロディーを奏で、とても楽しい気持ちになったことを覚えている。
 
もちろん、先生は他にもお仕事を持っていらっしゃるから、練習に来られない日もある。
そんな日は、場面が切り替わった時に舞台の雰囲気を変えるのがとても難しかった。
「先生のピアノがあるのとないのとでは、全く違う」
おそらく全員がこう感じていた。
けして演技力があるわけではない素人集団が物語を演じるためには、先生の伴奏の力が必要だったのだ。
先生が何気なく奏でているメロディーが、その場面の感情を増幅して全員を物語に引き込んでいることは明らかだった。
 
いよいよ迎えた本番。
舞台の上で間近に聴く先生の演奏はまた格別で、練習の時以上に情景に包み込まれるような感覚に陥った。
目を開けて客席を見ると、お客さんもうっとりとした表情をしている。
ホールに響く音色に包まれて、全員が物語の中を生きていた。
先生の音楽は目の前のシーンを豊かに彩り、私たちの歌声とともに物語を紡いでいった。
 
舞台が終わった後、聴きに来てくれた友人がこんな感想を伝えてくれた。
「私、今まで歌にしか興味なかったんだけどね、BGMっていうの? 歌ってないときに先生が弾いてる音楽がとっても良いことに気づいた」
 
私は首がもげるほど頷いた。
音楽は情景や感情を鮮明に描き出し、物語に深みを与える。
時にセリフやナレーション以上に雄弁に。
 
物語におけるサウンドトラックの力を改めて感じ、そういえば、と大好きな「春のワルツ」の音楽を思い出した。
当時はサウンドトラックに惹かれながらも、その良さをうまく言語化できていなかった。
しかし、この合唱劇の経験で、情景や心情を描写する音楽の魅力をハッキリと認識した。
 
 
最近面白いと思ったのは、大河ドラマ『光る君へ』のサウンドトラックだ。
平安時代を舞台にした作品でありながら、エレキギターの音色やバロック音楽の要素が用いられている。
一見異色な組み合わせに思えるが、不思議なことにその音楽は、ストーリーや場面と非常に調和しているのだ。
 
例えば、エレキギターが使われているのは、ヒール役が残忍な事件を起こす場面。
力強く鳴り響くエレキギターが緊迫感を一層引き立て、視聴者に強い印象を残す。
他の場面はピアノや弦楽器の音色が多いからこそ、エレキギターの異質さが効果を発揮するのだろう。
 
一方バロック音楽の方はというと、内裏で貴族たちが行き交う場面で使われている。
中世ヨーロッパの宮中で奏でられたバロック音楽は、その重厚で装飾的な旋律が特徴だ。
時代と文化こそ違えど同じ宮中である内裏の場面に、バロック音楽が自然と馴染むのは面白い発見だった。
 
ここまで考えて、サウンドトラックは単なるBGM以上のものなのでは、と改めて思う。
物語のテンポや感情の流れを効果的にリードしてくれるサウンドトラックは、まさに経験豊富な名役者といえるかもしれない。
 
 
 
ここまでひたすらサウンドトラックの良さを語ってきたが、もちろん歌にも歌詞があるからこその良さがある。
 
歌詞の言葉が自分の心に響いて、思わず目頭が熱くなった経験はないだろうか。
例えば、悲しい失恋ソングを聴くと心の内に悲しみがじんわり広がり、自分と重ねて切ない記憶が蘇ることがある。
自分の中にある言葉にならない感情を明確な言葉で歌い上げてくれていると感じると、いつの間にか涙が溢れて不思議とスッキリした気持ちになるのだ。
 
苦しい時や悩んでいる時に、歌詞が背中を押してくれた経験もあった。
部活の試合前によく聴いたファイトソングや、受験勉強の相棒になった曲。
励ましてくれる歌詞を必要とする場面が、人生にはたくさんある。
「直接的に特定の感情を呼び起こすこと」が歌詞のある曲の機能だからこそ、呼び出したい感情がある場面で人は能動的に歌を聴くのだろう。
 
反対に歌詞のないサウンドトラックは、感情が厳密には限定されていない。
だからこそ、自分の気持ちや状況に合わせて自由に解釈できるのが面白いところだと思う。
 
例えば、私は通勤中にドラマ『中学聖日記』のサウンドトラックをよく聴いている。
このドラマのサウンドトラックはとても美しいピアノのメロディーで、どれも聴くたびに心が癒される。
ある時、『春夜、雨を喜ぶ』という曲をちょうど雨の日に聴いていた。
雨が窓ガラスを打つ音と相まって、私の中で目の前の情景と音楽がみるみるうちに重なっていった。
不思議な浮遊感を感じると同時に、たまらなく切なくなった。
 
数日後、私は同じ曲を聴いていた。
不思議なことに晴れた柔らかな日差しの下で聴くと、粒だったピアノのメロディーは明るく優しく聴こえて、暖かな気持ちが胸に広がるのを感じた。
同じ曲なのにも関わらず、状況によってまったく違う感情が呼び起こされたのである。
目の前の景色との化学変化としか思えなくて、とても面白く感じた。
 
こんなふうに、歌詞のない曲は歌詞に縛られないからこそ、その瞬間の心の移ろいに寄り添ってくれるような気がする。
 
 
歌詞のある曲、ない曲。
どちらにせよ、音楽の力で圧倒的に人生は豊かになるのだ。
 
 
人生に欠かせない音楽は、たびたび会話において相手を知る材料として用いられる。
好きな音楽を聞かれると、ほとんどの人が好きな歌手や作曲家の曲を挙げるだろう。
ジャンル問わず「ポピュラーなアーティストの楽曲を聴くこと」が、世間において一般的な音楽の楽しみ方とされているような気がする。
アーティストの作り出す世界観や歌声、あるいはパフォーマンスに魅了されることも、もちろん楽しい。
しかし、サウンドトラックのように歌詞がなかったりほとんど無名の曲であっても、頭の中で豊かな景色を広げて楽しむことができるのだ。
 
思い返せば中高生の頃、友達と話を合わせるために、人気のバンドやアイドルグループの曲を一生懸命聴いていた時期もあった。
「好きなアーティストを持つことが一人前」みたいな空気感を、当時の私はどことなく感じていたような気がする。
 
でも年を重ねるうちに、音楽の楽しみ方は自由で良い、と気がついた。
「音楽が好き」とひとことで言っても、その楽しみ方は人によって多様でそれぞれの人生や経験に深く根ざしている。
誰かと共有する音楽の趣味や好みも大切だけれど、それだけが全てではないと私は思う。
自分の内面に寄り添うような音楽を楽しむ時間もまた必要だ。
 
音楽の楽しみ方の幅を広げてくれるきっかけになったのは、紛れもなく『春のワルツ』という美しい映像作品だ。
幼い頃の繊細な感受性に染み込むような美しい景色と音楽は、間違いなく私の感性を豊かにしてくれた。
今度、祖母が好きだったお菓子を用意して、久々に観てみようか。
きっと私は一瞬で菜の花畑にトリップすることだろう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
Kana(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

愛知県生まれ。滋賀県在住。 2023年6月開講のライティングゼミ、同年10月開講のライターズ倶楽部に参加。お風呂で本を読むのが好き。 好きな作家は、江國香織、よしもとばなな、川上弘美、川上未映子。

 
 

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2024-06-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.267

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