週刊READING LIFE vol.267

アペリティフを飲むゆとり《週刊READING LIFE Vol.268 心に残る映像》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライティングX」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2024/7/1/公開
記事:丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「ああ、なんてきれいなの」
 
明日、帰国するという少し寂しい気持ちを、ほんの一瞬あたためてくれるような真っ赤な夕陽だった。
思わず、息をのむような、それまでに見たことのないような鮮やかな景色に見入った。
 
娘が幼い頃から、私は実家の母を連れて、よくハワイへと旅行に行っていた。
そもそもは、実家の母が「死ぬまでに一回でいいからハワイへ行ってみたい」と、いつも言っていたことが発端だった。
それならば、思い立った時に行っておこうということで、娘が2歳になってから計画を立てたのだ。
65歳の母と、2歳の娘。
共に、海外旅行が初めての家族を連れて、妹も加わって3世代の女ばかりのハワイ旅行だった。
実は、私は、旅行の1週間前から、これまでに経験したことがないくらい、緊張していた。
今回の旅では、長時間のフライトで娘は機内でぐずらないだろうか。
母も全く初めての環境は合うのだろうか。
そんな心配がどんどんふくらんで、私は食事がとれないくらいになってしまっていた。
ところが、案ずるより産むがやすし、と言われるように、長時間の飛行機も、海外の水や食べ物も、母や娘は大いに合っていたようで、初めての海外旅行は良い思い出ばかりとなった。
 
その旅行から数年が経った頃、私は夫が創った会社で経理などを手伝い、専業主婦の生活が一転、忙しく日々を過ごすようになっていた。
そんな時、また、ふとハワイへ行きたいと思うようになったのだ。
頑張っている自分にご褒美ではないが、小学生になった娘と、70歳を超えた母を連れて、またハワイへ行くことにした。
2歳の頃と違って、娘は私が旅行のために買っていたガイドブックを読み込んで、たくさんの付箋をつけていた。
かわいいお洋服が売っているお店。
イルカと一緒に泳げるシーライフパーク。
美味しそうなお土産を売っているお店。
それは、それは楽しそうにガイドブックを読んでいる姿を見て、私は娘の成長を感じたものだ。
初めてのハワイでは、娘はまだ2歳だったので、出来ることは限られていた。
せいぜい、ホテルのプールで浮き輪をつけて泳いだり、ワイキキビーチで水遊びをしたりするくらいだった。
午後からは疲れて眠るので、ベビーカーに乗っている時間が多かった。
その時からは、ずいぶんと時間も経ち、今回のハワイは大いに楽しめることがわかっていたようだ。
 
そして、いよいよ久しぶりの海外、ハワイへの旅行の日がやってきた。
数年振りのハワイは、いつもと同じように爽やかな風が吹いていた。
ああ、私はこの風を感じるために、ここへやってきたのかもしれない、そう思ったくらいだ。
娘は、2歳の時以上に、海外という環境を楽しみ、言葉や文化の違いから刺激を受け、生き生きと過ごしていた。
母は、70歳を超えても、体力的にも精神的にも健康な人で、食べ物や環境の違いも全く問題なく、久しぶりのハワイを満喫出来ているようだった。
日々、忙しくすごし、時間も気持ちもゆとりが持てなかった時が長く、そんな時のハワイは私を癒してくれる場所だった。
 
ただ、久しぶりの海外。
大きくなったとはいえ、小学生の娘と70歳を過ぎた母を連れて来たことには、私はやはりどこかで責任を背負っていた。
さらには、久しぶりに来たのだから、出来るだけ多くのことを経験させてあげたいと思い、スケジュールもタイトにしていたのだ。
なので、せっかくのハワイでの休暇なのに、私はどこかピリピリしていて、母に当たってしまったり、厳しい口調になったりすることもあった。
そんな自分に対して、自己嫌悪を抱きながらも、それでも娘と母が楽しんでいる姿を見ると、とても嬉しかったのだ。
 
海外旅行というと、優雅な印象を思い浮かべるが、慎重で几帳面な性格が人に対して時には厳しく出てしまう私は、いつも帰る頃になると反省の気持ちがわいてくるのだ。
青い空と海。
吹き渡る心地よい偏西風の風。
そんな好条件の地にいても、心底リラックスしきれない自分が情けなくもあって、そんな複雑な思いは、帰国が近づくにつれて強くなっていたのだ。
 
旅行の最後の夜は、ホテルの中にある中華レストランを予約していた。
ちょうど、大きな太陽が西の空へと傾いた頃、私たちは席に着いた。
早めに夕食を始めている外国人のお客さんもいて、レストラン内はじょじょに人が増え、すぐに満席状態になった。
私たちは、3人ということもあって、それほど多くのメニューは選べなかったが、娘の好きな料理を中心に、数品のお料理をオーダーした。
ゆっくりと落ちてゆく太陽を見ながら、私は冷たいビールを口に含み、それでも楽しかったハワイ旅行を母と娘と共に来られたことを喜ぶことがようやくできていた。
 
そんなとき、すぐとなりのテーブルに、欧米からの観光客らしきグループがやってきた。
私は、自分たちのお料理が運ばれてくるのを待つ間、そのグループの人たちを見るともなくながめていた。
彼らは、メニューを受け取り広げると、それぞれが何かをオーダーしていた。
それは、やがて持って来られた時にアペリティフだとわかった。
ちょっと甘めのお酒を飲みながら、そのグループの人たちは、さらにメニューを見ながら、ワイワイと楽しそうに会話をしているのだ。
私は、「なんで早くお料理のオーダーを決めないんだろう」と、結構長い時間、メニューを見ながら談笑しているグループの人たちが不思議に思えて仕方なかったのだ。
だって、早くお料理を注文して、さっさと食べ終えたら、まだワイキキの街中ではお買い物も出来るし、楽しめる時間があるのにと思ったのだ。
 
しばらくすると、周りのテーブルにはそれぞれがオーダーしたお料理が運ばれ、気づくと美味しそうな中華料理の匂いに包まれていた。
見上げると、さらに太陽は海へと近づいていて、その後には真っ赤なヴェールがかけられたような色合いとなっていた。
その美しさたるや、真っ赤としか表現できないが、そうじゃなくてもっときれいで妖艶なカラーなのだ。
そこに、海の波の静かな音と、ヤシの葉が風によって擦れ合う音、楽しそうなお客さんたちの会話が相まって、なんとも幸せな空間となっていた。
 
その時、初めて私はその時のハワイでの時間の中で、最も心が癒されていることを感じた。
人様のテーブルを眺めて、「早くご飯を食べないのかな」と、自分勝手な思いで評価していたことが恥ずかしくも思えた。
異国の地、特別な時間を過ごす機会なのだ、いつもと違う時間がそこでは流れているのだ。
なのに、私は、忙しい仕事から逃れるためにやってきたといいながら、変わらず日本の仕事をしているときと同じ気持ちのままだったのだ。
 
効率よく、とか、スケジュールを組んで、とか、そっちを考えてしまうのだ。
ゆとりも、余裕も全く持てない自分が恥ずかしいと思った。
 
そんなとき、娘と母は、落ちてゆく太陽とその後の美しい空を見て、笑顔で語り合っていた。
 
「ハワイ、楽しかったね」
 
「お母さん(私のこと)、ありがとうね」
 
そんな言葉をもらって、私はずっと力が入っていた肩がスッと軽くなるのを感じた。
まったくもって、余裕のないツアーコンダクターだったのに、そんな私にも感謝の気持ちを持ってくれて、涙が出るほど嬉しかった。
 
そして、ようやく、例のとなりのテーブルのグループの人たちのところへ、お料理が運ばれていた。
美味しそうにお酒を飲みながら、会話もはずみ、そしてお料理も食べているグループ。
私は、この人たちのように、異国の地の旅と時間を楽しめる人間になりたいなと心から思ったのだ。
時間に追われ、仕事に追われ、あくせくと過ごす日本を離れたのだから、せめてバカンスの間くらい、それまでとは違う時間の流れに身を置くことを楽しんでゆきたいと思ったのだ。
 
大きな夏の太陽が海へと落ちてゆき、まるでインクをたらしたような真っ赤な空。
心地良く頬を何度もなでる爽やかな風と、耳に届く波の音。
さらには、食欲をそそる中華のお料理の香り
あの時のハワイ旅行の最後の夜の光景は、一つの懐かしい映像として一生私の心に残ってゆくだろう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

関西初のやましたひでこ<公認>断捨離トレーナー。
カルチャーセンター10か所以上、延べ100回以上断捨離講座で講師を務める。
地元の公共団体での断捨離講座、国内外の企業の研修でセミナーを行う。
1963年兵庫県西宮市生まれ。短大卒業後、商社に勤務した後、結婚。ごく普通の主婦として家事に専念している時に、断捨離に出会う。自分とモノとの今の関係性を問う発想に感銘を受けて、断捨離を通して、身近な人から笑顔にしていくことを開始。片づけの苦手な人を片づけ好きにさせるレッスンに定評あり。部屋を片づけるだけでなく、心地よく暮らせて、機能的な収納術を提案している。モットーは、断捨離で「エレガントな女性に」。
2013年1月断捨離提唱者やましたひでこより第1期公認トレーナーと認定される。
整理・収納アドバイザー1級。

 
 

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2024-06-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.267

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