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週刊READING LIFE Vol.27

瀬戸内の魚は骨まで美味い《週刊READING LIFE Vol.27「BREAKFAST STORIES〜3通りの物語 朝食のおともにいかがですか?〜」》


記事:高林忠正(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

出会いは3年前の夏だった。
家族と訪れた倉敷で、私はある海の幸と接することになった。
 
日が暮れても、真夏日の余韻が残っていた。
夕凪。日本の地中海とまでいわれている瀬戸内で、夕方の海風から陸風に変わる瞬間である。
空気は少しばかり重く感じた。
 
サラリーマン時代、瀬戸内を訪れたことはあっても、食を味わうゆとりはなかった。
松山はたった3時間の滞在ですぐに移動しなかればならなかった。広島への出張では福岡行の新幹線の時間を気にしながらの打ち合わせだった。
高松の新規開店のときは、最初の晩に讃岐牛の焼き肉を食べたっきり、3日間の滞在中、朝昼晩毎食、讃岐うどんで過ごしていた。
まさにうどん県のうどん漬けの日々だった。
 
「瀬戸内の魚は骨まで美味いなぁ」
映画の1シーンで、朝食を食べながら役所広司さんがつぶやいた。
ホントかよと思いながらも、私の中では、あくまでも単なるセリフでしかなかった。
接する機会は皆無だった。
 
その日私は、岡山空港からリムジンバスで岡山に着いた。
岡山の後楽園の庭園の緑は、内陸部の水戸の偕楽園、季節風にさらされる金沢の兼六園とも異なっていた。色が濃く独特の緑だった。
在来線で倉敷に着くと、日没は過ぎていた。
 
宿泊予定の駅前のシティホテルに荷物を置いた私たちはすぐさま町に出てみた。
20代の頃、勤務していた百貨店の支店が倉敷駅前にオープンした。
その後、幹線道路沿いに複合商業施設ができたこともあって商売は低迷し、閉店を余儀なくされた。
駅前は以前ほどの活気はなかったが、地元の方たちが訪れないだけで、観光客は右肩上がりと言われていた。
 
もともと倉敷は、江戸幕府の直轄領「天領」であり、物資の集積地として栄えた町である。
倉敷の美観地区、本町・東町は、江戸時代から明治の面影を残す町並だった。
 
私たちは、ホテルからほど近い1軒の居酒屋に入った。
取り立てて意図したわけではなかった。
あくまでも、ピンときただけの理由だった。
 
10席のカウンターと、5つのテーブル席からなる店だった。
絣(かすり)の着物の女将さんと、大将が切り盛りしているだけで、何の変哲もないような雰囲気だった。
 
壁にかかった黒板のお品書きを見ていると、まだ見ぬ海の幸、山の幸のイメージが膨らんできた。
 
小皿が出された。お通しだった。
お通しとは、あくまでも、料理が出るまでのつまみであり、ワンポイントリリーフのようなものである。
 
何気なく小皿のなかの小魚に目が留まった。家内も同じだった。
長さ6〜8センチほどの小さな魚。
何の変哲もなさそうな魚が器にさり気なく盛られていた。
 
(イワシの酢漬けだろうか?)
それにしては、形が細長かった。
 
口に含んでみた。
食感がイワシではなかった。
軽く酢で締めただけの旨味と甘みが口いっぱいに広がった。
いままで経験したことのない食感だった。
 
「なにこれ?」
無意識から発してしまった。
 
女将さんと目が合った。
「”ままかり”ですよ」
 
初めて聞く名前だった。
 
ままかりとは、一般にサッパと呼ばれるニシン科の魚である。
関東では雑魚と見なされて、ほとんど食用にする習慣はない。
西日本では、”ままかり”という呼ばれ方をしている。
岡山では、酢漬けや、塩焼きにする郷土料理の1つだった。
初夏から秋が旬の魚だった。
 
イワシに比べて身がしっかりしているような気がした。
ビールを飲みながら、急にご飯が食べたくなった。
お通しでご飯。
初めての体験だった。
瀬戸内の「海の恵」との出会いが新たな食べ方を教えてくれた。
 
そこからだった。
育ち盛りの息子2人がいることから、お品書きの目についたものを片っ端から注文した。
地の魚のお造りに始まって、瀬戸内のカレイの唐揚げ、但馬牛のステーキ、ノドグロのような魚の一夜干し、季節のサラダ、締めは、釜飯だった。
食べっぷりの良さからだろうか、無口な大将が満面の笑みを見せていた。
 
最後は、中国山地は蒜山(ひるぜん)高原のジャージー乳で作られた自家製アイスクリームだった。
海の幸、山の幸を堪能した私たち家族は、ホテルに帰るなり、すぐに寝てしまった。夜9時にもなっていなかった。
 
翌朝だった。
朝6時前に目が覚めた私たちは、美観地区を歩いてみることにした。
白壁の街、倉敷。倉敷川に沿って昔ながらの町並みがそのまま保存されていた。
午前10時になったら、大原美術館を訪れて、その後、電車で瀬戸内海を渡って、香川県の高松と屋島に行く予定だった。
 
50分ほど歩いただろうか、さすがにお腹が減ってきた。
朝から気温が上がっていた。
真夏日を予告するような陽の強さだった。
急に空腹を覚えた。
 
午前7時。
ホテルにもどってのビュッフェもいいが、空腹には勝てなかった。
 
駅前の商店街の脇の路地に入ったときである。
30メートルほど先に「食堂」の看板が見えた。
前日の夕食の経験から、倉敷の食は見た目ではないという予感があった。
ふつうは、店の門構えや、体裁を気にする家内もそのときは、躊躇はしなかった。
長男が卵料理が得意ではないことを除けば、あとはなんでもウェルカムだった。偶有性に身を任せてみようと思っていた。
 
他に選択肢はなかった。
引き戸になっている扉を開けてみた。20席ほどのカウンター席だった。
「いらっしゃい」
だみ声のオヤジさんの声だった。
 
メニューは、7品目だった。
焼き魚定食
なめろう定食
煮魚定食
豚汁定食
豚みぞれ煮定食
七種の和定食
 
一律800円だった。
 
サンプルがあるわけではなかった。
ご飯と味噌汁。そして、メインの料理とお新香だろう、という勝手な解釈で注文した。
 
私の注文は焼き魚定食だった。
家内は七種の和定食、長男は煮魚定食、次男は豚汁定食だった。
私たち以外のお客は、サラリーマンというよりも、4〜50代の自営業風の男性ばかりだった。
 
10分後、ほぼ同時に料理が運ばれてきた。
作り置きしていたのではなかった。
いずれもその場で調理したものばかりだった。
 
焼き魚定食は、カサゴの塩焼きだった。
さらに私を含めて、4人の料理には、メイン料理とは別の小皿がついていた。
 
品目には見覚えがあった。
昨晩初めて食べた「ままかり」だった。
 
ご飯と味噌汁の食事の場合、味噌汁を一口含んで、ご飯に箸をつけるのが和のルール。
小学校の家庭科の授業で教わったとおり実行していた私だった。
 
昨晩の「ままかり」との出会い以来、そのルールを守ることに抵抗を感じていた。
 
(この際いいだろ)
いきなり、小皿から始めてしまった。
この店のままかりは酢醤油の味付けだった。
 
(ちょっと待ってよ。これってご飯と一緒だろ)
 
ままかりと一緒にご飯をかっこみたくなった。
この際、和食の流儀なんて脇に置いとこう。
すでに特Aランクの岡山産コシヒカリと瀬戸内のままかりのハーモニーが私を包み始めていた。
 
カサゴの塩焼きの食感も初めてだった。
今朝市場で仕入れた旬のものと言われた。
 
一息つくつもりで、赤だしを口に含んだ。
具は青のりと豆腐だった。
 
九州の甘みでもなく、四国のドライ感覚とも異なり、関西の酒粕のようなささやきとも異なる独特の赤だしだった。
 
ひとことでいえば、ライト感覚でコクがある赤味噌。それがカサゴの塩焼きだけでなく、ままかりと妙に合うのだ。
 
家内もままかりから食べ始めていた。
息子たちもこの瀬戸の小魚に魅了され始めていた。
 
「すみません。追加料金払うので、ままかりをお代わりできませんか?」
オヤジさんに聞いてみた。
 
だみ声は笑っていた。
だまって私の前には一皿が出された。
家内と私は、後生大事に食べ始めた。
 
「もう一杯」
朝からどんぶり飯をお代わりするとは思いもよらなかった。
 
ままかりを食べながら改めて思った。「瀬戸内の魚は骨まで美味い」と。
瀬戸の海の幸、「ままかり」から始まった食の物語だった。

 
 

❏ライタープロフィール
高林忠正(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
ベストメモリーコンシェルジュ。
慶應義塾大学商学部を卒業後、三越に入社。
販売、仕入をはじめ、24年間で14の職務を担当後、社内公募で
法人外商を志望。ノベルティ(おまけ)の企画提案営業により、
その後の4年間で3度の社内MVPを受賞。新入社員時代、
三百年の伝統に培われた「変わらざるもの=まごころの精神」と、
「変わるべきもの=時代の変化に合わせて自らを変革すること」が職業観の根幹となる。
一方で、10年間のブランクの後に店頭の販売に復帰した40代、
「人は言えないことが9割」という認識の下、お客様の観察に活路を見いだす。
現在は、三越の先人から引き継がれる原理原則を基に、接遇を含めた問題解決に当たっている。

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2019-04-08 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.27

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