週刊READING LIFE vol.272

日常という名の奇跡 ~母が教えてくれた本当のヒーロー~《週刊READING LIFE Vol.272 身近なヒーロー》

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2024/8/5/公開
記事:大塚久(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
朝もやの中、洗濯機のゴロゴロという音と包丁のリズミカルな音で目が覚めた。時計を見ると午前5時半。いつものように母が一日の始まりを告げる音だった。カーテンの隙間から差し込む薄明かりの中、僕はまだ布団の中でもごもごしていた。
 
専門学校に通っていた僕はその音を聞くと、毎朝同じことの繰り返しにうんざりしていた。特に嫌だったのは、母が作るお弁当だ。友達は皆、コンビニのお弁当やパンを買って食べたり、どこかお店に食べに行っている。なのに僕は、毎日手作りのお弁当。
 
「お母さん、もういいよ。お弁当なんか作らなくていいから」
 
何度そう言っても、母は決まって同じ返事をした。
 
「いいの、お弁当ぐらい作れるわよ」
 
その言葉に、僕はますます苛立ちを覚えた。なぜわかってくれないんだ。僕はもう子供じゃない。自分でなんとかできるのに。
 
そんな思いを抱えながら、僕は毎朝母の作ったお弁当を持って学校に向かった。友達と昼食を食べながら、僕は母のお弁当を「ダサい」と感じていた。きれいに並べられたおかずたち。時々入っている季節の花の形をしたにんじん、仕舞いにはウサギの形をしたりんごも入っていた。友達のコンビニ弁当と比べると、なんて地味で古臭いんだろう。
 
でも、不思議なことに、いつも完食していた。嫌々ながらも、最後の一粒まで食べてしまう。そして、帰宅後に母に「おいしかった」と言うのが、なぜか日課になっていた。
 
ある日、僕は何気なく母の一日の様子を観察してみた。朝5時に起きて洗濯を始め、朝食とお弁当を作る。そして8時半ごろに家を出て仕事場であるお煎餅屋さんへ向かう。別の曜日ではフレンチレストランの厨房で調理補助として働き、昼には内科クリニックの仕出し弁当の準備もしている。家に帰ってくるのは夕方6時ごろ。そこから夕食を作り、お風呂の支度をして、やっと一日が終わる。
 
僕は驚いた。母はこんなにも忙しく働いていたのか。それなのに、僕の前ではいつも変わらぬ笑顔で「おかえり」と迎えてくれる。そして、当たり前のように夕食を用意し、翌日の準備をする。
 
専門学校を卒業し、理学療法士として働き始めてからも、僕はしばらく実家で暮らし続けた。仕事を始めて初めて、自分の生活リズムと母のリズムを比較する機会があった。
 
朝6時半に起きて、7時半には家を出る僕。通勤に時間がかかるので18時に仕事は終わるが帰ることは19時を過ぎるくらいだった。一方の母は変わらず8時半ごろに出て夕方6時ごろに帰ってくる。一見母の方が時間が短く思えるのだが、朝のご飯の支度や帰ってからの夕食とお風呂の準備がある。僕の方は帰ってくると仕事でクタクタなのに母は忙しく動き回っている。
 
そんな母の姿を見て、僕は自分の仕事への姿勢を省みるようになった。理学療法士として働き始めた頃の僕は、自分の仕事に自信が持てずにいた。患者さんの期待に応えられているのか、本当に役に立っているのか、そんな不安が常につきまとっていた。
 
ある日、先輩の理学療法士から言われた言葉が、僕の心に深く刺さった。
 
「大塚くん、患者さんの回復は一朝一夕には進まないよ。毎日の小さな積み重ねが大切なんだ。それは君の仕事に対する姿勢も同じだよ」
 
確かに仕事を始め3ヶ月ほど経ち、段々と慣れてきて細かい部分で少しずつ楽をするように、要は手を抜き始めていた時だった。その瞬間、母の日々の姿が鮮明に脳裏に浮かんだ。母は毎日、黙々と仕事をこなし、家事をこなし、それを何十年も続けている。一方の僕は3ヶ月程度ですでに手を抜き始めている。母のその姿勢こそ、僕が見習うべきものだったのだ。
 
理学療法士として働く中で、僕は多くの患者さんと接するようになった。その中には、50代や60代でありながら、病気や怪我で日常生活に困難を感じている方も少なくなかった。
 
ある日、60代の男性患者さんが言った言葉が、僕の心に深く刺さった。
 
「先生、僕はただ普通の生活がしたいんです。朝起きて、自分で着替えて、自分でトイレに行って、家族と一緒に食事をする。そんな当たり前のことができなくなるなんて、思ってもみませんでした」
 
その言葉を聞いて、僕は母のことを思い出した。母は76歳になった今でも、毎日変わらぬリズムで生活している。お煎餅屋さんの仕事は続けているし、新たに地域の野菜販売のボランティアも始めた。
 
「普通の生活」
 
その言葉の重みを、僕は患者さんたちを通して学んだ。そして、母が毎日続けてきた「普通の生活」が、実は奇跡に近いものだったことに気づいたのだ。
 
ある日、僕が担当している若い患者さんが、リハビリの途中で涙を流した。
 
「先生、もう無理です。こんなに頑張っても、全然良くならない。毎日同じことの繰り返しで、もう嫌になりました」
 
その言葉を聞いて、僕は母のことを思い出した。母も毎日同じことの繰り返しだ。でも、母はそれを苦とは思っていない。むしろ、その日常を楽しんでいるように見える。
 
僕は患者さんにこう言った。
 
「同じことの繰り返しに見えても、実は毎日少しずつ変化しているんです。今日のあなたは、昨日のあなたよりも確実に強くなっている。その小さな変化に気づくことが大切なんです」
 
その言葉を聞いて、患者さんは少し落ち着いた様子を見せた。そして、また前を向いてリハビリに取り組み始めた。
 
その後、僕はその患者さんの小さな進歩を一緒に喜び、励ましながら、リハビリを続けた。そして3ヶ月後、その患者さんが杖をつきながらも自力で歩けるようになったとき、僕は心から喜びを感じた。それと同時に、母の日々の努力がいかに素晴らしいものかを、改めて実感した。
 
ある休日、僕は母に尋ねてみた。
 
「お母さん、毎日同じことの繰り返しで、飽きないの?」
 
母は少し考えてから、こう答えた。
 
「そうねぇ。確かに同じことの繰り返しかもしれない。でも、毎日少しずつ違うのよ。今日のお弁当は昨日とは違うし、お店に来るお客さんも日によって違う。それに、私は動いていないとボケちゃうからね」
 
その言葉を聞いて、僕は胸が熱くなった。母にとっての「普通の生活」は、決して退屈なものではなかった。それは、日々の小さな変化を楽しみ、健康であることに感謝する、豊かな人生そのものだった。
 
母の言葉は、僕の仕事にも大きな影響を与えた。患者さんとのリハビリでも、小さな変化や進歩に注目するようになった。そして、その変化を患者さんと一緒に喜ぶことで、リハビリの効果も上がっていくのを感じた。
 
理学療法士として働く中で、僕は多くの患者さんの「普通の生活」を取り戻すお手伝いをしてきた。歩けなかった人が一歩踏み出せたとき、自分で食事ができるようになったとき、患者さんの目に輝く喜びの光。そんな瞬間に立ち会うたびに、僕は「普通」の中にある奇跡を感じていた。
 
そして、そんな奇跡を毎日、何十年も続けてきた母の存在が、僕の中でどんどん大きくなっていった。
 
母は決して華々しい活躍をする人ではない。テレビに出ることもなければ、新聞に取り上げられることもない。でも、母のような存在が社会を支えているのだと、僕は確信するようになった。
 
毎日、黙々と仕事をこなし、家族のために食事を作り、地域のために活動する。そんな「当たり前」の行動の積み重ねが、実は非常に価値のあることなのだと気づいた。
 
ある日、仕事から帰ると、母が台所で夕食の支度をしていた。僕はふと、高校生の頃に感じていた苛立ちを思い出した。あの頃の自分に、今の気持ちを伝えられたらどんなに良かっただろう。
 
「ただいま」と言いながら、僕は母に近づいた。
 
「おかえり。今日はいいナスがあったのよ」
 
母はいつもの笑顔で答えた。台所に漂う焼きなすの香りが、僕の疲れを癒してくれる。
 
「お母さん、ありがとう」
 
僕は思わず口にした。母は少し驚いたような顔をして聞いてきた。
 
「何? どうしたの?」
 
母がしてきたことは決して「当たり前」なんかじゃない。それは、毎日の小さな奇跡の積み重ねなのだ。
 
しかし、言葉にはしなかった。
僕は考えた。世の中には、テレビや新聞で取り上げられる「ヒーロー」がいる。でも、本当のヒーローは、こうして日々の生活を支え続ける人たちなのではないだろうか。
 
毎日、当たり前のように繰り返される日常。その中に、実は大きな奇跡が隠れている。それに気づくまでに、僕は随分と時間がかかってしまった。でも、今なら言える。
 
母は僕の「身近なヒーロー」だ。
 
そして、きっと誰の周りにも、こんなヒーローがいるはずだ。毎日頑張っている同僚、いつも笑顔で接客してくれるコンビニの店員さん、黙々と街を掃除している人…。彼らは皆、社会を支える「普通の人」であり、同時に誰かにとっての「ヒーロー」なのだ。
 
僕の職場にも、そんな「身近なヒーロー」がいる。患者さんの名前を全て覚えている受付の女性、いつも笑顔で患者さんに接する看護師さん。彼らは皆、華々しい功績を残しているわけではない。でも、その日々の努力が、多くの患者さんの人生を支えているのだ。
 
僕たちは、もしかしたらもう誰かの「ヒーロー」かもしれない。あるいは、これからヒーローになれる可能性を持っている。それは、決して大きな功績や華々しい活躍だけを指すのではない。日々の小さな行動、当たり前に思える生活の中にこそ、ヒーローになるチャンスがあるのだ。
 
ある日、僕の今の職場である整体院に来ているお客様がこんなことを言った。
 
「先生、私ね、毎日孫の面倒を見ているの。息子夫婦は共働きだから、朝から晩まで孫の世話をするのよ。疲れるけど、孫の笑顔を見ると、それだけで元気が出るの」
 
その言葉を聞いて、僕は思わず笑みがこぼれた。そのお客様は、間違いなくお孫さんにとっての「身近なヒーロー」なのだ。そして、そんな小さな幸せの積み重ねが、彼女のリハビリへの意欲にもつながっているのだろう。
 
母が教えてくれたこの気づきを、僕は大切にしていきたい。そして、僕自身も誰かの「身近なヒーロー」になれるよう、日々の生活を大切にしていこうと思う。
 
それは、患者さんの小さな進歩を一緒に喜ぶこと。同僚の頑張りを認め、言葉にして伝えること。家族や友人との時間を大切にし、互いに支え合うこと。そんな小さな行動の積み重ねが、誰かの人生を支える力になるのだ。
 
きっと、あなたの周りにも「身近なヒーロー」がいるはずだ。そして、あなた自身もきっと誰かのヒーローになれる。その可能性に気づき、感謝の気持ちを持って日々を過ごすこと。それが、母が僕に教えてくれた最も大切な事だった。
 
かつては「ダサい」と思っていた母のお弁当。今では、それが最高の贈り物だと思える。毎日の小さな愛情の積み重ね。それこそが、本当の幸せなのだと、僕は今、心から感じている。
 
これから始まる一日。今日もまた、誰かの「身近なヒーロー」になれる機会に満ちているはずだ。そう思うと、胸が高鳴る。
 
母が教えてくれた「普通の奇跡」。それを胸に刻みながら、僕は新しい一日に向かって歩き出した。今日も、誰かの人生に小さな光を灯せますように。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
大塚久(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

神奈川県藤沢市出身。理学療法士。2002年に理学療法士免許を取得後、一般病院に3年、整形外科クリニックに7年勤務する。その傍ら、介護保険施設、デイサービス、訪問看護ステーションなどのリハビリに従事。下は3歳から上は107歳まで、のべ40,000人のリハビリを担当する。その後2015年に起業し、整体、パーソナルトレーニング、ワークショップ、ウォーキングレッスンを提供。1日平均10,000歩以上歩くことを継続し、リハビリで得た知識と、実際に自分が歩いて得た実践を融合して、「100歳まで歩けるカラダ習慣」をコンセプトに「歩くことで人生が変わるクリエイティブウォーキング」を提供している。

 
 

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2024-07-31 | Posted in 週刊READING LIFE vol.272

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